陰謀論的センター・公務員試験突破法。試験制度という洗脳技術。ナルトはゾロアスター教。受験産業にも大本教や天津教が暗躍! 裏ワザ大全は出題者に切り込んだが、啓明会とGHQ民政局系を叩けない点は指摘していないので関係団体を多数列挙。
Posted on 2014.06.16 Mon 00:43:41 edit
いわば陰謀論的勉強法。
陰謀論的試験突破術。
(勉強法を科目として教えないことこそが、指導要領に仕込まれた最大の罠だと思う今日この頃)
センター試験や公務員試験の問題の作り方は、マスゴミや紐付き陰謀論者の隠蔽工作の手法と共通していますから、上手いこと勉強して嘘を見ぬく技術を磨きましょう。
まずは、センター試験と公務員試験の目的について。
科挙の目的と被っていますので引用します(脱線するのであしからず)。
“でも結局官僚の子供しか受けるような環境がなくて世襲に近いものになっていって試験以外で才能ある人間が引き揚げられなくなったのだ”
“ほっとくと世襲制になるよなどんな制度も”
“別に頭がいいわけじゃない。ただただ膨大な情報を覚えてるだけの奴が上に行けるのが科挙の特徴
つまり言われたことしか出来ない奴の中で一番凄いやつを集めるだけの試験が科挙なんだね
無学なのに、能動的に物事を考えられる奴ような危ない奴は権力中枢に極力入ってこれないようになってる
つまり完成されたイエスマンだけを集めるシステムが科挙なんだね。”
“よく覚えるだけと言う奴がいるんだけど世の中の大抵の人がどうやって生きてきたか問えば暗記による助けだと思うね
学校教育のほぼ大部分暗記だしな
知識豊富なやつには敵わないよ
思考だけでいいならアリストテレスの時代に文明は完成されてるわ”
“結局国が大き過ぎて優秀な人材はどうしても足りないから
何らかの制度で集めないといけないという大前提が古代からあるからねぇ
超大国故のジレンマ”
“王朝が変わるって言っても支配者一族が変わるだけで
官僚や制度は全部前の王朝のままってケースもあるぞ
明から清がそう”
中国の科挙制度キチガイすぎてワロタwwwwwwwwwwwwwww
http://himasoku1123.blogspot.jp/2013/11/blog-post_6266.html
“何十年も頑張ってようやく官僚になっても、書物や前例ばかり重視して実務には疎くなる
科挙とは地方豪族層の活力を削ぎ、皇帝の忠実な奴隷を作る、
中央集権のための洗脳システムだとすら言える ”
“>何十年も頑張ってようやく官僚になっても、書物や前例ばかり重視して実務には疎くなる
という批判は当時からあって、たとえば王安石なんかは学校での官僚養成、試験科目の実務重視化なんかを実施したけど長続きしなかったんだよね。
理由はわからないが、現代日本の司法試験が参考になるかも。法科大学院を経て実務重視の試験を課すことに改革したが、結果どうなったかといえば、以前より法曹の質が低下したという批判が強いよね。
案外「とにかく基本を暗記させる」というのが、一番有能な官僚養成手段なのかもね。”
“おまえら、科挙の試験内容を誤解してないか?
あれ、今の日本の各種国家試験や大学入試試験等とは、かなり違うものだぞ。
強いて日本語のネタに例えれば、
「これまでに読んだ国語の教科書から、適宜本歌取りしながら、
全部七五調で、課題に沿った韻文を作れ。ただし教科書の持ち込みは禁止」
という問題に近い。
結局、何を問うているのか、というと、「教科書の句を覚えているか」ということ。
これは、中国語の言語文化的性質でもあって、
漢文の格調ある文章自体が、大昔から「古典の語句のパッチワークを繋いでいく」ものだから、
語句の暗記力とパッチワーク力を問うことになる。”
“ >語句の暗記力とパッチワーク力
文書を扱う以上は、多かれ少なかれ必要な能力だけどね。
自分はリアル公務員だけど、公文書は定型的な語句をパッチワークして書くものだよ。民間も同じでは。“
“ナルトとかワンピースも世襲マンガだしな。”
科挙って凄くね?
http://www.fknews-2ch.net/archives/37521174.html
(主人公〔明るい〕ナルト〔キツネ〕=アシュラ=陽
〔ダークな感じ〕サスケ〔スサノオ〕=インドラ=陰
ゾロアスター教じゃねーか!
(インド神話と拝火教とでは善神と悪神が真逆になっているのです)
はじめはともかく最終的にはガチガチの血統主義ですね。
作者途中で結社員になったのかな。
まあ、はじめから九尾の狐だとか火影の息子というとてつもない力を秘めていたのですけどね。
さすがに近親婚推奨=血統主義のゾロアスター教まで持ち出して来るとは……
あと、チャクラってもろインド。)
次に、問題を作成する組織について。
センター試験は大学入試センター(文部科学省管轄)、
公務員試験は人事院管轄です(※)。
問題の作り方がそっくりであるように、ボスは共通。
上司は、赤い盾(ロスチャイルド)に中央銀行支配の実務をさせるとともに「ユダヤ」(銀行利権名。民族名としての意味は捏造)に批判を集中させる戦略をとっている、ヨーロッパの王侯貴族です。
よって、以下のものを否定する選択肢は答えになりません。
要約すると、
「啓明会=教育支配の左翼がらみのもの」
=「GHQ民政局
(=共産党を育て、憲法9条を作り、東京裁判で戦犯を指名したアメリカ)
系のもの」です。
・キリスト教(特にカトリック)
・労働組合
(日教組、自治労など含む。下中弥三郎の啓明会はイルミナティの和訳で教員組合のはしり)
・東京裁判
(A級戦犯を決めた。山本五十六がナチスから日本人で唯一勲章をもらったように、海軍人は一人も吊るされていない。陸軍=悪。海軍=善、の構図)
・平和憲法=9条
・文科省
・左派全羅道
=在日の多数派(チェジュ島系の在日など。
偽名=通名OKや、外国人参政権肯定。在日特権維持)
(在日叩きは厳密には全羅道叩き+戦争準備であり、CIA系の慶尚道がニコ動や2chなどいたるところでやっている)
・教科書
・日銀や旧大蔵省
・原子力推進派
(旧通産省(現経済産業省)→原子力利権→ロスチャイルドの利権。
少なくとも具体的団体を否定しない)
・共産主義
(資本主義のガス抜き用=反対するフリ。宗教禁止による支配は上手くいくのかの実験)
・経済学
(何度も実験して確かめられないので理論だけ。つまり科学ではない)
・ノーベル賞
(経済学が賞にあるだけでお察し。沢山殺すと平和賞)
・ホロコースト
(カトリックが一番やっているホロコースト。ナチスに出資して手口を教えたバチカン)
・南京大虐殺(でも朝鮮戦争は無視)
・慰安婦
・地球温暖化詐欺
(CO2利権、エコエコ詐欺。アル・ゴア。地球は今寒冷化している)
・フランス革命
(スローガンが自由・平等・博愛+人権宣言の上にあの△マーク)
・明治維新
(坂本竜馬やジョン万次郎などメーソンメンバーを使って、幕府側と革命側の両方に武器を売るなどして双頭工作。グラバー邸の灯篭のメーソンマーク。書籍『石の扉』参照)
・ニューエイジ
(神秘的なものを崇めるが、それを作った神はなかったことにしてキリスト教の弱点を消した宗教。トヨタと繋がる。米国でのトヨタ叩き。ニューエイジの好きな言葉「リーディング」や「トランスフォーム=トランス状態=変身する」など)
・同性愛者保護(性の多様性容認)
・エイズ撲滅
(エイズは、Dロックフェラーを盾にする白人至上主義側=アメリカ共和党系のナチスの残党らによる生物兵器)
・スピリチュアル
(キリストとGODをなくして「見えないもの」だけを信じさせる悪質化したキリスト教)
・ロータリークラブ
・万博(トヨタ主導の愛知万博)
・太陽の塔
(→20世紀少年はカトリック肯定。
悪魔=メーソン=“ともだち”の手の甲に一つ目=ファティマの目。
なお、科学教育=メーソン教育)
・宇宙船地球号
・朝日系列
(センター試験に一番出るのが朝日新聞。
・イランのシーア派
(イスラム教に偽装した、ミトラ+ゾロアスター+マニ教)
・部落開放同盟
(全国水平社およびその後継団体の1つである部落解放同盟の団体旗のマークは荊冠旗=キリスト教の宣伝)
・東アジア共同体
・公安調査庁(公安検察)
(もともとDロックフェラー側=統一教会=勝共連合製、だが新進党時代から小沢(経世会)と仲良し。Dロックフェラー側に切られた公安調査庁の菅沼光弘が復讐のため右翼の3割が在日であるとリーク。)
・法務官僚派(憲法を作ったロスチャ側)
※人事官の任命条件には「人事官の任命については、その中の2人が、同一政党に属し、又は同一の大学学部を卒業した者となることとなつてはならない」(第5条第5項)という規定
=出身大学学部の重複が禁止=学閥禁止
された唯一の官職だそうで、国家公務員法の制定・一次改正を主導したGHQのブレイン・フーヴァー(Blaine Hoover)公務員課長が東大法科出身の官僚による学閥支配を防ぐことを意図して設けた規定らしいです。
実際に、センター試験の現代社会問題で「外国人参政権は、憲法上禁止されてない」的なもの
=「外国人地方参政権」という朝鮮籍と全羅道系左派韓国人のためのものが出題され、こんな糞問題を正解するためのこの1点、2点の為に一日中勉強するわけです。だからこの記事で少しでも被害を減らしたいのです。
新興宗教メーカーである大本教(本教=和風キリスト教にした平田篤胤を継承)の出口の曾孫のカリスマ予備校講師の出口汪や、
“竹内 睦泰(たけうち むつひろ、1966年12月17日 - )は、大学受験予備校の日本史講師。実業家。「古神道本庁」代表。学歴は中央大学法学部政治学科。学位は法学士(中央大学)。2006年度は早稲田ゼミナール(高田馬場校・西葛西校)、大学受験「秀門会」(茨城県土浦市)のほか、自らが設立した北斗総研予備校でも講師を務める。血液型O型。現在は日本歴史文化研究機構・理事長、 みんなの受験ナビ講師。第73世武内宿禰の称号を持つ。南朝小倉宮正統竹内文書伝承者であるという。”
“歴史観においては北進論者の石原莞爾の世界最終戦論を高く評価しているため、日中戦争以降の日本の外交・軍事の戦略には懐疑的で、石原と対立していた南進論者の東條英機を批判する場面もある。”
“2007年度は外務省所管財団法人(民間団体)付属研究所の上級研究員として、同僚で友人の木戸寛孝・竹田恒泰とともに「和音の書」シリーズの講師を務めた。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E7%9D%A6%E6%B3%B0
(自分は超速日本史シリーズを受験時代に使っていたのですが、日蓮主義者の石原莞爾を称賛したり、竹島は日本の領土だ! とか書いていました。竹内文書がらみなら天津教関係の人かも。露骨に神社勢力=和風キリスト教勢力の手先ですね)
など受験業界にも罠は一杯で、こんな露骨な手先の本がベストセラーになり、数の力で受験生(の身内の金)を吸引します。試験は毎年ですから大儲けですな。
天津教・大本教・下中弥三郎・神道=和風キリスト教がらみの記事は私の過去記事を含めいろいろ引用を最後に載せておきます。
そしていよいよ具体的な問題の解き方です。
なお先に申し上げておきますが、英語と国語(文章理解)の問題を解く練習は実際に出題された過去問を使用し、予想問題や模試を使ってはいけません。本番問題以外だと、選択肢の作りが甘いからです。
大前提
「マークシート方式の択一問題では答えは一つしかない」
「記述式の模範回答のような正解らしい正解は択一式にない」
正解の可能性が高いのは、
①常識的におかしくなく
②良識的に悪くなく
③入試で出そうな内容で
④問われそうな内容で
⑤建設的な意見で
⑥極端な表現がない
⑦内容が限定されていない
⑧余計な部分がない
⑨否定的でない
⑩共通性を指摘していない
⑪問いに対応している
⑫矛盾していない
⑬わけが判らなくない
⑭下らなくない
⑮難解すぎない
⑯正論過ぎない
⑰ありきたり過ぎないもの。
①同じ内容の選択肢は両方とも×。
②対立のあるところに正解がある可能性が高い。
・似ていて対立がある=違いがある選択肢はどちらかが正解である可能性が高い。
(誤っているものを探す問題=他は全て正しいでは、共に成立するものは×が一つしかない以上両方○となり、どちらも正解になりません)
・二つのことを対比して述べている、あるいは二つの時期に分けたりしている選択肢で二つの共通性について指摘しているものは×の可能性が高い。「同一」「共通」「維持」「持続」「同じ」「同様」「無関係」「過去と同様に現代でも」
そもそも二つのことを対比させるのだから変化とそれによる違いがポイントになるはず。
共通部分は記憶し易い。同じと覚えて終わり。が、違いだと二つ以上覚えないといけない。
