(cache)【ミラクル9】「分裂」する現代クイズ番組と、『高校生クイズ』35年目への挑戦 ~『国民クイズ2.01』としての現代クイズ概論~

【ミラクル9】「分裂」する現代クイズ番組と、『高校生クイズ』35年目への挑戦 ~『国民クイズ2.01』としての現代クイズ概論~

2017-12-23 14:20:02


 いつまでたっても自称クイズ王の伊沢です。文部科学省とかが他称してくれないかしら。【画像:この盾を持ってるのは世界で30人】 自傷クイズ王なんて肩書も考えたけれど、「ためらい傷」くらいしか自傷知識がない。失敬。

 もう3カ月以上前のことになってしまったが、2017年の『高校生クイズ』を見て僕はある種の衝撃と疑問を覚えた。疑問は膨らむばかりで、参考文献や過去の映像をあさっていたら文章にまとめるのに実に3カ月を要した。

 その疑問とは、まとめてしまえばつまり、

 「過去と同じような『高校生クイズ』をやっているのに、過去と違う『高校生クイズ』ができている」違和感であった。

●違和感の正体

 具体的に書く。それは、過去と同じ「形式」なのに、過去と違う「出演者」と「問題」が並んでいたことによる強烈な違和感だ。

 僕はその違和感の原因を「相反する『クイズ番組の2大要素』のハイブリッドに挑戦した」ことに見出した。もちろんこれが正しい結論かは分からないし、一応の整合性をもたせた仮説の1つにすぎない。

 ただ、仮説というものはその存在自体に意味があるので、ここからは長々と仮説を書く。

 今回は、


1. まずクイズ番組の2大要素を「エンタメ性」と「スポーツ性」と定義し、
2. それらの相対する構造を確認した上で、
3. 『高校生クイズ』の歴史及び今年の放送について掘り下げていく。

 視聴率を基準に番組の良し悪しを計ることはできないが、今年の平均視聴率は9.0%とココ10年で2番めに低いスコアだった(最低は2013年の8.9%)。1983年から続き35周年を迎える『高校生クイズ』にとって、そして今年で5年目となる海外横断形式での番組制作において、今年はキーになる年だっただろう。

 そんな今年の『高校生クイズ』についてのあくまで主観的な違和感を、なるたけ客観的に解き明かしていきたい。

●現代クイズ番組の2類型

 現在のクイズ番組は、その性質から大きく2つの種類に大別できる。

◆(1)エンタメ型

 1つは、「エンタメ的」なもの。現在では『ミラクル9』や『Qさま!!』がその好例だ。

 エンタメというのは、単に笑わせることではなく、楽しませること全般を指す。この中に、クイズ番組を成立させる大事な要素「正解する喜び」「教養を蓄える喜び」「会話する喜び」の全てが含まれる。

 このタイプの番組では、単にクイズが出題されるだけでなく、解答者は解答プロセスや周辺知識を披露し、解説VTRや笑いも挟まるギッシリとした内容で進んでいく。視聴者はゲーム的に番組を遊びつつ、知識も得ることができる。

 最近では『Qさま!!』のように優勝を争うスポーティな要素もうまく融合されている番組が多く、幅広いお茶の間を射程に捉えている。

◆(2)スポーツ型(ショー型)

 これに対するもう1つは、「スポーツ的、クイズショー的」なものである。古くは『史上最強のクイズ王決定戦』や『FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!』、最近でいえば「知力の甲子園」と呼ばれていた頃の『高校生クイズ』『頭脳王』などがここに分類される。

 ここで出題される問題は、基本的に「視聴者が解ける」ことを想定していない。むしろ、アスリートの超絶技巧や、「超人マジックショー」に近い。

 理解できないほどの難問を、よく分からない手段で解き明かしていく素人挑戦者。彼らは何者なのか、どのようにしてその能力を手に入れたのか……ということすらあまり明かされず番組は進んでいく。解答にたどり着いたプロセスすら明かされない。

 この「超次元の戦い」を観戦する楽しさを追い求めたのが、この「クイズショー」型である。

 SF作家アーサー・C・クラーク(真ん中が顔みたい)は「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」と述べた。原理はこれと同じだ。

 要するに、中にある仕組みが分からないとき、人間は理解することよりも「これは魔法だ、異次元だ」と考えて片付けたがる。そして、それを利用して番組は進んでいく。解答の仕組みをブラックボックスにすることで、いとも簡単に魔法は完成する。

