天文台の塔、ホグワーツで一番高い場所。オスカーはその途中まで登って、一番上の天文学で生徒達が使うはずの星が見える場所まで行くことができなかった。
天文学で使い、シニストラ先生が管理しているはずの望遠鏡や天球儀が沢山ある場所で一人座っていた。カバンは放り投げたのか何冊か教科書や、レアから借りたワンドレス・マジックの本が飛び出していた。
オスカーの頭の中はぼうっとしたり、突然思考が鮮明になったりを繰り返していた。
「一番高い所……」
考えて、否定して、また距離を置いて、飲み込めないモノを何度も何度もかみ砕き、咀嚼しようとしても、考えれば考えるほど、噛めば噛むほど、自分の汚らしさや、弱さや、どうしようも無さが溢れ出ていた。
ここに来たのもそれと同じ事だと分かっていた。あれほど思いだそうとして、他の記憶は思いだしているという事実が、どうしようもなく自分自身のどうしようもなさを肯定しているのだ。
最初からオスカーには分かっていたはずだった。
自分は思いだしたくないのだと。みぞの鏡で彼女を見た時に自分は何を思ったのか?
クラーナが可哀想だから同情して鏡を壊そうとした?
それは違うはずだった。確かにそれもあるはずだったが、きっと見たく無かったのだ。自分が違う事をしていたら、もう少し慎重だったならばと考えたく無かったのだ。
どうしようもない。どうしようもないのだ。記憶を一緒に見て、励まして貰ってどうして嬉しかったのか? 安心したのか? それでいいと肯定されたからに違いなかった。
その肯定は自分のどこを肯定されたから安心したのか? きっとクラーナは自分の違う部分を見て声をかけてくれたのに、自分は何に安心していたのか? それは自分が忘れようと、見ないで、直視しようとしない自分を肯定されたように感じたのでは無いのか?
エストが髪飾りを持っていなくなって、自分は何を一体恐れていたのか? 本当にエストが二度といなくなることを恐れていたのか? 恐れていたのは本当にそれなのか? 本当に怖かったのはまた間違えるかもしれないと、同じことをするかもしれないと思ったことでは無いのか? 嫌でも同じモノを見せられる、自分がやったことを考えないといけないことが怖かったのでは無いのか?
頭の中で、自分のこれまでの行動が、自分の見ようとしてこなかった場所と繋がって、それが自分の見ようとしなかった場所を、隅の隅まで照らしていくようだった。
どうして、自分はエストに心配だと、最初から言えなかった? 言えないことにいら立っていた? どうしてそれを言うことが怖かった? そんな事はわかり切っていることだった。誰かに踏み込むのが恐ろしいのだ。どうして恐ろしいのか? ただ、少し、踏み込んで、家から出て、誰かの家に行って、誰かの事を知ろうとしただけでどうなったのかを知っていたからだ。
何故、レアを励ましていたエストやアバーフォースが強く見えた? そんな事は当然だった。自分はどうして怖いのかすら忘れようとしていて、怖いことそのものがいら立つ理由や、エストやアバーフォースが強く見える理由だと思っていたのだ。
自分の感情と思考がどうしようも無いほど研ぎ澄まされている気がオスカーはした。これまでしてきた経験をほんの少し、一歩引いた状態で眺めながら、思いだした事実が、忘れようとしていたことが、これまでの経験を一つ一つ、丹念に切り分けて、余すところなく、観察している様だった。
それがどこのどれを切り開いても、自分で理由をつけようとしても、自分自身のどうしようも無さを、どうあっても、自分の都合のいいようにしようとするところを浮かび上がらせるのだった。
何をどうすれば何かが見えるのか? そもそもオスカーは自分が何を見たかったのか分からなく……
「オスカーお坊ちゃま!!」
「オスカー先輩!!」
聞きなれたバチっと言う音で塔の静寂は壊されてしまった。ペンスとレアの声を聞いて、オスカーが思ったのは、そう言えばレアとの練習があることを忘れていた事だった。
「レア、練習はごめ……」
「どうしてすぐに謝るんですか?」
レアにそう言われても、オスカーの中からは理由など特に出ては来なかった。単純に自分が練習をすっぽかしたから謝ったのだ。
「なんでって…… 俺が練習に行かなかったから……」
「どうしてオスカー先輩は練習に来なかったんですか?」
「それは…… 単に俺が行きたく無かっただけだ」
「それは噓ですよね? 行きたくないならオスカー先輩は直接言いにくるはずだ」
オスカーにはレアが何を言いたいのか分からなかった。二人の隣でペンスがびくびくしながら二人の様子をうかがっていたし、それにオスカーはまだ頭の中ではさっきから考えていたことを考え続けていて、何か目の前にいる二人の存在に現実感が無かったのだ。
「俺には…… レアが何を言いたいのか分からない。単に練習に……」
「いつもの先輩なら!! ボクがこうやっていきなりペンスと一緒に姿現しでやってきた時点で!! どういう状況なのかくらいわかっているはずなんだ!!」
いくら他に意識がいっていたオスカーでも、目の前で大声を上げられてはレアを認識しないわけにはいかなかった。明るい黄色の目には不安と誰かに対する怒りの色がオスカーには見て取れた。
「どういう状況なのかって言われてもな。俺がレアとの練習をさぼってここにいただけだろ」
「だから!! ボクを見ろって言ってるんだ!!」
そうレアが叫んだのと同時にオスカーの首が無理やりレアの方を向けさせられた。レアが無理やり自分の方を向かしたのに違い無かった。
「さっき…… スネイプの研究室で見てきました…… 石でできた水盆みたいなモノの中で…… 全部見てきました……」
レアがそう言った瞬間に、魔法で捉えられてレアの方を向いているオスカーの首に嫌な汗が流れた。嫌な想像が堰を切った様にオスカーの頭の中を流れていった。
いったいどこまで? どう思われる? 部屋を出る時に鍵は閉めたのか? 目の前のレアは何を言おうとしている? 自分はどうすればいい?