違いの方が特徴がよくわかるし両方知って行かないといけないので記憶がより大変。記憶が大変なところが出るのは、ややこしい部分が出題されることからもわかる。片方だけ覚える記憶術が有効。アヘン戦争とアロー戦争の違いを覚えず片方だけ覚える。
・選択肢が五つあって三つがAについて二つがBについてであり、問いが正しい二つはどれかといった場合はAとBからそれぞれ一つずつ取ったものが正解の可能性が高い。
・同じままで良い=現状評価は×。改善すべき問題を指摘したり前向きな姿勢をしているものが○。
現状が良い=すでに改善されている=問題はないだから×の可能性が高い。
現状は問題ないとし手放しで称賛は×。極端という×要素もある。
過去の強い否定=現状評価の裏返しで×。
過去賛美=現状を強く否定で×。お花畑は×。
③問いに答えていないものは×。問いの文は必ず正しいので問いと矛盾したり逆らう肢は×。
④×の方が多いので、×を探して解くべきであり、○を探すと罠に嵌る。正しいものではなく、間違ってはいない=×要素がないものを探すべき。
⑤含む含まれる関係があるところ=内容がなるべく限定されていない広い方が正解。
(数的処理ですら使えることがある)
⑥試験でこういう内容の選択肢を正解にはずがないものは×
(それが事実であっても言ってはいけないことは×。
天才は人格的に欠陥があっても大目に見られ、人格者であることはむしろ凡才にこそ必要であるなど。
良識的によくないこと=道徳の先生がよくないと思うことは×。なお良識的によいからといって正解とは限らない。あくまで良識的でないと×)
⑦他の選択肢にない話題が唯一出て来る肢も×
⑧重要な単語が欠如している肢だけでなく、余計な話題が足してある肢も×。
⑨否定的内容は×。
「必要でない」「無関係である」「~ではない」「~しなかった」「~はいらない・不要」「重要でない「重要性は低下」「~できなかった」「(一度も)実施されていない」「実現は不可能」「問題はない」「役割を果たしていない」「及ぼした影響は少なかった」「まだ行われたことがない」「機能しない」
重要で必要で関係があるからこそ出題の価値がある。
⑩表面的記述の一致は×
・冒頭や末尾や斜体や太字や鉤括弧など目立っていてすぐに見つかる箇所そのままは×
⑪大意把握(要旨)問題でやたら具体的なのは×
具体例を省き抽象化して作られるのが要約なので、その選択肢を読んだだけで意味不明ならそもそも概要になっていない。なくても構わない余計な部分=そこがなくても大意に影響しないものがついている肢は×。
本文と具体的な一致はない方がいい。×肢の目印。具体的ということは内容の趣旨や大意を選ぶ問題では正解にならない。
内容は一致していても表現を変えているのが正解。
⑫難し過ぎる表現やくだらない内容は×。
本文を読まずに先に肢を検討しないと正しく思えるように作ってある。なんとなく正解かもはほぼ×。
⑬決まり切った常套句のような、ありふれた正論過ぎる肢は×。
読解できていなくても簡単に内容が類推できるような文は採用されない。
なお、非常識な肢は×なので、正解はある程度正論ではあるので程度が大事。
本文にはある程度ひねりのきいた主旨の文章が採用される。当たり前すぎる内容だと読解し易いから。逆に当たり前すぎる内容の選択肢は正解ではなく、「そうなのかな」くらいにものが正解になりやすい。
正解なら「原則として認めない」「~という場合がある」「~という面もある」「など」「等」「傾向にある」「が多い」など例外を許容するものが多い。
⑭限定が極端なものは×。
「限って」「のみ」「さえすればよい」「だけ」「全員」「必ず」「絶対」「例外なく」「だけ」「皆」「どんな」「あらゆる」「当然」「いかなる場合でも」「一切」「無条件に」「無制限に」「天賦にして不可侵」「どんな難題でも」。
逆に、これらが正しい場合の箇所は重点的に勉強しておきましょう。
以上より、
選択肢の「表面的」比較が有効。
・選択肢のグループ分けは×と判っている肢も無視せずに、異なる視点から何度も行うこと。共通性の一番重なっている肢が○。
なるべく沢山の選択肢と、異なる共通性を持つ肢が正解。なるべく多くの選択肢に枝葉を広げて繋がっている肢が正解であり、×肢の大本。
例えば、①と②が五つの共通点があるよりは、③が他の選択肢全てと共通点を持つ方が○である可能性が高い。
広く浅く繋がっているものが○。正解の要素はその一部分ずつが他の選択肢にばらまかれがち。
それに、正解の選択肢と酷似したものがあったら答えが二つ以上になってしまうのでありえない。が、偽の選択肢同士はいくら似ていても構わない。ある肢が他の肢の内容を含む広い内容のときはその含む広い内容の方が○。
例えば、果実とリンゴという肢があるとします。含まれるリンゴが正解だと、含む果物も正解となってしまい、答えが二つとなり不適です。よって正解は果物。
・選択肢の検討や比較のさいに×だと判っているものも排除せずに比べることが大事。
×=罠や嘘が、○=正解や本音を教えてくれる。
・正解の要素をを無理矢理入れたのでおかしくなっているものは×。
・ばかばかしい選択肢の存在意義は正解の要素を持っていることで受け手を釣ることにあるのでその選択肢はばかばかしい箇所を除くと正解に近い。
肢だけ読んで意味不明のものは×。
逆に、同じ内容がもっと判り易く書いてあったらそれが正解。
・×肢=罠や嘘が正解を教えてくれる。
選択肢だけを見るとどうみても×の肢でも、本文を読むと正解に思えるように作られている。
逆に言えば、ばかばかしい肢にはそれだけの魅力を持たせる為に正解の要素が含まれている可能性が高い。
・他の肢にはある話題が唯一欠けている大×肢と共通点を持つ肢はほぼ正解。
・問題点を指摘するなら何かをやっていることが書かれているはずで、何にもやっていないことなら取り上げたりしない。
・正解をもとに他の選択肢が作られているなら、どれが元=正解でどれが派生=偽物かわかる。
・選択肢を二つまで絞れた云々はよく聞くが、×肢と表面的に比較するすることで一つに絞れる。完全な×肢と強い共通性を持つ肢は正解になり易い。×肢は正解の要素も持っているからだ。他の選択肢にある話題が欠けていたら×。
・偽の選択肢三種類。
①正解と紛らわしいもの。
正解の魅力を薄め、×肢を魅力的にする。正解よりも正解と似せている×肢の方が部分的にはより正しかったりする。正解肢は間違いではないくらいの傾向がある。
②受け手がが思い付きそうな誤答。
故に本文そのままで言い換えなしの肢は×。
③受け手が思い付きはしないまでも言われてみれば正解かもと思いそうな誤答。
選択肢の並べ方。
大半は正解の要素を持つ誤答を並べるのだが、たまに正解を仲間外れにして、残りの肢は全てダミーしかも×肢群は互いに似ている場合がある。仲間外れ=×という思い込みを狙うもの。
ユダヤ陰謀論はダミー。
ちまちまとしてあまり違いのないもの 時計などを一世に販売する方が、消費者=カモを選択の罠=どの時計にするかに集中させ、他の時計にするかとか、そもそも買うかどうかから意識をそらす。大きな選択をさせにくくする。
グループ分けして他の選択肢と一番共通している箇所が多いのが正解。正解肢を分解して他の×肢を作ったから。
正解と紛らわしい選択肢。完全な×になっていないといけない。しかも正解と似た要素が必要。
①正しい内容の一部を×にしたもの。一部でも×なら×なので、正しい部分は完全に正しくなっていて魅力的になっている。正解の方は今一つすっきりしない言い方がしてあることが多い。
②正解の内容を拡大・縮小したもの
大中小だと中が大抵の場合に正解。Aは悪 Aは悪であることもあるが善であることもある。Aは善 なら真ん中が多い。③
③正解の内容を狭めたもの。限定することで×にする。
こうしたことを掴むには過去問以外は練習にならない。模試などでは選択肢の作り方が違うから駄目。
・より多くの選択肢とより多くの共通性を持つ選択肢が正解。大×肢との共通性を唯一持つ肢は大プラス。
・グループ分けで唯一つ仲間外れになる肢は通常は大×ですが、
逆に正解の場合になることがあります。
逆グループ分けとものです。まぎらわしいものがいくつも並んでいるからにはどれかが本物に違いない、と思わせる、隠さないことによって隠す=正解と紛らわしい肢を混ぜない手法。
逆グループ分けの場合は、同じグループになる正解以外の選択肢が似過ぎていることがありがちなのです。正解が二つ以上なのはありえませんから、仲間外れが正解になるのです。なお、逆グループ分けの場合は稀なので無視するのも手です。
最後に(本当の意味で最後なのは、予告した引用集ですが)、
私の経験的知識+裏ワザ大全シリーズ+過去問以外で(公務員試験にて)役に立ったものをご紹介します。
・公務員試験受かる勉強法落ちる勉強法 X年度版 [単行本(ソフトカバー)]
「合格への道」研究会
・必勝公務員試験のためのカリスマ講師のマル秘授業公開【X年度版】数的推理・判断推理 [単行本(ソフトカバー)]
主に参考したもの
センター試験で使える裏技的回答方法
http://matome.naver.jp/odai/2134971159331751301
左翼陰謀論者のスルーするところ【20090613】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/06/13/234
センター試験における陰謀【20100120】
http://www.mkmogura.com/blog/2010/01/20/603
※色文字は引用者によるものです。
↓僭越ながら私の過去記事
イルミナティの実行部隊名を大量に紹介します~下中弥三郎+百科事典+教育系の組織。大アジア主義者で万教帰一賛同者の下中弥三郎はメーソンで、大本教や天津教などとも繋がりがあります。~
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
“左翼系団体がヨーロッパの貴族系にしてメーソンとイルミナティ(+バチカン。有色人種容認だけど奴隷扱い)の巣窟で、
右翼系団体がアングロサクソン系の白人至上主義でナチスの残党(有色人種は殺せ)なプロテスタントの巣窟
なのですが、大本は同じなので、左翼と右翼の対立は「十把一絡げの総称という本質隠し」を利用した茶番であり、「具体的な実行団体を一切隠せる便利な言葉」を利用した心理操作です。”
“イルミナティを本当の支配組織の意味で使う人に対しては、具体的な実行部隊を教えてと聞きましょう。キリスト教が叩くイルミナティの悪魔の儀式=メーデー(=労働者の祭典。バイエルンのイルミナティ結成日は五月一日)・科学実験。労働者・実験による検証=悪魔=殺してよい。具体化で本音が見える。
イルミナティ系組織=下中彌三郎のもの=平凡社・啓明会・老壮会・メーデー・ロシア飢饉同情労働会議・教育の世紀社・児童の村小学校・農民自治会・経済問題研究会・日本国家社会主義学盟・新日本国民同盟・大政翼賛会・大日本興亜同盟・世界連邦運動・七人委員会・日本書籍出版協会・日本アラブ協会。
キリスト教がメーソンやイルミナティを悪魔崇拝だと叩くのは、日教組の元祖の啓明会や、教科書の元ネタの百科全書や科学の本や、メーデー等の労働運動などの具体的実行部隊を隠してメーソンやイルミナティに協力している証拠。
アジア主義は東アジア共同体と同じく世界統一政府達成のための侵略思想。下中弥三郎は大アジア主義者で、大川周明とも関係が深い。左翼や右翼の対立は「悪魔崇拝」のように総称を用いて具体性をなくす本質隠しの茶番であり、左右の大本に近い者を追求すべきだと教えてくれる人物。
啓明会の方針:教育=洗脳。良い子=馬鹿奴隷。子供の「供」は供物の「供」。いじめを推奨。子供は創造力があり発想が柔軟なので危険。面白くない受身の質問を許さない授業で調教して、自分で調べて検証する力を奪い、汚染された給食で体を弱らせ管理せよ。“
平凡社創設者下中彌三郎の謎(その1) - 神保町系オタオタ日記
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060221/p1
“ 『下中彌三郎事典』(下中彌三郎伝刊行会。昭和40年6月発行)から読み解く。
1 下中彌三郎と旅順図書館
「旅順図書館」の項目から引用。
大正七年(一九一八年)八月日本女子美術時代の教え子野波八重子が旅順から下中を訪ねてきた。下中はこの年の三月埼玉師範を辞任し、もっぱら出版を初めようと志していたところであったが、野波のいうところによると、夫の野波静雄が満鉄から図書館の経営をたのまれたが、自分は適任でないから誰かほかの人に頼みたいというのでお願にきた。ぜひ引きうけてくれというので、元来書物好きの下中は快くこれを受託渡満した。(中略)
