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「ある上司との出会いが、自分を変えました」山下和彦(GMOペパボ)~Forkwellエンジニア成分研究所

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僕が正しいと思うやり方だけじゃ、人は動かないんだなと気づきました。

――山下さんはGMOペパボ社で「チーフテクニカルリード」というポジションに付かれておられますが、その業務内容を伺えますでしょうか。

山下 この職位ができた背景から説明しますと、弊社はいくつかの事業部に分かれています。事業部ごとに技術的な責任を持つ役割として設けられているのが、この『チーフテクニカルリード』です。『テックリード』と似ていますが、違うのは人事面も含めてエンジニアのマネジメントや人材育成までコミットする役割であるという所です。

――チーフテクニカルリードになられてから今何年目ですか?

山下 1年半ぐらいになりますかね。

――打診されたのが入社2年目の頃だとお聞きしていますが、最初に言われた時はどんな感触でしたか?

山下 当時はまだこの職位がなかったので、一緒に作って行く気持ちで引き受けました。弊社CTOの栗林から、「こういうのをやろうと思うんだけど、どうですか?」と話をされました。

もともと弊社のエンジニア組織は、当時在籍していたServerspecの作者であるmizzyさんがベースを作られ、その後、CTOの栗林、Rubyコミッタでもある柴田が入社して、そこから文化が作られていった感じなんです。栗林と柴田が全社的にマネジメントをしていたのですが、パートナー(ペパボでは社員のことをこう呼びます)の人数が増えるに従ってエンジニア組織がうまくスケールしなくなりつつあったので、事業部ごとにチーフテクニカルリードを置いたのだと思います。

――チーフテクニカルリードの方々って今何人ぐらいいらっしゃるんですか?

山下 合計5名います。各事業部のミニCTOみたいな形です。権限的には人事評価におけるエンジニア部分の決定権、あとは技術選定のすべて。従来のテックリードは人事権を持っていないので、そこがチーフテクニカルリードとの大きな違いかと思います。

――エンジニアをただ束ねるわけではなくて、かなり裁量を持って動かせるということですね。

山下 そうですね。

――1年半勤められて、何か困ったことはありましたか?

山下 人事面でしょうか。結構僕自身が自分が絶対的に正しいと思うようなところがあって(苦笑)、最初にチーフテクニカルリードになった時にそのノリでやってしまって人をうまく巻き込めなかったことがあります。

事業部の権限を任されたときに、「僕が正しいと思うこと」をやっていこうと思いました。なので、僕が正しいと思うやり方じゃないやり方で仕事をされてる人もいて、その人に「これが正しい、こうやった方が良い」みたいなやり方で接したんです。でも、それじゃ人は動かないんだなと気づきました。

――指示を聞かない、聞くけどもイヤイヤな感じが伝わってくるみたいな。

山下 半々ぐらいですかね。反発がありながらもやることもあれば、本当にごく一部ですが完全に無視する人もいました。GitHubのコメントが無視されたりとか(苦笑)

――エンジニアの方ってフリーランス気質があると思うので想像はつくんですけど、そういう雰囲気になった時に山下さんはどういう風に改善されたんですか?

山下 まずは、相手を受け入れないといけないと思って。うちの会社だと『イエス、アンド』という言い方をするんですけど、まずは相手を受け止めて、さらによくなる方法を一緒に考えるアプローチを取ることを心がけています。

例えばサーバー負荷の高さを解消した時のケースでは、エンジニアって(自分たちが)よくわからないソフトウェアを入れるのを嫌う傾向があるので、例えば僕自身が設計やテクニカル面でリードするけど、作ってもらうのは中のメンバーという形にしたり。指示を出して終わりではなく、エンジニアを巻き込んでやることを意識しています。

――今何人ぐらいのエンジニアを束ねていらっしゃるんですか?

山下 20人弱ですね。そろそろ1人で見るのはちょっと無理だなと思い始めてます(苦笑)。人事評価時期は、ほぼ1週間それ以外何もできない感じです。

――それだけ負荷が高いと大変だと思いますけど、やりがいも大きいのではと思います。どういう部分にやりがいを感じられていますか?

山下 今までエンジニアリングだけやってきたのが、裁量を与えてもらったことでもう少し大きいことができるようになったと感じています。自分1人で作っていたものを、マネジメントを通じてより大きな仕組みで作れるようになったり。一緒にやっていたメンバーが大きいカンファレンスに登壇して世間から一定の評価を得ることができたり、そういった時にすごく幸せな気持ちになります。

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大きかった、最初の上司との出会い

――これまでの経歴について伺います。商業高校出身にも関わらず、経理系職種ではなく社内SEを選ばれた理由はどのあたりですか?

