バイラルメディアの盛衰、キュレーションメディアの台頭など、変化がめまぐるしいウェブメディア業界。ネイディブアドやコンテンツ課金といったビジネスモデルが模索されているなかで、読者も企業も行政も巻き込む「コミュニティ型」という独自の路線をゆくメディアがある。「greenz.jp」だ。
2006年7月に立ち上がったgreenz.jpは、「ほしい未来は、つくろう」をコンセプトにしたウェブマガジン。創刊から9年がたった現在では、月間約40万PVのメディアに成長した。しかし、greenz.jp編集長の鈴木菜央氏は、「PVはあまり見ていない」と語る。
「コミュニティメディア」とはどのような特徴を持っており、なぜgreenz.jpはそのような路線を選択したのか。また、PVを見ていないとすれば、メディアの成長の指標となるKPIはどこに置いているのか。鈴木菜央さんに話を伺った。
コミュニティメディアが持つ“アメーバ型構造”
-greenz.jpは「コミュニティメディア」といわれますが、どういった特徴を持っているのでしょうか。
greenz.jpは、編集部が情報を提供して、読者は口を開けて待っている……という既存のメディアではありません。読者やスポンサーの企業も巻き込み、メディアを中心としたコミュニティをつくっているんです。読者がアクションを起こしたくなるような情報を提供し、そのアクションをまた僕らが取材にいく。そうして発信した情報がきっかけで、また新しいことが始まり、専門分野を持ったライターであったり、企業や行政も仲間に加わる。つまり、関わる人々が協力しあいながら成長していくコミュニティをつくるメディアが、greenz.jpです。
-greenz.jpがそのようなメディアのあり方にたどり着いた理由は、どんなところにあるんでしょうか?
一つは、組織づくりの観点からです。僕らには立ち上げから今まで、潤沢な資金があるわけでも、後ろ盾があるわけでもない。だから、ある種のゲリラ戦法でいくしかなかったんです。お金がなかったので、ビジョンに共感した人たちをつないで、それぞれが自分の意志で動く。すなわち、中央はあるけど、ない。特殊能力を備えた人のネットワークがあり、企画ごとに人材をアサインできるような仕組みを持った組織づくりが必要でした。
もう一つは、社会の変化の観点からです。今、社会全体が、上意下達のピラミッド型構造から、アメーバ型構造に移り変わっていると思います。そうしたなかで、自分たちの組織も、新しい組織のあり方を自分たちで模索しないといけないと考えました。
-ピラミッド型構造とアメーバ型構造とは?
乱暴に言ってしまうと、ピラミッド型構造では、上下関係があって、コントロールする人、される人がいます。上が決定してくれるので、下の人間は“お任せ主義”になります。ブラック企業も、原発事故も、政治への無関心も、僕たちが“お任せ主義”になっているピラミッド構造だからです。一方アメーバ型構造では、誰が上、下ということはありません。ちなみに、僕たちはクライアントとも上下関係はありません。一緒に社会をつくる同志だと思っています。共通の未来をつくる仲間として、編集部もライターもクライアントもいるわけです。
これは仮説ですが、ピラミッド型は、アメーバ型に絶対に勝てないんですよ。自然界を見ても、何億年も安定して、いろいろな生き物が多様な状態を保ちながら進化できたのは、生態系という、優れていて、かつ柔軟で、自律的に維持し続けようとするシステムを持っているからです。
近現代の社会構造に生きている僕たちにとって、ピラミッド構造が当たり前になりすぎているだけで、ものごとの本来は、アメーバ型のほうがうまくいくことが多い、と僕は思っています。現代社会の「ピラミッド型構造+“お任せ主義”のパラダイム」から脱して、自分のほしい未来をつくろうとする人が増えていけば、健全な社会になると僕は信じています。そんな僕が、ピラミッド型の組織をつくるわけにはいきませんでした。そこで、アメーバ型構造を持つコミュニティメディアをつくったのです。
「コミュニティづくり=営業」になるよう設計している
-greenz.jpを見ると、あまり広告が見当たりません。greenz.jpは、メディアとしてどのような収益構造になっているのでしょう?