さて図書館は露清銀行の2階にあった。下中はそこで図書分類法を研究し、新な配列を実施すると同時に、オープンドアシステムを実行した。この開放的なやり方は満鉄に歓迎され、沿線に普及した。ついで下中は大谷光瑞の蔵書保管も一任されたので、その整理保存にあたった。
注:野波八重子は杉浦重剛の姪
大谷光瑞の蔵書といえば、岡村敬二『遺された蔵書』で「大正4年に神戸を離れて上海の横浜正金銀行の倉庫に入れられた時には本箱で250もあったといわれている。参考図書館として立ちゆく大正7年の直前に大連図書館へ依託され、大正14年11月に寄贈されることになり、大連図書館の蔵書となったのである。」とある。これと、下中が管理した分とは別と思われるが、よくわからない。
さて、図書館ネタで誰ぞをぬか喜びさせてしまったかもしれない。
下中について、旅順図書館に在職していたことはそれほど興味深くはない。期間も大正7年8月から大正8年4月までの短期間だしね。
それよりも、秦郁彦『昭和史の謎を追う』下巻「第29章 天津教盛衰記-日本神国論の系譜」を見ると驚くことになる。
天津教(竹内文献を擁する教団)の最盛期の信奉者たちとして、下中弥三郎(平凡社社長)の名前が挙げられている。注として、「天津教側であげたもの。実際には参観者の域にとどまった人が多いと思われる」と、秦氏は書いているが、それにしてもおなじみの軍人、華族、弁護士等(頭山満も出てくる)の中では、異質な存在である。
もっとも、2代目教祖竹内義宮の『デハ話ソウ』(昭和46年11月発行)の、「主なる神宮拝観者と参拝者」中「終戦後の方々」として、下中の名前は登場している(ちなみに頭山は昭和10年中の拝観者)。
さて、僕は天津教が最盛期であった戦前における、竹内文献の関係書籍に、下中の名前を見たことはない。
しかし、『下中彌三郎事典』を見ていると、うっすらと下中と戦前における竹内文献の信奉者たちとのつながりが浮かんでくるのである。
2 下中彌三郎と酒井勝軍
まずは、「カイゼルの遺言」の項目を見てみよう。
雑誌『平凡』の昭和4年(1929年)3月号に「世界転覆の陰謀-真?妄?所謂猶太禍!」という座談会が掲載されている。出席者は信夫淳平、酒井勝軍、大竹博吉、満川亀太郎、樋口艶之助、大石隆基の6名に、社側から下中と志垣寛という顔ぶれ。(中略)出席者のうち、樋口、大石はユダヤ禍の鼓吹者であり、そのほかはすべて反対論者であった。両者それぞれ見解をのべて白熱の論戦を展開するが、結論は下中の「もう少し日本人の思想を堅固にして根拠のないユダヤ禍説の如きにビクビクしないようにしたいものだ」という点に落ち着いた。論争の途上、1897年(明治30年)にスイスで開かれたユダヤ人会議で決めた、世界転覆の筋書とされる議定書(プロトコール)が、実は偽書であるという点に関連して下中はつぎのように発言した。(以下略。匿名で下中が『カイゼルの遺言』という書物を書いたことがあるという話)
いきなり、「キタ━━━━ヽ(^∀^ )ノ━━━━!!!! 」
竹内文献の信奉者としては、トップクラスの酒井勝軍の登場だ。しかも、下中自らも参加している。戦時下の偽書論争(2月3日参照)もすごいが、ユダヤ禍論争ってのもたまらん。
3 下中彌三郎と肝川竜神
次に「耕大陣之大神」の項目を見よう。
下中が、彼のみたま神(身魂神)とされる耕大陣之大神(たがやしだいじんのおおかみ)を祀る<大国宮>に詣での[ママ]は、昭和30年(1955年)3月18日で大国宮なるものを下中に紹介した三枝忠二が案内し、久邇朝融が同行した。大国宮の所在地は、兵庫県川辺郡猪名川町字肝川で<肝川竜神>ともよばれている。大正3年(1914年)秋、全戸数わずか30戸のこの部落に、突如<神憑り>となって叫び回り、人々をおどろかした婦人が現れた。車末吉の妻小房(31歳)である。
(中略)この啓示が大変な評判となって、貴族院議員赤池濃、旧米沢藩主子爵上杉憲章、のちにこの啓示を基礎に神政竜神会を組織した海軍大佐矢野佑太郎をはじめ、多くの人が集まった。なかでも、大本教の出口仁王[ママ]三郎らは機会あるごとに肝川を訪ね、教祖出口直の没後はもっぱら車小房の啓示によって大本教の基盤を固めていった。
(中略)下中は、以後数回肝川を訪ね、(中略)。
昭和39年10月5日の大国宮秋季大祭にあたり、下中は先覚者の一人として大国宮に合祀された。
注:下中は昭和36年2月死去
ぬぬぬ、次は神政龍神会やら大本教の登場か!「解剖」は、中村古峡先生の独壇場だが、先生はとっくにお亡くなりになっているから、我輩が代わりに少し「解剖」しよう。
赤池、上杉、矢野はいずれも秦氏の著書で「最盛期の信奉者たち」とされる人物。『デハ話ソウ』によれば、上杉、矢野の拝観年は、それぞれ、昭和7年、5年(ちなみに、赤池は2月14日に「日本国語会」で言及した元警視総監である)。
更には、久邇朝融とは、『デハ話ソウ』中、下中と同じく、拝観者リストに「終戦後の方々」として登場する久邇宮朝融主殿下であろう。竹内文献の関係者がぞろぞろ出てくるなあ。“
陰謀の系譜その1 南北朝神道編【20090305】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/03/05/177
“天照は女のくせに女のストリップを覗きに出てくる。まあ、なんだ、スピリチュアル的なもんに仕上がっている。黒住会の焼き増しかもね。
そこらへんと連動して登場するのが大本教であり、現在の左翼系陰謀論者も、統一教会なども根っこを追いかけると右翼左翼に関わらずここらへんに繋がる。
というか、天理教や日蓮、生長の家、幸福の科学、GLA、紅卍会、細木、靖国教やらバハイズムやら創価、それを叩く真光の爺さんやら、立正佼正会、霊友会やら、八紘一宇の国柱会やらオウム真理教、とりあえず右翼や左翼も関係なく、むしろそれ以前にできた宗教でさえ現在ある流れなどまでも、これらを全部たどると根っこになり、茎として絡みつくことになる。“
(中略)
すべての新興宗教は大本から始まる。これは大本教自身が宣伝で言っている可能性もあるが、その根っこになりそうな天照の黒住教が、今のZEITGEISTと同じ、宗教が冬至の太陽復活説あたりの知識があり、もろグノーシスであったことも補足しておく。黒住教は200年前の江戸時代の宗教である。
(中略)
媚米というと憲法9条を改正して武力を持てとか言ってる統一や勝共の馬鹿を連想すると思うけど、憲法9条を作ったのもアメリカだよ。
さらに言うなら日本の共産党を支援したのもアメリカ、それを反共で叩き潰したのもアメリカ。
反米左翼とかに北系在日が多くいるのは知ってるよね。それはなぜか?
2種類のアメリカが存在してたの。
GHQ民政局と、GHQ参謀部第二部。
9条含め憲法を作ったのがGHQ民政局、反共組織として躍進したのが参謀部第二部。
同じ時代、同じアメリカなのに、この違いは何かというと、フリーメーソンの派閥の違いなんだよ。
そしてこれはロスチャイルドとDロックフェラーの対立と同じ物なんだよ。
この起源を追いかけると、有色人種(エジプト学派セム系)VSインドヨーロッパ語族(白人)であり、スファラデイVSアシュケナジーでもある。
厳密に言うとスファラディではないんだが。フランス革命の頃、自分達の都合のいい王家だけを残して後は潰した。その時、セム系ユダヤが起源である彼らも白人化してしまっているので。厳密に言うとスファラデイはスペイン、ポルトガルあたりをさすわけだから。
有色人種排除=米英系メソの雄であるディビットがいるのに、ロックフェラー家の起源はここスペイン、バプテストなんだよね。というか血が繋がってるのかね?
純粋白人崇拝主義は、アシュケナジーなんだがなぁ~。
ま、つまり2つの起源をさすユダヤのそれぞれのフリーメイスンの派閥なんだよ。
占領軍の総裁であるマッカーサーや明治維新のトーマスグラバーがフリーメーソンだったのぐらいは聞いたことがあると思うけど。”
共産主義とロックフェラー その3【20090315】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/03/15/184
“
生長の家は、統一教会と今まで同義の言葉としていいほどの団体であったからだ。
ハイ、右翼、靖国、つくる会、みたいな。
しかし、神社全庁含めて、信者は被っているが、明確な別団体である。
とりあえず、WIKI読んでみ。
【生長の家】
昭和5年に谷口雅春によって創始された
>当時谷口雅春は外資系の会社であるヴァキューム・オイル・カンパニー●に就職し、勤務の傍らで様々な宗教・哲学思想家と交流をはかっており、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B
6
※石油関係はユダヤ資本と関係がありがち
まず、基本としては聖書研究のプロテスタントである。
この生長の家の基になったのが『心霊科学研究会』です。
その中のニューソート一派=人間の意識と生命は宇宙と直結していて、あらゆる病の本質は自己意識に対する無知が原因であり、原罪は存在せず、万人が「キリスト」の力を内包した、それぞれが神の子であるという宗教です。
スピリチュアル&グノーシスという、まごう事なきイルミナティ教である。
「光明思想」という機関紙まで出してたりする。
白鳩会という、この会の名前がロスチャイルドのシンボル伝書鳩なのか、セミラミスという北部メソポタミアの女神の名前からら来てるのか知らないが。
ま、日本には元々一つしかないイルミナティ教(グラントリアン製)=スピリチュアル黒住教→大本教の流れから派生したロックフェラー製の宗教だからあたりまえである。
この教祖、谷口雅春は大本教の機関紙の編集をやってて、早稲田を中退したという経歴である。(笑)
前回の記事、IPR(太平洋問題調査機構)と早稲田の話を聞けば、すぐピンとくるはずです。
設立された年も、1930年と古く、反共に舵を取った1950年頃よりも20年も昔なんですから。もちろん、ディビットの時代じゃないよ。
信者は212万人で本拠地は渋谷。
このヴァキューム・オイルと+カンパニー(外資系)で同系列だろうから、エクソンモービル系で、もろにロックフェラー系ね。
あと、仏教やキリスト教など諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」の立場を取っている。
この万教帰一というのは、全ての宗教を一つ=イルミナティ教に帰すということだ。
内村鑑三や新渡戸稲造の帰一協会と同じ事である。
ここでは余談ですが、この多数の宗教(キリスト教、仏教などなど)を一つに統一するというのを使命にして、キリスト教の一派という仮面を取っ払ったカルトがGLAであり、病の本質は自己意識に対する無知が原因というニューソートの一部分だけを摘出した詐欺師が幸福の科学です。
全部、大本教つながりであり、スピリチュアル=イルミナティ教です。
大本教は現在の右翼である天皇教の基盤でもある。そこのGLAから中丸薫(左翼系陰謀論者)みたいなのが出てくること、つまりたいして根っこは変わらないことを意識すべきである。これは天皇教の皇軍戦争理論というもの、明治天皇から現天皇までの天皇本人が、クェーカー教徒から聖書を教わり、平和というより軍事放棄主義のアホ左翼っぽさを持ち、混在している事実と同じ事だ。
この右翼っぽいけど、共産主義だったころのロックフェラーの面影を残すのが、生長の家である。
(中略)
スピリチュアル=イルミナティ教=「精神や霊的なものだけが実在であって物質は幻想」というのは、「周囲と価値観をあわせることだけが真実」であるという支配者が奴隷をコントロールするためだけに用意された宗教なのも覚えておこう。
物質=幻想ということなら、反論の証拠になりえる物質もないことになる、これほど都合のいい宗教はない。
(中略)
今まで、共産主義と反共的な資本主義は、最終的な到達点が同じということで、対立を許容するイルミナティ内では放置されてきていた。
しかし、911は度を越えたのである。
米英系メソとグラントリアンの対立を理解できない人は、以前の状態を「右手も左手も同じ胴体」という言葉で済ましてきた。
この右手も左手と言われる組織は、胴体の頭からの指令も反対側、「右手は左手の事を」「左手は右手の事を」知らないため、(工作員の全員に全てを説明するわけないでしょ?)同時に奪い合おうと競争するのである。
これを自分は対立と言っているに過ぎない。
本当の一枚岩だったら、ディビットが最重要な右手と左手を同時に診察する、年に一度の健康診断、ビルダーバーグ会議に欠席するわけがないでしょ?