 この魔法を楽しむのが「スポーツ型」の面白さの原理であり、『史上最強』や『頭脳王』は、あえて本人たちに語らせないその進め方でもってこの魔術を魔術たらしめてきたのだ。

 (余談だが、僕は『東大王』についてはエンタメ型に分類したい。解答プロセスを明確に説明することや、難易度がある程度抑えてあることがその理由だ)

 過去のクイズ番組のほとんどが、このどちらかに分類可能なように思う。

 ただ、これだけだと論拠に乏しい。後の議論のために、両タイプについて歴史や先行研究を掘り下げていくことにしよう。

●エンタメ型クイズの覇権・衰退・現状

 エンタメ型クイズ番組について、先ほど僕はまずコアとなる「3つの喜び」(「正解する喜び」「教養を蓄える喜び」「会話する喜び」)を挙げた。これらのさまざまな「喜び」については、後の議論のために詳しく触れておく必要があるだろう。

 ここでは僕自身の論ではなく、いくつかの先行研究をまとめる形で、エンタメ型クイズの要素と変遷を見ていく。

 太田省一は『クイズ番組とテレビにとって『正解』とは何か―1960年代から80年代の番組を事例に』の中で、70年代から80年代のクイズ番組では、「問いさえあれば何かしらの正解が成立し、それに解答することへの面白みが存在した」ということを「『正解』という制度の遊戯性」と表現している。ここにおいて、重視されるのはもはや問いの内容や出来ではなく、「正解」の快楽である。

 太田は同時に、『ウルトラクイズ』などを例に挙げて「『正解』という制度の遊戯性は、クイズを手段とした純粋なコミュニケーションとしての楽しみともつながっている」と話す。

 この点については徳久倫康『国民クイズ2.0』に詳しい。徳久は戦後日本のクイズ番組が、アメリカによる家父長制弱体化という意図のもと、家族のコミュニケーションを増加させるツールとして導入されたことから、クイズ番組の「家族会話のツール」としての側面を指摘する(この点については、それ以前にも石田佐恵子が言及している)。ここ、超大事。

 このような「会話ツール」的本質は、戦後日本に通底していた「教養」の範囲内で出題されるクイズによってもたらされた。ラジオ番組の『話の泉』(1946~1964)にはじまり、『アップダウンクイズ』(1963~1985)『クイズグランプリ』(1970~1980)『クイズダービー』(1976~1992)などの番組が、一般教養レベルの出題を行うことで、ゲームを楽しむとともに家庭内で学び、会話を通して共有するというテレビ越しの風景を作り上げた。

 クイズ番組が持つ「教養を蓄える喜び」については、徳久以外では黄菊英も『クイズ化するテレビ』において「クイズの啓蒙性」として指摘しているほか、石田佐恵子もカルチュラル・リテラシー(ある文化の中における教養、親が子に教えるべきこと)を身につけるツールとしてのクイズの役割に言及している通りである。

 その後、徳久はこのクイズ番組の「会話ツール」的本質が、クイズ研の登場と超人的クイズ王への「魔術的」演出などによって1990年代に崩れたことを指摘する(「魔術的」については筆者補足)。クイズ王たちの超人的な能力にフォーカスする(せざるを得ない)ならば、できたできないで盛り上がったり、父から子に教えたりといった家族の会話はなくならざるを得ないからだ。この点については次項で詳しく言及する。

 クイズ業界でも一般的に1990年代半ばからの時代を、視聴者参加型クイズ番組が軒並み終了した「冬の時代」と呼ぶ。

 ただ、これは何もクイズ研が出現して全てを一変させてしまったからだ、と断言することはできない。

 「教養を蓄える喜び」の面でも、エンタメ性のあるクイズ番組には潮時が来ていた。

 徳久は、宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を引用した上で、社会的な価値観を規定していた「大きな物語」が90年代半ばに失われたことで、みなが共有していた「教養」の概念が薄れたため、共通の価値観や幅広い視聴層を想定した番組作りが困難になったことがクイズ王時代の到来を迎え入れたとしている。

