私は普段テニス(だけでなくスポーツほぼ一般)をほとんど見ないのだけれど、大坂なおみさんについてのニューヨーク・タイムズの記事を少し前に読んで、非常に興味を持っていた。試合前から、報道やインタビューで「日本人初」とやたらと強調される(これはアメリカの報道でも同じ)なか、「日本代表として出場はしていても、父親はハイチ人で、私はハイチも代表しています」と当たり前のようにさらっと言う、その姿にとても好感を持った。今日のUSオープン決勝はさすがに歴史的な組み合わせでは、と思って生で見たら、とんでもない展開に。最後のほうは見ているだけで動揺して、授賞式を見ながらも、見終わってからも、しばらく涙が止まらなかった。
なんと言っても、確実な実力と、あんな状況のなかでも落ち着きと集中力を失わない驚異的な精神力で勝利したのに、素直に喜べない大坂さんが気の毒でならない。それと同時に、不当な警告に抗議したことがさらに警告へとつながり、まる一ゲームも取られてしまうという極端なペナルティで、公正な試合をさせてもらえないという思いを強めるセリーナ・ウィリアムズの、これまでに積もり積もってきた思いと、彼女が背負っている女性アスリートの歴史を思うと、ますます涙が出る。あんな警告がなく、通常の試合をした結果だったら、彼女だって潔く女王の座を笑顔で譲っただろうに。それにしても、FBでの友達の投稿を見る限り(きわめて限定されたサンプルであることは百も承知ですが)、どうもこの試合についての反応が、日本とアメリカでずいぶん違うみたいだなあ、と思っていたのだけど、日本の新聞の文章などを見てちょっとわかった気が…
私はアメリカのテレビ中継を生で見ていたのだけど、日本の報道の形容と私がアメリカのメディアを通して見たものは、かなり違う。アメリカでは、テレビ解説者の試合中とその後のコメントにしても、メディアでの報道にしても、審判の警告は行き過ぎであり、「男性選手だったらもっと酷いことを言ったりしたりしても警告など受けないのに、抗議をしたことで一ゲームも取るのは女性アスリートへのセクシズムである、というウィリアムズには言い分がある」という論調が主流。これは、単なるアメリカ贔屓、ウィリアムズ贔屓ということだけではなく、スポーツにおける女性、とくにマイノリティ女性の位置付けの歴史の背景がある、というのはアトランティック誌の記事などをみるとよくわかる。
それに対して、たとえば朝日新聞の記事では、「主審に対して『私に謝りなさい。あなたはポイントも奪ったから、泥棒』と口汚く罵倒し、1ゲームの剝奪を言い渡された」との記述があるので驚いた。ウィリアムズの発言は、確かにとても強い口調での抗議ではあったけど、「口汚く罵倒」などはしていないし、You owe me an apology.を「私に謝りなさい」という命令調に訳すのも誤解を呼ぶ。日経新聞には「次第にS・ウィリアムズはイライラを爆発させ、警告を受けた」という文があるが、これはプレーが自分の思うとおりにいかないことにイライラしていたような印象を与える。さらに、授賞式での大坂さんについて、「ブーイングの中で始まった優勝インタビューでは『勝ってごめんなさい』とひと言」という文もあるが、これは明らかな誤訳で、彼女は「勝ってごめんなさい」などとは言っていない。I'm sorry it had to end like this.は「このような終わり方になったことは残念です」であって、謝罪ではない。(sorryという単語が出てくると謝罪だと思うのは間違い。たとえば親しい人を亡くした人に、I'm so sorryというのは普通のことで、悲しみやシンパシーや遺憾の意を表現するのにもsorryは使われる。)テニスの試合の報道でもこのようなことがあるのだから、国際情勢についての報道でどれだけこうしたことがあるのかと思うと、恐ろしい気持ちになる。
日本の報道がある程度「日本贔屓」になるのは仕方ないかもしれないし、日本を代表する選手が勝利したのは、私も単純に嬉しい。でも、今日の展開は、日本人とハイチ人の親のもとで主にアメリカで育った日本代表選手と、スポーツの中でもとくに黒人が入りにくかった歴史をもつテニスで女王の座を築いてきたウィリアムズの対戦だったということで、「国」や「国籍」以上に、歴史的にとても意義深いものだったはず。憧れの対戦相手が苦い思いをする試合となってしまった、観客が新しいスターの誕生を祝福するどころかブーイングまでする(もちろん観客がブーイングしていたのは大坂選手に対してだけでなく、審判やそれが象徴する歴史や体制だけれど)結果となってしまった、そのなかで表彰台に上がり涙する大坂さんを見て、肩を抱いて力づけ、観客に「もうブーイングはやめましょう」と言うウィリアムズ。We'll get through this.という彼女が指すweとは、テニス界を率いたり応援する人々であり、日々セクシズムと闘う女性たちやレイシズムと闘うマイノリティたちであり、このような展開で試合に陰りができてしまった大坂さんと自分のことであろう。そのウィリアムズの姿と言葉に、これが本物の女王だと感じると同時に、マイノリティ女性が次世代のマイノリティ女性を勇気づけて世界の頂点に引き上げる絆と連帯を見て、少し救われた気がした。大坂さんはとても賢く成熟した人間なのは明らかなので、落ち着いた頃に、不公平なことには堂々と抗議するウィリアムズへの憧れをまた強くするだろうし、これから長いキャリアを積んで自らもそのようなロールモデルになるだろう、と期待。