「いつもの先輩なら、ボクがこんなこと言わなくたって、どうしてボクが目の前に立っているかわかるはずなんだ……」
「オスカーお坊ちゃま…… レアお嬢様は煙突飛行でお越しになられ、ペンスめにお坊ちゃまの所へ連れて行って欲しいとおっしゃりました……」
今度は恐怖に阻まれて二人の声はオスカーに届いていなかった。何を知られている? 何を喋ればいい? 自分の事を喋らないといけないのか? 今、自分は、目の前で涙を浮かべているレアにどう思われている? どう評価されている? そして自分はどうなる? 何を聞かされる? 一瞬で漠然としない恐怖が具体的なモノとなって、頭の中に湧き上がってきたのだった。
「先輩は何をしていたんですか? この一年間、時々、先輩はスネイプの研究室に行くって言ってました。スネイプの手伝いをするって言ってましたけど、本当はあの記憶を見る道具で何をしていたんですか?」
「それは……」
「何をしていたんですか? 教えてください」
目を開いて、オスカーはレアの顔を見た。段々、オスカーもどういう状況なのか頭が回り始めていた。もし、レアの言う通りに憂いの篩に入れた全ての記憶を見たのなら、どうしてオスカーが憂いの篩を使っていたのかは想像できるはずだった。
なぜならあの記憶は、忘却呪文を使われた記憶で終わっているはずだったからだ。
「あそこに入っていた記憶と…… 名前を思い出そうとしてたんだよ」
「思い出したのなら、オスカー先輩はここで何をしてるんですか? 教えてください」
ここで何をしているのかと聞かれても、オスカーには答えようが無かった。誰にも会いようが無かったとしかオスカーには言えなかっただろう。
「分からない」
「なら、どうして練習に来なかったのか教えてください」
オスカーは一つずつ、逃げ場が塞がれていく気がした。段々と自分が喋りたくないところへと、自分が見たくない場所に近づいている気がしたのだ。
「会いたく…… 会いたくなかったからだ。レアだけじゃなくて…… 他のみんなもだけど」
「何で会いたくないんですか?」
逃げ道が段々と無くなるに従って、状況が見えてくるのと同時に、自分の中で何かがはち切れそうになっているのがオスカーには分かった。もちろん、レアに自分の中で、今年ずっとモヤモヤしていて、何度も火がつきそうになっているモノを吐き出してもいいのかが分からなかった。
「それは……」
「それは何ですか? ボクに会うと何がダメなんですか? ボクが頼り無いからですか? 年下だから? それとも感情をコントロールできていないから?」
「そうじゃない…… 少なくともレアのせいじゃない」
「どうしてボクのせいじゃないってわかるんですか?」
レアは全く持ってオスカーを逃がしてくれそうに無かった。そしてオスカーの中では、潮が満ち引きするように、冷静になるのと、感情が溢れそうになるのが繰り返されて、どこかにあるはずのボーダーラインを越えてしまいそうだった。
「俺のせいだからだ。俺がそう思っているからだ」
「何をどう思っているんですか?」
「それは…… だから……!!」
どうして会いたくなかったのかは分かっていた。ただ、何か言ってしまえば、土砂崩れや雪崩が起きる様に、もう歯止めが利かなくなってしまう気がしていた。
「ボクのせいじゃないって言うなら、ボクを納得させて下さい。オスカー・ドロホフ」
「何を言って……」
「そうじゃないなら、ボクは勝手に想像して、オスカー先輩を決めつけます。これまで会って、見たオスカー先輩と、さっき見た記憶の中のオスカー先輩から、オスカー先輩はこういう人だって思います。オスカー先輩が自分の口で喋ってくれないなら、ボクはボクの中の先輩だって思います」
「いったい何の話……」
オスカーにはレアが何を言おうとしているのか分からなかった。レアが思っているオスカーとは何なのか。
「オスカー先輩は優しい人です。あんな記憶があるのにボクの閉心術の練習に付き合ってくれました。ボクがオスカー先輩なら怖くてそんなことはできない」
「違う……」
「思い出そうとするのは凄く辛いはずなのに、誰にも心配させたくないって思ってたから、誰にも言わなかったんでしょう?」
「そうじゃない!!」
「今もそうだ。自分の余裕がなくなって、人に何を言ってしまうか分からないから、誰かを傷つけたくないから、一人になろうとしたんだ」
「絶対違う!! 俺はそんな人間じゃない!!」
違う、違う、違う。オスカーには分かっていた。そんなご立派な理由ではないのだ。レアが思っている様な自分ではないのだ。だから、いつまでたっても思い出すことができないのだ。
「じゃあどういう人間なんですか? ボクにどうして会いたくなかったんだ?」
「俺は…… あんなことをして…… それを忘れようとして…… そんなやつが、言っていいわけないだろ!! 俺はレアに、君になんて言った!? 自分を許せるようにだって? 自分で忘れようとしてた奴が? そんなこと許されるわけないだろ!!」
そう、だからオスカーはレアに会いたくなかったのだ。何と言えばいいのか、会ってどういう顔をすればいいのか分からなかったのだ。
「オスカーせんぱ……」
「俺と違って!! 忘れずに!! これまでずっと向き合ってきたレアに言っていいはず無かっただろ!! そんなの言って良いわけがない!! そんなことあり得ない…… 論外だ。やってることがお笑いなんだ」
ホグワーツに入ってからずっと、それよりも前、ペンスと二人になった時から、オスカーはずっと冷静であろうと努めてきたつもりだった。感情に振り回されて、どうしようもないことにならない様にしてきたつもりだった。ただ、そうしようとすればするほど、内側から何かがこみ上がって、あふれ出しそうになることが何度もあったのだった。
「でも先輩は……」
「俺はレアが思っている様な人間じゃない。そんな人間じゃないんだ。俺が記憶を思い出して、何が一番嫌だったと思ってるんだ!!」
「何を……」
「俺が一番何が嫌だったかって? 名前を思い出せない事でも、母親の事を忘れてたことでもない!! 一番嫌だったのは父親が自分の思ってた様な奴じゃなかったことなんだ……」
何より、オスカーが自分の事が嫌だと思ったのはいったいなんだったのか? 自分の性根が一番見えた事がなんだったのか?
「忘れてたけど、俺はずっとそう思ってたんだよ。そう思いたかったんだよ。俺のせいじゃない、父親のせいだって。だってそう思うだろ? 思わないか? 彼女がああなったのも、母親が死んだのも、俺が嫌な思いしてるのだって、あいつのせいだって思ってたんだ。だってその方が楽だからな」
「それは……」
「だっておかしいだろ? なんで家族と喋った後にレアの家族を殺した話ができるんだ? なんでエストの家族を殺したやつが、自分の家族は守ろうとできるんだよ!! おかしいだろ!! おかしいだろ!! おかしいだろ……」
一番理解できないことがそれだった。オスカーにとって一番理解できないことがそれだった。どうして相いれないようなことが一緒にできるのか? そしてそれが事実だという事こそが、逆にオスカー自身にもそう言った面があると思わせるきっかけになったのだ。
「だからってオスカー先輩の……」
「だから俺は忘れたかったんだよ。俺のせいじゃないって思いたかった。思いたかったんだ。きっと今もそう思ってる。だから、俺はレアやエストやみんなが凄い強く見える。なんでそう分かるかって? 簡単だろ。これだけ思い出してどうして名前を思い出せない? 俺が思い出したくないからなんだ。名前を思い出したらもっと辛くなるだろ? だから思い出したくないんだ。一番やっちゃいけないことなのに!! 俺が一番覚えてなきゃいけないのに……」
「オスカーお坊ちゃま……」
自分の一面が照らしだされるにつれて、オスカーはこれまでの色んな行動に理由がある気がしたのだ。自分の中にグツグツと煮え立っている何かが、時々外側にでてくるのだ。それは自分を見るよりも、周りの誰かを見た時に一番出てくる気がしていた。
「どうしてオスカー先輩は自分にはそういう見方をするんですか?」
「そういう見方ってなんだ? 俺はどこから見てもこういう人間だろ」
「先輩は他の人を見る時にそういう見方をしない。人が何かをする時に悪い面もいい面も見れる人だ。なのにどうして、自分の悪いところだけ見るんだ」
あれだけ言ったのに理解されてないとオスカーは思った。レアが言っているオスカーのいい面というのも、オスカーからすれば、自分の一番嫌な面から現れた、そこから伸びていった何かとしか思えなかったのだ。
「だから俺のいい面なんて言うのは、俺の一番クソみたいな面から出てきたことに過ぎな……」
「絶対違う!! なんで? どうしてそんなに自分の事を否定して見ようとするんだ!! 自分の嫌な面をそんなに真面目に見るんなら、自分の良い面だって同じくらい見ないとおかしい!!」
いつの間にかレアの魔法は解けていて、オスカーはもう自由に首を動かすことが出来たし、レアの顔以外だって見ることができた。けれども、正面から向き合うことをしないのは許されそうにないと分かっていた。
「その良い面って言うのが、俺の腐ったところから出てるものに過ぎないって言ってるだろ!!」
「そんなわけない!! いまさっきオスカーは自分の父親に言ってただろ!! 人殺しをする奴が家族を守るなんておかしいって!! それと同じなんだ。嫌な面も良い面も両方あるに決まってるだろ!! どっちが先かなんてどうでもいいことなんだ!!」
