大いに疑問を抱かせる制度である。制度開始前から指摘されてきた懸念が現実化してしまった。他人の刑事事件の解明に役立つ協力をした場合、検察官が本人の事件について、起訴を見送ったり求刑を軽くしたりすることができる司法取引制度のことである。真相解明どころか、組織の責任逃れのために逆利用されるという矛盾が露呈した。
タイの発電所建設を巡り、現地の公務員への数千万円規模の贈賄疑惑が浮上し、事業を受注した日本企業と東京地検特捜部との間で、法人の刑事責任を免れる見返りに、不正に関与した社員への捜査に協力する司法取引が成立した。
この企業は大手発電機メーカー「三菱日立パワーシステムズ」(MHPS、横浜市)で、特捜部は不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄)の疑いで、社員らの立件を検討する一方、法人の起訴は見送る方針だという。
外国公務員への贈賄に対する罰則は、個人には5年以下の懲役か500万円以下の罰金、またはその両方、法人には3億円以下の罰金が科せられる。今回の司法取引は、MHPSが社員らの立件に協力する見返りに、最高3億円という多額の罰金を支払わなくても済む内容とみられる。
司法取引は既に欧米などで広く導入されているが、日本では6月から制度が始まった。今回は最初の適用例である。制度創設に向けた議論では、上層部が関わる組織ぐるみの不正に部下が協力するというケースが主として想定されていた。第1例は、企業が社員の摘発に協力するという、逆のパターンになった。
外国公務員への贈賄で有罪判決が確定すれば、その企業は国内外で信用を失うだけではない。海外の大型プロジェクトに参入できなくなるリスクもある。企業が利益を守るため自己防衛を図るのは当然なのだろうが、釈然としない。
懸念されるのは今後、摘発によるイメージダウンや経済的損失を避けるため、司法取引を利用する企業が横行しないか、という点だ。しっぽを切り離して逃げるトカゲのように、企業が不祥事の責任を下の者に押し付けて保身を図るなら、制度の公平性は保てない。真相解明どころか、本来罰するべき首謀者あるいは組織の罪をみすみす見逃す恐れがある。本末転倒だ。
今回のケースによって、トカゲのしっぽ切りを許す、制度の根本的欠陥が浮き彫りになった。
そもそも、他人の犯罪について供述したり証拠を提供したりして捜査機関に協力する見返りに、起訴を見送ってもらったり、求刑を軽くしてもらったりする制度はどう考えてもおかしい。刑の軽減を目的にうその供述をする動機になる。冤罪(えんざい)を生み出す「装置」にもなる懸念がある。
新たな冤罪を生む危険性がつきまとい、悪用も横行しかねない司法取引制度は廃止すべきだ。