35 件のコメント:
アメリカでの報道のされ方などハイチ代表としても戦っている大坂選手のことは日本の報道で見たことがなかったのでとても為になりました。
細かいことなのですがセレモニーで発言した内容でI'm sorry...を謝罪ではないと書かれてます。もちろん「勝ってごめんなさい」というのは誤訳なのは間違いありませんが大坂選手の試合後の会見でQ. Why did you feel like you needed to apologize for doing what you set out to do?と謝罪したと受け取られてる記者もいます、し他にも謝罪として受け取ってるいる英語圏の方たちを見かけるので一概に謝罪ではないと言い切れないと思うのですが。英語は苦手なので気になったことを質問させてもらいました。
会見での質問のソースはUSopenの公式サイトです。
https://www.usopen.org/en_US/news/interviews/2018-09-08/2018-09-08_interview_naomi_osaka_final.html?chip=0
単純に良し悪しを決めつけるような報道は多いなか私が知ることのできないマイノリティなどの葛藤を知ることのできる投稿でした。感謝致します。
ありがとうございました。大坂さんの勝利者インタビューの背景がよく理解できました。
日本でテレビ中継を見ていましたが、You're liar.というのは充分審判に対する侮辱に値すると感じましたし、ブーイングは抗議を止めないセリーナに対してのものも混じっていたと思います。ラケットを壊したプレーは判定だけでなく、プレー面で上手くいかないフラストレーションを爆発させた場面だと思いました。メジャーリーグやNBAであそこまで執拗に抗議をしていたら退場となってもおかしくないと思います。多少の誤審はあったとしても、審判への敬意がなければ競技は成立しません。今回は明らかにコーチのゼスチャーに疑わしいところがあったので例えセリーナがそれを見ていなかったとしても警告自体に問題があるとは思えません。
このブログ、とても共感を持って読みました。
色々な視点、特に日本とアメリカのメディアのギャップを、まとめてくれていて、
この一つのスポーツ界事件の記録としても価値があると思います。
在米日本人、有色人女性、と言う立場から見るとより複雑な事件でしたね。
ブログエントリー、ありがとう!
"「男性選手だったらもっと酷いことを言ったりしたりしても警告など受けないのに、抗議をしたことで一ゲームも取るのは女性アスリートへのセクシズムである、というウィリアムズには言い分がある」"
私はただのテニスファンでセクシズムについて明るいわけではありません。しかしこの意見には絶対に賛同できません。
「お前には二度と私の試合の審判が出来ないようにしてやる」というセリーナの発言は一線を越えています。ただの不満や抗議などではなく、自身の立場を利用した審判への脅迫です。
抗議の際の声の大きさや言葉の汚さという点では一部の男性選手の方がはるかに悪いでしょう。しかしセリーナが行った脅迫はレベルが違います。
少なくともこの10年のグランドスラムでは、男性選手が審判に対してこのような脅迫行為を行ったということは私は見たことがありません。
セリーナほどの影響力と強力なスポンサーを持つ選手がこのような発言をしたことは残念でなりません。仮に審判がこれを容認したとすれば、テニス会にとって大きな汚点になったでしょう。
自身のメンタルの問題をセクシズムの問題に置き換えて正当化する彼女の姿には失望しました。
そして、安易にセクシズムの問題として取り上げてしまうメディアが多いことにも失望しました。彼女が黒人で女性で人気者だから攻撃したくないのでしょうが…
セクシャリティーやマイノリティーを持ち出せば、どんな無理やりな言い訳でも否定することがタブーとになってしまう。現代のアメリカの病巣が現れたと思います。
このような歪んだポリティカルコネクトへの民衆の静かな反発がトランプ大統領を誕生させたエネルギーを生んだのではないでしょうか?
