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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

「表現規制とのたたかい」について

〈資 料〉表現規制とのたたかい

「青少年社会環境対策基本法」に対する見解と反対声明公表に際して
2001年6月
協同組合日本映画監督協会

協同組合日本映画監督協会
顧問 柿田 清二 著「日本映画監督協会の五〇年」より

<戦 前>
統制の強化
 映画は早くから国家検閲、取締りの対象とされてきました。はじめは明治24年(1891)の警察令による観物場取締規則によっておりました。明治44年(1911)に『ジゴマ』が「犯罪の手段方法を誘致助長するきらいのあるもの」として、45年(1912)頃に『春風閣』『人の花』『二美人』『薄馬鹿大将』等が「姦通に関するモチーフを用いたもの、もしくはそれに関することがらをテーマとしたもの」として、いずれも上映禁止処分を受けています。このように初期には姦通や犯罪の手口といったものが取締りの対象とされていましたが、大正6年(1917)警視庁令による活動写真取締規則を経て、大正14年(1925)の内務省令による全国統一検閲に至って、次第に治安、公安警察的取締りが行われるようになりました。そして、昭和6年(1931)の満州事変以後、急速に国策としての国家統制への道を歩みはじめました。
 昭和8年(1933)、岩瀬亮代議士が国会に「映画国策樹立に関する建議案」というものを提出し、これが採択されました。
映画国策がはじめて議政壇上で論議されたのは昭和八年のことで、同年二月八日に代議士岩瀬亮氏によって第六十四議会衆議院に『映画国策樹立に関する建議案』となって提出されたのがそれである。
映画国策樹立に関する建議
政府は速に映画の調査統制のため適切なる機関を設け、その発達を期すると共に予めこれに伴う諸般の弊害を防止せられむことを望む、右建議す
映画国策樹立に関する建議案理由書
 映画はその娯楽機関宣伝機関たる職能において近代科学の所産中広く民衆生活に関与せるものと言うべし、然るに政府は民間の会社が営利の目的を以って映画を製作するが儘に放置して只わずかに消極的なる映画警察を行うに過ぎずして何等積極的の指導」および統制の策に出でず
 おもうに興行映画は娯楽を目的とするものなるを以って国民の思想向上風教善導に対して遺憾の点すくなしとせず映画が観衆を不知不識の間に誘致する力に至りては学校教育にも劣らざるていのものなり
 若しそれ外国会社の製作に係る日本紹介の映画に至りては殊更に奇矯な風教虚構の事実を描写せるを以て本邦の品位を傷け不測の誤解を招来する場合尠しとせず斯くの如き国家の対外的損失を防止せむが為には進むで純正かつ高雅なる日本紹介映画を製作し以って海外に供せざるべからざるは論をまたざる所にして単に民間の映画のみに依りては此の大目的の達成せざるべきものにあらざるは明かなり
 今や各国は斯の如き弊害に鑑みかつ指導統制の必要なるを痛感し特に映画に関する専管機関を設置せる現状なり、我国またよろしく右事情に鑑み速かに対策機関を特設し諸般の関係事項を調査し有効適切なる指導統制を確立し以て此の文化事業の助長発達を図られむことを要す、是れ本案を提出する所以なり
 この建議案は二月十三日の建議委員会第二分科会の審議を経て採択され三月四日衆議院本会議に提出可決されたのであった。
 この建議案に基き政府は一つの成案を得た。そして昭和九年三月十三日には『映画統制委員会規程』が閣議において決定し、時の内務大臣山本達雄氏を会長とする『映画統制委員会』が成立し、関係官庁より委員が嘱託され、映画の統制、その他映画に関する重要事項を調査審議する機関となったのであった。
 (不破祐俊「映画法解説」大日本映画協会)(岡本純『戦時下の日本映画(第一部前篇)』より)

映画統制委員会の審議事項は次のとおりでした。
 1.外国映画の輸入制限
 2.映画製作者の指導及優良業者への奨励金及賞金の授与
 3.映画製作業者の監督
 4.国産フィルム製造工業の確立
 5.教化映画の指導奨励
 6.映画館における教化映画の強制上映
 7.教化映画上映の際の観覧税、興行税の減免

