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- 他でけっこう長めの文章書いてしまったけど、要点だけ。
- この論争がどういう文脈で生じているのかというのは難しい。問題のやりとりの前に、男女の性的行動の評価についての性差別についていろんな人がかなり長い間つぶやきをしていて、今となってはなにが文脈なのか判断できない。それぞれのツイッタラーが見ているツイートもそれぞれだろうし。だから文脈はそれぞれ。ただし、直接の問題になった瀬戸内快男児先生とjiji先生のやりとりのさらに直接のおおもとのsaebou先生の主張は王道セックスリバタリアンフェミニズムで問題がない。
- それに対する瀬戸内快男児先生のツイートは「この人どうせ海外行ってなくて開き直りで反論してるだけでしょうが、日本男児として外国人の友人から「日本女はなぜに簡単にやらしてくれるのか?」と真顔で聞かれると答えに困るので、海外には貞操観念をしっかり持っていきましょう。/ラッキープッシーとかチープガールとか言われてまっせ。」
- 一方、jiji先生のは「それってあなた自身が馬鹿にされてるんだよ。」「「あなたの国の女性はなぜ簡単にやらしてくれるの」なんて聞くのは喧嘩売ってるのと同義なのに、そこで「貞操観念をしっかり持ちましょう~」とか自国の女性に言うこのピントのずれ方やばい。」
- 快男児先生のツイートの「日本人女は」がjiji先生のツイートでは「あなたの国の女性は」になっている。ここでちょっと引用のずれがあるのはアカデミックな人間は気づくべきだと思う。青識先生も小宮先生も平気でその語「あなたの国〜」や「貞操観念」という、友人の発言にはない言葉を使っていて、ここらへんは感心しない。「友人」の発言の意味みたいなものと、快男児先生のツイート全体の意図みたいなものは区別するべきだ。jiji先生と小宮先生は友人の発言が快男児先生に対する侮辱になっていると指摘するが、それは本当だろうか。
- そもそも快男児先生の友人の外国人が本当に存在しているのか、本当にそういった会話があったのかは判断しがたい。「もし友人〜とたずねられたら困る」ぐらいの例かもしれない。その場合には、「侮辱されているのだ」と指摘するのは微妙な発言になる。もし〜と真顔で、つまり真剣にたずねられたらそれだけで当人に対する侮辱になるとすれば、人、あるいは男性は、関係者女性の性的行動の傾向について質問されただけで侮辱になると解釈せざるをえない。「真顔で」と付け加えることによって、快男児先生は冗談や侮辱であることを排除しているわけよね。それくらいは気をつかっている。
- 一方、仮にそうした会話が実際にあったとすれば、それは実際には外国語でおこなわれたものであるだろうし、その場合には訳語や表現の選択に快男児先生の(性差別的な?)解釈が入るのは当然。外国語でなくとも、会話のなかで他人の発言を引用するというのは本人の解釈がはいるものだ。
- だからその快男児先生の友人がどういうことを言ったのか、どういう意図で言ったのか、(社会学者風にいえば)この質問行為の「意味」をどう理解するべきか、ということを判断するのはむずかしく、それだけで解釈するのはほとんど無理、というかあんまり意味がないと見るのがまともな判断だと思う。
- そういうのは社会学や会話分析やエスノメソドロジーの専門家だけでなく、なにかの研究者ならまっさきに意識することだろうと思う。それを意図的に指摘しないのなら専門家として誠実ではないと判断されてもしょうがないかもしれず、またそれを意識しなかったのなら専門家としての資格に問題があるかもしれない。このままだと社会学者信頼ポイントがマイナスされてなってしまうし、そして大学関係の人間が誰も指摘しないのなら大学系ツッタラー全員の信頼ポイントがマイナスされてしまうくらい。だから私これ書かないとならない。
- それはさておき、「なぜ日本の女性は性的に活発なのか」程度のことを「真顔で」質問するという状況は、性差別と関係なくあるかもしれず、それが性差別的な発言かどうかは判断が難しいと思われる。
