今月上旬、古本店で家永三郎『わたしが思うこと』(民衆社、1995年)を見つけた。「アイヌを忘れた『和人』たち」(pp. 70-71)という章(コラム)があって、ざっと目を通したのだが、「えっ、そんなことがあったっけ?」と自問して、あったような、なかったようなとはっきりせず、帯の「家永三郎初のエッセイ集」ということにも惹かれて、家でゆっくり読み直そうと思って、買って帰った。
この本は、家永氏の教科書訴訟を支援する全国連絡会が毎月発行していた『教科書裁判ニュース』の「既刊号掲載の全部と、文中に散見する若干の事実等について・・・新しく書きおろした解説のための注をあわせて一冊の単行本にまとめたものである。」(p. 2)毎回「八百字にぴたりとまとめ」たそうで、追加の解説部分を除けば、1つの題目が見開き2ページにぴたりと収まっている。収録されている記事は、1988年から95年までのものである。
冒頭から「近年の裁判を見ていると、裁判に対し絶望的な気持ちになるのを禁じがたい」という感想から始まり、国家権力の一翼を担う最高裁、裁判所というシステムにおける思想信条に対する差別(人事権を利用した「いじめ」)、最高裁裁判官の国民審査のあり方の問題とそれを活用しての裁判所の民主的改革の提言、憲法訴訟の原告に対する脅迫、その人の家庭崩壊から過労の末の病死、教科書検定の問題と文部省廃止の訴え、等々、どの記事も遺骨返還請求訴訟にも当てはまりそうだと考えながら読み進まざるを得なかった。
25年ほど前、私がある公立の大学で非常勤で教え始めた頃、毎年、「政教分離」のテーマを扱う前に、その意味について簡単なアンケートを取っていたことがある。「知らない」を除いて、回答者の大半が「政治と教育の分離」と答えていたことに驚きながらも、それもあながち「間違い」とは言えないなとも感じていた。
さてさて、国会議員の靖国参拝も問題になっているが、ゴルバチョフと北方領土の問題もメディアが大きく取り上げている。それで、この本を買って帰った一番大きな理由――野村義一氏とゴルバチョフ大統領との会談――の記事である。 帰って読み始めると、ここに書かれていることのほとんどは家永氏の言葉ではなく、1991年4月17日の『朝日新聞』夕刊の記事と1981年9月25日の『毎日新聞』夕刊の記事の引用であると判った。家永氏の文章は、1991年6月20日の日付けが記されている。
まず前者(『朝日新聞』)では、「民族の代表として一言、大統領に訴えたい」という、翌18日のゴルバチョフ大統領の歓迎レセプションに出席することになっていた当時の北海道ウタリ協会の野村理事長の言葉が紹介されている。そして、次のように続く。
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・・・同協会が「南樺太、千島列島における先住民族として権利を留保する」との声明を発表したのは一九八三年のこと。今月十一日には、交渉にあたる両国政府が先住民族を尊重するよう求めた書簡を、首相官邸とソ連大使館に提出した。
(中略)[←家永氏による]
野村さんにとって、ゴルバチョフ大統領との会見はかねてからの夢だった。「北方諸島を諸民族共存の地にしてほしい」と期待している。
(「ダイアリー」のような引用マークの付け方が未だにわからないでいる。)============================================================
「そうだな、そういうこともあったなー」という気がしてきた。本当の意味での「民族共生の象徴となる空間」という感じでもある。そして、『毎日新聞』の記事からは、花崎皋平氏の言葉が引用されている。
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かの地を「わが固有の領土」と称することについては、アイヌ民族の異議申し立てに理がある。その地の先住の民は、アイヌならびにその他の北方諸民族であって、和人ではない。 ============================================================
この頃、どこに書かれてあったかすぐに正確には引き出せないが、花崎氏は、北海道ウタリ協会が福祉団体から民族団体へと変わりつつあるとも述べておられた。
そうだなー。そういうこともあったなー。
今は、そういうことを口に出すと、「民族共生の象徴となる空間」ができなくなると脅されるのだろうか。遺骨のこともしかり、先住民族の「権利」に言及することもしかり・・・らしい。
http://ainupolicy.hateblo.jp/entries/2010/11/03
因みに、家永氏の本には続編も出ている。
★追記:新ブログの機能に慣れず、操作に気を取られているうちに肝心なことを書き忘れていた。それで、野村さんの「夢」は叶ったのだったっけ?ということである。これがはっきりとした記憶にないのである。上記の『朝日新聞』記事のフォローアップ記事もなさそうだし。その後、野村さんは国連総会で、あの有名な演説をすることになるのであるが・・・。
北方領土への権利の留保も野村さんの演説も、北海道アイヌ協会のウェブ サイトに掲載されている(はずである――最近は訪問していないが)。