"Say I'm sorry!"と審判に叫んでるし、あの"You owe me an apology"はトーン的にも完全に「私に謝りなさい!」でしょう。あと、最初は丁寧なトーンで文句つけてたのに自分のプレーがうまくいかなくてイライラを募らせて最終的に審判に盗人だの嘘つきだの叫んだのは試合見てれば明らかなわけで、日経の記述も別におかしくはない。大坂の訳が謝罪ではないというのはその通りでしょうね。
WOWOWにてリアルタイムでこの試合を見ていました。
あのセレナの猛抗議とその結果についてはほぼその新聞の記述と同様、
行き過ぎた表現を伴った「見苦しい」抗議に見え、
ラモス審判の判断は至極妥当だという印象しか持ちませんでした。
国際競技のプロ選手であれば、裁定に対して是非を求める行為は
試合の終了後に所定の手続きをもって行うのが「唯一の手段」であり
「侵されざる道理」です。
これに国柄や民族による例外はありません。
そして、どのような裁定であれ、プロスポーツ選手が「ゲーム中に」審判を
「嘘つき」と罵るのは(そう、明らかにあの口調と態度は「罵り」でした)
許されるものではありません。ラモス審判の表情を見ればわかりますが、
1ゲームペナルティはあの瞬間に確定していました。
グランドスラムの決勝という舞台でなければ、
あの時点で没収試合になっていてもおかしくない行為でした。
貴方はこの試合を見ていましたか?あの瞬間に至る過程を本当に見ていましたか?
貴方のこのエントリこそが、
マイノリティ/マジョリティ論に乗っかって過剰にバイアスをかけた
「公正を欠く見解」であると私には思えます。
長年、テニスを見続けている者としての感想です。
ことの経緯は
①全体的にセレナが押されていて苦しく、頼みのサーブが入らずイライラする展開
②そこにコーチング・バイオレーション
③"久しぶり"にセレナの癇癪発動。彼女は以前よく癇癪を起しており、2009全米セミのクライシュテルス戦で線審に暴言を吐き、ウォーニング二回目を食らい、1ポイントはく奪。そのポイントがマッチポイントだったという出来事がありました。今回の癇癪を見て、久々に大きい癇癪が出た、それが、ラケット破壊、暴言へとつながったという印象です。あくまでも原因は自身のプレイ内容へのイライラであって、コーチングのバイオレーションは後付けの理由ではないかと想像します。
審判については、もう少し空気を読んでジャッジしろよ、とは思いました。ただ、今回の大会で導入されたショットクロック同様、テニス界でルールの運用をより厳格にしていこうという流れがあるので、審判の行動も理解できます。
試合後のESPNのセレナのコーチへのインタビューで、コーチはスタンドからのコーチングを認めました。同時にみんなやってることだと。これが事実ならルールの問題で、コーチング禁止が譲れないならコーチはスタンド観戦禁止などのルールを新たに設けるべきでしょう。また、WTAのツアーで認められている各セット一回のオンコートコーチング採用ということも考えられます。
なおみ選手の"Sorry"について。
彼女はアメリカ暮らしが長いものの、母親の影響を強く受けていて、それはことあるごとに軽くお辞儀する所にも表れているのですが、Sorryの使い方も極めて日本的だという印象を持っていました。なので、意外と日本のメディアの訳が正しいのではないかと思っています。
最初にこのコラムを書いて下さったことに感謝します。十人十色の解釈がある中で、日系主要紙の誤訳がもたらした影響は大きいと思いますし、ただエモーショナルコントロールが出来ていなかったのだと言うには補って有り余るマイノリティ女性の背景を知ることが出来ました。一方で、スポーツマンシップという言葉通り、コート上での審判の判断は絶対であり、残念ながら理性を上回る感情の波を押さえきれなかったセリナを不憫に思います。そんな中で最後まで頑張って戦い優勝した大坂なおみさんには、よく頑張ったとしか言いようがありません。若干16歳での大舞台で、ずっと憧れていた選手が目の前で壊れていく様を見て、正面から受け止めず自分のプレーに集中したことが素晴らしいですね。総合力、実力での勝利です!