大日本映画協会
 昭和10年(1935)、財団法人大日本映画協会という団体が設立され、翌年4月にその機関誌「日本映画」が創刊されました。創刊号誌上に大日本映画協会と機関誌の役割が簡潔にまとめられています。
 昭和九年三月映画統制委員会規定が、閣議で決定され、国家が映画事業に全面的に関与することになったのである。
 この映画統制委員会は、映画が持つ文化的な効果を更に強力にするために、新に官民合同の団体を設立し、事業の実現に邁進しようという目的で財団法人大日本映画協会が設立された。
 それは、会長に山本達雄子爵を戴き、理事・評議員には映画に関係のある官庁の官吏、映画事業関係者を始め、更に顧問として内務大臣後藤文夫、文部大臣川崎卓吉、大谷竹次郎、横田永之助の諸氏を委嘱し、本協会発展の基碇を固めたのである。
 本映画協会は我国映画事業の改善発達と、健全なる娯楽映画の出現を期し、国民生活の充実向上と社会風教の維持刷新に貢献させ、延いては映画をして大日本帝国の国策に参加せしめて、一朝有事の際は勿論、平時においても政治に外交に、映画が持つ宣伝と教化の特性を完全に発揮して、映画報国の実を挙げしめようとするもので、その機関雑誌として「日本映画」が発刊されたのである。
                   (「日本映画」昭和11年4月創刊号)

 この大日本映画協会が機関誌をフルに活用して、映画法制定へ向けて地ならしを行っていったのでした。
 昭和12年(1937)7月7日、廬溝橋事件を発端として日中全面戦争が始まると、映画への政府の干渉も具体的になり、映画の国家統制の必要が強調されるようになりました。

事変に取材せる映画の製作に関する事項
 最近事変に取材して製作せられたる映画を見るに観ね漫然旧来の戦争映画製作の手法を踏襲するに過ぎざると共にその内容多くは粗雑にして無責任なる際物映画の域を出でず斯くては観客大衆をして新種映画に対する興味を喪わしめ延ては事変に対する関心を減殺せしめ我が国策の遂行上この好ましからざる影響を及ぼすの虞れ寡なからざるものありと認めらるるを以て爾今是が製作に当りては特に左記各号に留意せられ以て映画を通じ挙国一致の実を完うする為協力せられたし。
(一) 今次事変の因って来る根本的原因、我が派兵の意義及び日本帝国官民の決意を明確適切に闡明すること。
(二) 支那の国民性、民族性、国民政府国民党及び軍隊の本質等につき明確なる認識を与うるよう努むることもとより必要なるも、これが取扱に就いては特に慎重を期すべく、大国民の衿度を喪いて無辜の在留支那人の生命財産に不安を与うるが如き事態発生せざるよう留意すること。
(三) 現下の複雑なる国際関係を考慮し、日満不可分関係、その他諸外国との親善関係を阻害することなきよう留意すること。
(四) 銃後の後援を益々強化するとともに、長期にわたりこれを持続するの要を強調すること。
(五) 構想は真摯を旨とし観客をしていたずらに一時的興奮に駆られ安価なる感傷に堕せしめざるよう留意すること。
(六) 予め考証を精密にし筋の運びに矛盾齟齬なきを期するとともに我が将兵の階級・服制・礼式・演練・兵器・兵科・任務等につきても特に正確を期し皇軍ならびにその行動等に対する理解を深むるよう留意すること。
(七) 皇軍は武士道精神の真髄を把握せるものなることを明にすると共にその行動は常に正義に基くものなることを強調し荀も事を構え戦を好むが如き印象を懐かしめざるよう留意すること。
(八) 銃後又は戦場美談等を題材とするものにして描写陰惨、惨酷に過ぎ却て戦争を恐怖嫌悪するの念を惹起せしめ或は兵役義務心を消磨せしむるが如きことなきよう留意すること。
(九) 皇軍の名誉威信を損し又は軍紀の厳正を疑わしむるが如きことなきよう留意すること。
(十) 人類の平和、生命の尊重、肉親愛等を漫然強調するの余り現実を蔑視するが如き結果に陥り為に犠牲奉公の民族的精神を萎靡減退せしむるが如きことなきよう留意すること。
(十一)事実上機密を漏洩しその他軍事・外交上重大なる支障を来すが如きことなきよう留意すること。
(十二)製作に当りては予め関係当局の意見を徴し能う限り正確を期するよう努められたきこと。
                      (「日本映画」昭和12年11月)

 支那事変の経過はいよいよ何が帝国の味方であるか、敵であるか、何が克服さるべきものであるか、融合さるべきものであるかを明確ならしめつつある。東洋を思想的に、経済的に軍事的に政治的に奴隷化せんとする一切のものが敵であり、克服せられねばならぬことが明らかになりつつある。日本的ないし東洋的なるものと、西欧的なるものとの最も基本的なる対立抗争である。かくて支那事変はまさしく我国未曾有の歴史的大壮挙であり、その成否は世界史的意義を持つものである。かかる場合映画をかかる目的の遂行のため動員せんとする映画の国家的統制が、不可避的に必要とされるのはけだし当然の事である。
 然らば映画統制は先ず何より始めらるべきか。私は俳優、監督、カメラマン、脚本家、プロデューサーはもとより映画資本家、映画評論家に至る広範なる映画関係者に、思想的総動員を求むる所より始められねばならぬと思う。
(館林三喜男「精神の無い日本映画」、「日本映画」昭和12年12月)
(この項の引用は、岡本純『戦時下の日本映画(第一部戦前篇)』より)