 そして、視聴者が「正解する」「会話する」「教養を得る」喜びを失ってしまったクイズ王時代のクイズは長続きしなかった。

 「冬の時代」にはそもそもクイズ番組が減ったばかりか、視聴者参加型の番組はめっきり減ってしまった。

 その後、2000年代に復活した「エンタメ性」クイズ番組は、いずれもが「大きな物語」が失われた後の「教養」を、何かしらの媒介でもって補う形で成功した。

 例えば『クイズ!ヘキサゴンII』ならおバカタレント、『Qさま!!』『平成教育予備校』なら学校風の設定などである。これらはお茶の間に「教養」という規範を感じさせ、再び会話を取り戻すことに成功した。

 その後の『Qさま!!』は難易度の上昇などを経ているが、それにあわせ出演者の服装も学生服から正装へと変化している。この変化をもってしてなお番組の「教養」装置が機能しているのは、古くから出演しているメンバーや番組の作りが「教養」の規範をつなぎとめているから、といえるだろう。

●スポーツ型「クイズ王番組」の短命なる歴史

 前項でエンタメ型クイズが戦後史と綿密な関係を持ちつつ誕生したことを述べたが、対してこちらの「スポーツ型(ショー型)」クイズは遅れて登場する。

 クイズの持つ楽しさの3要素については先に述べたが、これに代わる面白さの枠組みを持ったクイズ番組が発明されるのである。いや、むしろそれらはクイズ番組を規定する楽しさの3要素を持たないのだから、既存のクイズ番組とは全く別物と呼んでも良いかもしれない。

 そもそもクイズというものはルールが決められた上で競い合うという形式を取り、この点では元から競技的、スポーツ的である。しかしながらそれをゲーム的に受容され楽しめるものにしてきたのは「楽しさの3要素」であり、逆にいえばそれらが失われたとき、クイズ番組にはむき出しのスポーティさが残る。

 このスポーティなスタイルは1980年代の後半に生まれたとされる。『アメリカ横断ウルトラクイズ』を受けて多く作られた大学のクイズ研究会が、番組研究を深めることによりクイズのノウハウが蓄積され、クイズ王乱立時代へと突入したのだ。

 もちろんそれまでにもクイズ研究会というものはあったし、クイズ王がテレビ番組に出ることも少なからずあった。しかし、クイズ王たちがこぞって競い合ったり、研究が加熱して視聴者参加型番組を席巻したり、というほどの「数」がそろったのがこの時代、といえよう。

(余談だが、このような「時間のある大学生」がクイズの流れを変えるということは現代でも起こっている。詳しくは以下のコラムを)

・参考記事:なぜクイズプレイヤーは2015年から誤答するようになったのか? またはクイズとテクノロジーのいとも奇妙なる蜜月

 前述の『国民クイズ2.0』や僕のコラムでも触れている通り、クイズ番組の問題には過去問を参照しアレンジする形で作られているものが少なくない。つまり、テレビでの既出問題を回収することはテレビでの活躍につながる。

 このようなデータベースの存在がプレイヤーの練度を上げることによって競技性を加速させ、同時に「大きな物語」たる「教養」がクイズの裏付けではない状態を強めた、と徳久は主張する。

 こうして、『ウルトラクイズ』でのクイズ王勢(長戸勇人、能勢一幸、田中健一ら)の活躍、『史上最強のクイズ王決定戦』での西村顕治による伝説的早押しの数々、『FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!!』における布川尚之、永田喜彰らのキャラクターへのフォーカスなど、ガチンコ化した番組とそこで活躍するクイズアスリートへの注目、という形で「スポーツ型」の時代が訪れた。

 しかし、テレビ画面の中でこの時代が続いたのも、1995年まで。そこからは前述した「冬の時代」の波に飲まれ、クイズ王番組もまた消えていく。

 人気を集めたクイズ王番組はゴールデンタイムへと進出していくのだが、そこに待ち受けていた「お茶の間」に適したバックボーンは、クイズ王番組には不足していたのだ。

 そして、ゼロ年代後半、クイズ王ブームは復活する。

 2008年から『高校生クイズ』の方針が大々的に転換され、「知の甲子園」として(視聴率的に)大成功を修めたのだ。それ以降の『高校生クイズ』や、それを受けて作られた『World Quiz Classic』『THEクイズ神』などがクイズ王達によるガチンコ番組として作られ、ブームは2012年ごろまで続いた。

 そしてその後、間を空けることなく2015年の冬頃に再度クイズ王ブームが到来。『頭脳王』への注目や『クイズサバイバー』『Qさま!!』へのクイズ王の出演など、ブームは現在も続いている。

