セーガン自身の人気と巧みなメディア戦略によって、「核の冬」説はまたたく間に世間に広まり、アメリカ国民はその災害の深刻さを恐怖とともに認識した。
そうなると黙っていないのが、アメリカ政府のブレーンを務めてきた御用学者たちである。物理学者のフレデリック・サイツら右派の大物数人が中心となり、保守系シンクタンク、ジョージ・C・マーシャル研究所を設立する。
ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ著『世界を騙しつづける科学者たち』によれば、彼らはみなNATOの科学顧問や政府の要職に就いた経験があり、反共主義かつタカ派で、核や軍事関係の研究でキャリアを築いてきた冷戦の申し子であった。
マーシャル研究所のメンバーは、ただちにセーガンらへの攻撃を開始した。「核の冬」で用いられた物理モデルは自然を単純化しすぎている。気温低下を緩和するような要素を故意に無視しており、結果に信ぴょう性はない。科学とはとてもいえない、左翼勢力によるプロパガンダである――。
こうした反論を真に受けた人々は、確かにいたらしい。セーガンはたびたび何者かから脅迫を受けるようになり、大学へは裏口から出入りする日々が続いたという。
もっと恐ろしいのは、マーシャル研究所が「公平性の原則」を盾に、テレビ局やジャーナリストに脅しをかけたということだ。「核の冬」について報道するのであれば、自分たちの見解にも同じだけの時間や紙面を割けというのである。
しかし、このような両論併記は、けっして公平ではない。セーガンらの研究結果については他の多くの研究者らによって批判的に検討され、(気温低下の度合いについては議論が残ったももの)結論の大筋については科学コミュニティの中でコンセンサスが得られていたのだ。
それに対し、マーシャル研究所の主張を支持したのは、ごく少数の保守派科学者だけである。こうした科学者たちは、科学よりもむしろ政治に対して忠実なのだ。彼らの主張は権力という拡声器によってばらまかれ、社会にねじ込まれていく。これこそまさにプロパガンダである。
そして今、アメリカ社会はある問題で大きな岐路に立っている。「地球温暖化否定論」だ。政界と経済界のたくらみは、国民に科学への疑いを抱かせることに成功しつつある。このうねりがアメリカ国内だけにとどまることはないだろう。大げさでなく、科学は今、危機に直面しているのだ。
次回は「地球温暖化否定論」を題材に、人々の間に広まる反科学や陰謀論、“事実”をめぐる分断について考えてみたい。
(つづく)