「プレイヤー」2014年4月



「マイ・ジェネレーションって感じで面白い感じに」

―楽器に興味を持ったのは?

是:実家が元々作り酒屋で敷地が広かったもので叔父の家と繋がっていたんですが、オーディオルームがあったんですね。そこで叔父達がサックスやピアノ、エレクトリック・アコーディオンでジャズを演っていて。従妹のシャープ5タイプのエレキギターとツインリバーブタイプのアンプも置いてあったんです。小学生時代からこっそりピアノやギターを弾いていたんですよ。そのシャープ5タイプを後にお下がりでもらって、Tレックスやグランドファンク、レッド・シェッペリン、四人囃子、クリエイションを弾き始めて。衝撃的だったのがジェフ・ベックの「ブロウ・バイ・ブロウ」、リターン・トゥ・フォーエバーの「浪漫の騎士」でした。叔父に考えてもらったスケール感とロックのフィールが一致したので、そっちに走るんですよ。中学の終わりくらいにはジョン・マクラフリンやラリー・コリエルなんかコピーして弾いてましたね。バンドもいろいろやったんですけど、自分で曲を書くのはプログレっぽいバンドで。高校3年のときに出たコンテストで本選に出たら、いろんな人から声が掛かるようになって。それで"福岡に出てこないか"と誘われて、後にプリズムに加入する松浦義和さんがやっていたプログレバンド、クェーサーに入るんです。同時期にCMの仕事でギターを弾いたり、ヤマハ・エフェクターのプロモーションで山岸潤史さんや森園勝敏さんのツアーに参加して、プロミュージシャンの知り合いも増えていって。福岡で1年間リハーサルを積んだクェーサーは東京のレコード会社と契約するんですけど、俺も同時に東京の大学に合格したので上京したんです。ただ時節柄ニューウェーブの波が来て、結局クェーサーは解散しちゃうんですけど。それで打ち込みを使ったデジタルものやポストパンクにも興味が行き始めて。大学2年くらいのときにスクリッティ・ポリッティに衝撃を受けるんです。「ウッド・ビーズ」とかにやられちゃって。AORみたいなのもやってたけど、ポリスやキリング・ジョーク、ザ・ポップグループ、エイドリアン・ブリューが入っていたトーキング・ヘッズとかを聴いて、"いつかこういうのをやりたい"と。ああいう音楽はアレンジが重要じゃないですか?それでアレンジに興味が行って、スタジオワークも始めるようになりました。ただまだ周りにはニューウェーブ系のアレンジをする人はいなくて、"最新の音楽がやりたい"って感じになってきたんです。ギタリストでもいまみちともたか君や本田毅君とかが出てきて、マイ・ジェネレーションって感じで面白い感じになってきたんですよ。そこからは好き放題ですね。自分が新鮮って思う音楽をひたすら30代までやり続ける(笑)。当然ステレオ・セッティングでラックシステムも巨大化するんですけど(笑)。

―それまでのギター変遷はどんな感じだったんですか?

是:シャープ5タイプの後は国産のSTタイプ、高校入るときにグレコのVタイプを買ったり。友達にレスポールやムスタングも借りて弾いていたんですけど、高校卒業してクェーサーに入るときに、アリアのイーグル・タイプを買いました。同時に当時のベーシストが持っていた70年代フェンダーも借りて使いましたね。そのときアンプはマーシャルのプレキシ・スタイルのヘッドと2発入りスピーカーのユニット1を買いました。その後はヤマハのシステムボードやマクソンのラックマウントタイプのアナログディレイとか、機材が増えてきて。ギターもカスタムで作ったストラトとか何本か使っていたのが、フュージョン、AOR時代ですね。その頃楽器屋で出たばかりのビル・ローレンスのSTタイプを弾いたら物凄くしっくりして、とても良かったんですよ。しかもちょうどそのときにモリダイラ楽器のスタッフがいて、「君、それ買った方がいいよ」って(笑)。空間系サウンドがシャキーンと出る感じで、レベッカでも使っていました。結果的にあれが1本目の出世ギターになったんです。そうこうしているうちにニューウェーブ時代に突入するんですけど、その当時はアイバニーズとモニター契約していましたね。

「レベッカのメンバーはなんていうか...親戚みたいな感覚」

―レベッカはどういう経緯で参加するんですか?