レアが言ったこと、それこそがオスカーが一番受け入れがたいことだった。どうしてそんなものが一人の人間の中で共存していられるのか、自分の嫌な面と良い面が両方あって、そのどちらを取るのか、どちらを取ればいいのか、自分はどうなっているのか分からないのだ。自分の事であるはずなのに。
「どうでもいいわけないだろ!! 本気で考えて、俺が一番嫌だと思ってることが、きっと全部の原因になってる……」
「違う!! だって、今、ボクはオスカーの話を聞いたけどそうは思わない。オスカーの言う通りなら、ボクは嫌な面と良い面両方知っているはずで、それでもボクはオスカーの事を悪い人だとか、情けない人だとか、許せない人なんて思えない。もし、オスカーの悪い面が良い面の下にあるとしたって、良い面が無くなるわけじゃない。だって、どっちもあるから人間で、ボクからはどっちも見えてるはずなんだ」
全部まとめて、レアはオスカーの事を肯定しようとしている様にオスカーには聞こえた。しかし、それでもオスカーには納得できなかった。なぜなら、オスカーは根本的なところで間違っていたのなら、全てが無駄になってしまう気がしていたからだ。
「だから外から良い人の様に見えたって、最初が根本が間違っていたら、それは何の価値もない……」
「どうして初めから間違っていると決めつけて見るんだ!! そんなことしても間違っているモノが見えるだけに決まってるだろ!! 間違ってると思って見ようとしてるんだから!! なんで最初から最後まで見ないんだ!! 最初から最後まで間違ってない人間なんているわけないだろ!! そんなこと言ったらボクだってずっと間違えたままに決まってるだろ!!」
オスカーが言っていることに対して、レアは全て返すつもりの様だった。確かにオスカーが自分の事を否定するのは、同時にレアの事を否定していることになるのかもしれなかった。
「なんで、どうして、オスカーは見ようとしないんだ。自分でだって言ってただろ。自分がそうだから、エスト先輩が強く見えるって言ってただろ。それはオスカーがそういう経験があるから強く見えるんだろ。ボクに会いたくないのだって、ボクに自分を許せなんて言うのが許されないって言ったのだって、オスカーがそういう事を経験したからそう思えたんじゃないか。なんで、どうしてそんな事を言うんだ」
オスカーには分からなかった。目の前の女の子はボロボロ泣いて言ってくれているのに。言葉と心を尽くして言ってくれているのに、言うたびにどれほど心が擦り切れそうになるのか、オスカーには分かっているはずなのに、ただ、分かったと、自分で自分の事を許すと言えばいいはずなのに、それができないのか分からなかった。
「俺は……」
「自分の事が許せないって、名前を思い出せないのが許されないって、自分がそれをやらないといけないってオスカーは言った。それが何より、オスカーの事を表してるってボクは思うんだ。それにこれはボクの勝手だけど。オスカーが自分の事を許せないって思ってるって、そう思ってることがボクは嫌なんだ。だって、それじゃあ、ボクも絶対許せない。自分の事を許せない。許せなくて、次の事が何もできない。魔法も使えない。何をやったって、昔の事が変わるわけないけど、でも、何もやらないのは嫌だ。自分の事を許せないから、良いことをできないなんて、凄い事を、誰かに褒められることを、誰かに笑ってもらうことができないなんて、そんなのボクは嫌だ……」
やっぱり、オスカーは目の前で泣いて震えている女の子が自分よりもずっとずっと強く見えた。レアが今言った事こそが、これまで、オスカーが誰かの目の前に理不尽が降りかかった時に、どうしようもないくらい、何とかしたいと思った理由ではないのかと思ったのだ。
それはきっと、どちらかと言えば、自分に向かっていて、後ろ暗く、そういうモノを知らない人から見れば分からないモノかもしれなかった。
それでも、それが自分の中で溢れていて、時々、一気に燃え出す様に感じるのだ。溢れて燃え出した後に、自分が少しだけ変わった様に感じるのだ。
そして、それはきっと今もそうだった。今度のは、自分では無くて、目の前の唇をかんで、目を何度も拭っているせいで真っ赤になっている女の子から、彼女から移った火が、少しだけ自分を変えた様な気がした。小さい火が少しだけ辺りを照らして、世界が広がった様な気がしたのだ。
「レア。分かったから、情けないことは言わないから、とりあえず、泣くのはやめてくれ」
「本当? 本当に?」
「ああ、今すぐにどうとは言えないけど、今、うじうじ考えるのはやめるって約束する」
「本当ですか? 本当に? て、天文台から飛び降りたりしない?」
「いや…… 最初からそこまでは考えてなかったけど…… 多分……」
今、状況を考えてみれば、オスカーもそう思われてもおかしくないと思った。それにレアばかりに気を取られていたが、レアの隣のペンスも何故か目をウルウルさせていた。
「ペンスめには入る余地もありませんでした。レアお嬢様がいらっしゃれば、オスカーお坊ちゃまは安心でございます」
「ペンスは何を言ってるんだ。というか、ホグワーツに暖炉飛行なんてできる場所があるのか?」
「マクゴナガル先生の部屋の暖炉を借りました」
「先生が貸してくれたのか?」
「いえ、誰もいなかったので強引に入りました」
「そうか……」
オスカーは深く突っ込むのをやめた。突っ込んでも、良いことが起こるとは思えなかったからだ。
「オスカー先輩。本当に大丈夫なんですか? 本当に? 約束してくれますか?」
「約束?」
「えっと…… うーんと、ボク、勝ちたいです。エスト先輩やクラーナ先輩やトンクス先輩に……」
「勝つ?」
「だ、だから、今度の試合にちゃんと、勝つつもりでやりたいです。二人は凄いですけど…… その、ボクでもやれるって証明したい。そうしたら、そのオスカーせん…… オスカーも自分の事を信じれるようになれませんか? さっきから凄い、失礼なことばっかり言ったかもしれないけど……」
ちょっとだけ、オスカーは胸が暖かくなった気がした。目の前の女の子は本当に自分の事を考えてくれているに違いないと思うことができたからだ。
自分の事を許せないとしても、誰かが許してくれると、許せと言うのなら、許さないといけない気がするのだ。
「いや。凄い嬉しかった。ずっと何か、モヤモヤして、腐って、広がっていくモノが、何か違うモノになった気がする。ありがとうな。前に言ったみたいに、俺の事を見てくれて」
「あっ…… お、オスカーせん……」
ちょっと、オスカーは色々、まだ何かを飲み込めてはいなかった。それでも、何か血液では無い、熱いモノが体の中を動いている気がした。
「ちょっと、俺は時間を置いてから帰るよ。また、明日から練習しような」
「え? は、はい……」
まだ少し、時間が必要な気がオスカーはした。レアの言葉は劇薬の様に染みわたっている最中だったが、体と頭がまだそれに追いついていない気がしたのだ。
「ペンス、レアをレイブンクローの寮まで連れていってくれ。ああ、終わったらそのまま家に戻っていい」
「分かりました。オスカーお坊ちゃま」
「あ、お、オスカー先輩…… その、ボク……」
ペンスがレアの手をとって姿くらまししようとした。その時に、オスカーはきっとレアがペンスに連れてきてもらったのは意図があってやったことなのだろうと思った。他にも手段はあったはずなのに、あえてそれを選んだのだろうと思ったのだ。
「ありがとうな。二人とも。俺のこと見てくれて」
二人が目を見開いたのと同時にバチっと言う音がして、ここには誰もいなくなった。天文台の塔の吹き抜けから風の音だけが聞こえた。
二人がいなくなると同時に、自分の周りの色んなモノが、やっと、見えて、聞こえる様になった気がした。
冷たい石の床に寝転がると、そこから冷気が伝わってきて、嫌でも自分の体がどこにあるか分かるのだ。外の何かがあると、やっと自分を自分として認識できる。
だから、誰かの名前を忘れてはいけないのだと。自分が感じている事や、貴方は貴方だと誰かに言うことで、初めて、誰かは誰かの感じている誰かを、自分だとわかるのだと。オスカーは知っていた。
やっと、少しだけオスカーは色んなモノが見えてきた気がした。もう、外は完全に暗くなっていて、とっくに外出禁止の時間になっているに違いなかった。
オスカーは自分がここに来た時に放り投げたカバンの中身を拾って回った。変身術の教科書、レアから借りたワンドレス・マジックの本、検知不可能拡大呪文のせいで何冊も本を入れていたので、結構な冊数を入れなければならなかった。
その本の中で一冊だけ、見新しく見える本があった。帯で白い歯を輝かせたイケメンの男がこちらに微笑んでいる。そういえば、トンクスに貰った、レタス喰い虫のエサにもならない本をクリスマスから入れっぱなしだったと気付いた。
胡散臭い笑みを浮かべるギルデロイ・ロックハートを無視して、オスカーはパラパラと本をめくった。魔女の真実の姿を見る? というタイトルのその本は、内容は全く無いように思えた。延々とこう言うことを言ったら魔女はこう考えていると言うことが書かれていて、オスカーには自分の周りの魔女に当てはめることが出来るとは思えなかった。結局、彼女は冗談でこの本を贈って来たのだろうか?