(中略)
ま、そういうわけで、できたらスピリチュアル右翼から左翼路線を取り出したいと考えているだろう。
その筆頭が、大昔にロックフェラーに作られ、CFRと連動してきた生長の家ということだ。
そうなると一番手近な、先祖が作った駒を日本で使うだろうと。
長々書いてきたが、後釜争いだ。どこでもよくあること。
で、新羅=慶尚道を中心とし、戦後に作られた反共組織というだけの統一教会=KCIAは潰されるという事だ。
やさしい俺はその理由もこうやって書いているわけだ。
生長の家が路線変換をしないか、ここから派生宗教がでてこないか要注意なのです。
CFRの中、日本では日本会議、そこらへんの宗教、記者クラブなどなど、その中で、これから対立し修正させられる。そして、切り捨てられるのが出てくるという、ごくあたりまえの話の中で予想しただけです。
これらは信者という駒の意思にまったく関係なく作り変えられるということです。
こうやって対立を使って共喰いしてもらい、さらには情報を判断して先回りをして情報を暴露しやすい状況を作る。
これが俺のやりたい答えでもあるし、希望でもある。”
※本ブログで超出て来る下中弥三郎は『すめらみこと信仰 : 万教帰一の最高具体標識』(国策産業協会 1937)という本を書いておりますから、生長の家に賛同しているわけです。左右の大本に近い人ですから当然ですけどね。
右も左も大本ではスピリチュアル【20090428】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/04/28/206
“大本教を「エスペラント」という言葉に置き換えればある程度は説明できるので、そこらへんで説明します。
まず、大本教は金光教からの派生である。
金光教布教者の出口なおが、出口王仁三郎と出会って、独立していくわけです。
大本教の始まりは一応、出口なおが「神がかり」をした1892年ということらしいです。
この金光教とキッシンジャーあたりの話は、以前の記事で書きましたが、キッシンジャーとフジの日枝が一緒に麻生と会ったような話も出ていますね。
この大本教を「右翼の起源」とだけ考えるのはあまりよろしくない。
確かに頭山満、生長の家、コラボしていた笹川や安岡正篤の紅卍会、黒竜会の内田良平らの右翼と連携して作った「昭和神聖会」、こういう単語を出してくと「大本教=右翼の起源」は間違いない。
だが、スピリチュアル陰謀論者が現在、右翼思考を叩いてる構図と同じように、左翼系陰謀論者の中丸薫も、この大本教の流れとして区分けできるように、「右も左も大本では同じ」なのである。
ちなみに、一部では創価学会の創始者牧口常三郎も大本教信者だったという情報もあります。まだ確かめていませんが。
大本教を一言で表すと国柱会の「八紘一宇」ではない。「万教一致」のほうが近いわけです。
以前、大本教がカトリックの式典をやっていたことは紹介したが、それだけではなくイスラム教に区分されるバハイ教、日蓮、プロテスタント、スピリチュアルっぽいものまで、「全ての宗教の宝石箱や~!!!」になっていたのが大本教である。
そこらへんの経緯を軽く説明する。
そのために必要な単語が、「世界標準語」を指標したエスペラントである。
まず、エスペラントは、大まかな分類で言えばイスラム教にあたるイラン宗教バハイ教とのコネクションで大本教に持ち込まれた。
大正11年(1922)4月、バハイ教徒の女性布教師のフィンチとルートが大本教を訪問した。前年、出口すみが、知り合ったそうな。
バハイ教、バハイズムもイスラム教の回教シーア派系の宗教とはいうものの、全ての宗教が一つという宗教である。
世界の主要な宗教の教祖、つまりクリシュナ、仏陀、ゾロアスター、アブラハム、モーゼ、キリスト、そしてモハメットは、それぞれその時代の人類の発達の段階に適した教えと法により、同じひとつの神から人類を教育せんがために遣わされた聖なる教育者であると教えている。・・・らしい。
で、聖地がイスラエルwという、ワンワールド構想で本部はアメリカという、進化系セム宗教のブースター付きみたいな新世界秩序のための宗教である。
まあ、それでエスペラントを大本教に教え、大本教がエスペラントという中で「万教同根」として右も左も抱える化け物へとなって、後に弾圧されるのである。
これが表面情報。
しかし、二葉亭四迷(1864~1909)が、1902年ロシアでエスペラントを学び、「世界語」独習書を1906年に発行した頃、作曲家・山田耕作の義兄に当たるG.E.ガントレットは、岡山へ来て英語教師をしている時にエスペラントを知ったという事からも、イルミナティ教として大本教が地位を作るのも、そこにエスペラントは「偶然」ではなく「必然」で持ち込まれ、宗教の宝石箱になるわけです。
で、その宝石にはいろいろな呪いがあったと。
大本教はバハイ教とは繋がりがあったのは事実だし、メッカ巡礼までやってる。
ただ、繋がりは偶然なんかで生まれたもんじゃない。
国家神道さえイルミナティ教であることを知っていれば、何も難しい話ではない。
その基礎が金光教と同じ岡山の黒住教であり明治維新の時に塗り替えられた三位一体であるわけです。
で、大本派生宗教、以前紹介した右翼の集まりのような天津教の教祖は竹内巨麿という元黒住教信者なわけです。
この大本教から生長の家などが生まれてくることなどでも、キリスト教コネクションがあることは間違いないのだが、そこらへんは「これだっ!!」ってものがないので、ここらへんから紹介する。
そもそも、大本教の出口王仁三郎も『霊界物語』や『神霊界』でユダヤ人が日本に渡来してきたと言及している日ユ同祖論者なわけで、竹内巨麿は日本にキリスト教の墓があるとかなんとか言っちゃってるわけで。
さらには、キリスト教原理のプロテスタントと日ユ同祖の連系は、今では誰もが知ってるところだが。
では簡単に。
根っこをたどると統一教会も大本教もスウェデンボルグの影響を受けているわけです。
スウェーデンボルグは新井奥邃を通じて田中正造や高村光太郎らに多大な影響を与え、スウェーデンボルグ研究の高橋和夫によれば、鈴木大拙、内村鑑三、賀川豊彦にも影響を与えたそうです。
スピリチュアルのおっさん、三島由紀夫もね。
賀川、内村鑑三、名前でわかると思うが、後のIPRやクリスチャンコネクションである。
どっちかというと、右翼とは対立する奴らだ。
鈴木大拙なんていう天皇に仏教を教えた奴の名前も出てきてますが。
ニューエイジ思想のルーツもまた、19世紀の神秘主義で生まれたスウェーデン・ボルグ主義を含むキリスト教の異端なわけですが。
今の反共右翼を叩く勢力、それらが、昔は一緒だった。それが大本教が肥大化した理由であり弾圧された理由です。
ね?ニューエイジ系陰謀論者なんて存在の意味ないでしょ?
なぜ、ボルグ主義と大本教がくっついたかを。
スウェーデンボルグの両性具有唯一神というものを掲げており、これは「人間は霊を入れとく器」という、スピリチュアルなもん、そのものである。
そして、これは女のくせにストリップをのぞきに天の岩戸をこじ開けた「アマテラス信仰」という、イルミナティが作った国家神道そのものなわけだったから。
つまり、「同性愛者はクズだ」と叩く、新約聖書の言葉に乗ったキリスト教原理が、911自作自演を隠蔽しようとし、それを「自作自演だ」叩くニューエイジやスピリチュアル陰謀論者も「大本教の中では兄弟だった」という、どーしようもない話である。
聖書根本主義という概念が入っているか、国家神道やキリスト教という概念を捨てたかどうか、それぐらいの違いでしかない。
そのイルミナティ教のるつぼ=大本教に与えられた世界支配者と繋がるプロトコル。
それがエスペラントである。
まず、日ユ同祖論が、日本とユダヤを一緒ということにする=自己防衛という理論は、俺も間違いないと思う。
今現在の日ユ同祖論は、アシュケナージーのための日ユ同祖論であり、その起源は安江仙弘が最初であると俺は考えている。
それ以前にも同祖論は多数あるのだが、混乱しないようにするために、本当はもうちょっとしっかり区分けして説明したかったけど。
そのアシュケナジー製日ユ同祖論の設立にも大本教は関わっている。
そもそもエスペラントの創始者は、1887年、帝政ロシア支配下ポーランドの眼科医のユダヤ人、ザメンホフ(L.L Zamenhof)が発表した国際語である。
ポーランドユダヤ人、そうホロコーストのアシュケナジー。
戦中の大本教に陸軍が多かったのは、ホロコースト→上海で現地の日本陸軍とくっついたためであり、そこ頭山満などが関わっているわけです。
とりあえず、安江以前の日ユ同祖論者も含めて、そこらへんは全部、大本教あたりで間違いはない。
あと、エスペラントと日本人の名をいくつかあげてみよう。関連性が見えてくるはずだ。
宮沢賢治 (国柱会信者→田中智学→八紘一宇→大本教)作中の地名をエスペラント語になおしていた。「イーハトーヴォ(岩手)」「モリーオ(盛岡)」「センダード(仙台)」
黒板勝美 1906年横須賀で日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio, JEA)を設立した中心人物。東京帝国大学名誉教授で日本古代史の博士。現在、我々が読んでいる「日本書紀」は黒板勝美が編集したもの。
朝鮮総督府朝鮮史編修會」の顧問であり、朝鮮史改竄の首魁と見なされている人物。
直系の弟子にあたるのが日本歴史学会の最高権威の一人東京大学の坂本太郎。
言うまでもなく、南朝イデオロギーの明治維新でできあがった国家神道にあわせて日本書紀を改竄した流れだ。たぶん百済系に都合のいいように。
酒井勝軍
大杉栄などとともに、日本エスペラント協会の第1回大会(1906)で評議員に選出されている。日ユ同祖論者。日本ピラミッド論の開祖であり、機関紙『神秘之日本』などを発行した。スピリチュアル馬鹿か。
1921年のプラハのエスペラント世界大会には新渡戸稲造(国際連盟事務次長)が政府代表として参加。
おまけ
ジョージ・ソロス、父親と親子でエスペランティスト。
ヤクルト(Yakult)「ヨーグルト」を意味する jahurto(ヤフルト)に由来している
日本の全ての新興宗教は大本教から来ているわけで。
そのエスペラントで大本教は中核をなしたわけで。
あたりまえといえばあたりまえだが、国柱会やら皇室クリスチャン人脈の新渡戸から、日本書紀の編集をした奴まで、まあいろいろといるわけで。
キリスト教コネクションを補完する意味や日本書紀の話は参考になりそうなので貼っときます。
さて、そんな大本教ですが。
政府に弾圧されるわけですがその理由を簡単に。
「右も左も、ごちゃ混ぜにしたらパンクした。以上。」…じゃ寂しいので。
1921年に宮中某重大事件(反皇室として左翼が出てきたきっかけの事件)
↓
1921年(大正10年)から始まった第一次大本教弾圧
新聞による攻撃 派生宗教が多数できる。大本教と対立(笑)
浅野和三郎 スピリチュアリズム組織心霊科学研究会を設立(後の日本心霊科学協会) スピリチュアル(笑)
友清歓真(友清天行) 神道天行居 を設立
谷口雅春 生長の家を設立
1934年 岡田茂吉の離脱。 メシヤ教(世界救世教)設立。左翼系陰謀論者、中丸薫はこの教団の最高顧問
1935年(昭和10年)第二次大本事件
幹部・関係者、主だった信徒の逮捕拘束(治安維持法違反と不敬罪)
裁判前の全建物・施設のダイナマイトによる徹底的な破潰
↓
1936年 226事件へ
高橋是清などロスチャ系を暗殺事件
2次あたりの弾圧は、時期から言って、反セム思想の出没あたりともリンクしてそうですね。
それが、その後のユダヤによるユダヤの追放、ホロコーストにつながり、アシュケナジーユダヤ(日本で言う昔の言い方だとドイツ系ユダヤ)の満州ユダヤ王国構想につながり、右翼の根幹を作っていくわけですが。
そのセム系との対立の時期ではエスペラントの国際大会も中止されております。
まあ、こんな感じで大本教については捉えておけばいいんでないかな?程度の話ですが。
出口王仁三郎も「石屋」としてメーソンについて言及しています。
しかし、これで見てもわかるとおり、日ユ同祖論も、グラントリアン系と米英系の区別をしないフリーメーソン陰謀論も、スピリチュアル陰謀論までも、結局は同じ所から出てきているって話なんですけどね。
そこが宗教の闇鍋、大本教だったと。
ニューエイジ系陰謀論者やグノーシス思考の陰謀論を見たら、昔の大本教を思い出してください。
そしてスフェーデンボルグのスピリチュアル的な両性具有唯一神の話を。
そうすれば、何がおかしいかは明確に見えてくると思うから。
だって、昔はブラザーなわけですから。
そして書き手の人は、その嘘を見破って、ちゃんとした陰謀論をとなえなければならんのである。
大本教がやってきたことの答えは、昔の言い方では「世界連邦運動」、今の言い方では「新世界秩序」であり、全ての宗教を一つにし、一つの世界を作ることである。
ヤレヤレな話です。
ただ、右と左が混じってたので、大本教は弾圧されたわけです。
現在の共産主義ロックフェラーの復活と、反共という言葉の喪失は、新たな宗教弾圧という「役者変更」がありそうと感じているのは、俺だけではあるまい。
メソのZeitgeist含めて、宗教の帰一化は加速してるんだから。、
ちなみに「ムー」という陰謀論いっぱいの雑誌があるらしいが(俺は読んだことがない)、これも竹内巨磨の竹内文書、そして天津教の流れを組む、トンデモ理論からの流れであり、彼らの理論によると日本にキリスト教の墓があって、モーセの十戒は天津教が保管してて、1930年、1932年の天津教弾圧と共に靖国神社に奉納されたという、どうしようもないトンデモの流れを明確に意識した雑誌らしいです。”
下中弥三郎は世界連邦運動に力を入れまくっていました。
エスペラントとメーソンとシャーロキアンはある程度重なります。
ドイルがメーソンですから。
牧野伸顕、F・ルーズベルト、トルーマンはシャーロキアン。
小林司 (医学博士)はシャーロキアンで日本エスペラント学会の顧問。
神道について知る前に【20120211】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/11/1062
“彼は、「神道という明確な宗教が存在する」と誤解している。
この誤解は、読者の中でもしている人は多いだろう。
神道というものは何か?
それを説明する上で、ちゃんと宗教というそのものの本質から説明しておこう。
なんだかんだで、これが一番の近道である。
宗教とは「仮面」である。
魔法の仮面だ。
この仮面をかぶって悪いことをしても、悪いことにならない。
それが宗教の本質である。
それは、わけわからん高級羽毛布団はのせられて買わされると詐欺になるが、わけわからん高い戒名の代金を坊主に払わされても詐欺にならないという簡単な事例でも、わかることである。
これが、個人に対しての宗教の本質、仮面である。
「キリスト教」、「仏教」、そして質問できた「神道」、個人に対しての仮面なら、社会における宗教単位で考えた場合、これらの本質は、何になるか?
