テストの最終日、とんでもなくバズってしまった僕は、気がつけばサマソニのステージに立っていた
2018年09月14日
朝、起きたらTwitterのフォロワー数が5000人以上増えていた。しかも、まだ増え続けて「桁」が変わりそうだ。目立つツイートをしたわけではない。思わずスマホの故障を疑った。
調子のおかしいスマホを持って登校した中間テストの最終日。コンビニで昼食を買い、中学の時からの友だちと公園で食べていた。友だちが豚しゃぶうどんを食べる姿を眺めて「渋いね〜」と、気の抜けた会話をしているときだった。震えたスマホにLINEが届く。
「すごいことになってるよ!! あの川谷絵音さんがプロデュースさせてだって!」
えっ......何!?
「これ好き。」というシンプルな文言に、ギターを鳴らしながら歌う自分の姿。何気ないツイートは3万回以上リツイートされ、動画は300万回以上再生されていた。
そして、ゲスの極み乙女。の川谷絵音が「超良いな。プロデュースさせて〜」とコメントしている。
それだけではない。岸田繁、坂本美雨、スガシカオ......多くの音楽家たちが自分の歌に舌を巻いていた。
「天才」「存在が『うた』のかたまりだ。 」「最高」
こんなツイートが星のように駆け巡っている。スマホの調子がおかしかったのは、この"せい"だったのだ――。
「うわぁ、嬉しいな。なんでだろう? うわぁ......やばいなぁ」
よく晴れた日だった。隣で豚しゃぶを食べていた友だちの箸は止まっていた。
(取材:BuzzFeed Japan 嘉島唯)

崎山蒼志、シンガーソングライター。取材現場に現れた姿は、動画で見たときより精悍な顔立ちになっていた。変化のスピードは、彼がまだ少年である証だ。
一夜にして、注目をかっさらった学生。すでに300曲以上の楽曲を作ってきたという崎山は、まだ16歳の高校1年生なのだから。
崎山がインターネット上で「発見」されたのは、ひとつのツイートがきっかけだった。ネット放送局のAbemaTVの『日村が行く!』のコーナー「高校生フォークソングGP」に出演したときの動画が「バズった」のだ。
はじめての収録、はじめて会う芸能人。13歳の時に作った『五月雨』を披露すると、テレビで見てきたスターたちに絶賛された。
バンドコンテストで優勝したこともあったし、ライブだって何度もしてきた。でも、今回は違った。
胸の底がワクワクするように嬉しかった。この興奮を誰かに言ってしまいたい。でも、そこには「情報解禁前」という大人の約束もあった。痒くなる高揚を抑えるのが、なんだかもったいない。言いたいけど言えない状況に、はじめて学校に行きたくないと思った。

その後、収録から半年もしないうちに、日本で最も有名なフェスのひとつ「サマーソニック」の舞台に立つことになる。
トップアーティストたちが名前をつらねる場所で、自分が歌っている実感はなかった。観客の向こうに、一番大きなステージが見える。
「うわぁ、サマソニだ......」
夢なのか現実なのか、よくわからない。中間テストの最終日から、ずっとフワフワした感覚が続いていた。
2002年生まれの崎山の音楽は、どこにルーツがあるのだろうか。
「根底にあるのは、母」だと言う。
BUCK-TICKやヴィジュアル系、UK ロックが好きな母は、いつも息子に音楽を聴かせた。その中で、当時4歳の崎山少年の心を掴んだバンドがあった。ヴィジュアル系バンドのthe GazettEだ。
「PVがすごくかっこよくて、母も好きだったから初回特典がついているライブDVDもよく見ていて。それで僕もギターをやりたくなって、教室に通わせてもらいました」

家で流れる音楽は、母好みのものが多かった。ナイトメア、マリリン・マンソン、ナイン・インチ・ネイルズ、YMOまでよく聴いた。
「赤盤(『UC YMO』)っていう、坂本龍一さんがセレクトしたアルバムがあって。お母さんが好きだったみたいで。坂本龍一さんが美しいから。美しいものが好きなんです。こういう音楽を聴くと、ワッと体が反応します。原点というか血肉になってる気がする」