本当に試合を見ていたのかはなはだ疑問。「「男性選手だったらもっと酷いことを言ったりしたりしても警告など受けないのに、抗議をしたことで一ゲームも取るのは女性アスリートへのセクシズムである、というウィリアムズには言い分がある」という論調が主流」とのことですが、たったの一回の抗議ならまぁその言い分も多少は通るでしょうが、そもそも警告って一回目はおとがめなし、二回目から1ポイント相手に、そして三回目の警告で初めて1ゲーム相手にわたるんですよ? 言い換えれば、セリーナは二回の警告を受けながらも講義をし続けたというわけで、それをジェンダーあるいはマイノリティの問題にするのはとても恣意的ではないでしょうか。それに、マイノリティというなら大阪だってマイノリティであって、そもそも原因を作ったのはコーチだし、セリーナの二回目の警告は度重なる抗議ではなくラケット投げに対してであって、その後の連続する抗議のあと初めてようやく1ゲーム取られる警告に至ったわけなんですが。もう一度聞きますが、本当に試合を見ていましたか?もし本当に見ていたとして、このような意見になるのだとしたら、はっきりいってモラルを疑います。そのくらい、おっしゃっていることの意味が分からないです。
また、本当に試合を見ていたのであれば、「これはプレーが自分の思うとおりにいかないことにイライラしていたような印象を与える」というようなことをおっしゃっていますけれども、その通りでしょうとしか言えません。ラケット破壊は二度のダブルフォルト直後です。もしセリーナがイライラしていなかったのだとしても、二度のダブルフォルトの直後のラケット破壊はイライラを募らせたと思われても仕方がありません。一度目の警告はコーチが悪く、そしてコーチが認めており、また二度目の警告はイライラを募らせて、またその後も抗議をし続けて三度目の警告を受けたセリーナに、本当にマイノリティだから、あるいは今まで差別と闘ってきたからこそのものだという擁護ができますか?是非一度、ジェンダーあるいはマイノリティという視点以外から眺めてみてはいかがでしょうか。こういう記事を見ると、大阪なおみの快挙が不当に貶められてしまっているように思えてならないのです。はっきり言ってしまえば、大阪なおみが日本人だと素直に思えないといっているような人種と大差がないように思えてしまいます。それに、大阪なおみをセリーナのように差別と闘うロールモデルとして期待するのは勝手ですが、今回の試合を見てそのような判断を平然とおっしゃることができるというのは不思議でしょうがありません。セリーナの最後のブーイングはやめて、も事の発端は彼女自身です。試合を見ていたら、恐らく記事のような判断にはならないと思うのですが。
イギリスのタイムズ紙もrantという単語を使っているので、「口汚く罵倒」に近いと思いますよ。
テニスのofficiatingサイドにも趣味でちょっと関わっているのですが、確かに最初の警告(コーチング)は厳しいかな、思いました。しかしいくら抗議しても判定は覆されることはない、と100も承知でずーっと文句を言いつづけ、2回目の警告で1ポイント取られるとわかっていながら、次はラケットアビュース。そして主審を泥棒、嘘つき呼ばわり。これも当然警告。
私は試合をAmazon Primeで見たのですが、試合後のコメントでは、元プロテニス選手のルーゼドスキーもハンチコバも判定は妥当であったという意見でした。
ジェンダーの問題を出すのなら、あの場で泣き叫ながら、というやり方だったのが大変残念です。
凄い共感しました!
アメリカのメディアの報道だけではなく、SNSでのテニスファンの反応もご覧になられてはいかがですか。私の読んだ限りではセリーナへの批判が大部分でした。自分の不甲斐なさを誤魔化すために「ジェンダーカード」を持ち出したのは見苦しい、審判に対する明らかなパワハラ、などの意見が目立ちました。
非常に勉強になる視点です。感謝致します。個人的に、数年前にある世界的に人気のある女性アイドルメタルバンドが英国での音楽の授賞式で受けた嫌がらせを思い出しました。初めて「有色人種のヒエラルキー、階層問題」を知ったエピソードとなります。司会をしていた男性黒人ミューシャンが、その日本のバンドをステージの上でからかったのです。ヴォーカル女性が英語で感謝のスピーチをしている最中に、奇声を出し続けて遮断しようとしました。直後一応謝罪したのですが、その際に「同じ有色人種だから馬鹿にしていいと思ったんだ」とツイート。
その歪んだ、根深い、「同列意識」に背筋が凍った記憶があります。
(音楽ジャンルの中での「アイドル」への蔑みもあったと思われます。)
ですが、このウイリアムズ選手の怒りと大坂選手の反応に関する問題では「その階層意識のややポジティブな部分」、つまり「女性有色人種アスリートの戦友」としてのリスペクトをウイリアムズ選手と大坂選手の間に感じました。これは美しい連帯でもありますが、当然、特にテニスにおいては、今後も繊細な問題なんでしょうね。
で、個人的に、当方は(実はネトウヨなんですが)大坂選手の家族を受け入れ、育ててくれている=アメリカの「リベラルな社会」に、感謝と畏敬の念を感じます。日本ではまず不可能な「移民社会の懐の深さ」だと思います。
私もアメリカに長年住むもので、「このような終わり方になったことは残念です」と言う訳に80%賛同します。
日本に住む方はナショナリズムが強く、特に長年のテニスファンにおきまして、この意見に感情的に反感を覚える方が多いのも同じく理解できます。
これは国籍が日本でなくても、日本のバックグラウンドのある人が賞を取ると大喜びをするような、素朴な感情、国籍というものにそこまでの厳密さやその意味を考えずに生活を送ることが出来る背景があるのだと思います。
実は長年のテニスファンでイギリス在住時にはウインブルドンに何度も通い、セレースがどんなに失礼な扱いを受けても決して礼儀を失わずプレーする様子を実際に目前で見てきました。それには本当に心を打たれました。
また長年の選手生活で、酷い経験をしたであろうきとは想像に難くなく、表彰式のブーイングにすぐさまナオミを抱きしめてあげるような繊細さを持った彼女がどれほどの傷を負ってきたかは、私達には到底理解できるものではないと思います。特にテニスの本場イギリスやオーストラリアの未だに根強い身分差別と言うものは、到底日本に住む方々には理解できないと思います。
実際産まれたばかりの子供を妊娠していた時に「生まれて初めて来る子はミルクチョコレート?」などと胸が痛くなるようなことを言われていました。
それらの背景をどれだけ理解しているかどうか、と言う情報量の差によっても、受け取り方はずいぶん違うのではないでしょうか?