自分は「看板」、もしくは「のれん」であると説明する。
宗教というのは、この看板、暖簾をくぐった瞬間に、その善悪がわからなくなる仮面を強制的にかぶらされるのだ。
先ほどの戒名という葬式、そして結婚式の教会、暖簾(のれん)をくぐると強制されて逃げられないという意味はおわかりいただけるであろう。
悪いことをする共犯者にしてしまう仮面、それが宗教にとって唯一の商品である。
それが宗教であり本質である。
よって、キリスト教、仏教、神道、それらの宗教という個別の商品は存在しない。
正確に言えば、宗教なんて売り物はない。
やっていることは同じという詐欺師が、別々の看板を下げて多々存在するというだけなのだ。
だから「神道とはなんですか?」というコメントで頂いた質問は、「神道という宗教はなんですか?」という質問になってはならない。
神道という商品はないのだ。それを探してるのでは一生見えてはこない。
『神道という「看板」を掲げてるこれらのお店は何ですか?』
こういう意味の質問なら、自分は日本で一番明確に答えられるだろう。
「その神道、その看板は、こうして作られたんだよ。」と。
では、その答えは次回に。
その前に、宗教という商売の「看板」は、簡単に塗りなおされるという話を。
実は、これは以前に説明したことそのまんまである。
では、「宗教という看板を掲げた詐欺師のお店」と説明するのが一番わかりやすいのを、過去の説明から。
過去に説明したとおり、「スピリチュアルはキリスト教から生まれた(塗りなおした看板)」わけである。
弁神論(世界中のものを神様が作ったのなら、悪も作ったのはなんで?)という、神(創造神)にも答えられない質問から逃げるために、スピリチュアルは生まれたわけです。
「神という単語を隠す」というために、そして神という具体的なものではなく「目に見えない何かを信じる」という、とんでもなく都合のいいものを作り上げるためにね。
あと、聖書原理主義のような「個人の解釈で暴走する行為から逃げる」ために、「キリスト教・改」で、スピリチュアルは出来上がったんだと。
だから、神智学協会がもとの出所であり、間違いなくブラバッキー夫人、エドガー・ケイシー、スウェデンボルグ、それらは全て、キリスト教がもとであると。
看板、「塗りなおした」の意味がわかるよね?
スピリチュアルという商品についての説明、「目に見えないもの」「アストラルパワー」やら、「パワースポット」やらを考えていては、看板として重要な部分「キリスト教と同じ物」という部分は、見えてこない。
キリスト教とは、大昔からのできそこないの宗教なわけで、それを何とかしようとした考え方、「神学とかで神の存在自体が邪魔だった」、「聖書原理主義のような凶暴解釈から回避する必要性があった」、「観測できない目に見えないもの=正しいという洗脳だけのほうが便利」などの、仮面を売る上での理由「だけ」が、そこにあるわけ。
つまり、その部分、「なぜ看板が塗り替えられたのか?」、この部分のほうが大事なわけ。というか、それ以外は必要ない。
神道似ついての質問と同じ事で、「スピリチュアルという看板は何ですか?」という質問なら、「このような理由でできました」、そう簡単に伝えることが出来ます。
しかし、ありもしない商品の中身、「アストラルパワーってなんですか?」
と聞かれても、困るわけです。
スピリチュアルの人達が信じてる目に見えない力らしいです。前存在物質とかなんとか。
セフィロトの木の構成要素からもきてるんだが、スピリチュアルは東方ミトラの一番の影響を受けているのでアフラ・マズダがアーリマンの戦いに敗れたことで生まれた光の粒子あたりが、その元ネタになる・・・
って、永遠に目に見えることはないんだから、わかるわけない、そんなのを考える必要さえないだろ!と。
どうでもいいでしょ?
あるかどうかも永遠にわからない物質、「それらを逆手にとって価値観を形成する」という「塗り替えられた理由」のほうが重要なわけですから。
つまり、宗教を批判し、ちゃんと歴史を理解する上で大事なのは、「伝統を守る和菓子屋」なんぞよりも簡単に、宗教というものは看板がすけかえられるということ。
この場合、キリスト教がスピリチュアルに変わったようにね。
天台宗という日本の国教が、国家神道に変わったようにね。
実は日本の和菓子業界とかは、これから理解する神道詐欺とかとリンクしている。本家偽赤福や阿闍梨餅とかでわかるように。
でも、それ以上に、宗教自体の看板が、いとも簡単に塗り替えられるのだ。”
神という字を書いてみよう その1【20120212】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/12/1064
“神という字が、普通の神様の意味、創造神として使うようになったのは「明治以降」である。
まあ、自分も最初、聞いたときは信じられなかったけどね。
「愛という言葉」ができたのと同じく、キリスト教を中国語の聖書へと訳す際に、出来上がった言葉である。当てた字である。
それが、神という言葉なんだよ。
そう神様なんて、薄っぺらな詐欺のために出来上がった言葉である。
最初は信じられなかった自分が、そう確信を持った理由を箇条書きにして説明しよう。
・神という漢字
・神という字を日本の漢字の先生中国ではどう扱っていたか?
・昔、神という字を使った創造神を否定する決定的な単語
さて、では、まず神という字を、広告の裏にでも書いてみてほしい。
漢字、これは象形文字である。
つまり、漢字は絵のようになっていて、字体がどうなってるかが、その字そのものの意味へと繋がっているのである。
神というのは『示申』と書く。旧書体で「しめすへん+申」
この「しめすへん」というのは、祭壇を絵にした文字であるわけ。
もっと明確に説明しよう。
神社の儀式だけでなく、鏡餅やら、お月見の団子を置くとかで使われる、あの木で出来た台だよ。そう、白木でできた白いヒラヒラがついたアレ。
「〒」これが木で出来たやつで、その横の転々が白いヒラヒラね。
そして決定的なのは右側、「申」である。これはカミナリを意味する。
田んぼに落ちるカミナリね。
つまり、神という文字は、「祭壇と雷が落ちる図」という絵を、簡易化した象形文字である。
ユダヤ教やキリスト教で、YHWH、それとかエホバ(間違ってるけど)、イスラム教ではアラー(al+rar・冠詞とあのラーね)。
エジプトではラー(太陽)であり、一神教的な言い方であっても、アトン(aton)とかアモン(amon)とかである。
これは「あ」から「ん」まで、最初の文字から最後の文字という意味である。
創造神である神をあらわす際に、最初から最後の文字の全てで表すという敬意的な表現になる。
これは、阿吽(あうん)として、仁王像などのように日本、中国にも伝わってきた。
神様という物に対しての呼び名は難しい。
世界を作ったという偉業の象徴の為に、彼らの呼び名、文字は、どの宗教でも威厳のある表現方法が必要なわけだからね。
だから神聖4文字YHWHとか、みだりに神の名を呼んではならないとか。
で、だ。
チョイマテ。日本の神ってどういうことだと。
世界を作った創造神である「神」よりも先に、木で出来た祭壇の箱があるわけで、神様より「木工師」のほうが先に誕生していたのか?と。
それに、そもそも世界中にある最も起源的な宗教、その全ては「太陽崇拝」である。
「白人ではないんだから」、カミナリなんてものを創造神として崇めるなんて事自体が、そもそもおかしい。
有色人種である日本人はもちろん太陽崇拝のはずで、アマテラス(天照)という神道もそのはずだよね。
つまり、これキリスト教改という白人の神、ゼウスだろ!と。
ここだけでも聖書からきたと聞いて納得してしまうが、ちゃんと最後に納得してくれ。
では、長くなったので、次回に分けよう。
そもそも日本では、八百万の「神」という表現があることでごまかされているが、道祖神やら氏神、氏(うじ)という祖先が「神になる」というのもおかしいし、創造神としての意味で「神」という文字を使うのなら、おかしすぎる表現が多数ありすぎる。
その決定的な物を紹介したいと思う。
神という字は、あの、今も使われてるような形の祭壇であることでもわかるとおり、中国でも大昔からある字ではなく、後から作られた類の文字だろう。
というわけで、箇条書きの次の項目「中国の用法」などなどに続く。”
神という字を書いてみよう その2【20120213】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/13/1069
“明治以前にできたもので「神」という文字がちゃんと「世界の全てを作った創造神」の意味で使われたものがあるのか?
むしろ、そんな文字は別にある。
そして、それは日本人なら誰でも知っている。
その漢字こそが「天」である。
漢字として「人」、もしくは「大」という人間を表すもの、で、その世界の全てをおおう=支配して、その上にいるという意味で線を追加し、世界全体を指す。
それが「天」という象形文字、そういう絵なの。
人の上、空にいて全てを支配しますよ「お天道さまが見てますよ」ってあれね。
スケールが全然違う。
ここらは中国でも共通の話。
古くからの毘沙門天とかのあれ、「天」という文字自体が神様なんだよ。
天そのものがね。
日本の仏教が大乗仏教、生まれ変わりの思想になったのは、インド宗教バラモンからであり、ヒンズー教のもととなった宗教からの影響である。
バラモンの神やヒンズーのシヴァ神のような創造神、それらが輸入されたはずなのに、「神」という字はが当てられた名詞は存在するのか?していないのである。
シヴァ=「大自在天」、インドラ神の「帝釈天」、全部「天」なのである。
そういうわけで、「おかしいでしょ?」と言っているわけ。
そして、もちろん昔の中国でも「創造神として神」という意味でこの文字、「神」が使われることはない。
神という文字の本来の意味を説明する前に、中国の神という字のことを簡単に説明しよう。
中国でも昔から神仙(仙人)という文字もあるが、これは本来の意味に繋がるので、のちほど。
で、神が創造神ではないというのを理解するのに、面白い事例がある。
中国では「神」という文字を使って、名前がわからない人間をたずねるとき「これは誰?」という意味で、この「神」を当てます。
英語でいう「WHO」みたいな使い方なわけね。
顔がわかって名前がわからないようなときに、当てる漢字だそうだ。
創造神の意味があるなら、こんな使い方は絶対にしないわけで。
乱暴な使い方だと、「廊下にコーヒーこぼした神はどいつだ?」とかになるわけね。
では、神という文字の本来の意味を知る段階へ進む。
さてその前に、疑問が確信に変わりつつあるところで、決定的な話をしようと思う。
その神という、本来の使い方をあらわす言葉こそが「神無月」である。
そもそも「神無月」とは凄い月の呼び名である。
ユダヤ教のエッセネ派、キリスト教原理主義の黙示録、インド密教あたりの終末論。
これら世界中のどんな宗教の終末論とも比較しても、1年に一ヶ月も「神様がいなくなる」なんて、こんなふざけた話は、どこにも存在しない。
いなくなりすぎだろ、と。
日本だけである。
1年に1月もいなくなるのなら、「神を崇拝しろ」というのも馬鹿馬鹿しくなるし、終末=危機感をあおるという宗教の本質の部分においてでも欠陥になるからである。
神無月とは、 旧暦一○月の異称である。
「出雲に八百万の神様が集まるから、神無月」という、馬鹿げた話もあるが、一ヶ月も放置してくれる神様を崇めたくなるかぐらいは、考えたほうがいいだろう。
だから出雲では神有月である、こんな嘘が半分通ってしまっている。
それに旧暦10月、それは現在の11月であり、秋の収穫祭とは少しずれるが、冬ごもり前の「祭りなどのお祈りのシーズン」でもある。
そんなときに神様がいないなんて、ふざけたことがあるのかと、つまり、こんな呼び名がありえるのかと。
ならば、「なぜ神無月という呼び名があるのか?」それが答えでもある。
ね、神は創造神をさすのではない。
ちゃんと説明しよう。
では、まず神無月というものが何であるのかと。
神無月、これは出雲なんて馬鹿は関係なく、「神鳴」がないシーズン、よって神無月なんだよと。これが、神という言葉の本当の意味を、ちゃんと説明してくれている。
神鳴=カミナリ=雷だよ。
それがない穏やかな月という意味での神無月。
あなたは、もう神というものが見えるはずである。
神という文字は「示」祭壇に、「申」カミナリが落ちるという文字である。
カミナリそのものをさす字ともいえる。
そして、そこから生まれた神という漢字の別の意味、それさえも「神秘的なことが起きる」という形容詞に過ぎない。アーリアと同じくね。 お祈りをしたら、カミナリが落ちたってね。そこから転じて「神秘的」になったと。
中国での神仙、日本での神楽、すべてこのお祈り、祭壇そのものをあらわすか、もしくは「神秘的なもの」を指す言葉に過ぎない。「どんど」=道祖神とかもね。
だから、スピリチュアル的にいうのなら「目に見えないもの」的な意味が、本来の神という漢字のもつ意味であり、用法である。
よって、そこから転じて、「雷=イカヅチ=こっちはもともと光 (視覚のほうの漢字)」&「 神鳴=カミナリ=神秘的な音」という、カミナリになったわけ。
目に見えない何かの力で、音がなったり、木が割れたりとかね。
で、中国では「誰かわからない人」に、「目に見えないもの」的な用法で、神の字をあてて使う用法が残っているわけ。
で、それ以外の「神秘的という形容詞」、読んで字のごとく、神仙=神秘的な仙人という意味もあるわけね。
創造神=神様ではなく、神とはもともと、目に見えない不思議な力、そこから転じたカミナリという神秘の力だけをさす言葉である。
本来の意味ではないそれを、聖書を訳す際に、白人の神ゼウスを崇めるキリスト教徒が嬉々として喜んで「創造した」、それが、今の世の中、日本にある「神」なんだと。
外来の「創造神」を崇めろとしたかったために、もとからあった「天」とかの言葉ではなく、創造した、でっち上げた物なんだよ。 本格的に、神=創造神が確立したのは、明治以降で間違いはない。
キリスト教の輸入時、鉄砲伝来の16世紀に「神」が使われたかは、ドチリナキリスタン(岩波文庫)あたりで、調べてみるけどね。
さて「祭壇」や「神秘的なもの」、それと明治以降に作られた、世界の全てを作ったという創造神「神様としての神」、それは全然違う。
ほら、「神道」とかの意味も、もう一度考えてみて欲しい。
「天皇と創造神を重ね合わせる」という行為のための、詐欺師の看板である。
その看板の一番大事なところであるはずの、「神様」はいないのである。
そう、これは国家神道というものがキリスト教を作り直した物でしかない証明でもあり、巷にある創造神の意味になる神は、全部でっちあげである。
うすっぺらいという意味がわかったかな?