映画法の制定
 昭和12年(1937)から昭和14年(1939)の映画法制定に至るまでの統制強化の歩みを関係項目と共に略年表風に記します。

昭和12年(1937)
2月 兵役法施行令改正(徴兵資格の拡大)
4月 活動写真フィルム検閲規則改定 申請手続、検閲手数料の改定、「文化映画」(教化映画)と「娯楽映画」に大別)
7月 廬溝橋事件
8月 映画に「挙国一致」とか、「銃後を守れ」のタイトル挿入の義務づけ映画関係代表と内務、文部、外務、陸軍、海軍各省係官との懇談会「戦争下の映画製作問題」
9月 国民精神総動員計画の実施要綱の発表
   内閣情報部の設置
10月 国民精神総動員中央連盟の結成
12月 非常時建築制限令の実施(定員七五〇名以上の映画館の新築禁止)

昭和13年
2月 内務省令で興行時間三時間制限令の発令実施(フィルム尺数はサイレント四、五〇〇メートル、トーキー五、〇〇〇メートルに制限)
3月 ジャン・ルノワール監督『大いなる幻影』の上映不許可決定
4月 支那事変特別税法第二六条に該当する入場税、入場料の一〇%(映画、演劇、演芸、催物)
7月 鉄材使用の映画館等の新築禁止
8月 木造といえども映画館等の新築、大改造の不許可
   軍機保護法の公布
9月 映画製作会社代表八名と文部省係官との懇談会
   「思想国防映画の製作について」
11月 外国映画の輸入許可制実施

昭和14年
4月 映画法(法律第六六号)公布
6月 全日本映画人連盟の結成
9月 映画法施行規則の発令(内務、文部、厚生の三省令第三三勅令第六六七号「映画法ハ昭和十四年十月一日ヨリ之ヲ施行ス」
10月 映画法施行
12月 映画法施行細則の発令(警視庁令)

 映画法は「本法ハ国民文化ノ進展ニ資スル為映画ノ質的向上ヲ促シ映画事業ノ健全ナル発達ヲ図ルコトヲ目的トス」(第一条)と規定し、「我国最初の文化立法」と称していましたが、その内実は、政府が映画産業に対して生殺与奪の権限を有する「弾圧法」でした。
 映画法は本文二六カ条と附則、施行規則は本文五九カ条と附則から成り、その主な内容は次のようなものでした。

一  映画の製作、配給業は許可制とする。
二  監督、俳優、撮影技師は登録制とする。
三  劇映画脚本の事前検閲。
四  検閲に不合格のものは上映不可。
五  文化映画、時事映画の強制上映。
六  外国映画配給、上映の制限。
七  製作現場における一六歳末満の者と女子の深夜業禁止。
八  国民文化の向上に資すると認めた映画の選奨(推薦、賞金の交付)。
九  興行時間の制限。
一〇 一四歳末満の者の入場制限。
一一 映写技師の免許制。