- さて、jiji先生の、快男児先生の「海外には貞操観念をしっかりもって行きましょう」という発言がポイントをはずしているという指摘はおそらく的確だろうが、友人の発言は快男児先生に対する侮辱であるという解釈は、そういう次第でかなり一方的な推論であるように見える。
- 先にも指摘したように、これが侮辱であるためには、人は(あるいは「男性は」)その人に関係する女性が性的に活発だという含みのことを言われたらすべて侮辱されていると解釈するべきだ、ぐらいの判断が裏にないと正当化されないが、これを正当化するのはむずかしい。少なくともセックスリバタリアン的な傾向のフェミニズムとは相性が悪いのは意識するべきだろう。
- 誰かを尻軽(slutty)であると指摘することはふつう悪口であり、これはフェミニズムとは関係なく悪口である。王道フェミニズムの立場からは、誰かが誰かを尻軽だと判断しても、それはなんら悪口とならないと主張しなければならないだろうと思う(もちろんここはいろいろ議論がありえるところ)。でもとりあえず誰かを尻軽であるとする悪口は、フェミニズムの観点を抜いても悪口でありえるし、そっちの悪口である場合の方が可能性濃厚だと思う。
- さらに、一般に男性となんらかの関係のある女性の性的な活動が活発であると指摘することは、女性の名誉を傷つけることであり、また、同時に彼女と関係する男性の名誉も傷つける、という考え方は保守的な「名誉の文化」では非常に重要な発想だろうと思うけど、これはフェミニズムとはあいいれない側面が大きいと思う。
- 男性は女性のナイトやボディーガードであるべきであり、女性が(性的な)名誉を傷つけられたと感じたら戦うべきだ、という考え方は現在も非常につよく、よく北米の映画とかで出てくるシーンであるように思うが、これてどうなのよ。「君、私のレイディーに対する侮辱は私自身に対する侮辱とみなしますよ」「まだ侮辱するか!ならば決闘だ!」みたいな。高度に洗練されたナイトは男フェミニストと区別がつかない、みたいなわけではないと思うしその逆もないと思う。
- エマワトソン先生のHeForShe演説では、フェミニズムは女性だけでなく男性をもその性役割規範から解放する、ってなことが主張されていたわけなので、男は女性のナイトであるべきだという発想とはあいいれない側面が大きいと思う。
- 小宮先生が多重質問の詭弁だと指摘したツイートは、匿名化されていて事実に対応しているかどうかわからず、詭弁かどうか判断しにくい。「もしAがBしたとしたら、Pですか」のようなタイプのものは必ずしも多重質問ではない。
- 詭弁や誤謬推理を見抜けるようになるのは大学教育で最も重要な課題で、それに敏感になることはとてもよいことなのだが、一般に、日常的な議論ではすべての前提が明示されたり言葉が明示的に定義されるわけではないので、ある主張が(非形式論理的な)詭弁・誤謬推理かどうかというのは見た目の形式だけでは判断がつかない場合が多い。したがって他人の発言を詭弁呼ばわりするのはかなり慎重になるべきだと思う。
- というわけで私は青識先生のほとんどの主張に説得力を感じ、小宮先生の指摘には疑問を感じることが多かった。小宮先生は明示的に自分の社会学者としての権威を使っているのでちょっと厳しめに採点せざるをえない。これはしょうがないと思う。「小宮先生はすばらしく論理的で」のような評価も目についたけど、問題は多かったと思う。
- しかし、小宮先生が最後の方でまとめの長文を書いて、論点(と難点)をわかりやすくしてくれたのは偉い。こういうのはリスペクトせざるをえない。
- 一方、論戦の最後の方で、青識先生が話をネットフェミに関係する事件一般に広げて、そうしたネットフェミはオタクに代表される人がやってることを好意的に解釈していないのだから小宮先生の言ってることはおかしい、みたいな議論にしてしまったのはちょっとがっかり。これはロジックというよりはレトリックというか、オルグ学の世界。他のフェミニストの活動そのものに小宮先生が責任負ってるわけじゃないかならねえ。まあそこらへんは残念だったけど、青識先生は啓蒙政治運動家フィロゾーフだからいいのかな。