是:レベッカをやるようになった頃から、スタジオワーク、ツアー、アレンジャー、プロデューサーとしても凄い量の仕事が来たんですよ(笑)。24歳ぐらいのときかな?最初アップビートのプロデュースをやって、筋肉少女帯もやったりとか、怒濤の30歳までを過ごすわけです。当初はオーバープロデュース気味で反省した部分もあるけど、ぶつかり合うことで面白いものもできたんですよ。バイ・セクシャルとか完全にそうだったから。投げるとかなり凄い応えが返ってくるから"じゃぁ、こう行こうよ"って。自分達が学んだ良いことは伝えていきたいという意図があるですよ。プロデュースしたアーティストが今もやっていて、しかも今一緒にプレイできると最高の気持ちなんです。この喜びは、他の仕事の人にはわからないと思う。あと90年代はバンドのプロデュースも楽しんでやっていたんですけど、ソロアーティストのプロデュースで、自分で全部の楽器をやるのが大好きで。OLIVIAのトラックは俺とオペレーターだけでやったり。久宝留理子ちゃんの「「男」」も俺とローグの香川誠とツインギターで演ったり。近年だとONE OK ROCKやUNLIMITSは特にお気に入りです。あとアルフィーと演れたのも面白かったですね。俺がレベッカ時代に住んでいた部屋の隣が坂崎幸之助さんだったんです。ある日坂崎さんの猫が俺のところに遊びに来たのがきっかけで、僕の所属事務所の武部聡志社長とメンバーが仲の良いことがわかって。それでビートボーイズ(アルフィの覆面バンド)のバンマスをやったり、坂崎さんにアコギのことを習ったり、高見沢さんにもいろいろとお世話になっているんですよ。