<戦 後>
占領政策
 昭和20年(1945)8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し連合軍に対して無条件降伏することにより、太平洋戦争は終結し、第二次世界大戦は終りを告げた。その結果、日本は昭和27年(1952)4月28日の講和条約発効の日まで6年8カ月にわたり連合軍の占領下におかれることになった。戦時中に一旦解散した監督協会は、その占領下の昭和24年(1949)5月4日に再建総会を開いて再出発したが、その事情を述べる前に、占領初期の映画界の様子をざっとながめておくこととする。
 占領の三基本目標は①日本の軍国主義および軍国的国家主義の撤廃②信教の自由、言論の自由および集会の権利のような根本的自由を含む日本の自由主義的傾向および運動の促進③日本をして再び世界の平和および安全を脅威せしめないことを保証する諸条件の設定とされ、千島、沖縄、奄美、小笠原を除いては、日本政府を介して統治する間接統治方式が採用された。したがって、GHQ(連合軍総司令部、ダグラス・マッカーサー司令官)の指令、覚書、書簡などは不可侵の命令として機能したのであった。「言論および新聞の自由に関する覚書」(言論の自由は奨励されるが、占領軍に対する批判やその動静の報道は制約)、「政治警察廃止に関する覚書」(思想、宗教、集会、言論の自由の保障、治安維持法をはじめ自由を奪う法令規則の効力即時停止、それらの法令などで拘禁されている人々の釈放、言論統制機関などの廃止等)、「望ましからざる人物の公職罷免排除に関する覚書」等々が矢つぎばやに発せられた。
 映画については、10月16日、「映画企業に対する日本政府の統制の撤廃に関する覚書」を日本政府へ手交し、これによって「映画法」その他従来の統制法規は一切廃止され、映画全般の統制機関である映画公社(昭和20年6月1日発足)は解散を命じられ、GHQが政府にかわって映画の検閲を行うことになった。
 これよりさき、9月22日、GHQ情報頒布部(IDS)は映画製作会社の首脳部を招き、次の内容の「占領の基本目標にもとづく映画製作の具体的な方針」を示した。
A 平和国家建設に協力する各生活分野における日本人を表現するもの。
B 日本軍人の市民生活への復員を取扱うもの。
C 連合軍の手中にあった日本人捕虜の社会生活への復帰を表現するもの。
D 工業および農業、国民生活各部門における日本の戦後諸問題を解決するため各自率先かつ企画すべきことを実証するもの。
E 労働組合の平和的かつ建設的組織を助成するもの。
F 従来の官僚政治に反し人民の間に政治的意識および責任感を助成するもの。
G 政治問題に対する自由討論を奨励するもの。
H 個人としての人権に対する尊重を達成するもの。
I あらゆる人種および階級間における寛容尊敬を増進せしむるもの。
J 日本歴史における自由および代議政体のために奮闘せる諸人物を劇化すること。
 時事映画=日本の映画は過去現在未来において軍国主義鼓吹または承認するようないかなるものも表現してはならない。時事映画事業は特に今日の現実を表現するに重大な役割をもっている。ポツダム宣言履行に寄与するあらゆる事実ニュースは記録しなくてはならない。(例えば戦争犯罪人を攻撃する政府の首脳者の演説、戦争の実相を語る帰還軍人、日本の諸問題を討議する労働、商業、農業等各種団体の会合等々)。
 11月に入ると、GHQは次の十三カ条の映画製作禁止条項を発表した。
1.軍国主義を鼓吹するもの。
2.仇討に関するもの。
3.国家主義的なもの。
4.愛国主義乃至排外的なもの。
5.歴史の事実を歪曲するもの。
6.人種又は宗教的差別を是認したもの。
7.封建的忠誠心または生命の軽視を好ましきこと又は名誉あることとしたもの。
8.直接間接を問わず自殺を是認したもの。
9.婦人に対する圧政または婦人の堕落を取扱ったりこれを是認したもの。
10.残忍非道暴行を謳歌したもの。
11.民主主義に反するもの。
12.児童搾取を是認したもの。
13.ポツダム宣言または連合軍総司令部の指令に反するもの。
 さらに、GHQは「非民主主義映画の除去に関する覚書」により、昭和6年(1931)以降の映画225種の配給上映を禁止し、その大量のプリントの一部を多摩川の川原で焼却した。


映画の統制反対同盟
 昭和31年(1956)、「太陽族映画」で世間が騒いでいるのに乗じて政府は取締り法案の準備をはじめ、10月、非青少年映画観覧制限法案要綱となって新聞に報道された。その要旨は、
一 文部省に映画審議会を設けて、不良映画の審査指定を行う。
二 非青少年映画に指定された映画を未成年者に観せた業者は罰金刑に処する。
三 映画館への立入調査を制度化する。
四 無審査の映画を上映した製作者、興行者は共に罰し、興行許可停止も行う。
というものであった。
 これは事実上、検閲制度の復活と考えられる。また、罰金刑や立入調査などの制度化は、映画が製作から興行に至るまで完全に官僚の支配下におかれ、表現の自由に対する制限となり、検閲統制につながっていくことは明らかである。
 ことここに至って監督協会は黙視することができず、映画製作者協会(プロデューサー協会の前身)、映画音楽協会、映画俳優協会、映画撮影者倶楽部(撮影監督協会の前身)、シナリオ作家協会の五団体に呼びかけ、11月1日、連名で立法に反対の声明を発表した。

 最近、新聞紙上の報道によれば、映画の観覧制限を目的とする取締立法が企図されていると考えられるふしが多分にみうけられる。
 このような動きにたいし、われわれは映画製作にたづさはるものとして、ふたたび、いまわしい官僚統制が復活されるのではないかという懸念をいだく。かりに「よい映画の奨励」というような美名のもとであっても、そのような取締立法が映画芸術家の創作と表現の自由を束縛し、ひいては思想統制への道につながるものであると考えざるをえない。またそのような取締立法は「一切の表現の自由を保障し、検閲の禁止」を規定した憲法第二一条の趣旨に明らかに違反するものである。
 われわれは、映画製作にたづさはるものの立場において、このような取締立法にたいして反対するものであることを声明する。

