ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

記憶、この頼りにならないもの。

生後4ヶ月を迎えた子供の眠る頬を見ていると、野原しんのすけの輪郭に納得できた。あのいびつさが実はリアルだったということ。生きているといろいろ気づけるのでやっぱり生きていくほうがいいと思った。

 

娘を寝かしつけた妻と直近の未来を話し合って励まし合い妻には寝てもらった後、台所で洗い物をする。昔から洗い物だけは丁寧にしてしまう性分なので、自分たちの使った食器や哺乳瓶を洗い、ミルトンの溶液を替えているとあっさりと20分以上は経過してしまう。

洗い物を丁寧にしてしまうのは、死んだ母親に似たからだ。母はところどころ神経質なところがあって、食器はやはり入念に洗ったし、Tシャツも一切のシワがつかないようにたたんでいて、たたみなおすこともしばしばだったし……と、2つ書いたところで、ほかにはどんなことに母が神経質を発揮していたのかもう俺は覚えていなかった。もしかしたら、この2点だけだったのかもしれない。母の神経質、あるいは完璧主義は彼女を苦しめていた。おそらく、自分に求めるものの大きさと、自分の体力・胆力の間には広大なギャップがあって、そこを埋められないことにやきもきしていた。だから本当はすべてにまんべんなく神経を注ぎたかったけれども、できなくて、食器洗いと服のたたみ方の2点において、神経質を発揮した、と俺は思ってみる。ほんとうにそうだろうか。それは徹頭徹尾俺のひとりよがりな解釈に過ぎず、しかも、子供の頃の俺が見た母親を、現在の俺が思い出し、その断片たちを寄せ集めて解釈しているだけであって、そんなのはただただいびつな母を形成するだけで、リアルからはどんどんかけ離れていくのではないか。死人に口なしで母はこれを読んで反論・訂正することもできない。アンフェアがすぎる。書かないほうがよかったか。

この文章を自分で後年読み直すことがあったとして、その時には、クレヨンしんちゃんの輪郭のように、ある種のリアルを切り取っていたな、と納得できることがありえるのか。どうだ。

 

 

20分かけて食器を洗い終え、タオルで手を拭きながら、子供の頃の自分が、どうして今日のお母さんは僕らと一緒に寝ないんだろうと、さみしく思っていたことを思い出した。「これから食器洗ったり洗濯干したりするから」と言って、母はダイニングに引っ込む夜は少なくなかった。家事をしなきゃと言ってダイニングに消えた母を覗き見ると、だいたいぼんやりテレビを見ながらタバコふかしてビールを飲むか、キッチンで姉妹(俺の叔母)と電話していた。今になってわかる、そういう時間は親にも必要だ。でも子供のころは毎晩一緒に寝たかったのだ。

お母さんも一緒に寝ようよの願いが聞きいれられたのか、それとも母がその日はもう疲れてしまって寝ちゃおうと思っていたのかはわからないけれども、リビングに敷いた2つの布団の上に、母と妹、そして俺の3人で横たわった夜ももちろん何百回もあって、そのときの楽しさったらなかった。しかし今の俺に残っているのは楽しかった感覚だけで、ディテールはほとんど思い出せない。それはさみしいことだろうか。

ここまで書いてふたたび思い出す。俺は「お母さんも一緒に寝ようよ」なんてかわいらしいこと言ってなかった。それは妹の口から出る言葉だった。おれの口から発されなかったけれども、俺の言葉でもあった思いだった。「楽しさったらなかった」というのも毎回のことではなかった。叱られて謝らずに泣きながら寝た夜もあったし、ニュートラルな感情のまま寝た夜ももちろんあった。記憶、頼りにならない、でも、すがってしまう。たぐりよせようとすると、自分のほうが引きずられていってしまいそうになる。

 

しかし、この「お母さんと一緒に寝たい」という思いも、父親になった俺が食器を洗わなければ蘇ることはなかった。記憶が動作によって不意に掘り起こされる。だから生きつづけていれば、もっと過去に親しむことができるのだと思った。俺は今に生きて未来を指向しながら同時に過去を掘り起こしたり書き起こしたり書き換えたりできる。なにがリアルかなんてわからないし、自分の過去なんてあやふやだし、俺の母親は死んだし、俺と妻と娘は生きている。だから俺は書きたい。

 

妻がたまには一緒に寝ようよと水曜日の夜に言ってくれたのに、今日も一緒に寝られなかった。明日こそは家族3人、川の字で寝たい。