 特に『高校生クイズ』から『頭脳王』への流れを作った日本テレビが「新クイズ王ブーム」において担った役割は計り知れない。

 緊張感のある雰囲気、謎めいた解答過程で難問を攻略するクイズ王という現ブームを象徴するような演出を多く考案している。一時期には、解答不可能な問題をさも解答可能かのように出題し間違えさせる「過剰演出」はあったが、このような世界観がクイズ王の魔術性をより高めたことは間違いないだろう。

 無論、1995年から2008年までの間(この期間にクイズを始めた人を「ロストジェネレーション」なんて呼んだりもする)に起こった出来事も2008年以降のクイズ王ブームの揺りかごとなった、ということは言及せねばならぬ点である。

 冬の時代、クイズ王たちはテレビではないところで自分たちの手により大会を作り、90年代前半までのクイズ王時代とは比べものにならない量の研究を深めていた。

 テレビには到底出せないような、大学の学問をベースとした難問「学生系」が90年代後半に(クイズ研究会の間で)流行。2000年代には逆にテレビに出るような問題も多く含んだ「短文」と呼ばれるジャンルが研究され、かなりのレベルまで昇華された(前掲のコラムはその過程を詳しく解説している)。

 早押しの最適化や知識の先鋭化が進み、クイズ王のレベルが一気にあがったのがこの時代である。かつても『史上最強』で決勝戦後に早押し理論の解説が行われるなど、クイズをミクロに分析する試みはあった。しかし、この冬の時代はそれがより幅広く、大勢によって行われたのである。

 徳久はこの状態を「数千万人に楽しまれていたクイズが、(中略)高度だが特殊な『マイナースポーツ』にな」った、としている。

 このように強化されたクイズ王は、インターネット時代においてなお魔術師であることができた。ネットで調べればすぐ手に入るような知識だけではなく、スピードを先鋭化させることで、なお特殊な存在として輝き続けることに成功したのである。かつてのクイズ王時代に西村顕治が披露したアスリート性を、多くのプレイヤーが持ち合わせ、競い合うことができるようになったといえる。

 そしてこれが、『高校生クイズ』における「知の甲子園」時代の早押し対決などを面白いものにしたのである。均衡した戦いを演じられる、つまり「試合になる」レベルにクイズ王たちはアスリート化されたのだ。この複数同時アスリート化が「新クイズ王ブーム」を巻き起こしたと言ってもいい。

 「教養」に依拠しないスポーツ型クイズ番組は、スポーティさを洗練させることで「魔法と区別がつかない」状況ができたために復活した。これは、80年代後半からのクイズ番組において、クイズ王ブームが研究の活性化とともに巻き起こった流れと相似的だ。

 そしてこれは、いかにも「マイナースポーツ的」な盛り上がり方だ。ラグビー日本代表が南アフリカに勝ったことでブームを巻き起こせたように、強い存在はテレビに映える。「大きな物語」が崩壊した中でも、強さとはそれ自体で何か理想の1つを提示しているように思わせることができるのだ。

 しかしこの「マイナースポーツ化」が進むほど、エンタメ型クイズとスポーツ型クイズの乖離は激しくなる。

 視聴者に「3つの楽しみ方」を与えるバックボーンを探しているエンタメ型にとって、「マイナースポーツ化」はそれらの楽しみ方から遠ざかるような動きだ。

 それら2つの隔絶は、無論「統合」が試みられてはきている。先に挙げた『World Quiz Classic』は、『SASUKE』的なエンターテインメント性あふれるステージとド派手な演出でエンタメ性を盛り込もうとした。しかし、徳久いわくこの取り組みは「失敗」に終わり、単発で終了してしまった。

 さて後半では、スポーツ型クイズの先鋭化により乖離した2ジャンルの「統合」をテーマとしていく。

 すなわち、今年の『第37回高校生クイズ』は、エンタメ型とスポーツ型の統合に取り組み、それゆえの違和感が生じた、という前向きな結論へと本稿は向かってゆく。

 (なお、「知の甲子園」以降の新クイズ王ブームについては、客観的な分析を行った文献がまだ存在しないといえる状態であった。多分に筆者の主観の入った分析を含んでいることを了承されたい)

