普段から「パッと訊かれてすぐ口頭で出せる企画5本、ある程度時間をかけて企画書を書けと言われたら書ける企画10本」というのが、プロの監督として当たり前に持ってなきゃいけない準備だと思っているのだが、それでも僕自身、これができるようになったのは、ここ7、8年くらいの話だ。

しかし最近は、次から次へと企画を思いつく。
和田さんから「このジャンルで何かできないですかね?」と言われたら、即座にその場で固まった範囲の世界観やら設定やらを説明する。
「うぉー!そりゃいい!今すぐ書きましょう!」と和田さんに言われて、断る。
「そんなあれもこれもいっぺんにできません!」

でも今、どのジャンルでも出せる。原作物も出せる。挑戦的なものから萌えまで、即座に出せる。
自分でも驚くくらい、ストックが増えた。増えすぎて困っている。

昔では考えられないことだ。
駆け出しの時師匠に「どんなアニメが作りたいんだい?」と訊かれて、「特にないです」と答えて、師匠を呆れさせたことがある。
あの頃は原画やセルを触っているだけで楽しかった。まぁ呑気だったのだろう。


今の僕は「表現の課題」を持っているんだ、と去年から宇野さんに言われているのだが、いや、むしろ単に、問題意識を持っているから、と言った方が早い。
アニメは、いやフィクションは、現実と向き合うものであるべきで、現実逃避に陥るのは危険だ、そう考えるようになってから、急に描きたいものが増えだした。
現実世界に対するあれやこれや、不満や希望などをフィクションに投影するのが、自分にとっての表現なのだと気付いたのだ。

逆に「アニメは現実逃避であるべきなんだ!」という強迫観念を植え付けられたクリエイター達が、表現の課題を見付けられずに、目の前の仕事を仕方なしにこなし、裏で僕に愚痴る。
まぁ、聞くけどさ。でも健全だとは思わないな。


「私はアニメ(フィクション)で何をやるべきなんだろう?」と思っているあなた、まずは「アニメは現実逃避であるべき!」という、誰が決めたか知らんが実にくだらん、窮屈な発想から抜け出よう。
現実世界にはいくらでも「表現の課題」が転がっている。それを拾って考えれば、何を描きたいかはすぐ見つかる。

フィクションは現実と不可分なのだ。