そう考えながらめくっていると、落丁なのか、一ページだけ、何も書かれていない。オスカーはピンときた。それに、まだ、談話室に戻って、このままの状態で寝ることができるとは余り思えなかった。さっきのレアとの会話で、自分の頭や体が鋭敏になってしまっている気がしたのだ。羽根ペンを取り出して、オスカーはそこに文字を書いた。
『トンクス?』
ページの上の方に書いたその文字は、しばらく何の変化もしなかった。オスカーは数分の間待っていたが、何も起こらないので流石にフィルチやミセス・ノリスが現れるとかもしれないと思い始めて、腰を上げようとしていた。本来、天文台の塔は立ち入り禁止なのだ。
『あてていい? オスカー君でしょう?』
すると自分の文字が消えるのと同時に、女の子のモノらしき筆跡の文字が現れた。文章を見るに、相手はどうもトンクスではないらしかった。
『そうだけど…… 君は?』
『トンクスのルームメイトだけど…… やっと、この羊皮紙の意味が分かったわね。クリスマスの休暇の後からずっと、枕元の近くに置いてあったからおかしいと思ってたのよ。悪戯グッズかと思ってたけど、こういう事なのね。ふふーん』
やっぱり、どうも、オスカーも行った事のあるハッフルパフの寮とこの紙は繋がっているらしかった。エストが忍び地図にかけた魔法と同じなのだろう。
『けど、なんでオスカー君は今頃これを使ったの? 私なら、キメラと戦った時か、惚れ薬の後に使ったのに……』
『今、初めて気づいたんだ。トンクスは説明してくれなかったか……』
オスカーが途中まで書くと、何やら相手側からインクの染みの様なモノがぽつぽつ現れてきて、文字が乱れてしまった。
壊れてしまったのだろうかと思い、しばらくオスカーがそれを眺めているとまた文字がでてきた。
『ちょっと!! ペニーと何の話をしてたのよ』
『トンクス?』
『そうよ。いったい何の話をしてたって聞いてるのよ』
『いや、今、これに気づいたから、トンクスって書いたらその子から返信があったんだけど』
やっとトンクスがでてきたらしかった。だとするとさっきの乱れは羊皮紙の取り合いでもしていたのだろうか?
『だからペニーは何をここに書いたのよ』
『えっと、クリスマスから羊皮紙が枕元に置いてあったから怪しかったとかなんとか……』
『置いてないから、ずっとカバンの中だから』
『え? でも、そのペニーって子が……』
『違う羊皮紙よ。あんた羊皮紙の見分けなんてつくの?』
『いやつかないけど……』
やっぱり、まだ惚れ薬の件で怒っているのだろうかとオスカーは思った。文字がどこか荒々しかったからだ。
『ふん。それでやっとこれに気づいたってわけね。随分時間がかかったじゃないの』
『ああ、天文台の塔で今、カバンからばらまいた本を拾ってて、それでこの本を思い出したんだけど……』
『はあ? 天文学なんて今日はないでしょ? なんであんたそんなとこにいるのよ? エストとデートでもしてるの?』
『いや、今は一人だけど』
『今は?』
『さっきまで、レアとペンスがいてたんだけど。ペンスにレイブンクロー寮に連れ帰ってもらった』
そう書くと、しばらく返信が無かった。オスカーはいったいこの羊皮紙の向こう側ではどうやって書いているだろうと思った。布団やシーツでもかぶりながら書いているのだろうか?
『言っとくけど、私はもう知らないからね。来年はエライことになりそうだわ』
『何が?』
『あんたが自分の事も周りの事も見れてないってことよ』
トンクスがどういう文脈でこういうことを書いたのかは、オスカーには分からなかったが、さっきのレアとの会話の後のトンクスのこの言葉は、どうにもオスカーの胸にひっかかった。
『結局、トンクスの言っている、俺が自分の事を考えろってどういう意味なんだ?』
『はあ? こんな文章でそんな小難しいこと書けって言うの? だいたいよく分からないけど、レアともそういうこと話してたんじゃないの?』
『この羊皮紙、音も伝わるとかじゃないよな?』
『あんたバカよね? 後輩とそんな話してどうするのよ……』
確かにトンクスの言う通り、後輩にそんな話や負担をかけるようなことをするのは間違っていたのかもしれなかった。
『あんたとかクラーナみたいなのには伝わらないかもしれないけど。普通の人間に自分の事を考えろって言ったら、自分の事を大事にしろって意味になるんじゃないの? ほんとにあんたスリザリンの人間なの? こういうのはスリザリンが一番お得意じゃないのよ』
これもトンクスの言う通りかもしれなかった。スリザリン生が一番得意なことだと言われてもしかたないかもしれないのだ。
『どうせ、あんたは本当に自分の事を考えたんでしょう? それでどうせ、エストの時みたいに自分のここが悪いんだ…… 俺はもうだめだ…… クリスマスプレゼントが分からない…… こんな死喰い人の息子で女たらしのクソ野郎なんて死んだ方がいいんだみたいな感じでしょ。まあ私もそう思うけど』
『いやなんか違う気もするけど……』
まだ怒っているのか、ところどころ毒が入っている気がしたが、なんと無く、オスカーはちょっと気分が明るくなっている気がした。
『あんたみたいなマイナス思考野郎がそんなことしても、嫌なモノしか見えないに決まってるじゃないの。だいたい、最初に自分の事考えろって、去年言ったじゃないの。別のくだらない事は覚えてるのに…… なんで肝心なことはできないわけ?』
トンクスの言うくだらない事が何なのかは分からなかったが、さっきのレアと同じようなことを言っている様にオスカーには見えた。
『肝心なことって……』
『だから、自分の事を考えろっていってるじゃない。こうじゃないかって思ったら、その時はそんなつもりがないことでも、後になるとこういう理由でやったんだって思っちゃうじゃない。そんなつもりはないはずなのにね』
そう思っているからそういう風にやったと思ってしまうという事なのだろうか? オスカーはレアとの会話以外でも、この夏休みに同じ様な事を聞いた気がした。
『俺が思い込んでるってことか? 昔の事……』
『別に昔の事だけじゃないし、あんただけじゃないけどね。一回なんかこうじゃないかって思ったら、相手の事も、自分の事もそうじゃないかって思っちゃうでしょ。こうやって書いている時でも、何か思ってたらそうじゃないかって決めつけて書いてるわけだし。簡単に言うと、オスカーはバカじゃないかって思いながら書いてるわけよ。だからバカに見えるわけ』
全部そう見えると言いたいらしかった。色んなモノがそうだと思ってるからそう見えるのだと。
『じゃあどうすればいいって言うんだ? 俺はそう思ってるんだからそうにしか見えないだろ?』
『だから自分の事を考えるんじゃないの? そもそも普通の人間って、自分に都合のいいように考えるモノじゃないの? そういうやつのまねすればいいでしょ? あんたの一番近くにいるやつは無茶苦茶できてると思うわよ。あいつの考え方とか見方は私にはまねできないもの。まさにスリザリンだわ。あんたのもマネできないけどね』
『それって……』
トンクスが言っているあいつが誰を指しているのかはオスカーには簡単にわかった。確かに彼女には、オスカーと同じものを見ているはずなのに、時々、違う視点から、同じものを違う形で見ていると思わされることが何度もあったはずだった。オスカーはしばらく、何も書くことができなかった。
『あんた、これからスリザリンの寮に戻るわけ?』
『そうだけど…… どうかしたのか?』
『いや、なんかやっぱりずるいわよね。うん。ずるいと思うわ』
『はあ?』
『ちょっと今からクラーナに会ってきなさいよ。ハッフルパフはフェアなのよ』
