落語家になる前、お笑い芸人になろうとしていた時期がある。その時の僕は素人に毛が生えたようなレベルの芸人だったから当然お笑いの収入で生活することなんて無理だった。それはさておき、たまにライブで一緒になるテレビのネタ番組にもバンバン出始めているクラスの先輩も普通にアルバイトをされていたのだ。当時の僕の印象だと、結構テレビに出始めたとしても、まだ飯は食えないんだぁというものだった。
音楽をやっている友達も演劇をやっている友達も、ライブや公演をすればそれなりにたくさんのお客様を動員しているのに、みんなアルバイトをしていた。20代の頃、仲良くしていたそういう仲間のほとんどは30歳を過ぎたあたりでどんどん辞めていった。結婚をきっかけに就職したり、実家に帰ったり。まだ戦っている何人かの友達はいまだにあの頃のように夜勤バイトを続けている。
そんな中、我々落語家は(僕が知る限り周りの仲間も含めて)、まずアルバイトをしなくとも、何とか生活できている。入門したてで、面白い落語はおろか、下働きすら満足にできない新米前座の身分から、何とか生活できるくらいの稼ぎがある。
もちろん、普通に就職した同年代の稼ぎと比べると全然見劣りするし、米を実家から送ってもらったり、毎日ひたすらもやしいためを食べたり、共同便所のアパートに住んだりと、その生活水準は一般の方から見ると考えられないくらい低いものかもしれないけど、それでも何とかアルバイトはせずに暮らしていくことができる。それは、今、いずれ売れる日を夢見て日夜オーディションを受け続けているお笑い芸人志望の若者からしたら、羨ましいと思われる環境だと思う。
落語界がお笑いや音楽の世界に比べて全体的に生活しやすい理由として、僕は「相互扶助の精神」と「相場の維持」があげられると考えている。
落語家はキャリアに応じての相場を大事にしている。ざっくり書くと「前座は1万円、その上のランクは3万円~5万円、真打クラスになると10万円」という具合だ。
もちろん売れている方はもっと多くもらわれるだろうし、それこそ上限は天井知らずともいえる。また、大事な知り合いからのお願いなどで相場より安い額で仕事を受ける場合もなくはないけど、その場合も「この額で私が仕事を受けたことは内緒にしておいてください」とお願いするようにしている。後々「吉笑さんは1万円で出演してくれたので、あなたも同額でお願いします」と後輩に交渉されることがないようにとの配慮だ。
■仕事を譲って「相場を守る」
僕はいま二ツ目という「3万円~5万円」のランクに属している。1席30分の仕事なのか、独演会で90分の仕事なのか。移動に時間がかかる場所なのか、近くの場所なのか。平日なのか土日なのか。などでもちろん上下はするけど、相場を下回る額の依頼は、よほど強い関係性があったり、社会貢献につながる仕事だったり、落語界の発展のためになる仕事でない限りは断ることにしている。
そして「相互扶助の精神」とでもいうのか、そういう仕事は後輩に譲るようにしている。例えば2万円の仕事依頼がきたとき。その日のスケジュールが空いていたら、引き受けたくなるものだ。どうせ休みにするくらいだったら落語を演って2万円もらえるのだったら、経験にもなるし、ちょっとした稼ぎにもなる。それでも僕は断ることにしている。そして、普段は1万円が相場の後輩にこの仕事を譲るようにしている。後輩からしたらいつもの倍の稼ぎになる良い仕事ということになる。
そのときは自分としては2万円を損した気になるけど、なぜそんなことをするかというと「自分も先輩からしてもらっている」からだ。ごくまれに10万円クラスの先輩から6万円くらいの仕事を譲ってもらえることがある。先輩からしたら相場以下の仕事だから受けることができないけど、僕みたいな若手からしたらいつもの倍の仕事ということになる。
こうやって、各自が相場を守りながら、それぞれに仕事を回しあっていく仕組みが落語界には定着している。
資本主義的に考えれば、自分がどれだけ稼げるか躍起になるべきである。ところが落語家はそうじゃなくて、落語界全体にとって良くなる方向を常に考えているところがあるように思う。狭い世界だからこそ連帯意識が高いのかもしれない。
こういう相互扶助的な価値観で業界が回ると、飛び抜けた金持ちは生まれづらくなるだろう。一方で、それぞれに少しずつでもお金が行き渡るから、お金を理由に落語の道を断念せざるを得ない事態というのは随分軽減できるはずだ。
別段ガツンと売れているわけじゃないけど、こうして34歳になった今でも好きなことをやりながら何とか生活できているのは、落語家になる前は想像すらできなかったし、大げさに言えば、もはやあの頃夢見た状況に今生きているのかもしれない。
これまでの記事は、立川談笑、らくご「虎の穴」からご覧下さい。