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アメリカの黄禍論はなぜ生まれたか - 中国人移民排斥から排日移民法まで

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19世紀末〜20世紀初頭に起こった反アジア人論

黄禍論はアジア人に対する経済的・社会的・軍事的・生物的脅威を唱えた「反アジア人論」。

特に19世紀末からの中国人移民と日本人移民のアメリカ流入に併せてマスメディアを中心に扇動されるようになりました。

日露戦争による日本の勝利によって日本の軍事的脅威が高まると一気に差別的感情が噴出し、とうとう1924年の排日移民法の制定にまで繋がっていきます。

黄禍論はアジア人を相対的に敵視することで、「白人種」内での人種の境界性と優位性を薄めるることになりました。

1. 黄禍論とはなにか

黄禍論とは元々、1895年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の依頼で描かれた壁画「ヨーロッパの人々よ、その聖なる領地を守り抜け」に由来します。

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この絵ではヨーロッパの国々を代表するメイデン(乙女)たちが、東方で唸りをあげる邪悪に対峙する様子を表しています。

ヴィルヘルム2世は、仲の良いロシアのニコライ2世を助けるために、日本の脅威を煽ってロシアを助ける国際世論作ろうとしました。

また、ドイツ自身も世界各地で植民地拡大を図ってイギリスやフランスとの対立を深めており、特にアメリカはドイツに対する警戒を強めていたため、アメリカが警戒すべきはドイツではなく日本であり、白人種は共に日本に立ち向かうべきであると主張したわけです。

ドイツが制作しアメリカで配布された黄禍論のパンフレットは数十種類にも上るのですが、1905年に日露戦争で日本が勝利すると、黄禍論はアメリカで一気に沸き起こるようになりました。

 黄禍論は日本の軍事的な脅威だけでなく、

経済的に侵食され職が奪われる、

白人の社会が破壊されアジア人の野蛮な風習に支配される、

劣等人種のアジア人と白人が交わることによって知能やモラルが低下した人間が生まれる、

のような、まるで病原菌やイナゴの大群でもやってくるかのように、黄禍論者はアジア人を恐れ、白人種の社会を守るにはアジア人を追放するしかないと主張しました。

この背景には、19世紀半ばから始まった中国人の移民によるコンフリクトがあります。

 

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2. 中国人移民(1850年代〜1882年)

 アメリカにおける中国人移民の流入はカリフォルニアでゴールドラッシュが起こった1850年代半ばに始まります。

安く勤勉な中国人苦力(クーリー)は大陸横断鉄道建設にかかせない労働力で、完成後は農業労働者や下男、コックなどの労働者として定着していきました。1860年頃には当時のカリフォルニアの人口の10%にあたる3万5000人にもなりました。

 

雇用主にとっては安く勤勉な労働者が確保できて満足であったのですが、この事態に危機を募らせたのが、アイルランド系を中心とするヨーロッパ系の下層労働者たちです。

彼らにとって中国人労働者は自分たちの職を奪い賃金を低下させる脅威でしかなく、早くから排斥運動が頻発します。

中国人の生活慣習や文化への無知、さらには目が細く背が低いという身体的特徴からくる人種偏見、そして阻害、集団排斥へと繋がっていきました。

 

これにはマスメディアも一枚噛んでおり、低所得者の間で広まる中国人への嫌悪感をカネに変えるべく、憎悪を煽る様々な記事を出していきました。

例えば中国人街を歩いたルポでは「チャイナタウンに住む中国人は下水溝の中の鼠同然」とこき下ろし、さらには「鼠を食うヤツら」などの風刺画を載せて不衛生で駆除されるべき存在として描きました。

 

中国人排斥の機運が高まると中国人への襲撃や暴行が相次ぐようになります。

高まる「中国人問題」を受けカリフォルニア州政府は調査に乗り出しますが、そこで出た証人の発言は

「中国人労働者の進出には全ての白人労働者を奴隷状態に落とす」

「中国人を帰化させると太平洋沿岸部の共和政は破壊される」

「中国人の頭脳では自治能力はない」

などといった差別的な文が並ぶ報告書となりました。

 

反中国人感情は連邦政府を動かします。

1875年にペイジ法が成立。これにより、中国人売春婦の入国ができなくなりますが、イコール中国人女性のほとんどが入国できなくなります。

次いで1882年に中国人排斥法が可決され、特定の民族を対象とした移民制限が初めてアメリカで成立したのでした。

中国人排斥法は当初10年の移民停止のみでしたが、その後延長され「永久に禁止」とされました。

中国人移民排斥法は、第二次世界大戦で中華民国とアメリカが同盟関係になる1943年まで続くことになります。

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3. 日本人移民(1869年〜1924年)

