天皇皇后両陛下
          スペイン公式訪問・「御引見」

  平成6年10月11日(火)、この日は私たち夫妻にとって、終生忘れえぬ日となった。
  日本の一中学校の校長であった私が、スペイン国王のパルド宮殿において天皇皇后両陛下に拝謁し、一時間近くも両陛下よりお言葉を賜わり、お飲み物、乾菓子のサービスを受けながら両陛下の御側で過すことが出来たのです。
 無冠の市民である私が、何という幸運であっただろうか。今もって、感激の極みであります。

 マドリッド日本人学校へ赴任する少し前、埼玉県・大里教育事務所の指導課で大里管内の小中学校を指導訪問していた頃、ふと目にした新聞記事で、「天皇皇后両陛下のフランス・スペイン公式訪問」のニュースが伝わり、噂話で「天皇皇后両陛下が、秋にフランスとスペインを公式訪問なさるらしい。そうなると、マドリッド日本人学校の校長になる加瀬主任指導主事は、両陛下をお迎えすることになるのではないか」と、仲間の指導主事と冗談半分に話し合っておりました。

 もちろん、その頃は、この話が実現するとは思ってもみませんでした。平成6年4月にマドリッド日本人学校へ赴任して初めての夏休みが終わり、2学期がスタートした9月6日(火)、在スペインの日本国大使館から急な呼び出しがありました。私は、日本国大使館へ駆けつけました。

 担当領事の付き添いで、大使閣下にお会いし「平成6年10月10日(月)に、天皇皇后両陛下がスペインを公式訪問なさるので、当日はマドリッド日本人学校の児童生徒には、バラハス空港御召機発着場へお迎えに出て欲しい」こと、さらに、翌11日(火)には、スペイン国王陛下のパルド宮殿において「両陛下の御引見」があるので、日本人会を代表して出席して欲しい旨、依頼がありました。
 さらに、今般のご訪問は「公式訪問」であるので、と付け加えられました。

 
御引見は夫人同伴で

 
数日後、在スペイン日本国大使館より正式な招待状が届きました。
 
予想はしていましたが、やはり夫人同伴で出席願いたい、とのこと。何と名誉なことであろうか。
 
さあ、この日から忙しい日々が始まりました。私は、皇室に関する書物を日本から取り寄せ、もっぱら心の準備と、両陛下とお話しする時の言葉遣い、想定問答集による「Q A 特訓」で、ご無礼がないよう、粗相がないようにと、気持ちを高めていきました。
 我が家の話題は、このことで毎日が過ぎてゆき、10月11日を待ちました。

 
バラハス空港御召機発着場で両陛下をお出迎え

 
平成6年10月10日(月)、天皇皇后両陛下のお出迎えで、バラハス空港御召機発着場へ向かいました。マドリッド日本人学校の全校児童・生徒を引率し、両手に「日の丸」の旗を持ってのお出迎えです。御召機発着場は、一般の発着場とは異なり、かなり離れた別の場所にありました。

 空港には、スペイン国旗の色を表す真っ赤な絨緞と黄色の絨毯が敷き詰められ、両サイドにはスペイン空軍の儀仗兵が身動き一つせずに、ずらりと並んでいます。何だか、私たちは、非日常的な空間へ迷い込んでしまったような錯覚にとらわれてしまいました。
 
子どもたちと、両陛下のご到着をお待ちすること30分余、子どもたちが何やらざわつき始め、指差す方向に目を凝らすと、はるか彼方に特別機のB-747の白い機体が小さく見えてきました。機はたちまち大きく近づき、ランディングしましたが、あれっ・・、私たちがお出迎えしている前を通り過ぎてしまいました。

 「どうしたのだろう、何かあったのかな」と心配している間もなく、もう一機、同じ方向から
B-747の白い機体が見えてきました。機体には、くっきりと「日の丸」を見ることが出来ます。B-747の大きな機体は、日本人学校の児童生徒が整列し、お待ちしている前で静かに止まりました。
 タラップが用意され、扉が開けられると、天皇皇后両陛下がにこやかにお進みになられ、私たちに向かって軽く手を振られました。子どもたちは千切れんばかりに国旗を振って、歓迎しています。
 タラップをおりられた両陛下は、立ち止まって再び軽く手を上げられてマドリッド日本人学校の子供たちの歓迎にお応えになられました。
 赤と黄色の絨緞をお進みになられた両陛下は、途中で私たちの方へ近づかれ、「学校は楽しいですか」「お友だちと仲良くお勉強していますか」と、子どもたち一人ひとりにお声がけをいただきました。

