観て楽しい、聴いて楽しい。シャナナナナナナナ映画。
2017年。ジェイク・カスダン監督。ドウェイン・ジョンソン、ケビン・ハート、ジャック・ブラック、カレン・ギラン。
高校の地下室で居残りをさせられていた4人の生徒たちは、「ジュマンジ」というソフトが入った古いテレビゲーム機を発見する。早速そのゲームで遊ぼうとする4人だったが、キャラクターを選択した途端にゲームの中に吸い込まれ、各キャラクターのアバターとなって危険なジャングルの中に放り込まれてしまう。マッチョな冒険家やぽっちゃりオヤジなど本来の姿とかけ離れた姿に変身した彼らは、ゲームをクリアして現実世界に戻るため、それぞれ与えられたスキルを使って難攻不落のステージに挑む。(映画.comより)
よぉ、ベイビー。元気にやってるか?
世の中にはいろんな奴がいるもんで、周囲の人間に対して「元気じゃないアピール」をしきりに繰り返すことで、心配してほしい、気遣ってほしい、というサインを執拗に送ってくるタイプがいるよな。誰も聞いてないのにSNSで体調不良を訴えたりよ。
そもそも、聞かれてもいないのに主体性&自己顕示欲まるだしで体調不良を訴えてる時点で既にオマエは元気なんだよ、なんて思ってしまうがな。
反面、本当は元気じゃないのに無理して「元気です!」なんて言っちゃうような奴は、本当にいじらしいよな。抱きしめたいよ。
だから、もし人から「元気?」と聞かれた場合は、なるべく元気なさそうな顔で「元気です!」と答えると好感度が上がるわけだよ。
「うわっ…。本当は元気じゃないのに無理して元気って言ってる…。いじらしい。抱きしめたい。バイクの後ろに乗っけて海に連れていってあげたい。そのあとイカを焼いて一緒に食べたい」と思わせることができるわけだね。
というわけで本日は『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』です。
おい、そこのおまえ。いつも読んでくれてありがとな。
おまえの今日が、とびきり輝きますように。R.I.P.
◆シャナナナナナナナ映画◆
いつものようにビデオ屋をふらついていたら、30代と思しきカップルがぐちゃぐちゃと喋りながらビデオを選んでいて、男の方が「『ジュマンジ』は俺の青春だわー」と回顧まるだしの面持ちで『ジュマンジ』(95年)のケースを手に取り、愛おしそうに撫でていた。
女の方は「へええええええ! へええええええ!」と相槌を打って、一緒になって『ジュマンジ』のケースを撫でた。まるでパワースポットのご利益を信じてやまない非科学根性まるだしの人みたいに。
すると男の方、よほど大事なことだったのだろう、「『ジュマンジ』はマジ俺の青春だったわぁぁぁぁ」と再び言いました。
同じ言葉を何度も繰り返す人っているよね。老人とか。
『ジュマンジ』とその精神的連作『ザスーラ』(05年)。止まったマスに書かれたことが本当に起こるという奇々怪々なボードゲームのお話。
たいへん結構な青春だと思うのだけど、私は『ジュマンジ』にハマらなかったクチなので、22年ぶりの続編『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』にもまったく食指が動かなかった。
いや、厳密に言うと私の食指を一瞬ピクッとさせた理由はひとつだけある。
個人的に大好きなガンズ・アンド・ローゼズの代表曲にして不滅のロックアンセム「Welcome to the Jungle」がそっくりそのままタイトルに使われていたことだ!