同級生が聴いている音楽とはまるで違う。大衆の香りがするような音楽は抵抗があった。
「小学校低学年くらいまでは、音楽に対していいと思ったものしか受け入れないタイプでした」
変化があったのは、父の影響だ。飲食系の仕事に就く父は、ほとんど家にいなかった。たまの休みには、車を走らせて温泉に行く。車中で流れるのは父好みの音楽だった。リンキン・パーク、マイケル・ジャクソン、プリンスからスガシカオ。母が聴いていたものとは少し違った。
「その時は好みではなかったけれど、ずっとひっかかっていた。かっこいいなぁって思っていて」

小学3年生の時、父がタワーレコードでCDを買ってくる。
「お父さんが、SEKAI NO OWARIのCDをタワレコで買ってきて。ヴィジュアル系一辺倒だったので、そういう音楽は聴いたことがなかったんですけれど、良いなぁって思った」
SEKAI NO OWARIを皮切りに、邦ロックにも興味が出た。KANA-BOON、きのこ帝国、NUMBER GIRL。音楽番組で歌うミュージシャンたちは何よりも輝いて見えた。
「小学5年生のときに、カウントダウンTVでクリープハイプを見て衝撃的で。女の子が泣いてて、高い声の男の人が歌ってて。コピーバンドもやるくらい好き。歌い方にもすごく影響を受けてると思います」
ギター教室のメンバーと一緒にバンド「KIDS A」を組む。作曲に目覚めたのは小学6年生の時だった。
駅前で路上ライブをしたり、YouTubeに歌う姿を投稿すると、少しずつ「コンテストに出ないか」と、声がかかるようになる。
「バンドメンバーはサッカー部とかで忙しい。僕は美術部なので時間はあって。そうすると一人でやっていくことが多くなって、バンド活動は年に3回くらい。今は休止中です」

一人で人前に出ることは怖くないのだろうか? それも自分が作った曲だ。
「ギターを持っていると大丈夫。一人で立ってるって意識もないです。歌ってるときは人の目は気にならない。でも、歌ってない時はやばい(笑)」