いわゆる“ザ・広告”みたいなものはないですが、すべての収益の85%は企業さんからいただいています。greenz.jpでは、記事の多くにスポンサーともいえるパートナーがついており、そうした企業のサポートから成り立っているんです。といっても、記事広告のように“企業の何かをお届けする”のではなく、“共通の未来を、企業と一緒につくる”。そのために記事を出しているのです。
例えば「暮らしのものさし」という連載企画があります。これは一口にいえば、「僕らの新しい暮らし方が、これからどうなっていくんだろう?」と考える企画です。大手のハウスメーカーにまるまる家づくりをお任せすることとも、完全にDIYで家をつくることとも違う、その中間領域になるような暮らし方が、今、次々と生まれています。企画ではそうした取り組みの実践者を取り上げています。
実はこの企画には、スポンサーとして株式会社SuMiKaという企業に参加していただいていますが、記事の内容はSuMiKaの活動そのものを紹介する類いのものではありません。企画の背景には「自分にフィットする暮らしを応援したい」という、SuMiKaや僕らの“ほしい未来”があり、そんな未来を一緒につくっていける方々を取材対象としているわけです。このように、“共通の未来を、企業と一緒につくる”のが、他の企画にも共通するgreenz.jpの姿勢です。
-企業や団体が、広告を出すのではなく一つ一つの企画のスポンサーになる、という仕組みですね。広告枠を提供することがメディアのマネタイズの方法として一般的だと思うのですが、なぜそうした方法を採らないのでしょうか。
当初は広告収益でマネタイズする形態も考えました。でも、広告主の意図と、greenz.jpが持つコンセプトが合致するとは限らないんです。また、greenz.jpはアドネットワークとも相性が悪い。広告で収益を得るモデルは、「読者一人ひとりがどういう人か」を重視していないんです。「何十万のこういう人がいて、ここに広告を打てば、これだけクリックされて、お金が回収できる」みたいなモデルなんです。でもそれは僕らが目指すものではない。そうした既存のモデルではなく、「一人ひとりの読者と向き合えるメディアにしたい」と思うに至り、今のスポンサードコンテンツで収益を得るというスタイルになりました。
-企業・団体との接点は、どのように見つけているのでしょうか?
基本的に僕らは、営業活動をしていません。ただ、過去に取材対象になった方々、スポンサーの企業、さらには、取材を担当したライターや読者の皆さんが一堂に会するイベントを定期的に開催しています。そうしたイベントには、スポンサーでない企業の方の参加も大歓迎なので、何度か参加されるうちに、仲良くなってしまって、「何か一緒にできないかな?」という話に発展する場合がとても多いです。このように、コミュニティづくりの活動がそのまま営業活動になるように設計しています。
PVは一つの指標でしかない。KPIは「読者が自分で活動を始めるか」
-もう一つ特徴的なのは、「greenz.jp」の記事に、テキストの量が多く、なおかつ作り込まれたものが多いということでした。単純にPVを稼ぐという意味では、もっとコンパクトにまとめたり、少ないコストで多くの記事をつくるほうがいいかとも思うのですが、そうしないのには意図があるのでしょうか?
たしかにPVを増やすには、もっとさくっと読める記事のほうがいいのでしょう。しかし僕にとって、PVは一つの指標でしかありません。実際、UUの数は気になりますが、PVはあまり見ていない。今日の取材で聞かれたので、さっき久々に見たくらいです(笑)。広告を辞めた理由もそれで、PV至上主義になってしまうのを避けたんです。
-PVを気にしないというと、KPIはどこに置いているのでしょう?
僕たちが目指しているのは、greenz.jpのタグラインでもある、「ほしい未来は、つくろう」です。なので、メディアの評価指標になるのは、greenz.jpや、イベントやワークショップなどの、グリーンズの活動に参加してくれた人たちが、自分で何かしらの活動を始めたり、仕事をつくること、ですね。そして、その活動が面白そうだからと僕らが取材して記事にすること。それこそが、僕らのKPIに該当するものかもしれませんね。だから、たとえUUは100くらいだったとしても、その100人の読者の心にガツンと響いて、次のアクションにつながってくれたほうが、僕としてはうれしいわけです。
取材対象が次のステージに乗ったというような、うれしい話はたくさんあります。例えば数年前に取材した、次世代の車椅子用の電動モビリティの「WHILL」。日産自動車やソニーなど、大手メーカー出身の若手技術者たちが集まり、電動車椅子を開発・製造するベンチャー企業ですが、クラウドファンディングで資金調達に成功し、今年の3月にNTTドコモと業務提携を結ぶなど、成長を続けているそうです。
メディアか目的地か選べといわれたら、メディアを捨ててもいい
-鈴木さんがgreenz.jpを通して実現したいのは、どのようなことなのでしょうか。
僕には、「読者の一人ひとりが“人生の主人公”になってほしい」という思いがあります。それは近頃、「いつのまにか自分の人生の主人公じゃなくなっている人が多い」と感じているから。誰もが誰かにプロデュースされている社会になっている、と言いますか……。例えば、「就活したほうがいいんじゃないの?」とか、「企業入ったほうが安心だよ」といったメッセージが、世の中の「常識」だし、広告にもあふれているわけです。でも、それって本当に君の幸せを考えてるの?って思う。
これからが見通せない中で不安に思う気持ちはよくわかりますが、胸に手を当てて、「これがやりたい!」と思うことを追求していくことが、人生の主人公になるってことだと思うし、もし市民みんながそれをできたら、大方の社会・環境問題は解決するんじゃないかと思っています。
僕にとってメディアは「一人ひとりが“人生の主人公”になる」ための道なのです。道っていうのは、目的地がないと意味がないんですね。行き止まりの道をつくってもしょうがない。メディアという道の先にある“つながり”や“学び”によって、読んだ人の人生が変わることが目的地で、僕らはそのための情報提供をしているわけです。だから、「メディアか目的地かどちらか選べ」っていわれたら、目的地を残して、道であるメディアを捨ててもいい、って思っているんですよ。