『いきなりなんなんだ? この時間にいって会えるわけないだろ?』
オスカーはいつも通りではあったが、突然言い始めたトンクスについていけなかった。そもそもこの時間に行っても談話室か寮にいるであろうクラーナには会えないだろうと思ったのだ。
『忍び地図はあんたが持ってるんじゃないの?』
『そうだけど……』
『いいから開いて、エストの位置を確認しなさいよ。ああ、あとチャーリーのあほが高速で動いてないか確認しなさいよ』
『わかったけど……』
オスカーが忍び地図を開いて、みんなの名前を探そうとすると、先に本の方にトンクスが書き始めた。
『ほら、エストがスリザリン寮にいないってことは、まだクラーナと必要の部屋で遊んでるんでしょう? それにチャーリーのあほはまだハグリッドの小屋の方を飛んでるわ。どうせまたヤバイ生き物が飛んでないか見に行ってるんでしょ』
『キメラもこうやって見つけたのか……』
トンクスの方も写しで忍び地図を見ている様だった。彼女の言う通り、どうも三人はまだ寮には戻っていない様だった。チャーリーは置いといても、二人はまだ練習しているのだろうか? オスカーは試合に勝つのは相当難しいと思った。
『じゃあ、あんたのミッションはグリフィンドールの談話室に侵入してクラーナに会ってくることね』
『なんでそんな……』
『行かないと、あんたに無理やり惚れ薬を盛られたって言いふらすから』
『そんなあほなこと……』
なぜかトンクスはオスカーをグリフィンドール寮にやりたいようだった。後で自分がやられたように、クラーナをおちょくりたいのだろうかとオスカーは思った。
『それとね。これだけは言っとくわ。自分の事考えろって方はあんたはやる気無かったみたいだけど。もう片方は実行したでしょ』
『は? 今度は何なんだ?』
『だから、少なくとも、一年間、ニンファドーラって呼ばなかったことだけは評価してあげるって言ってるのよ』
『それは……』
結局、オスカーにはトンクスが何を言いたいのか良く分かっていなかった。分かったのはクラーナの所へ行けと言ったことくらいだった。
『じゃあちゃんと行きなさいよ』
『分かったよ。おやすみ』
『そうね。おやすみ』
ただ。お休みという言葉の後に、トンクスの名前が、手紙の最後に書かれいてるサインと同じように浮かび上がった事だけは、素直にオスカーは嬉しかった。結局、オスカーがさっきの文字を使った会話で分かったのはそれくらいだった。
もしかしたら他の生徒達よりも色んな場所に行っているかもしれないオスカーだったが、この場所にくるのは初めてだった。多分、スリザリン生にとって、一番縁遠い場所だった。
太った婦人と呼ばれる肖像画が合言葉を知っている生徒だけを通すのをオスカーは知ってはいたが、流石にその中には入ったことが無かった。
めくらまし呪文を使って、肖像画から見えないところから、オスカーはチャーリーかクラーナが来るのを待っていた。
待ちながら、今日は本当に良く分からない日だと思っていたのと、そう言えば、スネイプの研究室を放り投げてきたままだと言うのを思い出した。明日、スネイプ先生に謝りに行かなければならないのは確かだった。そもそも、レアとスネイプ先生はあったのだろうか? オスカーはどういう順番でレアが自分の所に来たのかも良く分かっていなかった。
「チャーリー」
「え? オスカー?」
なぜか木の葉が大量についたローブ姿で戻って来たチャーリーにオスカーは話かけた。めくらまし呪文はきちんと効いているようで、チャーリーはオスカーの姿を捉えられない様だった。
「チャーリー、クラーナに会いたいんだけど……」
「クラーナに…… え、ちょっと待って…… 状況が読めないんだけど。もしかしてそんなに色々起こってるの?」
「いや、なんかトンクスにクラーナにあってこいとかなんとか言われて」
「うーん。まあでも、なんか面白そうだから、談話室で待ってたらどうかな? それにこれでオスカーは全部の談話室に入ったことになるんじゃないかい?」
「そういえばそうかもな」
オスカーはチャーリーに連れられて、めくらまし呪文をかけたまま、太った婦人の前まで行った。太った婦人はピンクの絹のドレスを着た、とても太った肖像画だ。
「今日は透明なお友達と一緒なのね。合言葉は?」
「ケルピー」
チャーリーがそう唱えると、肖像画が前に開いて、中から壁が現れて、そこに穴があるようだった。オスカーはチャーリーと一緒にその穴に這い登った。
這い登った先にあるのは、これこそ本当にスリザリンの談話室とは対照的な、金色と赤色で埋め尽くされた部屋であり、暖炉が煌々と暖かに燃えていた。スリザリンの石造りの椅子とは違って、ふかふかとしたひじかけ椅子がいくつもいくつも並んでいた。
「もう今日はパースは寝てるみたいだし、あの辺で待ってればクラーナは来ると思うけどね」
「あの辺?」
「ほら、何か本とか羊皮紙とかが散らかっているとこだよ。だいたいあの辺をいっつもクラーナが確保してるんだよね。そこにパースが毎回、何か教えて欲しいって言いに行ってるんだ」
オスカーはチャーリーが指し示した場所に座った。確かにクラーナのモノと思える筆跡の魔法薬学、闇の魔術に対する防衛術、変身術なんかのレポートが書かれた羊皮紙が転がっていた。
他にも変身現代や日刊預言者新聞といった雑誌や新聞も転がっている様だった。いつもオスカーとエストが使っている椅子や机と状況は似ている気がした。
「まあでもオスカーはなんて言うか、生物学的に正しい生き物だよね」
「何言ってるんだ? トンクス並みに意味わからないぞ」
「うん。やっぱりこう、本能的なあれなんじゃないかなあ? まあでも、そろそろ限界だよね。僕はまあ笑ってるだけでいいけどね」
「ほんとに何言ってるんだ? というか、俺は何喋ればいいんだ?」
「うーん。多分、なんでもいいんじゃないかな?」
「それが一番難しいだろ」
チャーリーと喋りながら、オスカーは談話室を見回していた。もう、余りグリフィンドール生の姿は無いようだった。誰もいない場所に喋っているチャーリーが許されているレベルなので、このままいても問題なさそうだった。
それにオスカーは別の事を考えていた。自分がもし、グリフィンドール生になっていたら、ここで、エストとジェマと一緒に談話室で過ごしていた様に、クラーナやチャーリーやパーシーと一緒に過ごしていたのだろうかと思ったのだ。
「珍しいですね。チャーリーがいて、パーシーがいないなんて」
「そうだね。じゃあ僕はお暇するよ。後でどうなったかちゃんと聞かせてね」
「は? ちょっと、混乱薬でも飲んだんですか?」
「クラーナ、多分、編み物の道具とかはしまっといた方がいいんじゃないかな? じゃあお休み」
「一体なんの話を……」
「クラーナ」
「へ? はあ? オスカー?」
いきなりつかつかやってきて、チャーリーの隣に座ったクラーナだったが、オスカーの
声を聞くと、聞いた瞬間にちょっと飛び上がった。
「な、なんですか? めくらまし呪文?」
「ああそうだけど……」
「び、びっくりさせないでくださいよ…… というか、一体何でここに? も、もしかして、魔法薬学の時に言ってた、夜にまたなって私に言ってたんですか?」
「いや、流石にあれはエストに言ったんだけど…… うーん、まあ良く分かんないけど、とりあえずクラーナに会いに来た?」
「はあ? ちょ、ちょっと一体どうしたんです? なんか、魔法薬学の時は上の空だったのに……」
本当に今日はどういう日なのか分からないとオスカーは思っていた。色んな事を喋っていて、今度は目の前のクラーナと何を喋ればいいのだろうと思ったのだ。
「まあ今は大丈夫だ。顔も見えないだろうけど」
