日本ハムが1軍キャンプ地の沖縄・名護から撤退することが25日、分かった。来年2月から拠点を移す。かねて球団と日本ハム選手会の双方で、老朽化が著しい名護市営球場の改修を要望していたが、具体的な進展はなく平行線。練習環境が年々、悪化しており、選手の調整面などを勘案して苦渋の決断に至った。新たに米アリゾナを最有力候補に最終調整中。他球団に先駆け、78年から沖縄でキャンプを張った「パイオニア」の球団だが37年間の歴史に、幕を閉じる。

 日本ハムが長い歴史に来春、ピリオドを打つ。投手陣のみで78年にスタートした沖縄・名護を拠点にしたキャンプを来春、取りやめることが決まった。球団側で意見調整が完了したもよう。既に名護市側へ意向も伝えたとみられる。今年2月1日には国内8球団が拠点にした“キャンプ銀座”と言われる沖縄。その発展の礎になった「パイオニア」的な球団が去る。

 メーン球場の名護市営は77年開場。その翌年、暫定的に投手陣のみでキャンプを開始した。81年から野手陣も加わり、1軍キャンプ地として完全使用してきた。今年に至るまで球場内外の一部改修も、ほぼ当時のままで老朽化が顕著だった。90年代後半から球団と日本ハム選手会が一致した意見で、市側に改修をお願いしてきたが、現時点で見通しが立っていないままだ。

 このほど市側関係者へヒアリングをしたところ、全面改修は早くて5年後の20年という構想を示されたという。08年1月に同球場で自主トレ中の若手投手が外野でランニング中、腐食したフェンスの部品を踏み左足首捻挫のアクシデントも発生した。年々、危険性は増加。球団側は選手への万が一の事態を防ぐためにも、今年が限界だった。

 近年では全面改修した広島など、沖縄の各地でキャンプを張る他球団の施設が近代化。球団側は、市側の対応を待っていた。12年に、市に1億円を寄付する「援助」も行った。室内練習場は新設も、望んでいた主要施設の抜本的な改修は皆無。2軍が拠点とする国頭(くにがみ)の方が環境良好という「逆転現象」もあり、撤退やむなしと判断をした。

 来春以降のキャンプ地は複数の関係者によれば、多くの大リーグ球団が拠点とし、施設が充実している米アリゾナを最有力に最終調整中。オープン戦が本格化するまでに帰国するプランのよう。その際、2月下旬の一時期間だけ名護を使用する可能性は残されているが、事実上の撤退となる。江夏に新庄、ダルビッシュらが鍛錬の場としてきた歴史に一区切りをつける。

 ◆日本ハムのキャンプ地 78年から沖縄・名護で春季キャンプを実施し、初めて沖縄をキャンプ地とした球団となった。当初は軟式用だったため投手陣だけで、硬式用に造り直した81年から野手も鳴門(徳島)から合流した。秋季キャンプも主に名護で行われるが、千葉・鴨川で実施された時代もあった。2軍の春季キャンプは沖縄の八重瀬町(旧東風平町)や国頭村などで行われてきた。

 ◆名護市 70年の合併で名護町から市へ。沖縄本島北部にあり、人口6万1494人(3月31日現在)。00年に主要国首脳会議(G8)が開催。オリオンビールの工場や動物園ネオパークオキナワが有名。主な出身著名人に女優黒木メイサ、プロゴルファー諸見里しのぶ。