この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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過去事例から「一度動き始めた表現規制」がどこまで暴走するかを知っておく

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%82%92%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%99%E4%BC%9A

だいたいこんな感じでしょうか。

1 規制活動はだいたい勘違いから始まる。そして周囲の無知・無関心がそれを加速する。

2 「子供」を旗頭として利用する (10歳の子供の名義で出版各社に内容証明郵便を発送する。)

3 すぐに基準が違う外圧を呼び込もうとする (セレーナ批判が許されない偏ったPCの国と日本の基準を揃える必要がどこにある?)

4 一回始まると、自身の活動の正当性を証明し続けるため、規制することそれ自体が手段ではなく目的化して歯止めが効かなくなる

5 なぜか攻撃対象はほとんど国内の「創作表現物」に限られる (現実でおきている差別とは戦わない)

6 規制をすることが目的化しているひとたちは中身を確認せず、表面的な表現に機械的に噛み付く(夏目漱石批判、シュバイツァー批判など)

7 原発訴訟を全国の地方議会で繰り広げる活動家のように弱腰のところを探す。

8 活動家は自分を正義と信じているため冤罪についても一切責任をとらない(いまだに「ちびくろさんぼ」についての勘違いについて謝罪がない。)

その結果、活動は「差別をなくす」とう理念から離れ、「表現の抑圧」だけをもたらすようになる。

活動によって漫画などにおける「顔が真っ黒で唇が分厚い」というステレオタイプな黒人表現がタブー化され、抗議を恐れる出版社・創作者の自主規制が行き過ぎて、作品に黒人そのものを登場させることができないようになり、結果的に「黒人差別をなくす会」の行動によって、商業的表現活動の場において、黒人の存在そのものの自主規制を誘発すること[3]になっている。

ちびくろ・さんぼ」は誤解によって攻撃された。

当時から事実を述べてる人はいたが全く聞き入れられず長年封印され、勘違いで規制した人たちは一切謝罪しない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%B3%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9C
ちびくろさんぼ復刊に際して「黒人差別をなくす会」親子を思う | せんだって日記 - 楽天ブログ
正直この記事は全体的に侮蔑的な表現や憶測が多いのだが、複数のソースを確認しても少なくともこの点は事実である。

・虎が出る。アフリカに虎は存在しない。とくにベンガルトラはバターの原材料であり、世界のバターの45%がインド産である。
・作者ヘレン・バンナーマンは19世紀の英国婦人で、植民地であるインドに長いこと住んでた。
・「サンボ」はインド・グルカ地方で極めて多い名前である。アメリカ大陸における「SAMBO」とは出自が違う。
ちびくろさんぼ』を、インドを舞台にした知恵と勇気と幸運の話、以外の意味合いで読むというのはもう頭が不自由な人達と言わざるを得ない。

どこにもアフリカの黒人が登場しない上に、「さんぼ」は黒人をさす言葉ではないものを黒人差別として攻撃した。

今回のゾーニングの話もそう。シュナムルさんがいっているから、以外になにも自分で確かめようともせず騒ぐ人たちばかり。

もし自分達が何か勘違いで罪のないものを加害する側に立ってしまったら、という感覚が微塵もない。正義の味方ごっこは自尊心満たされるから真実なんかしりたくないんですよね。
意地でも本屋に行かないのすごい。


「こどものため」は規制したい大人の方便で。個を思う親の素朴な感情が利用される

『子供が気持ち悪いと言った』を基準にしてたら大抵の大人は皆殺される - Togetter

「基本的に子供を持ち出している」「子供の素朴な感情をそのまま主張の根拠にしている」みたいな人は警戒すべきです。
本来大人であればチェックされるべき様々な論点を、子供の意見だからといって素通しにしてしまった実績ががこの国にはあるようですから。
子供の意見は子供の意見として受けつつ、それをちゃんと大人が言い換えて、大人の意見として評価し直さなければいけない。

「高尚な作品だから大丈夫」「文学作品だから大丈夫」もという楽観的観測は通用しない

岩波文庫に収録されているアルベルト・シュヴァイツァーの『水と原生林のはざまで』に「土人」という人種差別的な表現があるとして一時出荷停止に追い込む
岩波書店に対して、『ドリトル先生』作中にニガー川などの差別的表現があるとして抗議

結構な人が、歴史から学ばずに「ラノベの表紙に限った話でしょ、ラノベなんか低俗なものを読んでるのが悪い。私達には関係ない」とかんがえてるみたいですが。
一度動き出した「規制」がどこで歯止めがかかるかなんて誰もわかりません。
むしろ、攻撃のしやすさで言えば圧倒的に「もともと低俗なものと思われてる」マンガより、「ブランドイメージが高い」小説とかになると思いますね。


あとそもそも自主規制やゾーニングは規制ではないと考えてる人が多すぎる。取締ではなくても規制ですよ。なにか一つがNGってなったらそのラインまで作品出せなくなるんだから当たり前でしょう。

よほど気をつけないと相互監視や告発に歯止めがかけられないことくらいわからないのかな。ゾーニングは魔法じゃないんだよ

一番黒人を差別している(存在そのものを認めない)のは、実は規制を訴える人たちという皮肉

「ちびくろサンボ」が廃刊になった理由 - 優しい唄歌い

私は想います。
ちびくろサンボ」を読んで、黒人の人に親しみを感じる人はいても、差別的な考えを持つ子どもはいないだろうなと。
また、当時爆発的にヒットしたダッコちゃんを持っていた人が、ダッコちゃん人形の影響で、黒人の人に差別意識を持つことなんてあるのだろうかと。
黒人差別をなくす会」の想いが優先されて、手塚治虫さんを始めとした表現者の作品への想いが無視された気がして、私は悲しいです。

差別に反対する表現を描いているものまで、それを描写しているという理由で規制しようとした。

今回やり玉に挙げられた「境界線上のホライゾン」「アクセル・ワールド」も女性差別を助長する作品ではなく、むしろ女性への敬意や女性への強さを描いている作品「だそうです」。(ホライゾンは読んでないからわからないけど概要や設定は確認しました。)「表紙を変えろ」という話ならともかく、これをゾーニングの対象として主張している事自体、ゾーニングや規制を訴える人たちが、いかにずさんな仕事をしているかがわかります。

今彼らがやっているのは、セレーナは正義でなければならないと信じて審判や大坂をおとしめようとした、「善意の」PCのひとたちとそうかわりません。

そして、同じくそれを良識ぶりたいだけで実際はは全く無関心な人間が後押しする、という話は「図書館戦争」で語られていたとおりですね。

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差別反対運動は、一部の人間の万能感や、良識人ぶりたいだけで無関心な人間の承認欲求を満たすための道具ではない。
そういう間違った差別運動に対しては、「差別を本当になくしたい人」こそがちゃんと批判をスべきなんですが。
まぁネットの人って、どうかんがえても前者ばっかりだしな。