同時に、ナオミが「(対戦相手の方が人気が高かったのに)勝ちゃってSorry」と言う発言を過去にしたことがあるので、それを念頭に誤訳(?)になった経緯も理解できます。何より、そのほうが読者受けしますからね。
他には、過去にラケットを投げても、暴言を吐いてもどの選手もペナルティにならなかったりケースがほとんどだったと言う事実もあります。
解説者たちは少なくとも「審判はこれ以上続けると、さらなるペナルティになりますよ」と事前に伝えるべきだったと言っていました。
ナオミも今回のトーナメント前までは上手く行かなくなるとラケットを投げる癖がありました。
また、仕合後にセレースが「今までこの審判と問題が起きたことは?」の質問に「いいえ、彼はずっと素晴らしい審判でそんなことは一度もなかったわ」と間髪入れずに答える場面もありました。
ナオミが「セレースはスロースターターだから早めにポイントを取って行こうと思った。試合が長引いて応援が増えると彼女はパワーアップするタイプだから」とも発言しています。(彼女のコーチは8年間セレースの練習相手でした。)
ですから彼女のsorryにその意味があったかもしれない、とも受け取れなくもなく、そのあたり御本人に確認するしかないのですが。なにが起こったか理解していなかったと言うことですので、単純に対戦相手のグランドスラムを阻止してしまったことに対するsorryだった可能性もありますね。
余談ですが、彼女の試合後のインタビューはなかなかユニークでいつも楽しみにしています。
セレーナが単純に女性として、子供を産んだばかりで感情コントロールが難しかった部分は充分に考えられる(これは素晴らしいプロである彼女に対して大変失礼な意見かもしれませんが)と思う部分もゼロではありません。
コーチングの件につきましては、彼女は『事前に相談してサインを決めていた』と言うような、彼女自身の詐欺行為を責められたと受け取り、審判は単にコーチが観覧席からサインを送ったと言う事実に注意をした、と言う行き違いが大きかった気がしました。最初の審判の表現がどのようなものであったかはまだ情報が出ていませんが、注意がコーチに対してでしたら誤解もなかったかもしれませんね。
どちらにしても、この二人のラリーは本当に素晴らしいものでした。
日本のマスコミにおける偏った報道には、背景的には理解出来ても、若干の危惧(充分な情報や知識がない上での正義は時に恐ろしい暴力になってしまいます)を感じる者としましては、大変共感できる部分が多かったです。
アメリカのメディアでもセリーナをそういう擁護している論調はそこまで多くないと思いますが。自分が見たABCテレビなんかでは、セリーナが自分は女性のために闘っていると試合後言ったことに対し、女性のコメンテーターが「この試合とMetooや女性の権利は何も関係ない。セリーナはスポーツマンシップが無い。あの試合のふるまいを女性のために闘っているなど、冗談だろう」と言ってましたよ。
とても興味深く拝読しました。
が、私も上の方にコメントされているUnknownさんと同じところに疑問を抱きました。
NYタイムズのこちらの記事(https://www.nytimes.com/2018/09/09/world/asia/japan-naomi-osaka-us-open.html)でも、「日本人らしく」大坂選手が自分が勝利したことを謝ったと書いています。だから「勝ってごめんなさい」が誤訳とは限らないのでは?
After her victory, Ms. Osaka demonstrated a characteristically Japanese trait when she apologized for her win. “I’m sorry it had to end this way,” Ms. Osaka said, acknowledging the contentious decisions against Ms. Williams by the umpire.
