震度7の「北海道地震」の大停電で体験したオール電化生活の落とし穴
2018年9月6日の午前3時過ぎ。
スマホの「緊急地震速報アラーム」と同時に襲った「激しい揺れ」で飛び起きました。
最大震度7の北海道地震です。
まもなくして北海道全域が停電に……。
その後、約40時間にわたり電気が使えない生活を強いられることになった我が家ですが、長時間の停電で気づいた「オール電化の落とし穴」についてお話します。
停電でIHもレンジも使えないと食べられる物が何もない!
「北海道胆振東部地震」が起こった6日のわが家の冷蔵庫には、調理しないで食べられるものがありませんでした。
普段はパンやお菓子など、いくつかストックされているのですが、買いだめ派のわが家は、その日は買い出しの前日だったのです。
家には「ガスコンロ」もありませんし、もう、最悪です!
予想通り、アイスはでろでろ。肉類も解凍されてしまったのに、今すぐ調理ができないもどかしさ……。
溶けたアイスクリーム
停電は北海道全域と聞いたので、すぐの復旧は無理だと判断。
調理はあきらめ、すぐに食べられそうな調理済み食材を求め、信号機が止まった町へ買い出しに出掛けました。
ご覧のように信号機はまったく機能していません!
あたりの信号は全滅。
大きな交差点では警察官が手信号をしてくれますが、脇道に入ると自己判断で渡らなければならないのでとても緊張しました。
そして朝方に開店していているのはコンビニのみ。
まずはおにぎりやパンを買っておけば、どうにか明日までは過ごせそうだと思いましたが、考えていることはみんな同じだったようです。
朝の8時にして、お弁当の陳列棚はすでに空っぽでした。
かろうじてカップラーメンがいくつか残っていましたが、お湯すら沸かすことができないもどかしさ。普段は当たり前にできていたことができないって、結構なストレスです。つくづく電気のありがたみを感じる出来事でした。
この日一日は、とにかく口に入りそうなものを探すため、わずかに開店している店を探し回ることに。
そんな中、近所の大型スーパーで「ガスコンロ」をゲットすることができました。長蛇の列に並んだかいがあります。
その夜は、無事にカップラーメンを食べることができました。
この日は「電気なしの夜」を過ごすことを覚悟。
あのような大きな地震がまたきららと思うと恐ろしく、普段は2階で寝ているわたしたちは1階のリビングで寝ることにしました。
子どもたちはキャンプ感覚で浮かれぎみ。親としては、そこはちょっと救われました。
「電気温水器」だからお湯も出ない!
「頭がかゆい!」。汗っかきの娘が頭をかきだしたのは、停電した日の翌朝です。体のべたつきは「体拭きシート」でなんとかしのいだのですが、洗髪はどうしようもできません。もちろん銭湯も営業していません。
昨日運よくゲットした「ガスコンロ」で、パスタ鍋にたっぷりのお湯を沸かして、お湯を水で割りながら、どうにか頭を洗うことができました。
断水はかろうじて免れましたが、念のためにバスタブに水を張っています。
給湯器もガスにするべきだったか?と、少しだけ「オール電化」を恨んだ瞬間でしたが、結局のところ、ガス給湯器も電気が必要だとか……。
固定電話が通じない!スマホの充電もできない!
これはオール電化とは関係ありませんが、今回の震災で一番困ったことです。
外部との連絡を取りたかったのですが、停電のせいで家の固定電話が通じません。
Graphs / PIXTA(ピクスタ)
黒電話なら通じるようですが、最近多くなってきた光回線などのIP電話は使えません。
学校や塾からの連絡網は、自宅電話を知らせていたので、繋がらなかったと後で聞きました。
結局はスマホに連絡が入るのですが、停電時フルに使われているスマホは、常に充電不足が続きます。
amnachphoto / PIXTA(ピクスタ)
そこは車の充電器で凌いだのですが、今度はガソリンが底をつきそうに……。
どこのガソリンスタンドも、車が何十台も並んでいます。
一時間並んで、やっと給油できたかと思えば、20リットルのみの制限付き。
半分ほどしか満たされない燃料計に、心細さを感じます。
停電から約40時間後、やっと電力が回復。家族で拍手喝采です。
長い電気のなし生活に、やっと終止符が打たれ「ホッ」としました。
今回の停電で思ったのは「オール電化」だからいけない!ではなく、それに合わせた備えが必要だったということ。
たとえば「ガスコンロ」であったり、充電機器を充実させておくこと。食材だって、慌てないように非常食を用意しておくべきでした。
災害はいつ起こるか分かりません。
今回起きた事態を踏まえて、今後の準備を進めたいと思います。