「いや、まあ、流石にグリフィンドールの談話室にスリザリン生がいたら問題ですけど。結局何しに来たんです?」
「喋りに?」
「何をですか?」
「うーん。まあクラーナが喋りたいことでいいけど」
「え? えっと、じゃあ…… オスカーが…… スリザリンの談話室で喋ってる様なことでいいですか?」
「談話室で? エストとかジェマとかと喋ってることってことか?」
「ええ。そうです」
これにはオスカーも少し頭をひねらないといけなかった。いつも自分は何を喋っていると言われても難しかったからだ。
「チャドリー・キャノンズの成績とか?」
「あんなの、ホグワーツではエストしか気にしてない事でしょう」
「トレローニー先生の悪口?」
「あいつはダメですよ。あの先生に習うくらいなら、禁じられた森でケンタウルスに習った方がましです」
「トンクスのひいひいひい爺さんだったかがホグワーツの校長だったこととか?」
「トンクス先生はブラック家の出身なんですから、いくらでも有名人がいるんじゃないですか?」
クラーナは中々の強敵だと思わざるを得なかった。オスカーは良く考えなくても、エストとクラーナだとだいぶタイプが違うので、同じ話題を振ったとしても、それほど長く続けるのは難しい気がした。
「じゃあそうだな…… クラーナから聞いてくれないか?」
「私がですか? そうですね…… その、いっつもどれくらい…… 談話室に戻ってから…… エストと喋ってるんですか?」
「エストと? そうだなどっちが先に帰ってきても、だいたい今と同じ時間くらいまではずっと喋ったり、本読んだり、ゴブストーンしたり、宿題したり、ジェマの相手をしたりしてるかな」
「それはいっつもエストと二人っきりなんですか?」
「いっつもってわけじゃないけど…… ルームメイトと喋る時とか、ジェマが混ざっている時とか、クィディッチのメンバーが喋りに来るときもあるけど…… まあでもそう言うことしてる時はだいたい二人だな」
オスカーはクラーナが余り楽しそうな顔をしていない気がした。話題が不味かったのか、回答が不味かったのかはオスカーには判断できなかった。
「その…… オスカーは…… スリザリンで良かったと思いますか?」
「それはどういう意味なんだ?」
「入って過ごして楽しいですか? 雰囲気とか、人間関係とかですけど……」
「楽しいんじゃないか? 俺は他の寮に入ったことは無いけど…… 少なくとも、家にいてた時より楽しいと思うけどな……」
クラーナの顔はなんだか不思議な顔だった。楽しそうでも悲しそうでも無かった。
「えっと、じゃあ、その…… 他の事を聞いてもいいですか?」
「いいけど……」
「オスカーは…… 何をしてたんです? ダンブルドア先生やスネイプと一緒に…… その、流石に私もエストも多分トンクスも分かってると思いますけど、何か時々オスカーはしんどそうだったでしょう? 去年と違う事ってそれだけじゃないですか、だから…… 答えられないならいいですけど……」
オスカーは思っているよりも、自分は他の人に見られているのだと思った。多分、今年に入ってから、さっきレアに言われるまで、色んな人が色んな形で自分の事を見てくれていて、色んな事を言ってくれたに違いなかった。
「俺は…… その、忘却呪文を食らってたんだけど…… それを思い出そうとしてて、ダンブルドア先生やスネイプ先生にそれを手伝って貰ってたんだ」
「忘却呪文を? どうやってですか?」
「憂いの篩って言う、記憶を再現できる魔法の道具があって…… それで関連する記憶を見たりしてたんだけど……」
そう、オスカーはクラーナならこういう顔をするだろうと思っていたので、言いたくなかったのだ。きっと、傲慢かもしれなかったが、いつか記憶を一緒に見た時の様な顔をすると分かっていたのだ。
「それは一体何の記憶なのか…… 聞いても良いですか?」
「叫びの屋敷で見たのに関わる記憶だな。俺はアレがどうしてああなったのか、思い出したかったんだ」
「それは…… その……」
「まあでも、もうそんな辛くなることは無いだろうし大丈夫だろ。もし、心配かけたならごめんな」
オスカーは自分が笑えたのかどうか自信が無かった。クラーナを安心させるためにはちゃんと笑わないといけないはずだった。
「その…… 私、私は…… 私に…… だから、えっと……」
「クラーナ?」
「オスカーは…… その、そういう時、やっぱりエストに言ったりするんですか?」
「言ったり?」
「だから、その。自分が辛い時はエストに言いますか? それとも……」
「そういう意味なら、結局俺は誰にも言わなかったんだけどな。ついさっきまで。だから、俺はみんなの事、信頼してるとか思ってたけど、ほんとはしてなかったのかもしれない」
「オスカー?」
そう、結局言えなかったというのがオスカーの正直なところだった。他の人にはつらい時に言って欲しいと思っているのに、自分の事は晒すのが怖いのだ。それをオスカーは十分にわかっていた。
「だから、もし、心配してくれたんならありがとうな。俺は誰にも言えなかったから、結局、みんながしてくれたこととか、全部無駄にしちゃったんだけど……」
「そんな…… そういう事じゃなくて…… 私が思ってたのは…… もっと…… オスカーが思ってる様なことじゃなくて…… もっと身勝手な……」
オスカーは何か間違えたのだろうかと思った。オスカーは本当に礼を言ったつもりなのに、クラーナの顔がもっと難しいモノになってしまったからだ。
「オスカー、どうせ、ここに来たのは…… トンクスあたりが何か言ったんですよね?」
「え? ああ、そうだけど……」
「それで…… オスカーは今日、ここから帰ったら、やっぱりエストと何か喋りますよね?」
「喋ると思うけど……」
クラーナが泣いてしまうのではないかとオスカーは思ってしまった。オスカーがそう思わざるを得ないほど、クラーナは難しい顔をしていた。オスカーにはどうしてそんな顔をしているのか分からなかった。
「オスカーは一番分かってると思いますけど…… エストは凄い魔女です。先生方もそういってますし、一緒に練習すれば分かります。ダンブルドア先生や、闇の魔法使いですけど、例のあの人やグリンデルバルドにだってもしかしたら、何年もたてば匹敵するのかもしれないです」
「クラーナ? どういう話……」
「魔法の才能は誰が見ても分かるくらいずば抜けてますけど、近くで一緒にやって思うのは考え方が全然違うと思います。同じ事をしようとしても、全然違う場所からそれを見てます。普通、先生方が言う優秀って言うのは、既存の魔法とか魔法薬なんかを素早く組み立てたり、理解することなんです。私は大概それはできますけど…… あんな風な見方はできないです」
「確かにそういう所は一杯あるかもしれないけど」
「一杯どころじゃないと思います。時々、意味の分からないことを言いますけど、ゆっくりエストに話を聞けば、順序立てて、基本的な考えから外れていないことを言ってます」
「クラーナ、いったいエストのそれが何なんだ?」
確かにそれはオスカーも良く感じることだった。オスカーは色んな場所でそれを感じていたし、同時に、エストが何かを始めようとしたり、自分の意見を言おうとしている時には何か、言葉に表せないエネルギーを感じているのは確かだった。オスカーが簡単に言えば、エストは飽きやすいけれども、他の誰より目の前のモノを真剣に見ている様に感じるのだ。
「結局、さっきのは言い訳にしかならないんです。エストは凄い魔女で、私から見ても…… その…… 魅力的だと思います。一緒に魔法を学んだり、使ったりする相手としてエストを選ばない意味が分からないくらい、一緒にやってると刺激的です」