 同月14日、立法に反対の立場にある衆議院文教委員の諸氏と懇談して、同日、前記五団体とともに「映画の統制反対同盟」(山本嘉次郎代表)を組織した。
同盟は報道機関をはじめ関係方面に立法阻止をはたらきかける一方、新映倫設立世話人に村して、映画の統制阻止の立場から映倫の改組には反対しないが、いままで協力してきた芸術家や技術者に何等の連絡もなく映連各社が一方的にことを進めてきたことを遺憾とし、新映倫が芸術家、技術者の意志をじゅうぶんに反映したものになることを要望した。
 新映倫は昭和32年(1957)1月から業務をはじめ、取締立法は阻止された。
 同年5月16日、同盟は立法に反対の衆参両院の文教委員諸氏と懇談会をもち、今回の運動について次のまとめを行った。
一 今回は強力な世論の反撃があったので、官僚は退却し、われわれは成功した。
二 しかし官僚は決してこれで諦めてしまったわけではなく、昔の夢を追って、機会あらばと虎視たんたんとしている。
三 最近、国会では岸内閣が次第にその反動性を露骨にあらわしてきた。ゆめ油断はできない。
四 今後ともおたがいに彼等の動きを監視し、連絡を密にし、怪しい徴候がみえてきたら直ちに反撃できるよう態勢は整えておきたい。
 懇談会終了後、同盟は同日で解散した。(戦後、映画を取締ろうとするくわだては、昭和26年に自由党と文部省が秘密裏に「映画文化法案」を立案したことがある。これは文部省の選定映画を改変した場合は体刑に処するという内容をもったもので、映画界の反撃でつぶれた)

「刑法第175五条」ならびに「映倫」に対する基本的見解
 昭和54年(1979)4月23日、監督協会理事会は、『「刑法第175条」ならびに「映倫」に対する基本的見解』を決定した。
 前年6月23日開催の常務理事会は同日言い渡しのあった「日活ロマンポルノ」裁判一審の無罪判決に対する見解表明について協議したが、「無罪は当然。判決全文入手次第、内容の検討を行う」との見解をまとめるにとどまった。判決の大きな柱は、「刑法第175条」と「映倫」である。「刑法第175条」と、憲法第21条で保障されている「表現の自由」との関係をどう解釈するか、「映倫」の存在、役割をどうみるか、それが判決の内容なのである、したがって、判決に対して明確な判断を示すということは、「刑法第175条」と「映倫」についてどう考えるかを明らかにすることになるのである。監督協会はすでに昭和42年(1967)に、『黒い雪』裁判で、「如何なる作品であれ法廷で裁かれることに反対」との見解を表明していたが、理論的に明快さを欠くし、また「映倫」については、創立時からの経緯もあって、昭和31年(1956)の改組で組織上まったく縁が切れた後もあいまいな態度をとりつづけてきたのが実情であった。
 以上の諸事情を踏まえて慎重に協議した理事会は、11月10日、「刑法第175条」には反対の見解を明確に打ち出すべきであるとの結論に達し、小委員会を設置して、「映倫」の問題を含めて協会の見解をまとめることになった。
 小委員会は筧正典(専務理事)、堀川弘通、鈴木清順(以上常務理事)、藤田敏八、大島渚(以上理事)の五氏で構成され、昭和54年(1979)3月に原案をまとめて理事会へ答申し、理事会はこれを決定したのであった。その内容は大要次のとおりである。

 これは、『黒い雪』裁判、「日活ロマンポルノ」裁判、『愛のコリーダ』裁判等に関連して、「性表現」と「映倫」について検討、討議を重ねてきた帰結である。

  I 「刑法第175条」に対する基本的見解
1 昭和20年8月15日の敗戦を契機として日本国の民主化が行われ、基本的人権であり、侵すことのできない永久の権利として、表現の自由は憲法で保障されることになった。人間には自由に表現する権利があると同時に、あらゆる表現を自由に受け取る権利があり、これにより人格、思想の自由な形成をなし得る。したがって、表現の自由は、表現主体の権利に止まらず、受け手にとっての権利でもある。
2 〈異端に対する寛容〉こそ表現の自由の核心である。多数者を基準として表現の自由の許容範囲を決めようとする思想は、根底において民主主義に反する。
3 性は人間にとってごく日常的で自然なものであり、したがって、性表現もまた人間の根源に繋がる最も自然なものである。
4 日本国裁判所は、猥褻物とは「その内容が徒らに性欲を興奮または刺激せしめ、且つ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文書をいう」としているが、それに該当する表現物がなぜ悪いのか具体的、科学的論証もされず、誰が被害者で、いかなる被害を受けるのかさえ示されていない。刑法第175条はその適用が裁判官の恣意に委ねられている危険な規定と言わざるを得ない。
5 刑法第175条違反容疑で捜査を受けると、当該の「物」は直ちに押収され、社会から姿を消してしまうから、検閲、発売・上映の禁止が行われたと同様の結果が生ずる。日本には、憲法で禁止されているはずの検閲が事実上存在するのである。
6 刑法第175条合憲論者は、表現の自由といえども公共の福祉の制限を受けると言うが、われわれは表現の自由を保障することこそが公共の福祉に合致すると考える。
7 法律は存在する限り守らねばならぬとする俗論があるが、悪い法律、社会状況に適合しない法律というものは時としてあり得るし、それらに対しては問うことこそが正当なのである。表現の自由の観点から言えば、刑法第175条撤廃まで戦後は終わらない、と言うべきである。