是:クェーサー時代の知り合いが後にレベッカの担当ディレクターになって、レコーディングやサウンドを作るのを手伝ってくれと。レベッカが成功を収める頃、俺は今の事務所に入ってすでにアレンジャーやプロデューサーの仕事を始めていて。そんな25歳のクリスマスイブにレベッカのメンバーから電話がかかってきたんですよ。クリスマスが誕生日なのでおめでとうの電話かと思ったら、「明日九州に来てくれ」っていきなり言われて、それから全面的に参加するようになりました。(実際はそれ以前のアメリカ公園にも参加している)。「メイビー・トゥモロー」のレコーディングは古賀森男君と一緒に弾いたんだけど、古賀君が抜けた後に友森昭一が入って。結局友森は氷室京介さんのツアーに参加することになり俺1人が残ったと(笑)。友森にはこの間会ったんだけど、森男ちゃんにも久し振りに会いたいな。

―レベッカ・ヒストリーにおいて是永さんが一番長く関わったギタリストなんですよね。

是:小田原(豊)君みたいな凄いドラマーとも知り合ったし、教さん(高橋教之)とのリズムセクションは凄くて、その後ベイビーズ・ブレスもやったけど、今やっても素晴らしい。教さんのソロアルバムでウェザー・リポートみたいなことやって...。

―「ランドスケープ」ですよ。当時衝撃的でしたよ!

是:あの曲、和田アキラさんとのライブで久々にやったら凄い難しくて。"俺は24歳でこんなこと演っていたのか!?"って(笑)。ピットインのセッションでは、教さんと小田原君、(中島)オバヲとマイルス・デイヴィスを演ったりしてね。

―最近でも土橋安騎夫さんのアルバムに参加されたり、NOKKOさんのライブにゲスト参加されたりしていて。

是:今でもみんな凄く仲良いですよ。彼らへのそういう気持ちが固まったのは解散後の阪神大震災のときでした。あの頃俺はアメリカにいることが多かったんだけど、パニックになってバリー・タルボット(ニール・ヤング・ウィズ・ザ・クレイジーホース)に相談したら、「おまえ、故郷に帰ってやることがあるだろう」と。それで何かやらなきゃっていろんな人に電話したんだけど、土橋さんや小田原君と話したら"できる限り最大限のことをやろう"ということになって。再結成はそこから始まったんです。それで解散を決めた横浜アリーナで2日間やったんだけど、そのとき彼らが俺にとってどんな存在かよくわかったんだけどなんていうか...俺にとってはもう親戚に近い感覚なんですよ。冠婚葬祭で会う事も多いし(笑)。だからNOKKOが久し振りに歌うってときに呼んでくれたのは嬉しかったし。あとの人達とはいまだにかなり密にセッションするし(笑)。

―2009年にはベイビーズ・ブレスの再結成もありましたね。

是:再結成したのはとにかく(宮原)学を復活させたくて。あの声は他にはないからね。学の事務所が決まって"ベイビーズ・ブレスやらない?"と言われて"勿論良いよ!"って。ベイビーズ・ブレスはレベッカ解散後、ストレートなロックがやりたくてアメリカ趣向になるんです。当時ベイビーズ・ブレスでNYでライブをやったんだけど結構向こうでは受けたんですよ(笑)。

―英語も堪能ですが海外を拠点に勝負しようと思ったことは?

是:一時期アメリカに居る事が多かったし、実際あっちのエージェントと話し合っていたこともあるんだけど、結局日本に残りましたね。だけどロバート・パーマーやTMスティーベンスと仕事したり、サイモン・ル・ボン(デュラン・デュラン)のシングルで弾いたりこちらに住んでいても海外のアーティストと仕事をすることも割りとありますね。例えばイギリス人プロデューサーのニック・ウッドみたいな人達が俺のことを気に入ってくれて呼んでくれたり。英語が話せたので海外ミュージシャンとの交流もありますね。