●高校生クイズ35年目の「挑戦」

 さて、長い長い前置きでもって、日本のクイズ番組史をおさらいするとともに「エンタメ型」「スポーツ型」というクイズ番組の2類型を紹介した。

 ここからは、これらの視点を前提に、いよいよ今年の『高校生クイズ』について論じていこう。

 ……といいつつも、論を焦ってはいけない。これまでの『高校生クイズ』の歩みを軽くおさらいしてから、本論へと突入したい。

◆『高校生クイズ』のあゆみ

 僕がここ数年驚かされているのは、「『知力の甲子園』こそが高校生クイズだったのに、最近は……ド畜生!」的な言説をネットなどでたまに見かけることだ。

 僕が「知の甲子園」に出ていた頃は、真逆の論説が多く見受けられた。「なんだこの学歴偏重の『高校生クイズ』は! 知力・体力・時の運! 青春こそが『高校生クイズ』なのだ!」と。もちろん彼らが今の路線に満足して黙っているだけ、ということもあろうが、まさか全く逆の意見が登場するとは。

 若い世代にとっては、むしろかつての「知力・体力・時の運」路線のほうがなじみのない番組なのかもしれない。ということで、カンタンに過去の流れをおさらいする。

 『高校生クイズ』は、1983年の大みそか番組として産声を上げた。前年には同じく大みそかに『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』が放送され、全国での予選開催、国内移動をしながらのクイズといったフォーマットが『高校生クイズ』に生かされる形となった。

 『ウルトラクイズ』から引き継いだ「知力・体力・時の運」というフレーズを象徴するような形式が多く行われた他、3人一組という構造を生かした「チームワーク」を求めるクイズが『高校生クイズ』を特徴づけるものとなった。

 その後も回ごとにさまざまな形式が生まれた(当時から知識寄りの回もあった)が、基本的には負けた高校生の青春模様やハプニング、形式の斬新さなどをメインとした演出は変わらなかった。

 それが大きく動いたのが、第28回である。いわゆる「知力の甲子園」路線の始まりだ。

 全国から集った代表校は、東京ドームシティのホールで50問の筆記クイズに臨み、8校のみが勝ち抜けるという熾烈(しれつ)極まりない一回戦に臨んだのだ。ここで負けたチームの姿はほとんど放送されなかった。その後も一般のクイズ大会のレベルを超えた難問が出題され、制限時間の長い物理学風の問題まで用意されていた。

 この路線は賛否両論を巻き起こしたが、5年ほど低迷していた視聴率は持ち直し、その後五年間でMAX17.1%というハイスコアをたたき出した。

 そして、「知の甲子園」の後に行われたのが、現在の「海外ツアー」路線である。

 東京での一回戦を勝ち抜いた10校ほどが海外のさまざまなスポットを巡りながら、さまざまなバリエーションのクイズに答えていく。一回戦は放送上の尺としてはかなり短い扱いであり、その後長い時間をかけながらチームがじわじわと減っていく。

 演出面では、毎回女性参加者を丁寧に取り上げた他、カップルチームをあおるインタビューや、高校生の素顔を紹介するようなコーナーも用意されていた。問題の難易度は「知力の甲子園」に比べると低下したが、27回以前と比べると依然少し高いように思える水準。アメリカ人へのインタビューやゾウに乗ってものを運ぶクイズなどバラエティ色を交えたものも増えたが、全体的に知的な雰囲気、高校生のボケなどは映さない方向で統一されていた。 

 かつて「五月雨を あつめてはやし もがみがよ」といった高校生の珍回答を目玉の1つとしていた頃とは大きな違いである。

◆第37回は「融合への挑戦」だ

 さて、ようやく本題に入るぞ。

 今年の第37回は、視聴率的には失敗の領域に入るだろう。9%、歴代でもワースト3に入る成績だ。

 一回戦では多くの高校がほとんど画面に映らず。海外進出チームでは、新潟高校の男女ペアをやれカップルだと何度もイジりつつ、同じく男女ペアの栄東高校などは勝ち残っていたにもかかわらずほぼ全スルー。決勝も白熱の様相ではあったが、開成高校の不自然な誤答など、ツッコミどころがあったことも否めない。

 放送後の各所における意見などを見ていても、「どこかかみ合っていない」「不自然さの残る」番組だったといえるのではないだろうか。

 そしてこれらの要因の背景には、「エンタメ」と「スポーツ」の混線があると僕は考える。

 高校生たちの青春模様を映す、移動を伴うバラエティ感のある企画で進めるという「バラエティ」要素と、明らかにレベルの高い問題をスラスラ解いていく高校生という超人ショー的な「スポーツ」要素が、番組内には混在していた。ウォータースライダーを滑り降りた先の早押しボタンを押す形式で、出題される問題が「ピトフーイ」である。毒を持つ珍しい鳥類の名前……なのだが、明らかに一般的ではないだろう。