 Ⅱ 「映倫」に対する基本的見解
1 われわれは、いかなる表現でも表現そのものに対する規制には一切反対であるから、基本的に映倫に反対である。
2 映倫は、占領軍の「民主化路線」を引き継ぐ映画界の自主規制機関として、「検閲の防波堤」のキャッチフレーズの下に昭和24年に映連内に設置され、管理委員会は映画人を中心に若干の第三者を加えるという構成で、監督協会とシナリオ作家協会からも委員が送りこまれた。
この映倫が昭和31年いわゆる「太陽族映画」の出現で、「業界のヒモツキ」という世論の猛攻撃を受けるに至り、これを契機に、映倫審査を拒否してきたアメリカ映画の審査という懸案解決のためにも改組を決意、12月に改組した。
新映倫は、製作、配給の業者で構成する映倫維持委員会が第三者の管理委員長に、管理委員の委嘱を含む管理の一切を委任するという形になった。このとき監督協会とシナリオ作家協会は映倫組織から離れた。
3 新映倫は維持委員会の業者にとっては自主規制機関であるが、実際に映画を創造している監督や維持委員会に参加していない業者にとっては、映倫審査は第三者による規制以外の何物でもない。しかも、全国興行環境衛生同業組合連合会(全興連)には、映倫マークのない映画は上映しないとの取り決めがあるから、事実上、映倫審査は強制力を持っており、本来、独禁法違反の対象となるべき性質のものである。
4 映倫の審査内容は「国家及び社会」、「法及び正義」、「宗教」、「教育」、「性及び風俗」等であるが、現状は「性及び風俗」面が大きな比重を占めており、換言すれば、刑法第175条に「ひっかからない」ことが映倫の主要任務になっている。したがって、映倫は必然的に検閲の代行機関にならざるを得ない。それが映倫の「宿命」である。
5 『黒い雪』裁判二審判決(確定)や「日活ロマンポルノ」裁判一審判決(控訴中)が共に映倫の存在を理由に「無罪」としたことは、映倫の検閲代行機関化がすでに現実であることを物語っている。

Ⅲ 付帯的見解
1 「刑法第175条撤廃」、「映倫廃止」の見解を以上に述べたが、性表現物に対する欲求には個人差があろうし、また、未成年者への配慮ということもあるであろう。最後にこうした点についての見解を述べる。
2 見たくない、読みたくない等の自由もまた保障する必要がある。すなわち、性表現物を①未成年者に販売、頒布、公開すること②公開の場所に展示すること③一方的に送付すること、等については何らかの社会的工夫が必要であろう。
3 映画は通常、足を運び、入場料金を支払って観るものだから、問題は少ないと思われるが、ポスター、スチル写真の展示には配慮が必要であろう。また、観客に予め表現の程度を示すための「ランク付け」を行う機関はあって差し支えないと思う。ただし、指定を受けたくない者の拒否権は保障する必要がある。
4 以上に述べた付帯的見解の内容は、先進諸国ですでにとられている措置であり、「刑法第175条撤廃」、「映倫廃止」後に当面必要と考えられる現実処理について、参考のために述べた次第である。
協同組合日本映画監督協会 会報「映画監督」(1996.4 N0.473)より