記事の内容 深く共感致します この記事を
私のfacebookにて引用 紹介させて頂きますがご了承下さい
>まる一ゲームも取られてしまうという極端なペナルティ
テニスのルールでは警告三回で1ゲームペナルティと定められています。主審の恣意的なペナルティではありませんよ。
この問題はあなたの様な視点に立つ人と、スポーツマンシップの視点に立つ人で意見が異っています。
私は自身もテニスプレイヤーでプロの試合も多く見ていますが、プロならばセリーナは試合に徹して欲しかったと思っています。つまりスポーツマンシップの視点ですね。日本人だからではありません。
ですのでだらだらと異なる意見を書くことは致しませんが「テニス界ではよく知られている事実」を一つだけお伝えします。
今回の主審であるカルロス・ラモス氏は厳しいことで有名で男女問わずトップ選手にも臆することなく警告を出しています。勿論GSのファイナルの主審を務める程ですから実績も充分です。
そんなカルロス氏にしつこく噛み付いたらどうなるかはセリーナも「冷静に」考えれば分かることです。
因みに優勝セレモニーでは必ず主審にも記念品が授与され労われますが、今回のセレモニーにカルロス・ラモス氏は出ていません。これだけでも十分異様なセレモニーだったと言うことです。
素晴らしいブログをありがとうございます。大変共感しました。
「I'm sorry it had to end like this.は「このような終わり方になったことは残念です」で日本の新聞の「勝ってごめんなさい」は誤訳」という指摘は正しいと思います(sorryもendも)。「謝罪」と「遺憾」の混同が強い日本文化圏的誤訳と感じます。(英語のapologizeとsorryの使い分けはこちらが分かりやすいでしょうか。
https://alugo.net/blog/daily-english/differentsorrynapologize)
精神的に成熟した大坂選手の大きな場の発言にしては、勝利という崇高なものに対し幼く傲慢な発言に感じ、違和感を抱えていたので、このブログで納得しました。この誤訳は大坂選手へも失礼かと思います。
セクシズムの問題に対しては「1件の特殊例として問題を矮小化」「被害者の問題にする」というセカンドレイプ的な反論が必ず起こります。
当記事への反論コメントには同様の論法を感じました(ミソジニーのような手法も…)。
また、あれほど心身共に優れたウィリアムズ選手について知っていたら、「自分が試合で不利な状況だからといって不当な要求をするような人物」というのは一方的な中傷へのすり替えに感じるのではないでしょうか。同様の怒りを有名男性選手が見せたら、「あの彼があれほど怒るほど酷い仕打ち」への怒りと同情も大きいでしょう。同様の重さで考えることができなかったなら、セクシズムのダブルスタンダードです。
そして、彼女一人の怒りではなく、自分が背負った無数の女性アスリートの義憤もあったのではと思っています。声を上げれば叩かれ、上げなければ自分も肯定していたくせにと叩かれる女性達の八方塞がりの苦しみ。
「審判の警告は行き過ぎ」「男性選手だったらもっと酷いことを言ったりしたりしても警告など受けないのに、抗議をしたことで一ゲームも取る」不当性、これが引用されたアトランティック誌記事のように氷山の一角であることを、矮小化せず認識すべきでしょう。そしてそれを認識した記事が主流である現地メディアに希望を持ちます。
そうでないメディアがゼロか、その女性選手に(男性選手なら問題にしないレベルでも)少しでも非があるか、という話に拘るのは無意味です。決してゼロになることがないそれらがゼロでなければ正当な主張というなら、この世の全ての主張と罪は正当化できます。
日本の新聞・TV界の男性社会的歪みは社会問題になって久しいですが、女性アスリートの記事・インタビューは敬意を欠くこともよく指摘され、他先進国と比較しても、選手としての価値や高い人間性の情報を大きく削り、家事や異性の好みを強調したり愚かで可愛いように演出する差別的バイアスが酷いです。今回の件は、その体質にも根があるように思います。
また、ジェンダーについてもナショナリズムについても、普段から他国のニュースサイトを見ている身には、日本国内の報道の偏りに危惧を持っており、大変共感しまた勉強になりました。
優れた見識あるブログを有り難うございました。
メディアでは、リベラル系はセリーナ擁護、保守系はその逆みたいですが、そればかりでないと思います。
大阪さんの「I'm sorry」は、その直前の Katrina Adams女史(CEO of USTA) の発言に反応せざるを得なかったのではないかという批判がSNSでかなり見受けられます。
それは大会主催者が「勝者を差し置いて自国の敗者を真のチャンピオンとして称えた」という行き過ぎた愛国主義への批判であると同時に基本的なマナーの問題でもあるというわけです。
trophy ceremony での異様な星条旗の数。日の丸は1本あったようですが、お気づきになられたでしょうか(笑)。私もあのceremonyの雰囲気はやや異様に思えました。ナチスの党大会のようだと書いてる人もいました。
ceremonyで大阪さんはなぜ泣いたのでしょうか。なぜ、満開の笑顔を見せてくれなかったのでしょうか?
この件で米国に住む中国人の方も、米国におけるアジア人蔑視に関連付けて書いてました。
The New York TimesのようなmediaがSerenaを増長させてしまったと思います。
あなた、テニスを知っていらして?