―80年代末のバンドブーム当時から、いろんなバンドのアレンジやプロデュースを手掛けてきていますね。

是:レベッカをやるようになった頃から、スタジオワーク、ツアー、アレンジャー、プロデューサーとしても凄い量の仕事が来たんですよ(笑)。24歳ぐらいのときかな?最初アップビートのプロデュースをやって、筋肉少女帯もやったりとか、怒濤の30歳までを過ごすわけです。当初はオーバープロデュース気味で反省した部分もあるけど、ぶつかり合うことで面白いものもできたんですよ。バイ・セクシャルとか完全にそうだったから。投げるとかなり凄い応えが返ってくるから"じゃぁ、こう行こうよ"って。自分達が学んだ良いことは伝えていきたいという意図があるですよ。プロデュースしたアーティストが今もやっていて、しかも今一緒にプレイできると最高の気持ちなんです。この喜びは、他の仕事の人にはわからないと思う。あと90年代はバンドのプロデュースも楽しんでやっていたんですけど、ソロアーティストのプロデュースで、自分で全部の楽器をやるのが大好きで。OLIVIAのトラックは俺とオペレーターだけでやったり。久宝留理子ちゃんの「「男」」も俺とローグの香川誠とツインギターで演ったり。近年だとONE OK ROCKやUNLIMITSは特にお気に入りです。あとアルフィーと演れたのも面白かったですね。俺がレベッカ時代に住んでいた部屋の隣が坂崎幸之助さんだったんです。ある日坂崎さんの猫が俺のところに遊びに来たのがきっかけで、僕の所属事務所の武部聡志社長とメンバーが仲の良いことがわかって。それでビートボーイズ(アルフィの覆面バンド)のバンマスをやったり、坂崎さんにアコギのことを習ったり、高見沢さんにもいろいろとお世話になっているんですよ。

「最新とクラシックなものの両方を行ったり来たり」

―和田アキラさんとの出逢ったことで、Pプロジェクトのギターを使うようになるんですか?

是:いろんなセッションワークをやっているうちに、また10代の頃に好きだったインストに興味が行くようになって。それでピットインとか出るようになったことで、自分にとって兄貴みたいな存在の和田さんに遊んでもらえるようになったんです。ちょうどフェルナンデスとPプロジェクトがサスティナーを開発するときで、和田さんに"おまえ、関わってみたい?"と。それで(ギタークラフトマンの)西條八兄さんとも出逢い、何十時間も一緒にいてデータを集めて、サスティナーを作っていったんですよ。それが縁でPプロジェクトと契約して、自分のモデルを作るようになるんです。現在も西條さんがPプロジェクトを辞めた後に立ち上げた"SAIJO GUITARS"で付き合いがあるんですけど。30代になってからギター関係は西條さんと一緒にやることが多くなりました。オールドものも西條 さんにメンテしてもらいますし、西條さんとやるときはとにかくこだわりますね。ピックアップを最高9回巻き替えしてもらったこともある(笑)。

―フェンダー、ギブソン系の既存のモデルもプレイしつつ、理想の楽器をカスタマイズしていくというスタンスですか?

是:いや、自分でいじるのも好きだったから、吊るしものをそのまま弾くことはほとんどなくて。アリアのイーグルタイプも回路を改造したり、ビル・ローレンスも松下工房さんにお願いして、P.U.3個が直列するようにしたりとか、常に自分が使いやすい機能性は強く意識していました。それとルックス的に機能美というか、シンプルで機能的にできているものというポリシーもあるんです。だからアイバニーズで自分のモデルを作るときは、何度も名古屋まで通って何度も相談しました。そうやるとちゃんとレコーディングでも使えるようなギターになっていくんです。ヴィンテージものに関してもスタジオワークで使えるものにしたいから、その都度細かいパーツを替えていったり。楽器は一緒に作り上げるっていう姿勢を大事にしていますね。

―アンプ関係はどうですか?

