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2018-09-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・手に入れてうれしくて、寝るときもいっしょにいたくて、
 すぐ見えるように枕元に置いておく。
 そういう気持ち、いつのまにか無くなってしまったな。
 持って歩かなくてもいいのに、バッグに入っていたりね。
 これは、ぼく個人のクセみたいなものかもしれないが、
 小さいものなんかだと、口のなかに入れて転がしていた。

 犬が、じぶんの「おやつ」をソファのすき間に隠して、
 つきだした鼻をシャベルのように使って
 架空の砂をかけて埋めてたりするのを見てると、
 ちょっとうらやましい気持ちになる。
 大事なんだよね、そいつがきっと、とってもね。 
 犬やら子どもが、なにかをじぶんのものにして、
 それを大切に守り、愛おしんだり慈しんだりする。
 他にどんな大事なことがあるんだ? というような。
 なんだろう、所有感覚というのとは、ちょっとちがうな。

 あのくらい、なにかを欲しがってみたいよ。
 欲しがる力が、じわじわと弱まってきてるように思う。
 中年を過ぎてからクルマだとかバイクだとか、
 ちょっと凄そうな、自慢そうなやつを買って、
 休みの日なんかにぴかぴかに磨いていたり、
 どこやらまで乗りに行ったりしてる人って、
 欲しがり力が衰えてないのだろうか。
 「男の銘品」みたいな雑誌に載ってるような
 宝飾時計やら喫煙具やら、はたまた書画骨董を集めて、
 それについて眺めたり語ったりしている人たちも、
 欲しがる力がモリモリにあるのだろうか。
 もっと言えば、名誉や地位や金なんてものも、
 欲しがる力がないと欲しがれないのかもしれない。
 スポーツの世界での勝ちたいという意思も、たぶん。

 じぶんが虚弱体質だと思っているわけじゃないけど、
 がつがつと欲しがる力を発揮したいのでもないけれど、
 犬が「おやつ」を隠すような心持ち、
 子どもが枕元のおもちゃを眺めていたような胸の鼓動。
 そういうふうな力は持っていたいものだな。
 いま、そういうものは思いつかないのだけれど、
 犬については、それに近い感情があるなぁ。
 おねしょの心配がなくなったら、いっしょに寝たいな…。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
リッケンバッカーのギターでも、興奮はしなかったなぁ。


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