 
スペイン国王陛下のパルド宮殿へ

 
平成6年10月11日(火)、いよいよ天皇皇后両陛下へ拝謁の日です。昨日、バラハス空港へお迎えし、そのお元気な姿を拝見した興奮の余韻と、「この私が本当に両陛下とお話が出来るのか・・いや、何かの間違いなのではないか」、そんなことを考えながら朝を迎えました。

 昨日、空港へお迎えした時は、スペインでも珍しい霧雨模様でしたが、今朝は良い天気です。
ナバセラーダの山々も稜線が美しく、高ぶった心が安らぎます。ホテル・クスコへ9時45分に集合なので、8時に車で家を出て、ラス・ロサスの街から隣のマハダオンダの街へ入ると、どうしたのだろう大変な渋滞です。日本人学校の前の国道6号線もほとんど動いていません。大事な時にこれはまずい、とっさの判断で、車をマハダオンダ駅で乗り捨て、電車でチャマルティン駅へ。チャマルティン駅からは、タクシーを乗り継いでホテル・クスコへ9時過ぎに無事到着することができました。

 
両陛下からお言葉をいただく

 
カルロス国王陛下のパルド宮殿では、真っ赤な絨緞を踏みしめ、2階の拝謁の間へ通されました。ゴヤの400号の絵と、周囲を圧倒するような大きなシャンデリア。何もかも、この世のものとは思えない家具・調度類。さすが、かつて世界を制覇していたスペイン帝国は、ストックとフローの質と量の違いを感じさせます。
 
11時30分、先ず山口大使閣下ご夫妻がお見えになり、「間もなく、天皇皇后両陛下がお入りになられます」と、深々と一礼された。私たち夫妻は、日本人学校校長という立場で、水曜会(経済界代表)会長夫妻、日本人会会長夫妻と共に前から三番目、つまり両陛下がお入りになられる入り口のすぐそばです。こんなお近くで両陛下をお迎えできる。緊張と期待感が高まります。

 
あっ・・お見えになった。
 
いつも写真やテレビでお見かけしている通りの、黒っぽい背広をお召しの天皇陛下のお姿と白いスーツをお召しの皇后陛下のお姿。天皇陛下のにこやかで、柔和な表情が手にとるようにわかります。やや一歩下がって、うつむき加減で皇后陛下がお進みになる。
 
中央で私たちの方へ向き直られると、再びにこやかに少し手を上げられました。陛下は「日西両国の益々の発展と親善のために、マドリッド日本人会並びにマドリッド水曜会の皆さんのなお一層のご尽力を期待します」とご挨拶を述べられ、答礼の挨拶を水野健・日本人会会長(三井物産社長)が述べました。

  陛下の御来西をお待ち申しておりました

 
やがて、山口大使閣下による一人ひとりの紹介が始まりました。
 「マドリッド日本人学校の加瀬校長夫妻でございます」。
 この時、天皇陛下との距離は1メートルくらいだったと思います。皇后陛下は左隣で一歩お下がりになられ、終始笑みを浮かべておられました。

 昭和16年に生まれた私にとっての天皇陛下の存在は、今ここに、陛下の前に一市民の私が居ること自体が恐れ多いこと、「恐懼してしまって」、の感じであります。
 「陛下の御来西を心よりお待ち申しておりました」との、私の挨拶に対して「ご苦労様です」と、お言葉を述べられ、さらに「子どもたちの人数が少なくなって、(経営が)大変ですね」と、おっしゃられました。このことは、マドリッド日本人学校の今後の課題でもあるのです。バルセロナ・オリンピック以来児童・生徒数が減少し続け、現在87名、これが経営上の問題点であることを陛下は事前に学習されているのです。
 次に「スペインでの教育は大変でしょう」と、本校の教育理念をお尋ねになられました。「国際性豊かな児童・生徒の育成に力を入れております」との私の答えに大きく頷かれ「もう、こちらの生活には、すっかり慣れましたか」と、私たちの生活のことをご心配くださっているご様子に、在外の地での苦労も吹き飛ぶ思いでした。
 最後に「これからも頑張って下さい」と、激励のお言葉をいただいたのです。
 11時30分から始まった御引見でしたが、予定時間を少しオーバーして12時30分過ぎに終了しました。
 天皇陛下の、一言ひとことゆっくりとお話になる温かさと、皇后陛下の控えめで物静かな優しさが、今でも強い印象として残っています。