神なんていない。
神を殺す。これはグノーシス的な帰結である。
創造神を否定することで、自分自身だけが正しいと導かれてしまいそうな話になるが、それは違う。
殺す以前に、その存在を表す記号からして、まがい物なんだからね。
そんな物は必要ないというだけ。
そして自分の力を過信してるようなこともないよ。皆もよろしく。
ただ、グノーシス以前に、正しいことは何かという規範という物、それは結局、自分自身だけで決めるべき物だとは思うけどね。”
漢訳聖書 神が輸入された時期その1【20120214】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/14/1072
“キリスト教の伝来した当初から、江戸後期まで、キリスト教の創造神を「神」と訳した文献などは一切存在しない。
ヒンズーやインドラの創造神を輸入した日本の仏教会、同じく中国、及び漢文の世界にも、創造神という意味で神が出てくることはない。
「ある特定の分野のなかだけで、神というのがあった」と主張されているだけである。
ここらへんの話は、岩波新書「長崎版どちりなきりしたん」の著者、海老沢有道の本が参考になる。
日本の聖書~聖書和訳の歴史~
海老沢有道
isbn4-06-158906-7
本に書かれている海老沢有道の経歴を軽く紹介。
1910年兵庫県生まれ 聖心女子大学、立教大学を経て、国際基督教大学大学教授を定年退職・・・。
聖心女子大学=皇室系カトリック学校、聖公会系の立教大学、で同じくブリッジチャーチのポジションであるJロックフェラーでおなじみ、ユニテリアンちっくな国際基督教大学ですか。
キリスト教という世界支配のための一番どでかいツールの手先、その、これ以上ないほどの経歴を持つ馬鹿大学の教授が、「神はキリスト教のものだ」という主張、その具体的な経緯、「日本の聖書がどう出来上がったか?」を紹介した本である。
その中で、「神という言葉がいつ頃から使われはじめた」と記してあるわけね。
キリスト教によって出来あがった捏造神話の「神道」の都合を無視してね。
かわいそうに。
今でさえ、「神」という単語で、真っ先にキリスト教を連想するが、キリスト教は江戸後期まで日本と中国の両方で「天主教」と呼ばれていて、神なんて物は「一切」出てこない。
16世紀、キリスト教の伝来とともに、火薬の代金として、キリスト教徒が日本人の女性を性奴隷としてせっせと輸出してた頃。 その当時、ちゃんとした聖書というものはない。
ヤジロウ訳と言われる私的ノートのような注釈文のようなもの、それ以外では宣教師、つまり外国人による簡単な訳でしかない。
そして、その中で参考になる一番の物は、当時のキリスト教の教理を伝える際のまとめ、教義書のような物、ドチリナ・キリシタンである。
ぜ~んぶ、神なんて創造神は出てこない。
これらが、今でいう「神」の部分をどう訳したか具体的に箇条書きしよう。
御主ぜす、きりしと(おんあるじゼズ)(※ドチリナ・キリシタン)
デウス(Deus:ラテン語=ヘブライ語のエロヒム)
(※宣教師や初期の布教では、そのまま単語は原語のままデウスとして使った)、
他には、天帝、天尊、天道などがあり、「天主」←これが江戸時代ごろまでの主軸。
1801年山村昌長「西洋雑記」、これは、そのまま「創造主」。
あと、ヤジロウは真言宗的な「大日」という言葉を使ったともいわれている。
ヤジロウ、日本人ではない宣教師、どれもまともな訳と言える段階ではない。
そして、これはその後キリシタン狩り、宣教禁止が行われたことで、江戸時代の鎖国後の19世紀になるまで、今のような日本語に訳された聖書というものは「基本的には存在しない」という状況が続くわけ。
そういう、ちゃんとした聖書なんてものはない状況だが、逆に、統一されずに、秘密裏に広がった分、レパートリーは多い。
しかし、ドチリナ・キリシタン、宣教師の資料、キリスト者による出版履歴、それ以外の多くの文献、幕府のキリシタン弾圧の中の禁書の項目など、このまとまりのない多数の物。
その中に、創造主を「神」とあてた例は、調べた限り一切、出てこない。
愛という単語と同じくね。
では、聖書の創造主が神として最初に出てくるのは、いつなのか?
海老沢有道の記す、聖書の歴史から紐解こう。
それは先述の通り、漢訳聖書からである。
基準として考えるべきなのは、1823年のマラッカで出版された神天聖書である。
厳密にはこれが最初ではなく、そのもとなったのは1813年、広東で出版された「新遺詔書」であり、出版物として「創造主=神」となったのは、これが最初である。
この漢訳聖書の作成のきっかけになったのが、パリ外国宣教会のパゼJean Bassettという人物の迫害下の中で記されたヘブル書第一章までの写本、「四史修編しししゅうへん」(18世紀1700年代の初頭)、これが「神」と訳された最初である。
これは、出版物ではないし、日本に輸入されることは絶対になかったため、いつ「創造神=神」が日本に入ってきたか?を考える際では除外していいだろう。
説明しておかなければならないのは、そもそも「神」と訳したのは、新教徒プロテスタントであり、江戸の頃にはカトリックでは天主と統一されていた。
そして、東アジア方面でプロテスタントの宣教は18世紀当時では、まだ始まっていない。よって神という単語での布教もない。そんな状況下で、新約を一部分だけ訳した人がいたという程度の偶然の産物的な話である。
そういうわけで、ここで重要になる聖書、「神=創造主」の始まった時代の基準となる「新遺詔書」「神天聖書」も、もちろん新約聖書である。
つまり、1813年以降である。
この聖書の漢訳を命令したのは、英国の1804年に出来たイギリス聖書教会である。
清に宣教すべきという意志をもっていた、当時若干22歳の牧師ロバート・モリソンという人物が、大英図書館で、偶然の産物「四史修編」を発見し、聖書教会の命令を受け、スコットランド長老議会で洗礼を受け、アメリカ→東インド会社の通訳という経歴を経た後、出来上がったのが、アジア圏での最初の聖書、「新遺詔書」と「神天聖書」である。
モリソンは、当時の日本の知識人が漢文も読めることに注目し、日本でも活用できるだろうという意思も持ちながら、これらの漢訳聖書を製作した。
そして、日本に最初に神が輸入されたのは、1813年の「新遺詔書」である。
海老沢有道は、この本の中で、1818年の英国商船長ゴードンが2部の新約聖書を浦賀で、1832年に琉球などで聖書が配られたことなどを紹介している。
さて、日本の聖書~聖書和訳の歴史~に記載されていることについては、これぐらいでいいだろう。
大事なことはここではない。
「とある分野の人達」を除いて、この漢訳聖書が出来るまでに「創造神=神というものが日本にいた」という記述、歴史書は、どこにもないということ。
歴史上、創造神=神なんてあてたものは、「あるジャンルを除外する」と、インドの創造神を輸入した仏教でも、漢文つながりで同じく中国でもないわけね。
さて、どこからともなく「創造神=神」が日本にいたと主張し、それが、恐ろしいほどの偶然で、キリスト教徒と同じ「神という単語」で物事を言い始めた時期と重なるという、不思議な「あるジャンルの人達」について説明しよう。
それが「神道」である。
では続く。”
漢訳聖書 神が輸入された時期その2【20120215】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/15/1074
“天照大神というのは、ただの漢文であって、『「天照」の「大いなる」「神秘的な力」が地上に降臨して~~をしましたよ』という漢文に過ぎない。
こういう反論をしそうな神道馬鹿は、日本に仏教が伝来したとき、「蕃神」、「客神」、「仏神」などと当てて、なぞらえた呼び方をしたと主張する。
「外の国の神」という意味でね。
それなのに、天主に統一される前、神という一神教、カトリックの歴史で「神」という字が日本で当てられた事例はあるのか?、一切ないわけである。
インドの創造神を輸入した大昔からある国教である仏教、そこで創造神として神を当てた事例は?
これもない。
以前、説明したように、中国では、代名詞のようにこの「神」単語を使って、英語の「WHO」のように、名前のわからない誰かに当てて使う用法がある。
起源は一緒で、それに準じる漢文もしかりで、だから日本書記などの神、創造神として「天照」などのことをあらわす時は、神名を必ず記す。(実際は、神ではなく不思議な力だけどね。)
そりゃあたりまえである。単独で「神」だけを使ったら「WHO=名無しさん」のままになっちゃうからね。
だから、中国の宗教観の中や、日本の仏教界にも、創造神という神という言葉が、キリスト教が漢訳した以前に存在していたのなら、中国でも日本の神名のように、毘沙門天でなく、「毘沙門神」みたいな、「神という字と名前がセットなもの」という、その物ずばりの神様がいるはずである。
中国の書経とかにね。
一切ない。
日本の「神道」「国学」にあたる部分の分野を除いて、一切、神なんて創造主は出てこない。
神が違う意味の文字、「神秘的な力(カミナリ)」、もしくは「祭壇」とだけを意味したのではないかという事例はいくらでも出てくる。
中国では「神」という単語にはカミナリから転じて「たたり」、そして「精神」という意味もあり、そのものズバリが必要なわけ。
日本で言うなら、前回の神無月のように別の意味しかない。
氏神、自分の祖先を神(創造神)となってしまう宗教は、世界的に見ても奇妙であるわけで、キリストやマホメットなどの預言者でもなく神そのものに誰でもなれるのかよと。
死んだ爺さんはヘラクレスだったのじゃ!!
そうじゃなく、これも「神秘的な恩恵」としての神でしょ?
あと、キリスト教を「天主」教と名づける日本人が、単なる祈祷師を、神主(かんぬし・神功紀など)と呼ぶのか?と。「祭壇+主」だろと。
中国の春秋左氏伝に「神主」という表現はあるが。これも創造神ではなく神名もない。
それに天照なんて言ってるが、じゃあ何で神は、ゼウスの化身=雷の字なんだよと。
全部、神秘的な力などの読み方で意味が通るぞと。
先に結論から言うが、キリスト教が創造神=神としたのと、神道が出来上がった時期は完全に重なる。
そして、神道を作った奴はキリスト教徒である。では続けよう。
この漢訳聖書ができあがったころ、その一部が江戸にも入ってきた。
そうしたら、恐ろしいほどの偶然で、アジア圏でキリスト教徒が神という創造神の単語を使い始めたのと同時に、「日本を作った創造神=神」という国学思想、神道がうまれて、それが幕府を倒し、明治維新後に「国教」となったのである。
そして説明の最重要な部分に入ろう。
この神道を作り上げた国学者の平田篤胤(ひらたあつたね)は、キリスト教徒である。
キリスト教を禁止されてた当時に、明らかに天主教(カトリック)に影響をうけた本を書いた人物であるから、キリスト教徒で間違いないのである。
その本の題名が、1808年の「本教外篇」、副題「本教自鞭策」である。
こいつのことを語る上で、国家神道の元となった国学について少し、話をしよう。
本居宣長ぐらいは知ってるかな?