調子のおかしいスマホを持って登校した中間テストの最終日。コンビニで昼食を買い、中学の時からの友だちと公園で食べていた。友だちが豚しゃぶうどんを食べる姿を眺めて「渋いね〜」と、気の抜けた会話をしているときだった。震えたスマホにLINEが届く。
「すごいことになってるよ!! あの川谷絵音さんがプロデュースさせてだって!」
えっ......何!?
「これ好き。」というシンプルな文言に、ギターを鳴らしながら歌う自分の姿。何気ないツイートは3万回以上リツイートされ、動画は300万回以上再生されていた。
そして、ゲスの極み乙女。の川谷絵音が「超良いな。プロデュースさせて〜」とコメントしている。
それだけではない。岸田繁、坂本美雨、スガシカオ......多くの音楽家たちが自分の歌に舌を巻いていた。
「天才」「存在が『うた』のかたまりだ。 」「最高」
こんなツイートが星のように駆け巡っている。スマホの調子がおかしかったのは、この"せい"だったのだ――。
「うわぁ、嬉しいな。なんでだろう? うわぁ......やばいなぁ」
よく晴れた日だった。隣で豚しゃぶを食べていた友だちの箸は止まっていた。
(取材:BuzzFeed Japan 嘉島唯)
Photo by 黒羽政士
崎山蒼志、シンガーソングライター。取材現場に現れた姿は、動画で見たときより精悍な顔立ちになっていた。変化のスピードは、彼がまだ少年である証だ。
一夜にして、注目をかっさらった学生。すでに300曲以上の楽曲を作ってきたという崎山は、まだ16歳の高校1年生なのだから。
ひとつのツイートで人生が変わった
崎山がインターネット上で「発見」されたのは、ひとつのツイートがきっかけだった。ネット放送局のAbemaTVの『日村が行く!』のコーナー「高校生フォークソングGP」に出演したときの動画が「バズった」のだ。
はじめての収録、はじめて会う芸能人。13歳の時に作った『五月雨』を披露すると、テレビで見てきたスターたちに絶賛された。
バンドコンテストで優勝したこともあったし、ライブだって何度もしてきた。でも、今回は違った。
胸の底がワクワクするように嬉しかった。この興奮を誰かに言ってしまいたい。でも、そこには「情報解禁前」という大人の約束もあった。痒くなる高揚を抑えるのが、なんだかもったいない。言いたいけど言えない状況に、はじめて学校に行きたくないと思った。
Photo by 黒羽政士
その後、収録から半年もしないうちに、日本で最も有名なフェスのひとつ「サマーソニック」の舞台に立つことになる。
トップアーティストたちが名前をつらねる場所で、自分が歌っている実感はなかった。観客の向こうに、一番大きなステージが見える。
「うわぁ、サマソニだ......」
夢なのか現実なのか、よくわからない。中間テストの最終日から、ずっとフワフワした感覚が続いていた。
4歳の時、ヴィジュアル系バンドに出会って
2002年生まれの崎山の音楽は、どこにルーツがあるのだろうか。
「根底にあるのは、母」だと言う。
BUCK-TICKやヴィジュアル系、UK ロックが好きな母は、いつも息子に音楽を聴かせた。その中で、当時4歳の崎山少年の心を掴んだバンドがあった。ヴィジュアル系バンドのthe GazettEだ。
「PVがすごくかっこよくて、母も好きだったから初回特典がついているライブDVDもよく見ていて。それで僕もギターをやりたくなって、教室に通わせてもらいました」
(提供写真)
家で流れる音楽は、母好みのものが多かった。ナイトメア、マリリン・マンソン、ナイン・インチ・ネイルズ、YMOまでよく聴いた。
「赤盤(『UC YMO』)っていう、坂本龍一さんがセレクトしたアルバムがあって。お母さんが好きだったみたいで。坂本龍一さんが美しいから。美しいものが好きなんです。こういう音楽を聴くと、ワッと体が反応します。原点というか血肉になってる気がする」
Photo by 黒羽政士
同級生が聴いている音楽とはまるで違う。大衆の香りがするような音楽は抵抗があった。
「小学校低学年くらいまでは、音楽に対していいと思ったものしか受け入れないタイプでした」
変化があったのは、父の影響だ。飲食系の仕事に就く父は、ほとんど家にいなかった。たまの休みには、車を走らせて温泉に行く。車中で流れるのは父好みの音楽だった。リンキン・パーク、マイケル・ジャクソン、プリンスからスガシカオ。母が聴いていたものとは少し違った。
「その時は好みではなかったけれど、ずっとひっかかっていた。かっこいいなぁって思っていて」
Photo by 黒羽政士
小学3年生の時、父がタワーレコードでCDを買ってくる。
「お父さんが、SEKAI NO OWARIのCDをタワレコで買ってきて。ヴィジュアル系一辺倒だったので、そういう音楽は聴いたことがなかったんですけれど、良いなぁって思った」
SEKAI NO OWARIを皮切りに、邦ロックにも興味が出た。KANA-BOON、きのこ帝国、NUMBER GIRL。音楽番組で歌うミュージシャンたちは何よりも輝いて見えた。
「小学5年生のときに、カウントダウンTVでクリープハイプを見て衝撃的で。女の子が泣いてて、高い声の男の人が歌ってて。コピーバンドもやるくらい好き。歌い方にもすごく影響を受けてると思います」
ギター教室のメンバーと一緒にバンド「KIDS A」を組む。作曲に目覚めたのは小学6年生の時だった。
明るい男の子の隣にいるヤツ
駅前で路上ライブをしたり、YouTubeに歌う姿を投稿すると、少しずつ「コンテストに出ないか」と、声がかかるようになる。
「バンドメンバーはサッカー部とかで忙しい。僕は美術部なので時間はあって。そうすると一人でやっていくことが多くなって、バンド活動は年に3回くらい。今は休止中です」
Photo by 黒羽政士
一人で人前に出ることは怖くないのだろうか? それも自分が作った曲だ。
「ギターを持っていると大丈夫。一人で立ってるって意識もないです。歌ってるときは人の目は気にならない。でも、歌ってない時はやばい(笑)」