「だから本当に何の話を……」
クラーナはまだ難しい顔をしていた。さっきのトンクスといい、クラーナといい、どうしていきなりエストの話がでてくるのかが、オスカーには分からなかった。
「それにオスカーが一番一緒にいるのはエストでしょう? でも…… その…… だから…… 私はエストみたいな見方とかできないですし、朝から夜までずっと隣にいるわけじゃないですし、だから…… でも…… 見てますよ、わ、私も見てます」
「クラーナ?」
「だから、今日言いたいのは、エストより私はオスカーの事を見てる時間は短いかもしれないですし、喋ってる時間とか、そう言うのも短いかもしれないですけど。わ、私もオスカーの事見てますから!! そ、それだけです……」
クラーナからはめくらまし呪文をかけているオスカーの姿を見れないはずだった。それなのにオスカーは自分の目がクラーナに捉えられてる気がした。
「だから…… もう私が喋りたいのはそれだけです。その、ちょっと嬉しかったですけど、オスカーが多分、自分から来たんじゃないってわかってましたけど、その、ちょっと夜に喋れて楽しかったです」
「分かった。ありがとう。俺も楽しかったと思う。やっぱりグリフィンドールの談話室だとゆっくり喋れないからな。今日は帰るよ」
「あ……」
がさっと、オスカーが立ち上がる音がすると、クラーナはちょっと口を開けて、また難しそうな顔をした。オスカーは帰っていいのか自身が無かった。ただ、言われたからには帰らないといけない気がした。
「じゃあおやすみ」
「おやすみなさい……」
あんまり、そこからどうやって、肖像画の壁を降りて、何本もの階段を下って、地下牢まで降りてきたのかは覚えていなかった。ただ、どうも、結局、オスカーはクラーナが言いたかったであろうことを理解できていないだろうと思っていた。
しかし、いつの間にかスリザリンの談話室まで戻ってきていた。さっき、クラーナと喋った時は気にしなかったが、ここのところ、オスカーはエストやクラーナと余り喋ってはいなかったのだ。
オスカーはエストに対しても、何を喋ればいいのか分かっていなかった。しかし、どっちにしろ、オスカーが帰る場所は、黒い湖の下にあるスリザリンの寮だった。
「オスカーは拗ねてるの?」
「拗ねてるって何がだ?」
「だって、全然帰ってこないんだもん」
「なんか色々あったんだよ。ほんとに色々」
スリザリンの談話室に入った時点で、開口一番にエストにオスカーは話しかけられた。こういう言い方をするという事は、多分、エストは何か話をしたいのだろうとオスカーには分かった。簡単な話、喋りたいから話しかけてきているのだ。
談話室の中はさっきのグリフィンドールの談話室よりも人が少なかった。ふくろうの勉強をしている五年生の数人くらいしかいなかったからだ。
「じゃあ、怒ってるの? エスト達がちょっと喋らなかったから」
「怒ってない」
「ふーん。ほんと? ほんとに?」
「ほんとだ」
「じゃあ良かった」
何故かニコニコしているエストがなぜ笑っているのかはオスカーには分からなかった。こういう時、だいたい何か悩んでいたことの何かが解けた時にする表情だとは分かっていた。
「あのね、前にオスカーがワンドレス・マジックの事を聞いてたでしょ?」
「ああ、一回聞いたな、結構前だと思うけど」
「うん。で、あんまりワンドレス・マジック自体とはあんまり関係ないんだけど…… それを考えてたら……」
「何の話なんだ?」
「杖の話なの」
確かに、ワンドレス・マジックの練習を始めようとしたときに、オスカーは一度、エストにワンドレス・マジックがどういうモノなのかを聞いたことがあった。ただ、その時はエストは何かそれに対して答えてくれたわけでは無かった。
「俺たちの杖のことか?」
「ううん。普通の杖って言うか色んな杖の話かな? 前に三人兄弟の話をしたよね?」
「ああ、ニワトコの杖の話か?」
「そう、あの話だとニワトコの杖は力そのものだよね? 自分がコントロールできない力を手に入れたらダメだよって言ってるの。でも、ほんとは杖ってそういうためのモノって言うか、自分の力をコントロールするためのモノだよね?」
ワンドレス・マジックの練習をした後だと、エストの言っていることは分かった。杖とは本来自分自身にあるモノをコントロールするためのモノなのだ。
「そうだな、アフリカの魔法使いは杖無しで魔法を使う為に練習をして、コントロールを覚えるらしいし」
「だから何か分からないって言うか、杖を手に入れてもどうにもならないよね、だって自分の力は変わらないんだもん。コントロールするだけのモノならだけど」
エストは何を言いたいのか? さっきのクラーナの話ではないが、やっぱりどんどんと言っていることが飛んでいってしまっていると感じた。
「だから、アレが言っているのは、自分以外に自分の事をコントロールさせちゃだめだよってことだと思うの。ニワトコの杖が色んな人に従うのは事実だけど。だって、自分の魔法の力とそれをコントロールするのと合わせて一つだよね? あくまで自分でやらないとダメだよって言ってるんじゃないかと思ったの」
「あれは力を自慢しちゃダメとかそういう話じゃないのか?」
「うーん。なんか、違うかなって、ほんとはその、さっきエストが言った事もだけど、それはあくまでニワトコの杖のお話、長男のお話だけだよね? 杖と人間が一セットで魔法を使えるのと一緒で、三つのお話を全部で見ないといけないんじゃないかなって」
三つ全部で見る? オスカーにはやっぱり言っていることが分からなかった。あの話は長男と次男が間違えて、三男が一番成功する話ではないのかと思っていたのだ。それで十分に教訓として、これはダメで、こうしなければならないと教えてくれていると思っていたのだ。
「これは杖のお話とは別の話なんだけど。エストは三人兄弟のお話は好きだけど、あんまり透明マントのお話ばかりいいお話だよって言われるのは好きじゃないの」
それはどこかでオスカーも感じていた事だった。ホグワーツ特急で話をした時も、エストはまだどこか不満そうだったからだ。
「だって、三つセットのお話だよね? 前の二人が悪いことをしたから、最後の一人が良く見えるってことだよね? あのお話が、三つ繋がってなくて、透明マントのお話だけだったら全然分からないの。それにあのお話を読む人は透明マントの話だけ見てたら分からなくなっちゃうの」
「なんでだ? 透明マントの死と長く向き合って付き合っていきましょうだけでいいんじゃないのか?」
やっぱりまだ、オスカーには分からなかった。どうしてエストがその三つセットにこだわっているのかをだ。
「だって、あれは、死に立ち向かって、取り戻そうとして、どうしようもないって知るお話でしょ? 最初がなければ最後も全部もないよね? 三人目の兄弟は何も知らないはずなの。もしかしたら、兄弟がどうなったのか見たのかもしれないし、聞いたのかもしれないの。読んでる人や聞いた人はね、エストもそうだけどね、全部知ってるかもしれないの。でもね、一つだけ取り出しちゃダメじゃないかなって。だって、一回、一回、思い知って知るんだよね? 一回知ったから次のことが出来るんだよね? 最初から透明マントを選べるなんてそんなことはおかしいの」
「間違えないとダメってことなのか?」
「そうは言ってはいないの。でも、もし、あのお話がみんなの言っている様に、死と向き合って生きていきましょうってお話なら、最後の結論だけが重要なのはおかしいよねって言ってるの。魔法も他の技術も最初に何か始めないとおかしいよね? それで間違えたから次があるんだよね? それを他の人から教えて貰ったから次の魔法が生まれるんだよね? 結論だけを覚えても、何も見えてこないはずなの」
