氏名 | 大島 康朋 |
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会社名 | 株式会社大島産業グループ |
出身地 | 福岡県 |
出生年 | 1965年 |
こだわり | 商いとは、感情(かんじょう)と勘定(かんじょう)のバランス |
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趣味 | 人間ウォッチング |
座右の銘 | 仕事が先、金は後、口は最後
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心に残る本 | 松下幸之助『人生と仕事の心得』 |
尊敬できる人 | 尾藤 公氏、高丘 司氏
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日本を背負う若者へのメッセージ | 先に嫌な事をしなさい。 |
幼少期は野球をして過ごしていました。当時の福岡県内の中学生の中では1番と評価され、名門箕島高等学校に入学する事となった。15歳で単身で乗り込む新境地に、夢と希望でいっぱいでした。しかし、入学して「これが本当に高校1年生?」と思うほどの選手ばかりで圧倒されました。自分の野球の能力の低さに泣きたくなったのを覚えています。甲子園の常連校のすごさを改めて実感し挫折感もありました。ホームシックにもなりました。だからこそ寝る間を惜しんで野球の練習をしました。甲子園の常連校であることで、そこでどんな活躍をするかが学校も地域も重視していました。それほど甲子園というものが当たり前すぎて重いものではなかった。だから試合に負けても泣くものなどいなかった。ただ、宿舎に戻り今までほめたことのなかった当時の尾藤監督に「お疲れ様。よくやった」と言われた涙した瞬間に高校野球が終わったのだと実感しました。
父が病で倒れ、高校卒業後、地元福岡に戻り家業を継ぐこととなりました。建設事業に加え、新たに運送事業を創設しました。ひたむきにガンバル!!という事を心に留め仕事をしていたので、トラックにガンバル!!という文字を入れて新たな大島産業を作っていきました。
商売をしていてよかったなと思ったのは、とある親子からの手紙でした。その親子は店を畳んで出て行こうとしていたそうなのですが、たまたま弊社のトラックが目の前に停まったそうでそこには「ガンバル!!」が見えたそうなんです。これも何かの縁だからもう一回頑張ろうということで続けたら成功し、感謝の声をいただいたんです。これも何かの縁でしょうね。仕事をしていてよかったと思いました。社員に対しても、ここで働いてくれているのは何かの縁だと思っていますし、そこには人間関係ができる絆があるんと思っています。何百万もの会社の中から弊社で働いているのも、糸の端っこでひっかかったような縁なんだと思います。その糸を半分ずつにするからこその絆。私はそこに重きを置いています。
弊社は粛々と仕事をこなすだけの会社ですので目標なんて持ってはならないと思っています。ただ毎日、きちんと仕事を丁寧にこなすことが我々の使命です。ただ、例え苦しい事が起こっても、ピンチの後はチャンスがくると確信しています。ツーアウト満塁で攻められているならここをガンバル!!そういう習性しかないですし、だからこそ全てに対して前向きに頑張れるのかもしれません。
企業名 | 株式会社大島産業グループ |
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所在地 | 福岡県宗像市冨地原1791-1 |
業種 | 建設 |
運輸 | |
設立 | 1973年 |
資本金 | 6,000万円(2015年8月現在) |
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従業員 | 120名(2015年8月現在) |
事業内容 | 建設事業、物流事業
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URL | http://www.ohshima-sangyou.com/ |