この件とか> https://togetter.com/li/1264601
はじめに言っておくと私は大正ロマン大好きだし、イギリスの紅茶文化とか素晴らしいと思うし、漫画やアニメでそういうの見るのは大好きなんだけど、簡単に一蹴できるような話じゃないと思うんだよな。
上の棘まとめでは、「イギリスは植民地支配に謝罪したけど、紅茶文化は謝罪してませんよね?」という主張があった。
でも、イギリスの紅茶文化ってのは、カリブ海で黒人奴隷を牛馬のごとく酷使して得た砂糖と、植民地で現地の民族構成を大幅に変えながら栽培した茶葉で成り立っていて、植民地支配がなければそれらが安価かつ大量に流入して普及するなんてありえなかった(cf. 川北稔『砂糖の世界史』岩波ジュニア新書)。イギリスの紅茶文化は植民地支配と不可分のものだ。植民地支配なくして紅茶文化なし、なのだ。
同様に、帝国日本で栄えた豊かな文化は、たとえそれがいかに「平和的」で「銃後」のものであったとしても、植民地からの収奪の上に成り立ったものだ。朝鮮も日本本土と同じくらいの豊かさを享受していたか、といえばそんなことはなく、農地が奪われ同化政策が行われ、つまりは典型的な植民地としての収奪が行われていた。その収奪の上に花開いたのが大正期の文化なのだ。
なるほど確かに、はいからさんなどの文化は一見して軍国主義と無縁に見えるかもしれない。しかしその文化は、植民地支配から養分を得ていた。
ブラック企業の社長の子ども、というものを思い浮かべればいいのかもしれない。別に子どもがパート店員にハラスメントをしたわけでも派遣社員を酷使したわけでもないが、その子どもの豊かな生活は彼らの膏血を搾り取ることによって成り立っている。そのような環境でのびのび創造性を育んだ子どもが自分のクリエイティブさを誇るのが当然だとすれば、ブラックな働き方で過労死した社員の子どもがそれに怨嗟を向けるのもまた自然なことだろう。
とはいえ、そこまでの責任は取れない、と思うのも人情だろう。正直私は、上に書いたようなことを理屈ではわかっているが、だからといって大正ロマンや紅茶文化が糾弾に値する悪しきものだとは思わないし、作品に出てくれば普通に嬉しい。
しかし、まったく倫理的に問題がない、と力説する気にもなれない。
それに私たち日本人は、いやこれに関しては韓国人も同じだが、先進国に生きる民として途上国の人たちの生き血を啜って暮らしている。安価に手に入る服、とか、そういった表面上の話だけでなく、近代世界はひとつのシステムで、途上国は発展の途上にあるのではなく先進国の都合によって低開発状態に留め置かれた国々であり、そのシステムで私たちは間違いなく搾取者の側にいる。
私たちはその構造から逃れることはできないし、いくら文化を糾弾しても私たちが負った原罪が消えることはない。それは個々人には到底負いきれぬ責任かもしれないが、せめてそこに責任があることを認めるべきではないかと思う。紅茶文化と大英帝国の暴虐を切り離すことはできない。大正ロマンから日本の軍国主義を切断処理することはできない。そして日本や韓国といった先進国の発展を、途上国の窮乏から独立したものだと見做すことはできない。だから罪人として生きるべきだ、とは微塵も思わないが、このような構造に絡め取られていること自体は、認めるべきだとも思うのだ。
いやこれいちゃもんつけてる方がただのキチガイで、普通にそこまでの責任は負えませんで済むと思うんだけど そこで一度責任を認めちゃったら、無限に文句のつけようがあるのを認め...
あとはもう誰の文句を取り上げて誰の文句は無視するかの単なる属性闘争にしかならない キチガイにしてみたら属性闘争、もっと言えば声の張り上げに持ち込めばあとは一番得意な舞...
anond:20180908145558