原民喜〔PHOTO〕Wikimedia Commons

彼の死は「きれい」だった〜コミュ障・ぼっち・同人誌好き作家の生涯

個人の小さな声こそが時代をこえる

コミュ障で、ぼっちで、同人誌好きで、他人と過ごすのが苦手で、孤独が好き——。

2018年の話ではない。かつて国語の教科書でも多く取り上げられていた、原爆小説の名作「夏の花」を書き上げた詩人にして小説家・原民喜のことだ。

ノンフィクション作家、梯久美子による評伝『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)。この本を読むと、彼は遠い過去の人ではなく、「いま」すぐ近くにいるような人だと思える。

梯はなぜ、いまの時代に原民喜を書いたのか。

(取材・文:石戸諭/写真:三浦咲恵)

『原民喜 死と愛と孤独の肖像』著者の梯久美子さん

遠藤周作は彼の死を「きれい」と表現した

始まりは遺書だった。やや丸みがある字は原稿用紙に書き直された跡もなく、無駄なく収まり、友に静かに別れを告げていた。

原民喜、彼の人生を教科書的に整理するとこうなる。

専業作家ではなく職につきながら、同人誌に寄稿を続けた。

1944年に妻の貞恵が若くして病死したことを機に民喜は実家がある広島に疎開し、1945年8月6日に被爆する。戦後は再び東京に拠点を移し、名作と名高い原爆小説「夏の花」など次々と作品を発表したが、1951年、JR(当時は国鉄)中央線西荻窪駅―吉祥寺駅間にて鉄道自殺。45歳で短い生涯を終える。付き合いがあった文学者仲間には、のちに『沈黙』が世界的に注目される遠藤周作らがいた。

そこから浮かび上がるのは、身近な人の死と原爆とともに人生を悲観した文学者の姿だ。だが、と梯は語る。

 

《本当に悲観して、絶望しての死だったのかなと疑問が残ったんですね。友人の遠藤周作は彼の死を「きれい」と表現している。「あなたの死はなんてきれいなんだ」と、自死を知った日の日記にあります。それは文学者にありがちな死の美化ではありません。

その証拠に、同じ文章で遠藤は「貴方の生はなんてきれいなんだ」と続けている。遠藤は自殺が禁じられているクリスチャンですから、安易に自殺を美化するわけがない。その遠藤が、生よりも先に、まず死の美しさを書いているのはなぜなのか。

私はこれまでの取材でも「手紙」に惹かれてきました。特に遺書は、誰に宛てて、なにをどう綴るのかに、その人の生の軌跡が立ち現れる。原の遺書を実際にみて、表面的な経歴からはわからないものがあるのでは、と直観的に思いました。

彼が自死に至るまでの人生に興味がわいてきたんですね。》

梯の人物ノンフィクションは、共通するテーマと、異なる2つのスタイルがある。

例えば戦争という大きな不条理に直面しながら、言葉や表現を遺す人たちの内面や動機にどこまでも接近していく。これがテーマである。

第一のスタイルは取材を重ね「私があなたに代わって、伝えたかったことを書きます」と対象と重なるように書いていくもの。第二は対象と一定の距離を保ちながら作品や人生を論評よりも「紹介」に徹するものである。

この本は後者の方法を取ることで、逆に原民喜という作家が浮かび上がるようになっている。

《この本を一番読んでほしいのは高校生なんです。私はこれまで戦争をテーマにノンフィクションを書いてきたけれど、原爆は若い時からものすごく怖くて、そのくせ広島や被爆した人たちは感覚的に遠く、自分が書いてはいけないものだと思ってきました。

でも、あることをきっかけに広島のことが身近になった。その経験がこの本の執筆につながった面があります。

最初から「いま」を意識しながら書いたわけじゃないけれど、原民喜がただ原爆小説を書いた過去の人じゃないと思えたという感想が若い人から寄せられていて、それがとても嬉しい。》