そりゃあオメェ、どうしたって観にゃあなるめえよ。
どうせなら『ジュマンジ』は俺の青春だわ男と一緒に観たかったかも。
「シャナナナナナナナ、ニー! ニー!」という意味不明な絶叫で世界中に衝撃を与え、歌の最後が「悦子の母乳だ」と聴こえることでお馴染みの名曲。
ぜひこの曲を聴きながら読んでください。音と文章の融合による画期的なレビュー体験を貴様に!(尊敬語としての「貴様」ね)
◆隠れロック映画でもある◆
前作のラストでロビン・ウィリアムズとボニー・ハントが捨てたはずの「ジュマンジ」が、回り回ってある少年の部屋に辿り着く。
少年はメタリカのバンTを着ていて、部屋の壁にはピンク・フロイドの『対』のポスターが貼られている(メタルとプログレを両方聴くなんて、実にバランスの取れた少年だと思う)。
そして副題にねじ込まれた「Welcome to the Jungle」。
本作は呆れるほどに音楽趣味がほとばしった隠れロック映画だ。
監督のジェイク・カスダンは、音楽業界あるあるをぶち込んだパロディ映画『ウォーク・ハード ロックへの階段』(07年)を手掛けているし、『バッド・ティーチャー』(11年)ではキャメロン・ディアスがお色気カーウォッシュに興じるシーンでホワイトスネイクの「Still of the Night」(選曲最高!)を爆音で流すようなロックオタクの大バカ野郎だ。
また、本作の主要キャストであるジャック・ブラックは『スクール・オブ・ロック』(03年)や『テネイシャスD 運命のピックをさがせ!』(06年)は言うに及ばず、ロックとはまったく無関係の『マーゴット・ウェディング』(07年)の中でも「モトリー・クルーのベーシストの名前が思い出せない…。わかった! ミック・マーズ!」(正解はニッキー・シックス)などと独り音楽談義で騒いでいるようなバカヤローで、公私に渡るロックオタクとして有名。
この映画がロックへの目配せに満ちているという私の試論が嘘だと思うなら、主演のドウェイン・ジョンソンの別名を口にしてみるといい。
そう、「ザ・ロック」だ!!
ロックネタが散りばめられた映画にロック様が出ているのだから、これはもう誰がどう考えてもロック映画でしょう。
そもそも「Welcome to the Jungle」という副題が冠せられているのは本作の舞台がジャングルだから…という言葉遊びのようなノリで、だったら「ロック映画だからロック様を起用した」というのもあながちこじつけではない気がするのだけど…。
まぁ、こじつけか。
さらにこじつけていきますよ。
紅一点の美女枠にカレン・ギランが起用されたのはイアン・ギランを連想させるためです(第2期ディープ・パープルのボーカリスト)。
でも劇中では音楽自体がほとんど流れず、唯一がっつり使われたのはレゲエみたいな曲なので隠れロック映画の域を出ないのが残念(「Welcome to the Jungle」はエンドロールでしっかり流れるけどね!)。
やべぇ、音楽の話しかしてないな。
あ、ちなみにケビン・ハートだけはこじつけられませんでした。
◆入れ替わりコメディ+ギャップコメディ◆
予備知識ゼロで鑑賞したので、ロック様、ジャック・ブラック、カレン・ギラン、ケビン・ハートのメイン4人がゲーム内のアバターだったとは露知らず…。
ジュマンジを起動させた4人の高校生たちが各自選んだアバター(ロック様とか)としてゲームの世界に放り込まれるって話だったのね。
あ、知ってるそれ。『レディ・プレイヤー1』(18年)で観た!