細野辰興監督作品『シャブ極道』の問題を契機に映倫・ビデ倫批判の声明を発表
 当協会員細野辰興監督の『シャブ極道』(大映製作・本年3月大阪、5月東京で劇場公開)は、映倫の成人指定を受けたが、ビデオ発売に先立つビデ倫(日本ビデオ倫理協会)の審査過程で、題名の変更を強要された。いったん映倫の審査を通って劇場公開した直後に、ビデ倫からこのような変更指示が出ることは異例であり、細野監督はこれを看過すればフリーの監督の自由がいよいよ狭くなることを危惧し、協会理事会に提訴した。
  2月の理事会で検討し、当協会には1979年の『「刑法第175条」ならびに「映倫」に対する基本的見解』があり、表現の自由を守る見地から刑法175条(わいせつ罪)が違憲であること、昭和31年に改組された映倫が検閲代行機関であることの認識は変わらず、当然ながら細野監督の抗議に賛同することを決め、念のために理事が『シャブ極道』の試写を見ることを決定した(当協会の『基本的見解」は,前事務局長柿田清二氏『日本映画監督協会の五○年』207頁参照)。
 3月初旬に行われた同映画の試写を何人かの理事が見た。また3月の理事会では、映倫・ビデ倫両機関の現状等も調査したうえで当協会の声明を公表する方向で小委員会を設置することになった。
 4月18日の小委員会には,千野専務理事、井上・山際・若松各常務理事と細野氏が出席し、最近の映倫・ビデ倫の審査事例、今回の問題がもつ意味などを討議した。4月の理事会は声明の文案を検討した。
 5月1日に、細野氏がビデ倫を相手取っての訴訟を提起し、日本弁護士連合会の会議室で記者会見が行われた。協会からは,井上・山際・帶盛・後藤・成田各理事と南場事務局長が出席して声明を発表した。
 声明の全文は次のとおりである。

自主規制の名目による検閲に反対する日本映画監督協会の声明
 業界の自主規制という名目がとられてはいるが、最近の「映倫」(映倫管理委員会)および「ビデ倫」(日本ビデオ倫理協会)の審査は、あいまいな基準により強権的な傾向を強めており、検閲以外のなにものでもない。日本映画監督協会は、表現の自由を守る見地から、強く、「映倫」「ビデ倫」を批判する。
 日本映画監督協会は、表現の自由を守るために不断の努力を重ねてきた。とくに、取締り当局が映画の表現に関して強権を発動し、映画監督など関係者を処罰の対象としたときには、断固として処罰に反対して、裁判で被告とされた人々を支援し、表現の自由への侵害を民主主義への挑戦として批判し闘ってきた。
(1)『黒い雪』裁判
 1965年、アメリカ軍基地周辺の売春宿を舞台として反米・反戦をテーマに作られた映画『黒い雪』(武智鉄二監督)が、刑法175条(わいせつ)違反容疑で警察の捜索を受け、武智監督らが起訴された。監督協会は、総会で抗議声明を採択した。裁判の結果は1審無罪、検察の控訴は棄却されて無罪が確定した。
(2)日活ロマンポルノ裁判 
 1972年、藤井克彦監督・山口清一郎監督らの作品が上映中、警察は刑法175条により捜索を強行し、フィルムを押収した。監督協会は抗議声明を警視庁につきつけた。その後、近藤幸彦監督の作品にも摘発の手が入り、監督3人ほか、日活の責任者および映倫審査員3人らが起訴された。裁判の結果、全員無罪、検察控訴は棄却されて無罪が確定した。
(3)『愛のコリーダ』裁判
 1977年、大島渚監督『愛のコリーダ』の脚本・スチル写真などを収録した単行本が刑法175条で摘発され、大島監督と出版社社長が起訴された。監督協会は抗議声明を出して支援し、裁判では第1審無罪、検察控訴棄却で無罪が確定した。
 こうした経緯をみても、取締り当局の強権発動は明らかに間違っていたのであって、猥褻の基準なども時代とともに変化し、より開放的になっていくのは当然である。青少年健全育成などの美辞麗句をかかげて、非行や犯罪の原因が映画やビデオにあるかのように喧伝し、その表現を規制しようとする動きは、あまりに短絡的・低次元であって、息苦しい情報管理型社会の到来を感じさせる。真に民主的で自由な社会は、多様な表現を受け入れ、それを次の他代に伝えていくのであって、悩める青少年が、映画によって救われたり、教えられたりすることも確実にあるのであって、そうした文化の作用を許さない社会は、決して健全とは言えない。
 最近「映倫」「ビデ倫」の審査において、性(猥褻)の規程のほか、法及び正義(暴力等)の規程によるとしているが、全くあいまいな基準により、従来は考えられもしなかった問題についての“指示”が出されるようになった。たとえば、毒薬を注射しての殺人方法が“オウムの犯罪”を連想させるからいけないとか、暴力団・麻薬・覚醒剤関係のカット“指示”、また、どこをカットしろというのではなく全体(テーマ)がいけないと言ったり、さらには、シナリオの段階で題材が悪いから審査の対象にもしないという“脅迫”などさえ行われている。“監督とは議論しない”とうそぶいて、居丈高に製作会社に“指示”の実行をせまるケースもある。
 監督協会の協会員である、細野辰興監督の作品『シャブ極道』(大映製作・本年3月大阪、5月東京公開)は、読売新聞(96年1月28日付・西沢正史記者)によって、性ではなく暴力の要因により“公序良俗に反する”として成人映画指定第1号となった映画であるかのように報道され,“暴力否定の姿勢”をとった「映倫」の“英断”とまで評価されているが、こうした記事は、取締り当局と癒着する報道の典型であって、はなはだ不当である。
 『シャブ極道』は、ヤクザに題材をとっているが,特別の暴力場面があるわけではない。時代を生きる人間を描いた力作であって、この映画に暴力団や覚醒剤肯定の雰囲気を感じて反発するのは、取締り当局の恣意的な憶測にすぎない。
 「映倫」が同映画を“成人指定”にしたことも問題だが,このたび「ビデ倫」が、内容を吟味することもしない段階で題名だけをとりあげて、題名を変更しなければビデ倫審査を通さないと暴論を吐いていることは、重大な問題を含んでいる。監督はじめ同映画の著作者が同意していないにもかかわらず、ビデオ配給での題名変更を強要することは、著作者人格権・同一性保持権の侵害(著作権法第20条違反)である。
 「ビデ倫」は、業界全体の自主規制を建前としているが,街のビデオレンタル店にはビデ倫マークの付いていないビデオソフトも多数置いてある。いったん映倫審査で“成人指定”あるいは“R指定”を受けて上映された映画をビデオ配給する場合、その会社は、暗に“ビデ倫マークがないと警察の摘発を覚悟しなければならない”との不安感をもつために「映倫」「ビデ倫」二重の審査を受けざるを得ないのが実態である。
 「ビデ倫」の事業報告書をみると、警察への通報・捜査協力などを日常的に行っており、「ビデ倫」が警察の出先機関になっていることが明らかである。また、「映倫」の事業報告書をみても、行政や警察との打ち合わせ・共同行動(盛り場視察)などが頻繁で、とても業界の自主・独立性を保持した組織とはいえない。
 自主規制をかくれみのとして、まさに憲法が禁止している検閲がまかり通っているのである。
 日本映画監督協会は、改めて自主規制の名目による検閲・表現の自由への侵害・著作者の権利無視を、断固として糾弾し、映画『シャブ極道』に関する細野辰興監督の抗議を支持する。そして、現状のような規制をつづけるかぎり、「映倫」「ビデ倫」は解体されるべきであることを声明する。