山下 商業高校ではあったんですが、商業科と情報処理科というものがあって私は情報処理科でした。もちろん簿記もやってたんですけど、プログラミングもやってたので興味があったという感じですね。

――では、プログラミングに関しては、かなり長い期間やられてるんですね?

山下 そうですね。今書いてるプログラムとは違って当時作ったのはおもちゃみたいな感じですが。フォームを作ってボタンを押したら画像が出るとか、本当にベーシックなものです。ただ「高校生の時に(プログラム言語を)触ったことがある」というのは、大きかったなと思いますね。

――当時からシステムエンジニアで考えていたんですか?

山下 それがたまたまなんですよ、もともとシステムエンジニアになりたかったわけではないんです。当時は高卒で何も考えてなかったので(苦笑)、給料の良いところから順番に受けていった感じです。最初の会社ではプラズマディスプレイを作る工場で生産系のシステムの運用、生産工場のネットワーク整備、あとはオフィスのパソコンを直す整備とかそういうものを全般的にやっていました。

――当時の仕事は今に繋がっていますか?

山下 やっていることは全然違って、今はいわゆるプログラマーみたいな仕事が主になるんですけど、昔はネットワーク整備など、コードはほとんど書かない仕事だったんです。

仕事内容というより、初めて入った会社の上司から受けた影響は大きいかもしれません。その方は、ものすごく勉強する人だったんですね。僕がある資格を取ったら、上司も同等以上のものを勉強して取る、みたいな。

本当にストイックな人で、僕もそれに感化されて勉強するようになりました。今振り返れば、自分のルーツになっていると思います。鹿児島県出水市という県境のすごく小さい町だったんですが、そういう人に会えたのはラッキーだったなと思います。 

――当時はどんな生活をされていたんですか?

山下 1日1時間は参考書を読んでいました。仕事以外はやることがなかったので、ひたすら黙々と本を読んで勉強していました。

――2004年4月に入社されて、次の会社に入られたのが2009年2月とのことですが、約5年間そういう生活を?

山下 そうですね、そんな感じでした。次の会社に入る前に10数個の資格を取ったのですが、次の会社にはそういう部分も評価されて入った感じですね。

――その出会いは、一生ものですね。

山下 そうですね。

――2社目を選んだ理由はどのあたりにあったんですか?

山下 2社目はISP(インターネットサービスプロバイダ)なのですが、1社目でネットワークの仕事をしたこともあって興味を持っていました。ネットワークの技術の根幹はISPだと思っていたので憧れがあったので、入れてラッキーでした。地域で1番大きい電力会社が運営しているISPということで、会社の規模もそれなりに大きかったですね。

――業務内容はどういうことを?

山下 九州のインターネットで、例えばマンションでインターネットをつなぐ際にID/パスワードを入れると思うんですけど、その認証の仕組みを導入したり、メールサーバーを導入したり。DNSという、例えばgoogle.comというドメインをIPアドレスに変換するような仕組みがあるんですが、そういったサーバーを導入したりしていました。

――業務負荷としてはどれぐらいのものでしたか?

山下 インターネットって、絶対止められないので、人が寝てる時間にメンテナンスするのが前提になりますから、大変でしたね。さらに最近はIP電話とかがありますし、119番をかけたのに電話がつながらないなどの事態を招いてしまうことはあってはならないので、絶対止められないんです。

――お休みであろうとトラブルがあったらすぐ対応しないといけない、みたいな。

山下 そうでしたね。

――その頃は、例えば旅行に行くのもなかなか難しかったのでは。

山下 そうですね、自分の担当システムはほぼ24時間365日待機稼働みたいな感じでした。障害が起こると、ユーザー数が多いのでとても影響が大きいんですよね。。いわゆる「総務省報告」というものがあって、停止時間が一定時間あると総務省に必ず報告しないといけないルールがあったりして、そのレベルまでなるとかなり大変だった記憶があります。さらに電力会社系の会社なので、再発防止策をものすごく講じる必要があってそれも大変でしたね。

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「いかなる時も、ベストを尽くす」

――そんな中で、山下さんは2009年4月から仕事と並行して産業能率大学の情報マネジメント学部で通信教育を受けられていたそうですね。

山下 そうですね。基本は自分で勉強して試験をパスして、年間10回ぐらい授業に出て大卒資格を取る感じです。各地方に「スクーリング」という形で先生が来てくれて3日間集中講義をやってもらい、そこで単位を取っていくイメージです。

――仕事の連絡がいつ入るかわからない状況に加えて、そうした勉強をされていたんですね。どんな生活をされていたんですか?