 つまり、「エンタメ型」クイズにおける「正解する」「教養を蓄える」「会話する」という喜びが中途半端に殺されてしまった状態のように思えた。

 もちろん、形式の面白さは過去の『高校生クイズ』の人気ルールを使ったこともあり、エンターテインメントとして成立していただろう。しかし、ガチンコな問題や高学歴高校生集団といった「スポーツ型」の要素が混線していることによって、視聴者にはその形式の遊びが雑味に感じられてしまう(先に紹介したような否定的な意見はこれに起因しているといえる)。

 結果として、どちらの立場にも立てぬまま、番組が流れていってしまったように思えた。

 ここまで、一方的に『第37回高校生クイズ』の気になる点を挙げてきた。良い点も多くあったが、そうでないところを集中的に挙げた。

 しかし、こう視点を変えてみてはどうだろうか。

 すなわち、この番組は「『World Quiz Classic』などで以前から行われていた、エンタメ/スポーツ両者の統合の試みであった」と。

●『WQC』の革新的取り組み

 TBS系列で2011年に放送されたクイズ特番『World Quiz Classic』は革命的な番組だった。

 一回戦は長い赤絨毯の上に用意されたゲートをクイズに答えながら進んでいく「A La Carte」。超巨大な画面に人物の肖像画が表示され名前を次々書いていく三回戦「Portrait Fountain」。準決勝からは早押しとなり、決勝は往年の『アップダウンクイズ』をゴンドラごと模した形式だった。東京ビッグサイトのホールに建てられたセットの作り込みは相当なもので、参加者には「クイズを開く鍵」として透明なプレートが与えられた。このプレートをセットすることで、「A La Carte」が始まる、という形式だ。

 一方で、参加したクイズ王たちについては事前番組などでスポットを当て、どのような背景から出場しているのかが紹介された。招待選手も、予選上がり組も半々で、各人には出自に応じたキャッチフレーズがつけられた。

 『SASUKE』を手掛けた総合演出・乾雅人が「クイズ王版『SASUKE』」と評し、全てのクイズファンたちの視線を集めたこの番組はしかし、視聴率的には期待はずれの結果に終わってしまう。裏番組にモンスタードラマ『家政婦のミタ』などがひしめく激戦区であったことも要因の1つだが、第2回が作られていない現状では成功裏に終わった、とはいえないだろう。

 前述したように、徳久の『国民クイズ2.0』においてこの『WQC』は、マイナースポーツ化したクイズとエンタメ的なクイズ番組との融合を図る取り組みとして紹介されている。

 ここまで『WQC』について述べてきた点が、『第37回高校生クイズ』にも当てはまるのではないか、と僕は考えている。

 先ほど「混線」と呼んだエンタメ要素とスポーツ要素の混ざり合いは、意図されたもの、狙いあってのものである、ということである。

●なぜ今「融合」なのか?

 もちろん、この試みは36回以前から続けられてきたものかもしれない。現路線での決勝進出校のほとんどは有名進学校であり、クイズ形式でも一般人との英会話力を問うものが登場するなど、求められる能力は高学歴路線である。一方で、アメリカを舞台にクイズを行うというギミックは大いにエンターテインメント的といえよう。

 しかし、今年はその傾向が顕著であった(明らかに加速していた)ことは事実だ。

 「エンタメ型」要素は例年と変わらない。過去のエンタメ型形式を復刻させても、中身であるクイズの難易度は明らかに上昇した(これについては客観的な指標がないが、筆者自身の「クイズ王としての感覚」で許してほしい)し、「21世紀枠」での高学歴校吸い上げ、1回戦ほぼカットなどの演出でより「スポーツ型」に寄せてきているように感じられた。その演出は「知の甲子園」の初回である第28回大会を思わせるようだった。

◆なぜ統合せねばならぬのか

 ではそもそも、なぜ「エンタメ型」と「スポーツ型」を統合する必要があるのか。

 それは、どちらの路線にも天井が見えているからだ。

 「エンタメ型」の限界については、先に述べた通りだ。「大きな物語」が失われた今、番組側はこの「物語」の枠組みづくりから始めなければならない。その枠の外に外れた人間は、当然番組の対象外となる。この枠組の立て付けが悪く短命に終わったクイズ番組はいくつもある。「エンタメ型」クイズ番組には、大化けするパワーが薄いというのが現状なのだ。

