【芸能・社会】樹木希林さん逝く 75歳 13年「全身がん」公表2018年9月17日 紙面から
ドラマ「寺内貫太郎一家」や映画「わが母の記」など多数の作品やCMに出演し、個性派俳優としてお茶の間の人気者だった樹木希林(きき・きりん、本名内田啓子=うちだ・けいこ)さんが15日午前2時45分、東京都渋谷区の自宅で死去した。75歳。東京都出身。30日に東京・南麻布の光林寺で本葬儀を行う。 樹木さんは先月13日に知人宅の階段を上った際に大腿(だいたい)骨を骨折し、15日に手術を受けた。16日のテレビ番組にゲスト出演する予定だったが、電話での生出演に切り替えた。30日にイベントに出席した娘婿で俳優の本木雅弘(52)が「一時危篤状態のような場面もあった」と明かし、本人の直筆メッセージなどを披露していた。今月4日に行われた映画「日日是好日」のプレミアム試写会も欠席。その際にも「申し訳なく涙涙でございます」などと記した直筆のメッセージを寄せた。 樹木さんは1961年に文学座に入り、悠木千帆の芸名でデビュー。テレビドラマ「七人の孫」のお手伝いさん役で有名になった。 文学座を退団後、主にテレビドラマで活躍。ユニークな脇役として強い個性と存在感を示した。老け役が多く、ホームドラマ「寺内貫太郎一家」では小林亜星が演じた主人公の母親を演じ、沢田研二のポスターの前で「ジュリー!」と身もだえする場面で人気を集めた。77年、芸名を樹木希林に改めた。 テレビドラマの出演作はほかに「時間ですよ」「ムー」と続編の「ムー一族」「夢千代日記」「はね駒」など。ドラマで共演した郷ひろみと歌った「林檎(りんご)殺人事件」(78年6月発売)は、累積売り上げ枚数が30・7万枚(オリコン調べ)の大ヒットを記録。「フニフニ…」の歌詞とユーモラスなダンスが話題に。 富士フイルム「フジカラー」のCMでは「美しい人はより美しく。そうでない方は、それなりに…」のフレーズで有名になった。 映画にも多く出演し「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」と「わが母の記」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。ほかに「歩いても 歩いても」「あん」「万引き家族」など。2008年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章受章。乳がんを患い、13年に日本アカデミー賞授賞式で突然「全身がん」と公表し驚かせた。夫はロック歌手の内田裕也(78)。長女の内田也哉子(42)は本木の妻でエッセイスト。
◆吉永小百合「言葉が出ません」ドラマや映画化された「夢千代日記」で共演するなど樹木さんと親交の深かった女優吉永小百合(73)は16日、コメントを発表した。 樹木さんの訃報に相当ショックを受けているようで、吉永は「思い出がありすぎて、今は言葉が出ません。ごめんなさい」と短くコメント。今年2月に札幌市内で行われた北海道150年キックオフイベント「キタデミー賞」に樹木さんとともに出席、和やかな雰囲気で会見。その後のイベントでは、吉永のヒット曲「いつでも夢を」を樹木さんと合唱するなど2人は楽しそうに共演していた。 ◆<悼む>やり残したことない 潔い言葉樹木希林さんは、仕事では相当厳しいこともズバズバ言うと聞くが、私たち記者にとっては、とても気さくでサービス精神旺盛な人だった。 在京スポーツ紙主催のブルーリボン賞の助演女優賞に決まった際、寺の豆まきに立つから節分の授賞式には行けない-と娘の内田也哉子を出席させた。ちょうど娘婿の本木雅弘が主演男優賞だったため、私たちにもめったにないツーショットを撮る機会となり、希林さんの心憎い対応ぶりは、まさに脱帽だった。 自宅にも何度か寄せていただいた。3年前、主演映画「あん」の公開を前に取材にうかがったのが最後。全身がんの治療が一段落した時期で、和菓子をつまみながら「がんとはうまく付き合っていくの。70過ぎまでよく生きたなって感じ」とあっけらかんとした様子が印象的だった。 これからやりたいことを聞くと「まったくないの。やり残したことも言い出したらキリがないから、ない。ただ、自分の身じまいをしていこうとは思う。人の迷惑にならないような居方をしたいからね」。潔い言葉に感心した覚えがある。 「私は嫌なヤツで意地悪だけど役者には必要なこと」「本当はチョイ役が好き」などと言うかと思えば、“それなりに”でおなじみの希林さん出演の富士フイルムCMについて「あれでこの家建てたようなもんよ」とちゃめっ気たっぷりに言い出し、笑わされた。 あれから仏カンヌ映画祭に出向くなど生命力の強さを感じていたので、訃報はショックだった。今、不思議と思い出すのは、歴史上の人物で「空海さんに会ってみたい」と言っていたこと。理由は結局答えなかったが、これから会えるかもしれない。 (丸山秀人) ◆30日都内で本葬儀樹木さんの訃報を受け16日、自宅前には多くの報道陣が集まった。 午後5時半ごろ、樹木さんの義理の息子に当たる本木雅弘の所属事務所の関連会社社長が報道陣に対応。樹木さんが15日午前2時45分に家族に看取られながら亡くなり、この日、自宅で通夜を行っていることを報告。そのうえで、今月30日に東京・南麻布の光林寺で本葬儀を行うことを明かした。この日、歌手の和田アキ子(68)や映画「万引き家族」で共演した俳優リリー・フランキー(54)らが自宅を訪れた。 <樹木希林(きき・きりん)> 1943(昭和18)年1月15日生まれ。77年に現在の芸名に改名。老け役や個性あふれるキャラクターで人気を博し、数多くのテレビドラマや映画、テレビCMなどに出演。私生活では64年に俳優の岸田森と結婚したが68年に離婚。73年にロック歌手の内田裕也と再婚したが1年半後に別居して現在に至る。2人の長女内田也哉子は95年に俳優本木雅弘と結婚。孫は女優内田伽羅(きゃら、19)。
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