日本人移民のアメリカ進出は中国人に遅れること約20年、カリフォルニアに成立した若松コロニーの入植に始まります。 

 最初は中国人と同じく鉄道建設や鉱山労働者としてやってきて、後に農業労働者として農業開発に携わるようになり、都市部では商店や交易に従事する者も出て来ました。

日本人移民も中国人移民と同じく、ヨーロッパ系労働者階級の激しい憎悪の対象となり、「日本人は白人の労働とカネを奪うヤツら」として排斥運動が起こります。

しかし全米各地に日本人移民の排斥運動が拡大するのは、1905年で日本が日露戦争に勝利したことがきっかけです。

白人種であるロシアを打ち破った日本は、人種的・軍事的・政治的な敵であり、このままではアメリカ西海岸はヤツらに乗っ取られる、といったセンセーショナルな語られ方をされるようなっていきます。

中国人・日本人への人種差別や経済的脅威論が、本格的な「黄禍論」に発展したのがこの頃です。

 

1905年にはサンフランシスコに「日本人・コリアン排斥同盟」が結成され、カリフォルニア州各地で不買運動、政治運動、新聞・ビラでの主張など、日本人排斥を拡大すべく活動を行いました。

日本人移民の組織や日本政府の抗議・抵抗もあり、中国人ほど被害は出なかったものの、個人や団体が襲撃を受けたり、家屋が破壊されたりなどの被害が出ています。

 

1913年、カリフォルニア州議会で「カリフォルニア州外国人土地法」が成立。

この法律は帰化権を持たない外国人の土地所有と、3年以上の賃貸を禁止したもので、事実上日本人移民が住宅を持つことができなくする法律でした。

その後も排日機運は盛り下がらず、政治家たちは庶民受けの良い差別的な言説を垂れ流し、マスコミも排日的な文脈の記事や風刺画をたびたび掲載していきます。

そうしてとうとう1924年に「1924年移民法(排日移民法)」が成立。

この法律は1890年時点でアメリカに住んでいた各国出身移民数を基準に、各国の移民をその2%以下にするもので、日本人だけを狙い撃ちにしたものではありませんでしたが、この法律の成立により、日本人は事実上アメリカへの移住を完全に停止させられたのでした。 

このような日本人に対する差別的言説の世論は、第二次世界大戦中の日系人の強制収容所の悲劇に繋がっていくわけです。

 

4. 黄禍論がもたらしたもの

黄禍論は「アメリカ白人」の統合と一体化を進めたという側面もあります。

15世紀ごろからカトリックとプロテスタントの対立は激しく、ヨーロッパで血で血を洗う抗争を生み出してきました。アジア人移民がアメリカに流入する以前、19世紀のアメリカでも両者の対立は激しいものがありました。

アイルランド・カトリック系は白人の中では「怠惰で自制心が効かず暴力的」として差別され最下層に位置付けられ、賃金の安い下層労働しか仕事がなく、必然都市にスラムを形成し貧しい生活を強いられました。

一部はギャングや犯罪組織となってイングランド・プロテスタント系が支配する社会に挑戦し、これに対抗しようとイングランド系の自警団がアイルランド系を弾圧するなど、両者の間には極めて鋭い緊張関係が続きました。

 

白人の中で最下層に置かれたアイルランド系は、1850年以降に新たにやってきた中国人や日本人などのアジア人に対して、当初は経済的脅威から排斥運動を繰り広げていきました。

しかし次第にアジア人の文化の理解し難さや身体的特徴から人種差別に発展していき、黄禍論が巻き起こるに至って、アイルランド系だけでなく、イングランド系もスペイン系も自分たちヨーロッパ出身者を「白人」と定義し、アジア人と自分たちを相対化し始めます。

その過程でかつて激しかったヨーロッパ系の相違が埋められ、「白人」というものが整理されていったのです。

肌がアジア人のように褐色な「白人」もいるし、アジア人の中には比較的肌が白い人種もいるものですが、そういう厳密な肌の色の違いではなく、「白人」はヨーロッパ系のキリスト教徒のことであるというという定義がアジア人排斥の中で固められていったのでした。

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まとめ

 ある集団とある集団の対立は、別の敵を見つけて自分たちと差別化するしか解決方法がないのかと考えると暗澹たる気分になってきます。

 しかも現在のアメリカ大統領は人種の対立を煽るトランプです。世界的に自国優先主義と差別主義が勢いを増しています。

 こんな時代だからこそ、過去にそのような差別主義と民族排斥が何を起こしたか、今こそ知るべきと思います。

 

参考文献

<23>岩波講座世界歴史 アジアとヨーロッパ「アメリカ合衆国におけるアジアとヨーロッパ -アジア移民とヨーロッパ系アメリカ人の遭遇と葛藤-」竹沢泰子