 一方で、「スポーツ型」はどうだろうか。こちらも、難しい状態にあると言って良いだろう。スポーティなクイズを展開できるのは、やはり「クイズ王」に限られる。そしてクイズ王のほとんどは、テレビ出演を本業としない素人である。定期的に番組を行い、結果を出し続けるのは過去の例を見ても難しいだろう。マイナースポーツ的な伸長の仕方では先が短いし、魔術のタネがより解明しやすいものとなる。

 『Qさま!!』は芸能人の強豪をクイズ王的ポジションで長く君臨させ、このスポーツ型要素をうまく内包したように感じられるが、こうもうまくいくには時間と技術が必要になる。そうそうまねできるものではないだろう。

 この2つの型は、どちらも大爆発する可能性の低い状態にあるといえよう。予算を抑えてそこそこの成果を、ということは可能であっても、大ヒット御礼的なことにはなりそうなビジョンがない。

 新たな可能性は、「いまだ誰も見たことがない」ゆえに「エンタメ/スポーツ両者の融合型」に託されることとなる。

◆なぜ今なのか?

 ではもう1つ残る疑問に移ろう。

 なぜいま、つまり「第37回」でその傾向が顕著になったのか。

 ここからは推測の域を出ないが、おそらくは今回が「次回に向けて」の回であったからだろう。

 『高校生クイズ』は、よく「5年でひとまわり」といわれている。似たような形式が5年間続き、それが終わると大きめの方針転換が行われる、という法則だ。このあたりの経緯は『高校生クイズ』をつぶさに語るブログ『高校生クイズストーカー』や『全国高等学校クイズ選手権 大会別データ』に詳しい。

 例えば第17回は「運大王」の導入という革命が起こった。通常の早押しクイズや、探偵風の「推理クイズ」などをメインに据えていた第16回を一新させ、運だけで勝ち抜く「運大王」枠が設けられた。地方予選では通常枠の他、選ばれたチームが順にボタンを押していき、当たりを引いたチームが全国に行けるという枠が設けられた(なぜか運大王枠の出場者はかわいい女子が多かった)。全国に行っても「運大王枠」チームは運のみで上位進出が決まっていくという形式だった。

 この「運大王」は次の18回大会にも限定的に用いられたが、19回からはナシ。とはいえ、17回が「変革を起こそうとした回」であることは間違いない。

 第23回は、予選形式が大幅に変更され、インターネット予選や一芸予選が行われた。その一方で地区予選の開催会場が半減。全国大会でもタレントを多く起用して新形式のクイズが導入されたが、全体的に不評に終わった。第24回もこの路線を踏襲するが、結果は変わらず。第25回では公式に「第22回以前のような形に戻す」というアナウンスが行われている。

 そして、第28回では散々述べてきたように「知の甲子園」が導入されている。この路線は過去2回の大変革とは違い、視聴率的な大成功を修め5年間継続。そしてその5年後の第33回からは海外路線となり、この形式も現在まで5年間継続されている。

 ちなみに、『アメリカ横断ウルトラクイズ』が終了し、『高校生クイズ』が「高校生版ウルトラ」ではなくなったのが1993年の13回から。ここにも大ざっぱではあるが5年おきの波があるように思える。

 というように、『高校生クイズ』には5年ひとまとまりの周期があり、その節目節目では改革が行われてきた。

 それを適用するならば、来年行われる第38回は改革の年となる可能性が高いのだ。

 つまり、現行形式は今回が最後、次回からは内容が刷新される。

 何が行われるかを想像することは非常に困難な作業だが、もしその「改革」のみが決まっているのだとしたら、今回の第37回で実験的な企画が行われることはスジの通ったことであろう。

 海外路線で行われたココ5回の視聴率は伸び悩み、平均視聴率では2度のひとケタ代をこの範囲で記録している(33回と37回)。時代の波やこれまでの流れが影響しているとはいえ、改革が成功していないことは、少なくとも視聴率的には明らかになってしまった。