1996年5月1日
協同組合日本映画監督協会
理事長  大島 渚




細野監督の仮処分申請

細野監督が提起した訴訟は、題名の変更を強要した日本ビデオ倫理協会を相手取っての仮処分申請ということになる。申請の趣旨は「債務者(ビデ倫)は件外大映株式会社に対し、『シャブ極道』のメインタイトルに「シャブ」の文言を使用するのを規制してはならない、との裁判を求める」というもの。
 日本ビデオ倫理協会は法人ではないが、民事訴訟法上の要件を満たす社団として訴訟当事者であり、大映は、ビデ倫の会員会社として公開された倫理規程に基づき審査を受ける権利を有しているにもかかわらず、今回ビデ倫は規程にはない理由で題名の変更を指示してきた。これはビデ倫が大映に対して負っている義務に違反し、監督である細野氏の著作者人格権を侵害している。よって大映の権利を細野氏が「代位行使」する?という構成になっている。
 これはビデ倫が、大映など多数の会員会社が共同で設立した機関という建前をとり、大映がビデ倫に対して審査を依頼したことになっているためで、法的には間接的な「代位行使」ということになったわけである。むろん、著作者である細野氏は憲法で保障された表現の自由をも侵害されたわけで、この点では直接の被害者ということになる。
 『シャブ極道』のビデオは、大映により 『大阪極道戦争・白の暴力』と改題されて、東映ビデオから6月14日に発売される予定。それを受けて、仮処分訴訟の審理は5月13日、29日に両当事者を呼んで行われることになっている。

仮処分申請のその後
 1996年5月13日の第一回目審尋にビデ倫側が証拠として提出した「平成7年度版事業報告書」に記してある「反社会的な行為を誘発するもの」をタイトルにすることを禁止する旨の条項は、『シャブ極道』審査時には存在せず、しかもその時点では、まだ理事会で承認すらされていないことが判明した。この証拠捏造ともいえる行為の後、5月29日の第3回目審尋に裁判官から和解が提案され、双方の和解条項案をもとに、7月2日の第4回目に裁判官から折衷案が示された。
 和解条項には、「一 債権者は、別紙目録記載の映画のビデオ作品について、今後発売及びレンタルされるビデオのタイトルに「劇場公開名シャブ極道」との付記(ビデオパッケージヘの記載を含む)がなされることについて異議を述べない。」(その他の和解条項は省略)という内容の条項が含まれていたため、細野辰興氏は和解に応じ、決着した。