山下 当時もあまり変わらなくて、仕事が終わったら帰って勉強ですね。18時から20時ぐらいに帰宅して、ご飯を食べて勉強。大学のスクーリングは金・土・日というスケジュールでした。

――情報マネジメント学部でどういうことを学ばれていたんですか?

山下 テクノロジーをいかに仕事に生かすかということを勉強する学科で、マネジメントも勉強しますし、心理学や会計、あとは簡単な情報学もやります。ただ、基本的にはマネジメントを学んでいました。4年制ですが、1年留年したので4年半で卒業しました。 

――業務を行なう上で大事にしているモットーや好きな言葉はありますか?

山下 1番大事にしているのは「いかなる時も、ベストを尽くす」ということです。それに尽きますね。

――ご経歴を伺って、その言葉にウソはない印象を受けます。こうしたストイックさを身につけられたのはいつ頃からだったんですか?

山下 やはり、最初の会社の上司に会った頃だと思います。中高の時は勉強は真ん中ぐらいの成績で、無理せず伸び伸びやっていました。頑張るということを知ったのは、本当にその方に出会ってからだったので。

――そんなに勉強されてる方が身近にいたら、自分もやらないわけにはいかないと。

山下 そういう感じですね。今も、地元に帰った時にあいさつに行くことはありますね。Facebookで連絡を取ったりもしています。

――自身の成長のために日々行なっていることはありますか?

山下 とにかくコードを書き続けることです。ただ、最近の新しい技術で「すごい」と言われてるものでも、作り方は大体わかるぐらいになってきてしまって、課題を見つけるのが難しくなってきました。ただ、それは自分の視野が狭いだけですよね。視野を広げるために、今は海外に目を向けていて、英語を勉強したり留学したりしたいなと考えています。

自分と会社の方向が一致してるなら、社畜になる必要もないですよね。

――ここからは、山下さんが働く上で大切にしていることについて、「事業内容」「仲間」「社畜度(会社愛)」「お金」「専門性向上」「働き方自由度」の6つの項目から合計20点になるよう、点数を振り分けていただきます。

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・専門性向上 4

エンジニアなので自分の領域はめちゃめちゃ突き詰めたいと思っています。5じゃない理由ですが、1つの領域にあまり踏み込み過ぎない生き方をしようと思っていて。全部踏み込んでしまうと、それでしか生きていけなくなると思うので。

・仲間 3

もちろん仲間は大事なんですけど、他でもない自分のために生きることを大事にしています。人に引きずられ過ぎない、という意味で3です。

・お金 4

お金はやはり大事だと思うので。人生の選択をする時にお金があるとないとで選択の幅が変わってくるし、評価基準としてわかりやすいので。

・事業内容 3

会社を選ぶ時に、あまり事業内容で選んでないなと思って。どんなところでも結果を出せるようにしていきたいと思っています。

・働き方自由度 5

裁量も含めてなんですけど、昔は「9時に出社して18時に帰る」みたいな暮らしもすごくいいなと思っていたんですけど、今だとお昼ぐらいに来て早めに帰宅、家で続きをやるみたいな感じになっています。割と自由ですね。全員フレックスではあるんですけど、僕の場合は裁量労働制なので会社に来なくてもいい状態になっています。

・社畜度 1

これは昔5ぐらいだったんですけど、今は1ですね。もちろん会社にコミットはするんですけど、根性論みたいな働き方はしなくなりました。

――じゃあ、部下の方が遅くまで残っていたら「帰れ、帰れ」みたいな感じですか?

そうですね、そんな感じです。会社の向いてる方向と自分の向いてる方向が一緒なら、社畜になる必要もないので。自分のために頑張ることが、イコール会社のためになるわけですから。例えば僕個人が作っているソフトウェアも、それで会社が便利になれば最高だし、僕も会社からお金をいただけるという感じで。

――最後に転職者の方にメッセージをお願いします。

福岡はご飯も美味しいですので、ぜひ来てください(笑)。福岡市は、市長が『エンジニアフレンドシティ』を宣言しています(参照)。行政と連携を取りながら福岡のエンジニア業界をもっと良くしていきたいので、ぜひ福岡で一緒に働きましょう。

<了>

ライター:澤山大輔