どういう事なのかオスカーには分からなかった。結局、結論を見ると言うのは全体を見ているという事ではないのかという事だ。
「だって、最初に最強の杖でもなんでもいいけど、思い立って、行動したから次があるんでしょ? 杖は魔法使いの魔法力が無いとただの棒だよね? 二つ合わさって初めてちゃんとした魔法使いなの。一つ一つにはそれぞれの意味があるけど、二つ合わさると別の意味が全体でも、それぞれでも生まれるよね? だって二つ合わせるまでは一つ一つの意味も違うモノだったはずなの」
「一つ一つも理解しないといけないってことか?」
オスカーはちょっとだけ、エストの言いたいことが分かった気がした。多分、エストにとってワンドレス・マジックだとか、三人兄弟の物語だとかは、例として出てきているだけで、それらの中の共通した部分だけが重要なのだろうという事だ。そして、それはオスカーがどこかで感じていることと一緒なのかもしれなかった。
「それも必要だと思うの。でもね、他にもって言うか、その、魔法薬学でゴルパロットの第三の法則の話があったよね? 一つ一つの解毒薬を作っても、合わさった毒薬を解毒することはできないの。だって、合わさって別の毒薬になってるの。その時に、それぞれの毒薬は一つ一つの毒薬だけど、合わさって一つの毒薬でもあるの。これってね、三人兄弟の三人の兄弟もそうだけど、他のモノ全部に言えることだよね?」
「他のモノって具体的に何なんだ?」
「エストとオスカーの杖は別の杖だよね? でも合わさって別の事をできるよね? 一本の杖じゃできないこともできるの。でもその杖って言うのはエストとニワトコの杖のことだよね? もう一本はオスカーとナナカマドの杖でしょ? 片方、片方には別の意味とか、もっと細かく分けることができたりするよね? でも、それのどれかだけを見ても、何も分からないよね? 大きなものの中の何かを見るから意味があるんだよね?」
オスカーはエストの話に、多分魔法界で一番付き合わされるている人間だったが、この話はこれまで聞いた中でも一番難解だった。けれども、あと少しで何かが見えそうな気がしたのだ。
「三人兄弟の話を読んだ時にね、ずっと、ニワトコの杖のお話は好きだなって思ってたの。だって最初のお話なの。最初のお話があるから次のお話があるよね? だから最後のお話まで続いて、全部の意味が分かるの。三人兄弟は二回間違えるの。それで初めて意味が分かるの。二回間違えて、自分のどこが悪かったんだろうって思って、色んな所を直して、やっと次の場所とか、答えにたどり着けるんだと思うの。それがね、凄いなあって思うの。だから、最初の杖のお話が好きなの。あの話だけだと自慢して死んじゃうお話だけど。全体で見ると、最初の人は死に立ち向かおうとした人なの。それでどうしようもないって打ちのめされて次があるの。次の人は立ち向かうのではなくて取り戻そうとしたの。でもそれもダメだったから、最後の透明マントがあるんだよね? これって、凄い面白いって言うのか、ずっと続くんだろうなって思って」
「ずっと続く?」
「そうでしょ? だって普通に生きてても、何かしたいこととかやろうとして、ダメだって思って、ちょっとやることを変えて、またやるよね? そのたびに、何か、自分のどこかが変わっている気がするよね? でも、ずっとそれは終わらないもん。自分が満足するまでそれは終わらないよね? ずっと、ずっと大きなモノになろうとして、大きなものになったはずなのに、いつの間にかそれは小さいモノになってるの。エストもそう思うかなって、少なくとも、今の自分はそういう満足できる自分じゃないし、ずっと変え続けないといけないなって思うの」
結局、この目の前の女の子は一体、どんな世界を見ているのか、オスカーには分からなかった。オスカーが何度も、きっと他の人よりも厳しいモノを見てきて、その中で、少しづつ分かってきたはずのモノを目の前の女の子はとっくの昔に理解している気がするのだ。
「なんでそんなこと思えるんだ?」
「なんで? でも、エストは最初、三人兄弟のお話を見た時に、何が面白いのか分からなかったの。でも、一番面白くて、お父さんや叔父さんに読んでもらったの。でも、その後にね、色々あってそうなんじゃないかって思ったの」
「色々ってなんなんだ?」
「だって、今ならこういう言い方ができるけど、小さいエストじゃ理解できないことが一杯あるの。何で戦争してるのかとか、何でお母さんがいないのとかそう言うのは分からないよね? 教えて貰ったことだけじゃわからなくて、だから教えて貰った事から想像したりしながら、自分の考え方を変えていかないといけないよね?」
「どうやってそれを変えてるんだ?」
「最初はね…… この話は今からオスカーにしかしないけど…… その、一人になった時にね、何か聞こえた気がしたの。女の人の声だったから、お母さんの声かなって思ったけど。そう思いたかっただけだと思うの。多分、自分で勝手に思ったんじゃないかなって。でも、自分の杖は信じなさいって、自分の力を信じてねって、特別だからって。それでね、ほんとに杖は特別だったよね? それでね、最初は信じて見ようかなって思ったの。だって、エストには理解できなったもん。何で一人になったのとか、そういうことは自分の方を変えないとそうしないと何も分からないもん」
目の前のエストはそんなに小さいころからそんな事を考えているのか? オスカーには分からなかった。一体どんな風に目の前のエストが自分の言っている事を感じているのか、同じ体験をしても、彼女はオスカーとは全く別の経験をしているのではないのか? 彼女の感じている世界は全く違うモノではないのか?
「オスカーと会ったのもそうかも、必要の部屋で決闘したり、クリスマスにお話したりするとね、なんか、ちょっとだけ自分から離れて、どうしたらいいんだろうって思ったの。自分のどこを変えて、どこを変えなかったら上手くいくのかなって、一回、色々バラバラにして、もっかい組み上げて、そしたら一つ一つのこれまで思ってたことが違う意味になって、やっと全体でエスト一人で上手くできるのかなって。それを見るチャンスがオスカーとかクラーナとお喋りしたり色んな事をやることなのかなって」
もう、正直なところ、オスカーには何も言えなかった。オスカーはエストの話を聞くのが好きだったが、これほど見ているモノが違うと思っていなかったのだ。
「そんな風に見て、俺とかと喋って面白いのか?」
「え? 面白いんじゃないの? 面白いから、退屈もあるんだよね? 綺麗に見れるから、汚いものも見れるし、そういうことじゃないの?」
確かにエストの言う通りだった。世界が厳しいなら、それだけ優しいモノが見えるはずなのだ。世界を美しく感じるなら、同じだけ汚く見えるのだ。世界が面白いなら、それだけ退屈に感じるはずなのだ。
「だからこの杖のお話は好きなの。だって、死に立ち向かうって、終わりが無い事だよね? それを最初にできるなんてすごいことなの。ずっと終わらずに自分を変え続けないとダメだよね? おとぎ話の杖がエストのとこにやってきて、オスカーと会ったよね? それをどう思って、どういう意味なのかなって、思い続けていたいの」
「どうやって…… 思い続けるんだ?」
「杖もそうだけど、オスカーもそう思わせてくれるんじゃないの?」
「そうかもな。俺もちょっとくらいそう見えたらいいかもな」
オスカーはいつもいつも、ちょっとだけ見えているはずの、その世界の一部だけでも見て見たかった。今よりずっと厳しくて、辛い世界であったとしても、一人で見るよりもよっぽど楽なはずだと知っていたからだ。