                 天皇皇后両陛下御引見のお言葉


 平成6年10月11日(火)
 スペイン国王パルド宮殿・拝謁の間


 山口大使による出席者の紹介。

 
以下は、天皇陛下のお言葉です。

 
山口大使「マドリッド日本人学校、加瀬校長夫妻でございます」

  加瀬  「陛下のご来西をお待ち申しておりました」

 天皇陛下「ご苦労様です。昨日は空港での出迎えを、有難う」
 
 加瀬  「はい、陛下のお元気なお姿を拝謁し、嬉しさで一杯でございます」

 天皇陛下「有難う」

 
    ここまでは歓迎のご挨拶で、気持ちの上でも比較的楽だったのですが、この後の話
     
題をどうするのか、会話が途切れ、陛下と向かい合ったまま沈黙の時間を作ってし
 
    まっては・・という気持ちが強かったのです。一中学校長の立場で、陛下に対する
 
    話題の提供は、ことのほか緊張するものですが、こんな私の気持ちを理解してくだ
      さったかのように、陛下のほうから話題の提供をいただき、この後は、妻ともども
 
    滞りなく両陛下とお話をすることが出来ました。

  天皇陛下「ヨーロッパの日本人学校では、子供たちの人数が少なくなって、大変ですね」

 加瀬  「はい、マドリッド日本人学校の児童・生徒数は、幼稚部・小学生・中学生で87名
でございます」

 
天皇陛下「ああ、そう。スペインでの教育は大変でしょう」

 
加瀬  「はい。マドリッド日本人学校では、『国際性豊かな児童・生徒の育成』に力を入れて教育しております」

 
天皇陛下「もう こちらの生活には、すっかり慣れましたか」

 
加瀬夫人「はい。この4月からこちらに参りましたので、少しずつ・・。これから3年間こちらにおりますので」

 
天皇陛下「ではこれからですね。頑張って下さい」

 
加瀬夫人「はい。有難うございます」

                  
                   スペイン国王カルロス一世のパルド宮殿での天皇皇后両陛下ご引見


 次は皇后陛下のお言葉です。

 私たちがマドリッド日本人学校へ赴任する前後、皇后陛下の体調不良が新聞、テ
レビ等で大きく取り上げられ、日常生活での会話にも支障をきたしている、と報じられていた折だけに、お声は小さかったのですが、私たちへのねぎらいの言葉をはっきりと述べられ、その表情にも健康を回復されているようなご様子をうかがうことが出来ました。

  加瀬  「マドリッド日本人学校の校長でございます」

 
皇后陛下「あっ 昨日は寒い中、空港でのお出迎えを、有難う」

 
加瀬  「はい、恐縮に存じます」

 
皇后陛下「長い時間立っておられて、お寒くなかったでしょうか」

 
加瀬  「はい。子どもたちも大変喜んでおりました」

 
加瀬夫人「皇后陛下、陛下はお寒くございませんでしたか」

 
皇后陛下「私は寒くありませんでした」

加瀬夫人「皇后陛下のお元気なお姿を拝謁して、感激しております」

皇后陛下「有難う」

皇后陛下「これからも、日本人学校のことをよろしくお願いします」

加瀬  「はい、有難うございます」

皇后陛下「お出迎えいただいた皆様方に、よろしくお伝え下さい」

加瀬  「はい。皇后陛下も、いつまでもお元気で」

皇后陛下「有難う」

このように和気あいあいとしたムードの中で、両陛下との御引見は一時間以上にわたって続けられました。両陛下と私ど

もとの会話をご覧になっていただいてもお分かりのことと思いますが、常に両陛下の方から話のきっかけをご提供いただ

き、緊張場面の御引見を滞りなく、しかも楽しく終らせることが出来ました。あのような、天皇皇后両陛下と向かい合っ

ての会話では、こちらからの話題の提供をどうするのかで気を使い、緊張するものですが、両陛下の国民に対する温かい

思いやり、人柄が伝わってくる御引見でした。

 


  天皇陛下のお弁当代はいくら?

 スペインを公式訪問中の昼食に、陛下は幕の内弁当を所望されました。

 
陛下のお弁当をお作りになる名誉は、マドリッド日本人会理事、サントリーの桜井氏が担当しました。ロンドンからサントリー腕利きのコックを呼び、素材は全てJALで日本から取り寄せ、かかった経費が一人当たり10万円なり。

 
で、弁当代としていくら頂いたのかといいますと、一人分1万5千円。

 それでも、桜井氏曰く「大変名誉な仕事をさせていただきました。」