こいつも聖書っぽいもの(当時の天主教の禁書ね)を読んでた奴ですよ。
国学とは、古事記・日本書紀・万葉集などの古典の、文献学的研究に基づいて、儒教や仏教が渡来する以前の日本の固有の文化や精神を明らかにしようとする学問。であるらしい。
この国学の学者、荷田春満(1669~1736)、賀茂真淵(1697~1769)、本居宣長(1730~1801)、そして平田篤胤という、おわゆる「国学の四大人」と呼ばれる人間により、国家神道が出来上がった。
平田篤胤(1776~1843)(明治維新が1867年)
四大人、4人の学者。こいつ、平田が一番後期の人。
この人物が、会ったこともない本居宣長の弟子と自称し、「彼らはこう言っていた」という文字通りの吹聴する行為で、尊皇攘夷の神道思想を作り上げ、それが国家神道の元となった。
その中で、「創造神=神」が、使われるようになったわけである。
「本居宣長も、その神は・・・である、と言ってたよ」とかね。
仏教伝来する以前が本来の日本というのが国学でもわかるとおり、こいつが神代という時代、神武天皇以前の神々の時代=日本固有の文化があると言い放ったわけ。
「蕃神」とかは、そのときを正当化する嘘。
平田が、嘘を吹聴ばかりする行為だったのは証明されている。
その神武天皇以前の時代に神代文字、漢字が伝わる以前から日本固有の文字があったと主張して、それがハングルを元にした自作自演の文字だったという、捏造がばれちゃった人物だからね。【20101126】
ハングル、神道右翼は出来上がる前から、在日右翼ですよと。
この平田が、国家神道の基本、日本固有→神道に繋がる、国学を作った(想像しちゃった)奴である。
で、この平田、キリスト教徒であるわけ。
1808年のカトリック系の天主教(キリスト教)の本教外篇。
で、日本に漢訳聖書がこっそり輸入されてくるのが、1820年代、こいつが国学を作るためにやってた時期。
キリスト教徒ってだけでなく、平田は、このように国学を作った張本人、神道関係のストーリーの創作、その出版もするわけですが、その神道関係の本を出すのは、すべて「本教外篇の後」だよ。
つまり、キリスト教の本を書いたのが最初。
で、なぜか国学、神道の本を出版するようになったわけ。
それが神道の始まり、歴史上表に出てきた最初の時期とも言える話。
さらに、それは「キリスト教が創造神=神を使うようになったタイミングと完全に一致している」わけ。
で、その出来上がった神道も、その後の明治維新で国家神道でわかるとおり、キリスト教の教義、日本の創造主である神武天皇、天照大神、明治天皇で三位一体をなすという全く同じ形態で作られてるから、笑うしかないよね。
本教=キリスト教=大本教=神道。
ほら出口王仁三郎の大本が神道はキリスト教に至る道スジであると言った意味もわかるでしょ?
神道とはキリスト教徒が、日本人を騙すために作った捏造神話である。
多くのキリスト教徒が、聖書のGODに神という字を当てたのは我々だと、開き直ってるし、所詮、彼らの手下に過ぎない神道の奴らも、一部はそれを認めてるんだから、バレバレでる。
で、どこまでいっても国家神道=神道だし。
神道=「日本の創造主=神」で、天皇とそこを重ね合わせるための思想である以上、創造主という単語がキリスト教から来たというのなら、整合性が取れるわけないのである。
上位であるキリスト教徒が「日本の神道の神から聖書の訳に持ってきた」とでも言ってくれないかぎりね。
でも残念、日本とは関係ない中国、清で漢訳した聖書がもとですからね。
当時、ドマイナーな神道があったとしても(ないけど)、それを海の向こうで知るわけないだろ?ってこと。
さて、俺のような大学教授などの公的な肩書きを持たない、単なる個人の話でしかないものを、信じる信じないは、個人の自由でかまわない。
でもね、日本の国家神道の元、こいつら国学者も、当時の政府機関に一切関係ない「単なる民間人」の思想なんですけど。
そっちの都合のいい物だけ信じるなよ、と。
国学とは名前ばかり大きくて、単なる個人である。
今のように、ネットどころか、図書館、それ以前に出版をまとめた学会もなければ、教育制度もないんですけど。
そんな中で政府とは関係ない民間人の個人の想像をもとに、日本古来の文化として国家神道という物が生まれるわけ。
摩訶不思議で奇天烈なお話だと思わないかい?
しかも前科一犯の捏造をやった人物の思想をもとにね。そっちは信じると?
で、その国家神道の主格であるはずの天皇の正式な行事、伝統を守ってきたところは、廃仏毀釈で、ことごとく潰され、あるいは真言宗などに改宗されるわけ。
当時仏教徒だった天皇の仏事を、江戸時代までやっていた天台宗系の黒戸の四箇院、天皇の菩提寺、泉涌寺とかの話ね。
それをやったのが、その天皇を神と崇める神道という宗教なんだから、奇天烈どころか、どんなふざけたアメリカンジョークの設定よりも「ありえない」と断定できるよ。
その「ありえないことが実際に行われた」、その理由こそが、「神道はキリスト教だった」という至極簡単な理由。ただそれだけ。
日本の右翼、神社本庁と統一教会(新教徒=プロテスタント)今の現実とも完全にリンクしてる話でもある。
日本史の教授やら、日本思想体系だかなんだか偉そうなことを研究してる人らは、こんな民間人の疑問に答えられるのかな?
だから神道なんて宗教はないよ。
神道の全てはでっちあげの看板である。
鎌倉幕府の鶴岡天満宮?
明治になってすぐ、コソコソと仏塔を壊して隠蔽するようなとこが神社?笑わせるなよ。
看板を作り変えただけ。
吉田神道?家康を埋葬した形式が、卜部神道(吉田神道)だというのなら、天台宗の僧、日光東照宮の天海も神道家なんだね?で、その仏教や中国で神の文字がつく創造神は?
吉田兼倶より以前、吉田神道は昔からあったけど、その吉田氏にあたる徒然草の作者、吉田兼好は出家=仏門に入った人間です?やめて、腹がねじれる!!藤原氏が春日神社?仏教とともに歩んできた藤原氏がなんで神社なの?おいおい?
ぜーんぶ、詐欺師の看板である。
さ~、そこらへんの話に進もうか。
伊勢や出雲、宇佐などの海崇拝の社が、神道という看板をつけた流れのこと、天台宗系がこの神道の軍門に下ったこと、その見返り。東照宮などの徳川と神道。富士崇拝、浅間神社。富士派と創価学会。
ちゃんと種類分けして説明してあげよう。
まかしとけ!!
ちなみに、フルベッキの写真で有名な、あのフルベッキも聖書の翻訳をしている人物でもあります。
辞書を引けばわかるけど、「神道」という単語は、「墓場へ行く道」という意味があります。”
神という嘘を守る者【20120320】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/03/20/1087
“天というのがつく唯一の漢字。
「蚕」かいこ
もとは「蠶」サン(表示されるかな?)という難しい文字だったが、唐の時代から「蚕」が当て字として使われるようになった。
蚕(飼い蚕)は、紀元前15世紀、つまり漢字より前の時代、殷の時代から、中国で大事に育てられてきた。
まさに天から授かった虫である。よってこの字が当てられたんだね。
しかし、もっと昔、もともとの「蚕」の意味は、「ミミズ」である。
(漢和辞典なら、このことが結構のってる)
天上天下唯我独尊、「天と他の物を並ぶことはさせない」
これが漢字、中国の創造神というものにたいしての敬意的な表現手法である。
だから、天という部首はないし、他の部首とも繋がるのが基本的にない。
ミミズ、後にカイコだけが天という文字をつけることが許された。
土の中のミミズを尊敬の念を抱くように、昔の中国人、そして日本人の起源は農耕民族である。
これを知ると、今の創造神、「神」という漢字のこと、創造神に木工師がでてくること、カミナリを創造神とすること、それらはおかしいよ、という主張にも納得できるでしょ?
太陽崇拝であるべきという意味もね。
紫外線に弱かったために迫害された白人以外では、カミナリ=ゼウスなんぞを神にするか!って話でもある。
さて、では答え合わせがすんだところで。
何の話をするかな?
神という字がおかしいこと → 神道というものがおかしいこと
ここらの話はこれを説明するための物である。
宗教とは薄っぺらい詐欺師の看板であり、神道という看板を掲げてるのは多岐にわたる。
対立するはずの仏教、神道のもととなったキリスト教、そのまんまのプロテスタント臭い神社勢力、南朝天皇に任命される政治屋、国学者、それにくっつく評論家や今のマスコミ、教育制度まで。
全部が協力して、「神という字の嘘」をばれないように守っているわけである。
「今現在も」ね。
「神道は天皇すり替えのために出来た看板」なら、どれもこれも協力者であるというのは、簡単にわかることだよね。
こういう協力関係なわけで、神道とは別ジャンルだと勘違いしてしまっていたら、嘘にごまかされてしまうわけ。
「神道と関係ないこの人達も神はこうだと言ってる」
「日本に漢訳聖書以前に神はいたと、この人も言ってる」「こんな資料がある」
こういう主張という嘘にね。
たいていは、そういう主張する人、その資料のもととなる人間も神道家だよ。
だから、神道という簡単に塗り替えられる看板、日本の歴史を通しての簡単な全体像を話す必要があったわけです。
そして「聖徳太子は神道家だった」という嘘のための偽書(捏造資料)、先代旧事本紀(旧事紀)みたいなものも、実は多数ありまくりなわけ。
これも偽物ってばれてても、作られた年代などが嘘のまま=大昔に作られたよという主張のままになってる。物部氏の創作品。
江戸末期以前、その時代には神も神道もないのにね。
今の社会は、嘘と神道家ばかりなのです。
では、そこらへんに関連した問題を、もう一つだしますか。答えは早押し!!
さあ、いつわかるかな?
次の人物を答えなさい。
では問題、ジャジャン♪
「今、話題のハッピー左翼系評論家と言えば?!!」
1 佐賀藩と関係
2 天皇へ聖書を手渡した最初の人物
3 キリスト教、ユニテリアンの正統なる日本の伝道師
4 国学者 枝吉南濠の子孫
5 メーソン上海ロッジVIPの末裔
6 征韓論
7 五箇条のご誓文、政体書の草案
8 「私は、私の読者を尊敬している!!」
正解は、「副島隆彦」でした。
いくつの番号ぐらいでわかったかな?
副島隆彦の祖先である、副島種臣は、知ってのとおり、すり替えられた南朝天皇のための政体書を創案した人物であり、征韓論に負けて下野したと言われている。
そして、その息子だか孫だかが、上海ロッジのVIPだったのは過去記事で書いたね。
ここらへんは知ってないと赤点です。
それだけでなく、国学者である枝吉南濠の子が副島種臣なわけ。
何度でも言おう。国学=キリスト教学であると。
さらに、佐賀藩と言うのも重要である。
江戸末期、カトリックの聖地である長崎の警備を管轄していたのが、この佐賀藩である。
フルベッキの宣教の本拠地が長崎であり、佐賀藩の家老、村田若狭守政矩、弟である三左衛門綾部、本野周蔵らは、江戸末期の禁教化の中で、洗礼を受けているわけ。
藩のお偉方がね。で、それが幕府にばれても、佐賀藩主の鍋島直正、鍋島直大の歴代藩主は、キリスト者を守り隠蔽にも荷担している。
事実、洗礼した彼らは処罰されず、隠居しただけである。
それが佐賀藩である。
副島種臣はその佐賀藩から南朝天皇の側近になった男。
さらに追加しよう。
1872年、明治5年の9月、それはアメリカ公使デ・ロングから天皇へと聖書が(ヘボン・ブラウン訳聖書)初めて手に渡った瞬間である。
この舞台をセッティングしたのが、当時の外務卿である副島種臣であり、彼が受け取り、「彼から天皇に手渡された」わけである。
神道というものを作り上げ「騙して征服したぞ」という宣言。
今まで禁じられていたキリスト教が、事実上の日本の国教となった瞬間である。
ここらは日本の聖書~聖書和訳の歴史~という以前紹介した本の中で、キリスト者が嬉々として「佐賀藩はキリスト教を守った~&聖書が天皇にわたった、嬉しいね」と書いているよ。”
神道の話 補足【20120506】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/05/06/1124
“創造神という神が輸入されたのは、明治以降であるという話。
この根拠として、「江戸末期以前の漢文には、神という創造神はなかった」というのがあり、このことは「神を使い始めた人物」、本人が認めてしまっているのである。
そう、それこそが「神道」という言葉を作った張本人でもある平田篤胤(ひらたあつたね)である。
以前の記事で平田のすべての出版物は、1808年の「本教外篇」、つまり本教=キリスト教から始まっていると説明した。
話を短くするために端折ったが、ここに補足しなければならないことがある。
可妄書(1803年)
新鬼神論(1805年)
この2冊というのを平田は「書いた」ことになっている。
ええ~1808年より前ジャン!!!、まあ、待たれい。説明しよう。
この「平田=神道を作り上げたキリスト教の筆頭」のWIKIでも見ると、この本のことは出てるので、誰でも、すぐ気づくので質問があるかな?と思ったが、なかった・・・でも説明する。
この2つの作品は、1808年の平田の最初の出版作品、禁じられたキリスト教の本、テロリストの本「本教外篇」のあとだよ。
一般的に平田の処女作と言われる可妄書(1803年)は、本居宣長に出会った年(1803年)に、草稿した(下書きで出来てあった)と、主張してるが、実際に出版をしたのは1820年である。
その1803年「会ったことのない師匠!!本居宣長の存在を平田が知った年」→寝ないで書き上げた。だから1803年。
そうなってるわけね。
「不眠不休で書き上げた」なんて、わざとらしい形容詞がついてるからこそ、逆に俺のアンテナが反応してしまうが、まあ「神という存在」を出来る限り「昔から存在していたよ」としたいために、年代をごまかしてるわけね。
でも、本居宣長を1803年以前の平田は知らなかったわけで、それ以上は遡れなかった。
1803年→不眠不休→すぐ書き上げた。
実際の出版は1820年です。
まあ、簡単な話です。
おっと、年代をすり替えた意味を考える上で、推測の部分が多くなってしまう話なので、この程度で。
では、この作品の中身について、説明しよう。
可妄書(1803年・出版は1820年) 平田篤胤
・儒家のいう神道とは、「道の体をあやし(神妙)」とほめている形容詞でしかないもの(145項)を、無理やり神道としている。
「儒家=儒教」その中の「神道」という文字が出てきたとき。
「神秘的な道ですよ」の形容詞そのままなわけですが、それを「神道=創造神とのつながり」と誤解したまま、突っ走っている。
少し出てきた儒教=儒家。
当時の神道というものを、「あやしの道=神秘的な道」で使われていたのは間違いない。
江戸初期の儒教のことを、「儒家神道」なんて呼び名になっている。
「神道」というジャンルがあったかのようにあたりまえに振舞う。
林羅山とか、吉川神道(毛利の親戚)もこれ、儒家神道だよね。ただ、アンチ仏教の部分があったってだけ。
「神道=創造神と重ねる」なんて、もともとない。神道という言葉が出来たのが、こんな強引過ぎる平田からなんだよ。
そして、ここで平田は、古事記伝を見ろとしている
可妄書の142項で神道議論もしている。
「神はこういうもんだ」→「古事記伝を見ろ」
としてるわけね。ソースは古事記伝だと。
この可妄書の中には神道議論がある。昔、「1803年」のこの本ですでに、キリスト教の侵略以前から神道があったとしようとしてる部分もあるわけね。これも年代偽装の意味。実際は、これも1820年以降ですから。
で言われたとおりに、古事記伝を見ると、本居宣長は125項で5つの神をあげている。(ちなみに梵語の音声当て字は、神=迦微らしい)
神は5つあるよ、ということで具体的に本居が上げたのはこれ。
1 天地の諸の神たち(これが創造神とも呼べる、でも複数形)
2 やしろ (祭壇)
3 人はさらに云ず(俺の解釈:漢文など用法、精神・とくに言霊を意味する神だと思う)
4 鳥獣木草の類
5 海山などにかこまれて、徳があって賢いこと
ちゃんと言われたとおりに見たけど、「創造神=神」ではないでしょ。
本居宣長も、そういう意味で神という言葉をつかったわけではないのがわかるよね。
(本居は、江戸末期のキリスト教の侵略作戦より前だからね。カトリックの禁書は読んでた奴だけど)
いわゆる創造神と呼べるのは、(1)だが、複数系であるし、「天地を作った神秘的な力」なわけ。
(5)海や山の恩恵、(4)鳥獣木草の類=いろんな動物、「草木にも宿るよ」を含めれば、キリスト教的な一神教、つまり唯一神としての神との意味とは、かけ離れてるでしょ?
