魔法の言葉「子の福祉」 | 果てしなく続く紛争の備忘録

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タイトル通りである。

あまりにも抽象的すぎて具体的でない。

つまり判然としないのだ。


裁判所が考える「子の福祉」とはなんぞや?現状の子の福祉であるのか?それとも将来を見据えての子の福祉であるのか?様々な判例を見ても基準が曖昧すぎて到底理解出来ない。


環境を直ちに変えるのは子の福祉を考えるに良くない。→裁判所自ら連れ去り認容。であれば、連れ去られた後、直ちに保全と本案で「子の引き渡し」を家裁に申立てれば認容されなければおかしい。なぜならば、環境を直ちに変えるのは子の福祉を考えるに良くないのだから。ましてや保全(仮処分)を同時に申立てているのであるから審判も1ヶ月弱で出る訳である。



しかしながら、保全のハードルは非常に高いのが家裁の実務でもある。つまり、今まで何年もの間、慣れ親しんだ環境から突如連れ去られて、別の環境で生活を始めようとも、今の環境が安定しておけば家裁の判断は、環境を直ちに変えるのは子の福祉を考えるに良くないとされ棄却される。要は今まで何年も過ごしてきた環境及び実績等は全く考慮されない。今(連れ去った後の環境)が最重要なのだ。


そして連れ去った後は、お約束の調停での子供を利用した人質交渉が始まる。この人質交渉の中でも、相手方は巧妙に「子の福祉」という魔法の言葉を駆使し、面会交流等を制限することに執着するのだ。代表的な言葉が「連れ去りの危険があるからただちの面会には応じられない。」「子の福祉を考えるに2ヶ月に1回程度が望ましい。」


連れ去られた非監護親からすれば、「連れ去ったのはお前だろ、どの口が連れ去りの危険だとか言えるんだよ。子の福祉を考えたら毎日は無理だと、しても可能な限り親子の交流の時間を作るべきだろ。」って事になる。つまり魔法の言葉「子の福祉」は、如何様にも都合よく双方に使えるのだ。


親権者、監護者の指定に関しても、究極的には魔法の言葉「子の福祉」で雌雄が決するといっても過言ではない。もちろん背景には監護実績であったり、性差等があるのであろう。そこは一旦おいといて、子の福祉に悪いって具体的には一体、何を指すのであろうか。子供への虐待だとかがあれば問答無用であろうが。

背景を考えるに裁判所の事情等もあるのだろう。

つまり、連れ去られて直ちに保全と子の引き渡しを申立てる非監護親の増加を抑制するための意味合いもあるのではなかろうか。要は仕事が増えすぎて対応できない状況に追い込まれる危険性があるのだ。

そこで裁判所は一定の基準を設けねばならないのであるが、あまりにもお粗末であり、曖昧すぎると私個人は思う。おまけに母親からの請求と、父親からの請求では審判にて大きな差があるようにも見えるのは私だけであろうか。



虐待や緊急に環境を変える事情等がなければ現状維持の姿勢(支持)をとるのが裁判所なのだ。他方で、今まで何年も慣れ親しんだ環境下で虐待等なかったことは考慮されない。ここで俗に言われる、連れ去った者勝ちという流れになる。おかしな話であるが最初の連れ去りは合法なようだ。最初の連れ去りが、圧倒的に父親が多くなれば、恐らく合法ではなく違法になるのではなかろうか。


そういう意味では(問題提起を含めて)本末転倒になるかもしれないが、父親もどんどん連れ去ればいいのではないかとさえ考えてしまう。極論になるが、社会に認知してもらうのだ。離婚を決意したら先ずは連れ去れという常識を。つまり、日本人全てに、連れ去りは常識であり、知らない輩の方が悪いという日本固有の文化を浸透させる必要がある。連れ去った後は、「子の福祉」のために、非監護親と子供を絶対に会わせないのが正攻法というのも日本人全てに浸透させる必要がある。親権を獲得するためには(有利に離婚する)親子引き離しこそ王道なのだと、全ての国民に知らせる必要がある。その結果ようやく、これはおかしい、間違ってる、子供にとってよくない、法改正が必要だという大きな流れになるのではなかろうか。






例えば不貞行為で考えてみたい。一方が浮気や不倫で不貞行為を行ったあげく子供を連れ去って別居を開始したとしよう。これは「子の福祉」にとって良い環境であったり、良い事なのであろうか、それとも子の福祉には関係ない事なのだろうか。パートナーに浮気や不倫をされたあげく子供まで
連れ去られた側からすれば理不尽極まりない事この上ないと思うのが自然ではなかろうか。そして、そんな人間のもとで子供が育つことは「子の福祉」にとって良かろう筈がないと考えるであろう。しかしながら、裁判所は違う考えの様である。つまり、不貞行為に関しては、「子の福祉」には触れず慰謝料で解決し

、親権者、監護者の決定に関しては、不貞行為があろうがなかろうが「子の福祉」に触れるのだ。


全くもって魔法の言葉「子の福祉」は私には理解不能である。裁判所にはもっと明確な基準を設けて頂きたいものだ。例えば不貞行為は○で、借金は×、連れ去りは○で、面会交流拒否親は×という様にある程度具体的に示して頂きたい。さらに言えば、連れ去られた後の環境が一応安定していれば「子の福祉」に合致するのであろうか?大事なのは将来を見据えた上での「子の福祉」に合致が大事なのではなかろうか。具体的に言えば、経済能力にも重きをおいてもいいのではないのかと思う。


確かに現在の子供の環境を変えることは好ましくないことなのかもしれない。しかし、新たな生活環境(もともとの居住地)に素早く適応できるよう支援し、種々配慮することによってこの問題も容易に解決することが出来るものと私は信じている。究極的に裁判所に望むことは、連れ去りは問答無用で子供を元の環境に戻すという姿勢でいて貰いたい。つまり、離婚協議が整わない状態での一方的連れ去りは原則認めないというスタンスでお願いしたいものだ。


もっとも虐待等の事情があれば、話は違うのは言うまでもない。


私も経験したことだが、調停や裁判では、相手方からはとんでもない屑夫として主張される。家事の協力は一切しない、育児放棄、アルコール依存症、日常的な精神的虐待、経済能力の欠如、ギャンブル依存症、子供は父親を恐れている等々、書ききれない程である。そして常に魔法の言葉「子の福祉」で締めくくられることになるのだ。


この様な父親の下で生活することは「子の福祉」を考えるに良くない。

この様な父親と子供を面会させることは「子の福祉」を考えるに良くない。



要は「子の福祉」という言葉を借りた(くっつけた)相手への人格攻撃なのだ。

支離滅裂な文章になってしまった感があるが最後に言いたい。



でっち上げた嘘や作り話を根拠に「子の福祉」を語らないでくれないか。





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