 次なる一手への準備は、早いほうが良いだろう。

 ここまでの話を総合すると、第37回は「改革の第一歩」であり、その手段として「エンタメとスポーツのハイブリッド」を目指した、という仮説が立つのではないか。

 仮説はあくまで仮説だが、何も考えずに「今年はつまらなかった」「問題レベルが低下した」と述べるよりはよほど価値のあることだろう。

 個人的には、クイズブームのため、クイズ番組のために、このような「融合」が試みられることは意味があると考えている。閉塞感のある状況を打破してくれるものだからだ。

 いまこの2017年がクイズブームの最中であることは先に述べたが、ブームなんていつ終わるか分からない水物である。ブームが去ったときの、何をやっても動かない壁に囲まれている感覚を僕は知っている。というか僕も商売上がったりなわけで困っちゃうのだ。

 もし来年、このハイブリッドの試みが何かしらの形で実を結べば、今クイズを取り巻く環境は大きく変わるはずだ。クイズの世界を大きくリードし、変容させてきた『高校生クイズ』が、またしても時代を築く瞬間がやってくる。

 特Qファイヤー号が、まだ見ぬ境地に連れて行ってくれることを願って……。

※文中敬称略

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◆参考文献
徳久倫康(2012)「国民クイズ2.0」,『日本2.0』2012年7月,p.484-p.510,genron
黄菊英・長谷正人・太田省一(2014)『クイズ化するテレビ』2014年7月,青弓社
石田佐恵子・小川博司(2003)『クイズ文化の社会学』2003年3月,世界思想社
『高校生クイズストーカー』
『全国高等学校クイズ選手権 大会別データ集』

コメント数 11 *複数のAPIを使いコメント保存しています。

sho***** 2017-12-23 11:28:04

番組の固有名詞が多すぎて知らない人には話についていけない。途中で読むのやめた。


che***** 2017-12-23 19:03:08

25年前の「カノッサの屈辱」のクイズ番組分析の方が面白くて良く分かったな。
あれから25年の変化を分かり易く教えて欲しかったのだが。


韓国人は3万人のコピノに謝罪と賠償を行え 2017-12-23 11:32:48

ウルトラクイズ復活しないかなー

多分、参加できないけど


mya***** 2017-12-23 11:38:47

頭のいい人が判りやすく説明しようとして細かく語りすぎて、かえって判りにくくなってる文章の典型。
いや、内容はおもしろかったんだけど、もうちょっと省略・簡略化できるよね。


fiv***** 2017-12-23 11:52:59

新潟高校は地方予選抜けてアメリカ行ったんだよなあ…
しかしアホみたいに贔屓されて果ては丈夫(ますらお)答えさせる問題出たのはもうダメ(新潟高校のスローガンみたいなもの)


dai***** 2017-12-23 11:59:30

自分は知力の甲子園時代の高校生クイズはあまり見なかったなあ。
だって「宇宙の大きさを求めよ」て問題があって高校生が解いてたけど、◯◯×◯◯の◯◯条て答えがあってるかどうかも分からんし、数字だけ出されてもそんなにデカイ数字を想像も出来ないから面白くなかった。
昔の一門多答クイズとか、推理クイズは色々考えられて面白かった。


taw***** 2017-12-23 12:06:00

現在の高校生クイズはクイズとしては知力・体力・時の運時代から見ると筋金入りのストイックとなった。しかし、視聴者や参加者がごく一部しかついていけず高校生クイズ離れが起きた。
ところが面白いもので、真逆の過程を辿っても失敗しているものがある。クイズマジックアカデミーというゲームだ。このゲームのクイズは通信でのトーナメントで競うストイックなものから検定やチームでのモンスター討伐といったライトな方向へ行ったにも関わらず、ユーザー離れを起こして過疎化し、失敗している。
どちらにも共通するのはテコ入れという名の過度な上からの介入やシステムの変更だ。
記事では長ったらしく解説しているが、つまるところそのままで良かったものを下手に介入して引っ搔き回したということでしかない。
たったそれだけのことだ。


uan***** 2017-12-23 12:08:31

文全体が長いからもう少し要点をまとめて解説してほしい


pas***** 2017-12-23 12:18:04

興味のある記事なのに最後まで読めなかった。
ダメな記事として参考になった。


hay***** 2017-12-23 12:18:14

小学生レベルの問題をアホタレントが正解して歓声があがるような
低レベルのクイズ番組は見ない


w_a***** 2017-12-23 12:22:26

昔は知力、体力、時の運がテーマがだった高校生クイズ。だからどんな高校にもチャンスがあり、ドラマがあったのに、今では完全に知識のひけらかしに成り下がり、見ていて面白くもない
もっと高校生らしい事しようよ!






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