あそこにあるべきは、テニスの試合よ。
セリーナ持ち込んだ後付けの理由(言い訳)は、プロフェッショナルがテニスの頂点を真摯に戦う場に相応しいの?テニスってオリンピック競技にもあるけど、そのオリンピック精神には政治利用を許さない政治を持ち込まない清廉さと競技への真摯さを競える競技スポーツである必要があるんです。そのテニスのプロの中で世界からほんの128人しか出場できない4大大会の1つUSオープンの女子の頂点を決める決勝で、セリーナがした事はテニスに清廉で真摯に立ち向かったものでしたか?
ルールとしては完全に適切です。
コーチングは無いとセリーナは言うけどコーチの不自然ジェスチャーは確かに存在し、コーチのルール違反の行動を指した警告なのですから…セリーナが見ていてコーチングを受けたか否かは関係ありません。コーチがコートの中の選手に介入行為を示したらコーチングだと警告されるのは、プロのテニスプレイヤーなら…いやセリーナが一番知っているハズ。
ラケットを思い切り叩きつけ折った事は、確実にペナルティの対象になるとセリーナは今まで何回ももやってるので解ってるハズです。
そしてコーチング違反に対してのセリーナの執拗な抗議ですが、その口調も攻撃的でしたしトーナメントディレクターを呼ぶなどは審判への冒涜です。そして最期の引き金の言葉としては「嘘つき」です。嘘つきと言う言葉は侮辱になりますし、主審を嘘つき呼ばわりするという事は全米オープン女子決勝のそれまでの全てに対する侮辱でもあるのです。それを許せないのは、真剣にジャッジをしている審判にとって当然ではありませんか?
あなたはセリーナと同じようにテニスを踏み台にしています。そもそも競技スポーツにセリーナの女性の為にとか言う主張を持ち込むって事は正しいでしょうか?
スポーツを冒涜しないで。
つーか、セリーナ知ってたら「また、やらかしたのか」としか思わない程度に有名なプッツン女なんですが
セクシズムと結びつくとこうも簡単にストーリーが歴史修正されるのねえ
前にも同じようにセレーナが怒り狂って気まずいセレモニーでかわいそうだった選手もいたけど、大坂選手はこの性格破綻者が過去の人になるタイミングで出て来ただけあの選手より幸せだね
試合みていましたが、セレナは1セット取られて自分が劣勢な場面だから感情的になっているように見えましたよ。前科もあるみたいですし。
1回目のコーチングの警告だって最初はそれほど抗議しなかったのに劣勢になったら激しく抗議してました。
抗議をする事でどうにか流れを変えようとしているようにしか見えず見苦しかったです。
観客の反応も含め大坂さんがかわいそうでした。
「liar」など強い言葉を使っていたり審判への脅しのような事も言ったみたいなので3回目の警告も妥当だとおもいます。
男子の試合だってラケット破壊や暴言に警告とります。
もしかしたら男子と女子で警告の判断基準が異なってしまっているのかもしれないですが、あの警告はルール通りにきっちりやった結果です。
主審のカルロスラモスさんは厳しいことで有名で、男子のトップ選手との間でも一悶着あるくらいです。
判断基準が曖昧なのが問題なのであって、ちゃんとしたジャッジをしたラモスさんが批判されてしまうのは悲しいです。
今大会はキリオス戦の審判コーチング問題もありましたし、今後に悪影響を与える流れにならないか心配です。
セレナが女性差別や人種差別と戦っているのはわかりますが、今回の事でそれを持ち出すのは違うんじゃないかと思います。
"You will never, ever, ever be on another court of mine as long as you live. You are the liar. When are you going to give me my apology? You owe me an apology."
これで口汚く罵倒じゃないってのはちょっと……
はじめまして。
ツイッターのリツイートで、この記事を知りました。
私はこの試合を全部観戦していたわけではないし、
テニスファンでもないので、どのような流れになっていたのかわかりません。
その背景とかもわかりません。
そして英語も全くわかりません。
子供のケンカから歴史的な事柄まで、
目線が変われば見方も変わることはあることなので、
いろんな意見があってもいいと思います。
(全員同じだったら、逆に怖いかも)
ただこの記事を読んで感じたことは、
こんなに世界中で交流がある中で、
翻訳って結構適当なの?!
ニュアンスの違いどころではないのではないか?!
