筋肉から脂肪へ
若い頃は駅の階段をスタスタ上がり、重い荷物も平気で持てていたのに、いつの間にやらエスカレーターを利用し、「よいしょっ!」と気合いを入れて荷物を持ち上げている自分がいる。そしてお気に入りだったジーンズのウエストが、もう合わなくなっている……
筋肉から脂肪へーーこうして、男たちは我が身にも老化の波が押し寄せてきていることを実感するだろう。筋肉が落ち、胴回りが増す傾向は、病気ではない。過度な肥満は別として、男の老化として、ごく自然な成り行きである。
本書はこうした変化を、男が年を取ることによる適応戦略として捉える。そこには驚くべき進化上のメリットが隠されているというのだ。
男は女と比べて、基礎代謝率が高く、エネルギーを多く消費する。それは男のほうが身体で消費カロリーの高い筋肉量(特に骨格筋)が多いためである。
骨格筋は、エネルギー投資の面では、不経済で高くつく。にもかかわらず、男の筋肉が発達したのは、進化上の利点があったからだ。狩猟、戦闘、そして何よりも女をめぐる競争ーー魅力的な男はひ弱ではなく、逞しい(但し、後述するように、男の「逞しさ」には、経験知なども含まれる)。
男性ホルモンが女性ホルモンに変わるとき
男の筋肉の成長・維持に関わっているのが、「テストステロン(男性ホルモンのひとつ)」だ。年を取るとテストステロン濃度が下がり、そのため筋肉量も減っていく(より詳しくは脳の感受性の低下により、ホルモン面での柔軟な反応ができなくなるため)。
すると基礎代謝率やエネルギー消費量も下がる。がんがんエネルギーを燃やし、筋肉をつけ活発に動いていた若い頃からの大きな転換である(テストステロン濃度は20代でピークに達する)。
バイクを飛ばしたり、危いことが好きだった若者も、次第に年相応に落ち着いてくる。興味深いことに、若いうちに父親になった者も、テストステロンのレベルが下がる傾向がある。
同時に、かつての筋肉の一部が、脂肪へと変わっていく。注目すべきは、脂肪にはテストステロンを「エストラジオール」という女性ホルモンに変換する酵素があることだ。
この「アロマターゼ(芳香化酵素)」という芳しい名の酵素によって、男っぽさを促すテストステロンが女性ホルモンへと変わっていく!
エストラジオールは免疫機能を高めることがわかっている。また、テストステロンが促す男の生殖能力、性欲、筋肉の発達などを抑える。一方、テストステロン濃度の特に高い集団では、前立腺がんのリスクや死亡率が高い傾向がある。
父親投資
本来、生物にとって、生殖により遺伝子を次世代に伝えていくことこそ進化の要にほからならない。生殖のためにエネルギーを使えば、体も劣化し、老化も進む(生殖と寿命のトレードオフ)。だから、ほとんどの哺乳類が、生殖を終えるのとほぼ同じ時期に死ぬ、というのも進化から見れば当然と言える。
ところが、ヒトはこの進化の法則から、大きくはみ出している。女性は生殖が終わっても(閉経)、長い期間を生きるからだ。なぜ、このような異常な現象が進化してきたのか? 本書はさまざまな説を紹介するが、特によく知られているのは「おばあさん仮説」である。
祖母は孫(娘の子ども)の世話をすることで、孫の生存率を高めるとともに、娘の負担も減らすため、娘はより多くの子どもを残すことができる。つまり、間接的にせよ、遺伝子を子孫へと伝える可能性を高めているわけだ。
では、男はどうなのか? 男は女と違って、高齢になっても生殖能力は衰えるものの、失われない。現に70代、80代でも、父親になる者がいる。また、そもそも哺乳類で雌雄のペアを形成し、父親として子育てにたずさわるような種はめったにない。それなのに、ヒトでは「ペア形成からオス(男)による子育て」という異例の事態が生まれた。なぜだろう? やはり、そこにも進化的なメリットがあるにちがいない。
本書によれば、男たちは年を取ると投資の焦点を、筋肉や体力から、配偶者へ、子ども(養育)へと移していく。「父親投資」と呼ばれるこの生殖戦略によって、子どもの生存率が高まったり、子どもをより多くもうけられ、男の寿命が伸びることにもつながる。また、こうした資質が次世代へ受け継がれるなら、女を含めたヒトの長寿に貢献することにもなる。
実際、ペアを形成(端的には結婚)したり、父親になると、「オキシトシン」が増える。オキシトシンは愛情ホルモンとも呼ばれ、ペアの相手や子どもとの絆を高める働きをする。ペア形成した男や父親になった男のほうが、より健康で死亡率も低いという研究もある。
また、男の競争力や成功には、体力があることだけではなく、経験や知識も欠かせない。狩猟採集民でも、狩りの成功率は、若い男より、それなりに年を取った男のほうが高い(40代で最高)ことがわかっている。
本書は、「ぽっちゃり父さん仮説」によって、高年齢男性の肥満の役割も解き明かしていく。一般に、格好良くないとされる老化による肥満だが、そこにメリットがあり、進化によって促進さえされてきたとしたら?
このあたりの考察は、進化生物学者としての著者の本領発揮で、とても刺激的だ。また著者は人類学者でもあり、西洋化した社会のみならず、都市化・文明化していない狩猟採集民などの社会を含めて考察している。
たとえば、老化の進む速さや寿命のちがい、テストステロン濃度の変化、父親投資の利点、老化に伴う肥満や疾病などが、本当に人類全般の傾向なのかどうかーーその答えは西洋化社会だけを見てもわからない。
また一見、女と比べて肉体的に力強いように見える男だが、実のところ、「男らしさはあなたを病気にする」(本書・第6章)。
このように本書は、男と女、さまざまな社会や生物などの比較によって、人類の健康・エイジングに関する新たな視点を与えてくれる。
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