夫が息を引き取った。
8月30日深夜のこと。
ハイクとTwitterに散発的な投稿をした。
まとまった話を書くだけの集中力と気力がない。
大変な苦しみようで、拷問の末に薬でとどめを刺すような最期だった。
声すら出ないほど衰弱した身体で「苦しい、苦しい」とあえいでいると思ったら、口の形は妻の名前を呼び続けていた。
夫は再発以来本当に笑っていたことはなかったと遺影にする写真を選びながら気が付いた。
なぜあんな善良な人がこんなに若くして死ぬより苦しいと思うほどの苦しみにさらされなければならなかったのか。
Hagexさんのことやシリアの空爆、世界各地の飢えと貧困、災害の惨さを思えば人の善良さと平安な生涯には何の相関関係もないとわかるのに、そう思わずにいられなかった。
夫に帰ってきてほしいと思うけれど、死の恐怖と痛み止めのことしか考えられないほどの絶え間ない痛みに支配されていた夫をこの世に呼び戻したいわけではけしてない。
苦しむもちおを見るのはもちおを失うこと以上につらいと思った。
愛が何の役に立つのか。
もちおがいない。
骨壺と遺影を置いた寝室に夫とわたしのベッドを並べて眠る。
この二年半、わたしの生活は看護中心だった。
もしもひとりになったら、そのときはひとりだからできることをしよう。
会いたい人にあって、思い切り仕事をして、行きたいところへいこう。
そう考えながら、これは幻想だとわかっていた。
健康で感情的に安定して経済的な不安もない状態でその日を迎えられるわけがない。
自分がいまどれほどショックを受けているかわからないし、社会的、経済的な立場がどう変わったのかもまだ把握できていない。
わかっているのは温かい生身の身体を持ったもちおがいなくなって、二度と帰ってこないということだ。
思うことはたくさんあるけど、何かを書き残すことで事実がゆがめられてしまう気がする。
でも書かないと情け容赦なく記憶は薄れていく。
もっちゃん、もっちゃん、だいすきよ。
もっちゃん、ありがとう、もっちゃんはみんなをしあわせにしたんだよ。
忘れないでね。
何度も何度も耳元でそういった。
愛してる、愛してる。ごめんな。幸せになってな。
意識が戻るたび、声が出るかぎり、出なくなってももちおはわたしを探してそういった。
愛していれば悲しみと痛みは避けられない。
こうなると知っていたらここまで情が移るような暮らしはしなかったのに、まんまとやられてしまった。