ハンナ・アーレントはまともに読んだことがない。
『全体主義の起源』、あれ長いんだよなぁ・・・。


なんかファンネルファンネルうるさいから、ん?ファンネル?あの『ガンダム』の?と思っていたら、どうやらそうらしい。
そんなにメジャーな単語だっけ?別にネットスラングでもないのに、ひとりが使いだしたらみんなよってたかって使い出す。
ポタクの語彙の貧困さには頭が下がる。

そして相変わらず「ヤマカンは統失だ」「人としてますますおかしい」とか、根拠を一切書かずに垂れ流している。お前らbotか?AIですらないな?と気味悪くなる。
僕はこれを今まで、「ムカつく!」というてめぇ勝手な感情や気分を上手く言語化できない、ポタク特有の知性の欠落だと思っていた。

しかし、そうでないような気がしてきた。
彼らは「ムカつく」感情すら持ってないのかも知れない。

これって、「ヤマカンは人間性がおかしい」とだけ言っておけば、なんとなくネットの仲間意識の中に入っていられる、という帰属意識の表れなのではないだろうか?
つまりそこにあるのは帰属意識へのこだわりのみであり、ぶっちゃけヤマカンなんかどうでもいい、ヤマカン相手に感情が動いている訳ではないのだ。
同様にたつき監督に対しても、「ファンネル」という覚えたての単語を連呼しておけば、なんとなくネットで群れている、同族として扱われているという感覚が芽生えるだけなのだ。
『けもフレ』なんて、まったく興味がないのだ。


そこで気付いた。
ああ、これこそが「全体主義」の正体なのだ、と。

つまり全体主義の根底にあるのは、「思考停止」なだけでなく「感情停止」の状態にまで陥った群集心理だということだ。
思考だけではない、感情までオフになってしまうのだ。

これこそ「日本型全体主義」の構造なのかも知れない。
いや、アウシュビッツを指揮したルドルフ・ヘスも「何も考えずやった、感情など何もなかった」と述べているので、世界的にも同様に言えるのかも知れない。


ともあれ、ちょっとアーレントを勉強しよう。
何かヒントがあるかも知れない。