精神論を完全否定する奴は一流にはなれない


最近、スポーツ界の横暴で稚拙な精神論的指導が暴き出され、精神論そのものの価値が疑われている。
しかし、精神論そのものを無碍に否定するのは危険だと考える。

自分の歪んだ美意識を押し付けたいだけのために、意味もなく女子高吹奏楽部をいやらしく叩く、「精神」を失った気持ちの悪いキチガイが現れるしね。

アホが精神論を濫用するのはもちろんいけない。しかし指導する相手や生徒などの信頼関係さえあれば、精神論は日本で最大の武器になると、僕は思っている。
僕はドラマ『スクール☆ウォーズ』の青春劇が未だに好きだ。

日本人の「和」や「礼節」の伝統は、決して合理主義からは生まれない。
合理主義はたちまち利己主義や相対主義へと変節し、他人を思いやるという気持ちには到らない。
日本は特にキリストなどの教義に縛られる宗教がないからなおさらだろう。
例えるなら、今の中国人に近い像が想像できる。


他方で精神論が恐ろしいのは、もちろんそれが全体主義へと変貌することだ。
権力や暴力、同調圧力が生まれることだ。

つまり精神論は、嫌なら離れられることが何より重要だ。
逆にお互いが納得しているならば、何の批判部分もない。


こんな簡単なことを理解せずに精神論を叩くバカは、文字通り「精神」がない。
光合成でもして生きろ。