神道で天皇と重なり合わせるのは、そっち、ありもしなかった「唯一神」なわけで。
そして、もう一つの、この時代の平田の本、新鬼神論では、もっと面白い。
新鬼神論(平田1805・可妄書のあと・実際の出版年は調べてない1820年以降)
この本には、こう書いてある。
「漢土の古書ども、天とばかり云ひて・・・・・・」
中国の漢文のやつらは、天じゃなくて日本の神典が伝える古意、神(天津神)がいるのに、わかっちゃいねぇな・・・・と言ってるわけ。
漢文では「天しかでてこない」、ね、彼自身がある意味、認めちゃったわけだ。
はい、彼の言う日本の神典、日本特有の文字である神代文字の神字日文伝は、捏造作品であることは、既に、ばれちゃっていますが・・・。
ね、面白いでしょ。
天しかない→認めちゃって→「日本の古典を見ろ」と反論→その神代文字の話は、嘘だとばれちゃった。
結局、「漢文には天しか出てこない」という主張だけ残った・・・。
笑える話である。
平田のやったことは復古神道とかよばれるんだけど、その始まりは儒教の神秘的な道を「神道」と無理やりして、開き直った「反論と捏造」で、できてるんだよ。
でも、捏造だとばれてしまったわけで、逆に本居宣長以前には「神という創造神はなかった」って結論だけが残るわけだけど。
そして、こういう風に年代をごまかしたり、捏造を言い張ったりして「常識」はできている、それを覚えといて。
年代をごまかす行為、AからBをごまかした年代、つまり「Bのほうが古いとして、BからAにすることも出来るよ」ってこと。
何かの模倣品の年代を、それよりも古いと偽装すれば、こっちがオリジナル!!というの主張が出来てしまう、それと同じ理屈の手法なわけね。
平田は本居宣長を知らなかったわけで、で1803年という中途半端な時期まで遡れなかったと。
キリスト教が1813年の「新遺詔書」で神という訳を当てるまでは、日本と中国には創造神の神は輸入されていない。
日本で神という字を使い始めたのはキリスト教徒である。
神のこと、こういう手法、覚えといて。
では、最後に和歌なんぞを・・・。
キリストや 浜の真砂は尽きるとも 世に嘘つきの 胤(たね)は尽きまじ”
セックスカルトの真言立川流が南朝正統宗教なのに、性に厳しいキリスト教が南朝天皇を崇めることで生じる矛盾。これは共食いをさせるのに好都合な弱点。性に関しては妥協できないからね。
というか、明治以前は、南朝ですら仏教(の異端派)なのですよ。
新年のモチベーション【20130108】
http://www.mkmogura.com/blog/2013/01/08/1288
“先日、1月6日にNHKで大本教について放送されたそうですな。
ツイッターで多くの人が、そのことをくっちゃべっていたわけですが・・・。
大本教(正確には大本)という右翼と左翼の根源、ある意味タブーがNHKで放送されるという意味を理解していない人ばかり・・・というか、理解してない人しかいませんでしたな。
それに、「すべての右翼左翼、新興宗教などのカルトが大本から派生した」その理由、大本教のこと「本教=キリスト教の昔の呼び名」について。
このことも、理解してる人は皆無でした。
前者は、今から進む、戦争への流れ。
そのファシスト達への警笛として「タブーをちらつかせている」というのが理由ですし。NHKのロスチャの残党がね。
後者は、「大本教が源流になったのは、神道というでっち上げの宗教をキリスト教徒によって作られ統治された、トンデモ天皇体制というのを理解してたから」というのが理由です。
この明治からの流れ、それ「キリスト教が天皇体制を作り変えた=でっち上げたよ=それが神道だよ」というのを「大本教が知っていた」からなわけです。
それが弾圧された理由です。
もともと、「本教」という呼び名は、江戸時代のキリスト教の呼び名なわけです。
つまり、日本名で大本教というのは、英語名で言うなら「NEOキリスト教」とでも言えるわけ。そこが神道右翼と、左翼の源流である。
呼び方を変えてみたら、簡単でしょ?
神道=あるわけない古来日本式キリスト教
神社全庁=統一教会=勝共連合=アジアに羽ばたけ、でっちあげ奴隷制キリスト教
オウム真理教=チベット密教融合のキリスト教、対共産主義日本支部
スピリチュアル=仏教で言うなら顕教(大衆化された大っぴらな仏教)
「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行ける」を、「目に見えないものを信じれば、脳内お花畑で幸せでいられる」に変えた、大衆化されたキリスト教。
すべての世に出てくる(その時点で、ある意味で金儲けとして成功した)カルトは、すべてキリスト教だからだよ。
神道が国教である事を認めた今の仏教も、天理教もPL(パーフェクトリバティ)も・・・
すべて、キリスト教の認可事業だからだよ。
その根源こそが、「神道=キリスト教」という一番大きな嘘を知っていた、「ネオキリスト教」という名を持つ団体、大本教だということ。
『知ってたから源流になった。』明確でわかりやすく、これ以上ない答えでしょ。
だから大本教については、タブーでもあるということ。
その「キリスト教」の事を少しでも隠すために、大本教ではなく「大本」と読んで欲しいわけね。
本教をキリスト教というのなら、誰でも簡単に気がついちゃうから。”
“俺が言ってる神道とは、神という文字がつくすべてだ。
物部氏も異端仏教徒であり、神道を作るときに、異端者を集めて作ったってだけのこと。
物部氏は、仏教伝来時から、反対していたから異端的だったってだけ。
あと、例えば、吉田神道、でも吉田兼好は出家(仏門に下った人)でもわかるとおり、明確で単純なでっちあげで、中央仏教界に不満を持った人間に餌を与えて神道と、あんたの好きな日油同祖論とかを作り上げて、嘘の明治というのが始まり、日本は外国資本に占拠された。
明確で単純な話。
だから、細かい区別などする必要なし。
相変わらずの論点外しはやめなされ。
「神様」という意味で神を使うのは、すべてキリスト教(外国資本)が、日本を占拠するために作り上げたでっちあげなんだよ。その創造神の学問、道である神道は、すべてキリスト教徒が日本に適応するように作り上げたでっち上げ話で、明治以前に神道なんて鼻くそのかけらもないわい。”
“日本書紀の原文の「画像」がほしい・・・読みたいです。
あ、書き起こされた奴はあるけど意味ないです。
だって、日本書紀の神代なんてのは、ありはしないのだから。
漢文の世界で創造神の神という言葉も、仏教の中でヒンズー教の神を取り入れて、ついた呼び名も・・・。
全部、神じゃないわけで。
七福神さえ、全員「天」だろっていう話です。
キリスト教徒によって漢訳聖書ができるまで「神」なんてもんはないんですから。
キリストの呼び名も神じゃないだろうが、それまでは天主とか言って。
それを、ちゃんと確かめるために日本書紀の原典の画像が欲しい。南朝族の黒板勝美だかが編纂したのが基準で、文字のやつは全く意味がないから。ほんと、図書館で本を見るたびに思う。こんな簡単なことなんで気づかずに・・・歴史に神社が出てこない事とか簡単すぎるでしょ?なんでこいつら本を平気な顔で書けるのかよと。
そこらへんの「リアルなものに触れる」、原点を追うためには間違いのない行為であり、それをすべきだというところは、自分も大いに賛成です。”
“きのこ姐さんは、欧州人=人食いみたいに言ってるけど、世界中の人間共通で俺は人食いだと思ってる。
運動能力のない猿が食えるものは死体で、死産が多いなら人を食う習慣がつくのもあたりまえなわけで。
中身的にはたいしたことないです。
ただ、タイミング的には少し気になる部分があります。
どっかのおばさんが同性愛者だと告白したり、この人食いの話も、キリスト=有色人種をBBCあたりが暴露した時のように、「なんかが起きるから」みたいな臭いがしてるのは間違いないです。”
“野草やラジウム鉱石が体にいいかって?
良くも悪くもないよ。
どんな部分にもいいとことわるいところがある。
紫外線、日光は体に悪いか?
シミにもなるし、肌のはりを奪ってしまうし、いいわけないよ。
でも、いいところもあるし、日の光にあたらないと肌が荒れやすくなるし、ビタミンDも作れないし。適度に痛められることで高まる肌の組成能力=循環性も、日に当たらないと著しく低下するよ。
体にいいことを求めているなら、無償で情報を得るのはやめなさい。
何かを売ろうとしてる人を信じるのはやめなさい。
楽して、何かを食べたり、何かをすれば健康になるなんて考えないで、まずは「歩くこと」、自分の食生活に何が足りなかを「考えること」、両方とも無料でできるよ。他人は関係ないよ。それでも、わからなかったら聞いてみて。自分は調べてこうでした、でこうだと思いますというのを、ちゃんと言えるように。(現時点では、単純なコメントなのでそう判断させていただきました)
これを食べれば痩せるという人の考え方がおかしいことは、何回かいってきたが。
年齢とかでどうなるかじゃなくって、心の中にある弱さにむきあって、バランスを取れるようにすることが大事。
そうすると物事、よしあし、そのバランスも取れる。有機農法にこだわった人たちは、早死にしてるひとばっかりって話もあるけど、適度に農薬を使う農業のほうが、俺は正しいと思うよ。
自分だけで自分の環境ができあがってるわけではないので、他人がどうであるかとかは、わかりにくい。
スーパーに並んでる野菜が、バランスのいい農業なのか、利潤だけを追求した農業なのかはわからない。
自分自身でできるかぎりやって、バランスを取れれば、少しだけど見えてくるよ。
それで「少し見えた部分を頼りに」必要だと思ったら、やればいい。
日本中が宗教の加担者なので、あえてそこは調べてまで返答しませんが、「宗教」が一定以上関与している人は、「バランスの取れてない人」であることが多いというか、ほとんどです。自分は、ラジウム(一部は体にいいのはホント。紫外線と同じ理屈。でも温泉に飲むなの表示があるように内部被爆はアウト)も、野草も必要ないと思っているので、とりません。
人間自体が放射性物質を溜め込むものだし、その比重が311以降増えたわけだし。「適度に痛めつけて循環性や再生力を維持する」というのは、もう必要ないんじゃないかな。ラジウムはもちろん、野草もその分類になるんじゃないかと思うよ。何が混ざってるのを食うかわからんわけだし。”
日本の新興宗教の大本が大本教であり、大本教という神道カルトもクリスチャンとメーソンの合作であり、要はヨーロッパの王侯貴族製だとわかれば世の中がよく判るように、たちまちのうちに出題者の意図が判り実に楽しい気分になれますように(なれねえよ!)。
めでたくなし
めでたくなし
« 憲法はずっと無責任体制。神前結婚式も仏前結婚式も明治以降の和風キリスト教製品。「八紘一宇」を最初に標榜した国柱会(=日蓮系仏教に偽装した和風キリスト教)のお陰で有名なエスペランティスト宮沢賢治。大教宣布の詔により、大教=和風キリスト教=天皇一神教。本教=和風キリスト教。(大+本)教=大本教。あと少し憲法の勉強。 | インド・イラン(ペルシャ)陰謀論を本で出せている人を私は知らない。「ファティマの手」が「20世紀少年のマーク=手の甲に一つ目」そのまんま! »
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