画像上が実際の主人公たちで、画像下はゲーム内のアバター。なるほどね~。
やはり、入れ替わりコメディであると同時にギャップコメディにもなっているあたりが醍醐味なのでしょうね。
16歳の気弱な主人公がゲーム内では筋骨隆々のロック様になっていて、だけど中身は気弱なままだから女子みたいな悲鳴をあげちゃうとか。
スマホ依存のギャルがゲーム内では肥満で髭面のジャック・ブラックになっちゃって、だけど中身はスイーツまるだし今時ギャルだから恐るべき女子力を発揮しちゃうとか…。
マチズモの権化であるロック様がビビり小僧を演じ、音楽オタクの権化であるジャック・ブラックがイケイケギャルを演じるというギャップ。
パブリックイメージを逆手に取ったこの配役はまさにアイデア賞ものだ。
そして、ゲーム攻略という共通の目的を通じて、学校では決して相容れることのなかったオタク、体育会系、ギャル、ぼっち女がカーストを越えて友情を育むという見事な着地。すでに散々言われてるだろうけど『ブレックファスト・クラブ』(85年)だよね。
カレン・ギラン(中身ぼっち女)にモテ女子の仕草を指導するジャック・ブラック(中身ギャル)。
ゲーム内での経験が現実世界に還元されるというあたりも『レディ・プレイヤー1』と軌を一にする物語類型で、バーチャルリアリティの時代だからこそ地に足をつけて現実と向き合っていかなきゃいけないよね、っていうメッセージを素直に受け取ることができます。
でも羽目を外すところは思いきり外していて、その吹っ切れ具合がすごく痛快で。
ロック様(中身オタク少年)とカレン嬢(中身ぼっち女)のとんでもなく悲惨なファーストキスなんて「ネチョネチョやないか」と大笑いしたよ。
まったく、気色の悪い。
中身は処女と童貞なので勝手がわからずネチョネチョのキス。正視に耐えない。
◆ゲームの特性を活かした活劇◆
各アバターに備わっている特技と弱点がゲーム攻略に関わってくるのは当たり前として、ギャグの為だけの設定になっているあたりも懐が深い。
ロック様の特技が「男性フェロモンがダダ漏れ」とか、ケビン・ハートの弱点が「ケーキ」とか(食って爆死する)。
また、3つのライフを使いきったらゲームオーバー(二度と現実世界に戻れない)という設定もうまく扱っていると思う。
ゲーム開始早々に背後から忍び寄る巨大カバにジャック・ブラックが食い散らかされるが、これはサミュエル・L・ジャクソンが得意の長広舌説教をしている最中にいきなりサメに食い殺される『ディープ・ブルー』(99年)の変奏。
ハリウッドは事あるごとに「水辺に背を向けるな」という教訓を映画に込める。
このように、一度目は冗談みたいなノリで主人公たちが死んでいき、二度目は「まぁ、また復活できるし」というノリでミッションを達成するためにわざと命を捨てたりもするのだけど、いよいよ三度目になると「やべぇ、次死んだらゲームオーバーじゃん」という恐怖心から及び腰になってしまう…という描写があって、これが妙に生々しいのである。
これ、お金に置き換えると分かりやすいと思うの。
給料入って調子こいて服買ったりマンガ買ったり外食したり…。で、気がついたら財布に野口が2~3人で「やべぇぞ、これ!」って。
先週までは諭吉が3人と野口が7人。なんだったら樋口もいたのにすごい勢いで過疎化が進んでますね状態。
ビデオゲームもまさにそんな感覚で、進退窮まるほどに萎縮してしまって「もう無理ちゃうかな…」なんつって自信を失うものだ。並の映画だと進退窮まるほどに火事場の馬鹿力で困難を突破するが、この映画では「やべぇ。もう無理ちゃうかな…」というワンクッションが置かれていることで危機的状況がキャラクターの「感情」によって代弁され、来るべきクライマックスを盛り上げるためのカタパルト的な機能も備えているという。
「復活時は死んだ場所に上空から落とされる」というリスポーン地点のシステムを利用した活劇もすばらしい。
ゲーム内の人間はすべてCPUだが、4人を除いて唯一のプレイヤーであるニック・ジョナスはシンディ・クロフォードに憧れている飛行機乗り。彼こそが映画冒頭でメタリカのバンTを着ていた少年だ。
ロック様とジャック・ブラックが、20年以上も彼がゲームの中に閉じ込められているという悲しい事実を伝えると、ひどくショックを受けたニックは「するとシンディ・クロフォードも歳を取っているの?」と訊ねる。
「非常に言いにくいんだが…、ババアだよ」
この映画、シンディから怒られなかったのかしら。
全盛期のシンディ・クロフォード(トップモデル)。
ぅワオ!