- 作者: デイヴィッドレヴィサン,David Levithan,三辺律子
- 出版社/メーカー: 小峰書店
- 発売日: 2018/09/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
でも、本作にいちばん近いのは新海誠もその名を上げていたグレッグ・イーガンの短篇「貸金庫」だろう。どちらも、朝目覚めると昨日とはまったく違う人物になっている。ただしそれは無条件な転移ではなく、だいたい同じ程度の年齢の人間であり、だいたい転移前の場所周辺の人物に転移するなど、重要な部分の設定が似通っている。さすがに似過ぎなので著者自身がイーガンの作品をインスパイア元として言及していないか探してしまったぐらいだが、パクリというわけではなくプロットの方向性は大きく異なっている。アイデンティティの在り処を探求するイーガンに、移りゆく日々を生きながらも一人の女性に恋をしてしまった悲劇を描くレヴィサンに。
乗り移って生きることで、性的少数者や身体障害を持つ人々を含む”普通の人たち”のなんてことのない一日に葛藤やドラマが潜んでいる事実を描き出しながら、”いろんな人間を体験し”、”身体や性別ではなく、その奥にある自分として誰かと深い関係を結ぶこと”とはどういうことなのか、そこにどのような困難が立ち現れるのかをぐっと意識させられる。YAとしてするっとテンポよく読める作品ながら、重い物語でもある。以下、本書に含まれる各種要素についてざっと紹介してみよう。
ざっと紹介する。
「A」と名乗る語り手は16歳。だいたい同じ年齢の相手に乗り移るので、ほとんどの場合は学校に行かねばならないティーンエイジャーの身体で目が覚めることになる。乗り移った相手の記憶や知識にアクセスすることができるので、たとえば英語話者じゃなかったり、突然彼氏や彼女、兄弟姉妹に話しかけられてもどういう応対をしたらいいのか(時間はかかるけれども)ある程度は把握できているのと、彼は物心ついた時から転移しつづけているので、毎朝新しい状況に適応するのはお手のものだ。
乗り移った相手の人生を破壊しないように、宿題があればおおむねやって、学校にもちゃんといって、綺麗に間借りしてきたAだが、ある時ジャスティンという名の少年の身体に入って、彼女のリアノンに出会うことでその人生が一変してしまう。一途にジャスティンのことを想うリアノンだが、普段のジャスティンは横暴でリアノンのことを大切に扱っているわけではないようである。すっかりリアノンに一目惚れしてしまったAは、彼女に尽くし最高の一日をプレゼントするが、燃え上がった恋の炎は翌日、別の人間へ乗り移っても消えることがないのであった──。
つらかった。
自分という存在にも、自分の人生にも、慣れきっていた。
とどまりたいと思ったことはなかった。いつだって、次へいく準備はできていた。
でも、今夜はちがう。
明日はジャスティンがここにいて、自分はいないという事実が、頭から離れない。
ここにとどまりたい。
とどまらせてほしい。
目を閉じて、祈る。
とまあこんな感じで悲劇的な恋がスタートするわけである。最初、リアノンはジャスティンの中身が誰か別の人間に変わっていたなんて知らないし、知る余地もない。だが、次第に我慢ならなくなったAが、リアノンの近場の人物に乗り移った時、彼女に偶然を装って会いに出かけていき、メールアドレスを交換し、徐々にだが自分の存在を彼女にさらけ出していく。なんとかして一度自分の存在を認知させ、交流をスタートさせたとしても、その道程は当然困難なものだ。日々会う身体が変わるし、明日の朝どこにいるのか、どのような人生を送っているのかもわからないのだから。
マリファナ(自分が関与していない昨夜の)のやりすぎてひどい気分で目が覚めることもある。リアンナから車で4時間ほどの遠く離れた場所で目が覚めることもある。朝起きたら一家がハワイへ旅行しようとしていることもある。宿主が重要なデートを控えていて、リアンナに会いに行くと宿主の関係性が破壊されてしまいそうな時もある。何より、自分の身体がイケメンや女性の時はいいが、醜い男であったり100kgを超える体重であった時は、どうしたって躊躇してしまう。中に入っているのがAだといくらいったところで、人間は見た目に印象がどうしても左右されてしまうから。
ジェンダー小説
著者はジェンダーをテーマにした小説を多く書いており、本書においてもジェンダーは主要なテーマの一つである。たとえばAはゲイ男性になってその彼氏とキスをすることもあるし、女性の身体で男性の性自認を持つ男性になることもあるし、女性の身体になりながらもリアンナを想っている時はいってみればレズビアン的であるともいえる。”事実”はAに引き継がれるし、Aは状況を破壊することを望まないから、彼自身の性自認がどうかはともかく、彼はそうした状況を淡々と受け入れている。そうした、性的少数者の存在を”普通”に描いていく手法が、とても好ましいと思う。
性的少数者だけではなく、Aは目の見えない女の子になることもある。そうやって人の身体から身体へと移りわたっていくことで、その人の立場や物の見方、考え方、どのような状況に置かれているのかということを深く理解することにも繋がっていく。”ジェンダー”というのはあくまでも一つの軸であって、本書で描かれているのはより広い、”人と人を渡り歩き、それぞれの視点から見た世界の体験”なのである。
おわりに
さあ、そうやってAが恋愛ばかりにうつつを抜かしているのかといえばそうではなく、リアンナに恋い焦がれるあまりに無茶な行動をしたことで彼の存在が過去に乗り移った相手にバレ、リアンナを追いかけつつ、彼のことを追いかけてくる相手と対峙するはめにもなる。はたしてAは追跡者を振り切ることができるのか。そして、日々違う身体になる存在として、リアンナと結ばれることは──エンディングには否もありそうだけれども、これはこれでいいんじゃないかなって感じだ。