そこに驚きました。
同じ言語を話す者同士でも、互いを理解するのは難しいのに、
言葉の違う人と気持ちを通じ合うのは、ものすごく努力しないといけないのだな~と思いました。
テニスの話、スポーツの話とずれてしまいましたが、
自分の思ったことをちょっとお話ししたくなったので。
失礼いたしました。
興味深い分析記事をありがとうございます。
ツイッターでシェアされていまして、お邪魔させていただきました。
大坂さんの発言では、自分もごめんなさいは変だなと思いました。
ただ、sorryが謝る意味だと思っておるのは多くの日本人ばかりではなく、
私が関係の深いフィリピン人のも同様です。
親戚のどなたかが亡くなって明日葬儀だと彼女からFBメッセージが着たのですが、
それに対してsorryのメッセージを送ったところ「どうして謝るの?」と。
sorryはこういう時にも使うようだ、とやんわり説明しておきましたが、
同時にぼくら日本人だけが無理解しているのではないと安心もしました。
いえ、安心してはいけないのですが、英語の表現の奥深さを感じた次第です。
ブログ内容、濃い内容で読みごたえありました。
また寄らせていただきます。
ひろぽん 拝
テニスのルールをよくご存じない方の記事だと思いました。
・警告1回目:警告1
・警告2回目:1ポイント(相手に与える)
・警告3回目:1ゲーム(相手に与える
・警告4回目:失格(相手に勝利を与える)
(http://www.interest-all.com/tennis-game-penalty/参照)
セリーナは恐らくこの1回目の警告、コーチのジェスチャーを自分は見ていないから警告は間違いと主張していたのでしょうが、自分が見たか見ないかは関係ないことを知らなかったのでしょう。しかし、2回目の警告で0-15からゲームがスタートすることを受入れた。
問題は3回目の警告です。
<「お前には二度と私の試合の審判が出来ないようにしてやる」というセリーナの発言は一線を越えています。ただの不満や抗議などではなく、自身の立場を利用した審判への脅迫です。>
これはここの匿名さんのコメントですが、いくらなんでも脅迫はあかんでしょう。しかも3回目の警告ですから、ゲームペナルティはルールどおりですね。
あんなに長時間、何度も何度も審判を罵倒したのは男性選手で一度も見たことがありません。
今後永遠にわたしはあなたを許さないや、あなたはポイントを盗んだ、私に謝れ、謝れ、謝れ、私を殺す気か?などなんども言ってましたよ
ハイライト映像でさえあれなので実際の試合ではもっと罵ってる可能性があります。
そもそもコーチのジェスチャーから警告が始まったわけですし、映像にも捉えられててコーチも認めています。
セリーナが素直にコーチングを認めていればこんな大問題にはなっていません。自滅を別の論点にすり替えているだけです。
この文章にも疑問符。
試合を全部見ていました。
セリーナ選手は、不正を言い渡された後、一番最初に審判に抗議したときは全く感情的にはなっておらず、審判との会話のあと丁寧に「Thank you so much」と言って終えていました。
この時点ではまだ落ち着いた様子でした。
ところがそのあと大坂選手がセリーナ選手にブレイクバックをした直後、人相が変わったかのように怒りを露わにしながらもう一度先ほどの警告に対する抗議をします。
それにより2度目の警告を受けセリーナ選手は1ポイントを失いました。
そのあとは涙を流したり、再び審判に強く抗議をしたりと、素人目に見てもメンタルを取り乱しているように見えました。
何が言いたいかと言うと、不正を言い渡された時点で彼女が取り乱した訳ではないと言うこと。
そのあとに自分のプレーが上手くいかずブレイクバックされた時点で感情を爆発させ始めました。それは事実です。
私も個人的な気持ちとしては、セリーナ選手があんなペナルティを受けたことは可哀想だと思ったし、彼女の主張に肩を入れしています。
しかし、もし公に文章を書くとしたら、彼女を否定も肯定もしない、それが正しいと思います。
なぜなら、一度決まった警告に対して、ゲームをまたいで何度も抗議をし、その度に審判に対する発言が感情的になっていったのは事実だから。(〝暴言〟と言う表現は使いませんが)
最後は「試合」と呼べる雰囲気ではなかった。
擁護したい気持ちはすごくあるが、あの行為を正当化することはできない。
そして、セリーナ選手はテニスプレイヤーとして試合に出場しているのであって、この件に彼女が「マイノリティの女性」であることを関連づけるのはどうなのか。
もちろん彼女自身から審判に対し、女性差別に関する発言があったのだが、それも適切なのかは疑問であるし、彼女の発言に乗っかったりここで正当化する必要はないと思う。
アメリカと日本の偏った記事を正していながら、この文章自体にとても偏りがあることが残念だった。
こちらのご意見に強く同意致します。
主審のラモス氏はこれまでナダル、マレー、キリオスらにも遅延行為や暴言に関するペナルティを科しており、選手間では「厳格な」審判として知られています。彼のジャッジが厳格すぎるか否かという議論はあれど、性差別の議論に敷衍することは適切ではないと考えます。
日本の新聞社の報道を見ても前後関係が分からず、困りはてていました。
別の一面を教えてくれて、ありがとうございます。
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