昨日ようやく本格的に仕事を再開した。葬儀の翌日からメールを出して、電話をかけて、打ち合わせをしてと少しずつ助走はしていたけれど、やっと本チャンで店を開けた。つもりだった。
昨日、今日と続けて店を開けて、夕方に大きな仕事の打ち合わせに出かけようとしたらスマホがなかった。
いつもならわたしの仕事用ガラケーを鳴らすのだけれど、家は遺品整理と各種諸手続きの書類でごった返しており、数日前からガラケーの充電器が見当たらない。
もちおがいればもちおのスマホかガラケーを鳴らしてもらう。もちおがいれば、大きな声でもちおを呼ぶ。もっちゃーん!ねえ、はてこのスマホ知らない?鳴らしてみてくれる?聞こえた?もちおがいたら。もちおはいない。もう二度とスマホを鳴らしてくれない。
スマホがみつからない。もうだめだ。みるみる涙があふれてきた。もう無理だ。こんなこと続けていけるわけがない。わたしはわあわあ泣きながらもちおのスマホから自分のスマホの番号を探した。だめだ。ここで電話したらもちおが最後にかけた履歴が消えてしまう。もちおのガラケーを開いたが、こちらは電池切れだった。もちおのガラケーにわたしのガラケーのチップをいれたら使えるはずだ。なんだこのチップ、どうしてこんな入り組んだ場所に入ってるの。どうして出てこないの。
わたしは口を歪めて泣きじゃくりながら爪の先でチップを引っ掻きだそうとした。どうしても出てこない。散乱した死亡届に付随する各種諸書類の山に蓋が外れたガラケーが二台転がっている。テーブルの上にはノートパソコンと、もちおの書斎から出てきた一掴みものUSBメモリが散らばっている。数えきれないHDD、SSD、USB。これらのどこかにもちおと知り合ってから18年分の家族写真が入っているが、それがどれだかわからないということを昨日知った。家族写真を入れていた家族用PCをもちおがいつどこへやったのかがわからない。
もうだめだ。限界だ。出口がない。どうしていいかわからない。わたしは泣きながら家中を歩き回った。スマホを探す自分と、わあわあ泣き続けている自分が、互いに干渉しあわないよう配慮しながら同じ体を共有しているようだった。
ようやくクロゼットの中からスマホを見つける。今日は無理だ。取引先にメールを出して打ち合わせを延期してもらい、ベッドにひっくり返って泣いた。涙と鼻水で息ができなくなる。しゃくりあげ続けて吐きそうだ。なんでいないの。これからずっといないの。そんなの耐えられないよ。もちおにLINEを打つ。会いたいよ、もちおに帰ってきてほしいよ。どこにいるの。
LINEを打つと履歴が後ろへ流れてしまう。今度は泣きながらTwitterを立ち上げる。もちおが息を引き取る少し前からわたしはこういうとき思いのたけをひたすらTwitterに流していた。
すると以前ネットで知り合った方から数年ぶりにリプライが届き、続いてHDDを復旧してあげるから元気をだしてというDMが入った。同じタイミングでメールが届いた。さるはてなブックマーカーさんからのお悔みのメールだった。一拍おいてメッセンジャーにも通知が来た。同じく以前ネットで知り合った方からだった。
長年疎遠にしていた方とほとんど面識がない方が同じタイミングで連絡をくれたことを不思議に思ったが、すぐには泣き止めず、引き続き大泣きしながらそれぞれの通知をあけて読んだ。読むと気持ちが少し落ち着く。DMでしばらくやりとりするうちに豪雨が小降りになるように徐々に涙が乾いてきた。
もちおのHDDとSSDはどこにどのくらいあるのか、野営を張っているパーツの山を確かめた。書斎に鎮座ましましているもちおの遺影に「もちおのばか!」と悪態をつく。画像どこやったんだよ!はてこ、困ってるよ!だから片づけてっていったのに!
嗚咽も止まるころ、通知をくださった方とは別の以前ネットで知り合った方からLINE経由で一蘭の無料券をいただいたことを思い出した。ひと段落したらあとで食べに行こう。泣きながら書いたツイートについたハートと、ハートをくださった方のアイコンを見る。お会いした方は顔を思い浮かべる。お腹の底にいじけた猫をすっぽり包み込むふかふかの座布団のようなものを感じる。
わたしは泣きはらした目で一蘭へ出かけてお悔みのラーメンを食べた。食べ終わるとなにか勇気がわいてきて、もちおがいなくなってから怖くていけなかった温泉へ勇ましい気持ちで出かけた。
駐車場を降りるともちおとここで蛍を見たことを思い出した。ほんの数か月前のことだ。最後に来たのは8月だった。懐かしいというにはまだ生々しすぎる。記憶に新しい場所へ近づくと受け入れがたい現実が鼓膜を破る轟音のように迫ってくる。だから温泉へ近づかなかった。
でも今夜わたしのふるえる魂は腹の底の座布団に身をすくめたまま、安全に守られていた。もちおの魂がそばにいて、温泉に来たことを喜んでいるように感じた。悲しみも現実の問題も消えたわけではないけれど、ほんの少し、あたたかいものに守られて、もちおがそばにいたときのように安心できる世界が戻っていた。
自分のことを世界一思ってくれたもちおがいなくなってしまった。もうわたしが死んでも腹の底から悲しんでくれる人はいない。これだけ泣いてももちおは戻ってこない。目の前で息を引き取って、何度も念を押されて、焼却炉の奥から骨だけ返されたのだから戻りようがない。自分には家族と呼べる人がもういないのだと思った。そもそもこんなに無条件で愛されるとは大変な僥倖だったのだ。
でも、いまもどこか遠い隣の部屋にわたしの泣き声を聞いて胸を痛めてくれる人がいるのだと思った。電波を通じて微かにノックの音がする。ドアの向こうから有形無形の贈り物が届く。そういえばもちおもネットで知り合った人で、長年応援してくれた読者だった。 いろいろなものをくれた。たくさんのものをくれた。これから役に立つものも、あるかもしれない。