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【国際】

<銃を手にして… ウガンダの子ども兵>(2)民族分断の果て 拘束13年 家族からも「裏切り者」

父ローレンス(左)と決して目を合わせようとしなかったロナルド。子ども兵として13年間の拘束から戻った時、故郷に彼の居場所はなかった

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 ウガンダ北部最大の町グルから、車で数分も走ると、辺りは低木のブッシュと呼ばれる茂みが広がる。点在する民家は、干し草の屋根に土壁の伝統的家屋「ハット」だ。南部の首都カンパラ出身の運転手は「北部のアチョリ人はわれわれよりも肌の色が濃く手足が長い」と、「違い」を強調する。この国では長年、南北民族が内戦を繰り返し、政権を奪い合ってきた。

 アチョリ人の反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)が一九九〇年前後に蜂起した目的は、南部出身のムセベニ政権打倒と北部アチョリ人の結集だった。ムセベニ政権はあえて、制圧軍にアチョリ人を起用し、民族分断を図った。LRAは政府に加担した村人を「汚れたアチョリ人」とさげすみ、虐殺、強奪を始める。見せしめに鼻や耳、唇をそぎ、拉致した少年兵には母親の腕を切り落とすよう命じた。

 大統領の思惑通り、アチョリ人の憎悪は政府ではなくLRAに向いた。同胞の支持を失ったLRAは戦力確保のため、次々と子どもの拉致を敢行。村人の憎しみは増幅し、LRAと行動を共にした元子ども兵も同罪視するようになった。

 小さな集落にあるロナルド(31)の自宅はトタン屋根にコンクリート壁。周囲のハットに比べ不自然なほど立派だった。LRAの拘束は十歳から十三年間に及んだ。二〇一〇年の解放時、頭と左腕に銃弾が残り、後遺症に苦しむロナルドのため、欧米の支援団体が、この家を建てた。

 皮肉にも、この大きな家は憎悪と嫉妬の象徴になった。命からがら帰ってきたロナルドを、家族や村人は「裏切り者」と呼んだ。祖母は、この家にLRAの指導者「コニー」の名を付けて嫌悪し、建設中、親族に壁を壊させた。父親はロナルドが死んだと決め付け、彼が受け継ぐはずだった耕作地を処分していた。

 「たとえアチョリ人だろうが、LRAへの恨みと怒りは言い尽くせない。彼らは多くの虐殺を行い、私の息子を殺した」。ロナルドの家の近所に住むミリー(50)は声を荒らげた。

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 父ローレンス(63)は「ここで、彼の新しい土地は探せない。村の年長者たちが嫌っている」と語り、母ビシェンティナ(58)は「彼の兄はLRAに殺された。複雑な心境を抱く人はいる」と、ため息をついた。

 両親の話を聞きながら、誰とも目を合わせず、大きな家の壁を無表情に見つめていたロナルド。最後に、ひと言だけ口を開いた。

 「銃弾の傷が痛くて満足に働けず、家族を支えられなくて申し訳ない」

 (敬称略、ウガンダ北部グルで、沢田千秋、写真も)

グルの伝統的な家屋「ハット」(手前)の中で、ロナルドの家(奥)は異色の存在だ

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