是:20代はラック組んで持っていく感じだったんですけど、30代になるとアンプのこだわりが出てきて。1セッションにヴォックス、マーシャル、ハイワット、メサブギーを持っていってました。なるべくストレートに録りたいから、合っているアンプを選んだらできるだけパスして録るようにして。そのうちに真空管にもこだわりだして、ヴォックスはムラードGZ34管が好きだとか(笑)。ようは80年代はシステムラック、90年代は生のナチュラルなサウンドをみんな欲しがったんだけど。ところが20代で完全にラインだけのシステムを組んでいたようなことが2000年代に入りフラクタルで復活するんですけど。面白いのはテクニカルなプレイ、サウンド系を行ったり来たり、自分としてもプレイヤー、アレンジャーとを行ったり来たり、さらにデジタルなものをやったりシンセも弾くので、それとナチュラルなギターサウンドとを行ったり来たりとか、そうすることで常に飽きないようにバランスを取ってきたところはありますね。最新とクラシックなものの両方を行ったり来たりしつつ、ハイブリッドなものを選んだりもしているという。

―是永さんって裏方の仕事がどうしても多いので、1ミュージシャンとして見たときは結構謎だったんですよ。

是:昔は正体見せないようにやってたんですよ、わざと(笑)。あと変な意味じゃなく、例え誰かのツアーに参加するんでも他人のステージだとは思ってないんですよ。やっぱりバンドみたいに一丸となって、一緒に何かを伝えるって気持ちでやっているから。

―バンド趣向なんですか?

是:常に何個かバンドはやってきているし、自分の曲も常に書いていて必ず演っているし。実はレコーディングしてあるのも結構あってね、今年こそソロアルバムを作りたいと思っているんだけど。ただライブで、人前でやりたいんですよね。レベッカは一応サポートメンバーの形だったけど、実質的にバンドの一員だったし、ベイビーズ・ブレスは自分のバンドだったし。どれもそのとき自分が関心があって、音楽にとってベストのものをやりたいという。とにかくサウンドを自分のパートを使ってより面白くするっていう視点とそのプロジェクトを全員で成功させるってことが重要なことなんです。あとセッションマンを長くやってきているのも、ひとつはいろんな音楽をやりたいからというのもあります。興味は常にいろんなところにあるので。

―是永さんの場合、網羅しきれない物凄い仕事量で。常に何かしら事が起きているというか。 是:事が起きるってことは凄く重要なことで。聴いている人に何かできるとか、おこがましいことは考えてないけど、例えば聞いてくれた人が"今日は楽しい自分で帰れた"でも良いんです。もし"こう思うんだよ"っていうのが相手にも伝わって何かを考えてくれたらそれが究極の目的であって、それが自分の好きな音楽でできているなら幸せな状況じゃないですか?だから機材にもこだわるし、自己満足っていうんじゃなくてより良い音が出したいっていう観点ですね。世のミュージシャンがみんな思っていることだろうけど。

「アリスティディスは音に色気がある」

―最近はアリスティディスのギターもプレイされていますね。

是:俺が開発に携わった禅駆動というオーバードライブが世界的に売れていて。ロビン・フォードやラリー・カールトンも使っているんですけど。それがきっかけでサウンドハウスさんと知り合って、アリスティディスのギターを紹介してもらって。新しもの好きだからぜひ使ってみたいと言ったんです。

―ルックス的に金属的なイメージのギターと思ったんですが、実際はとてもナチュラルなトーンが鳴るギターなんですね。

是:金属的な鳴りじゃなくて、普通に木がよく鳴っているような鳴りがしますよ。本当に普通のハイエンドなギターなんです。奇をてらったところはないですね。音の抜けが断然良いし、サステインが美しくてピッチも良いから、打ち込みの多い音楽に合う。昔からカーボンとか木材以外の素材のギターも弾いてきたけど、そういうギターは大抵均一な音になりがちで。アリスティディスは均一に鳴るのにちゃんと音に色気がある。最近だとカラフィナのライブでプレイしましたね。

―数あるモデルから010アルミニウムを選んだのは?

是:80年代から常にシーケンスとともにプレイするデジタルなロックをやってきているし、それにぴったりだと思うんですよ。精度が高くてサウンドがナチュラルに鳴って、ルックス的にも合うとなったらこのギターだと思ったんです。色も一番思い切ったものにしたかったからこれかなと。ボディデザインも昔俺が乗っていたシルバーのコルベットのボディスリットを彷彿させたんですよ(笑)。

―市販のモデルと変更している部分はありますか?

是:ピックアップを幾つか試したんですけど、最終的にリアだけディマジオのジョーサトリアーニ・モデルに替えました。ボディの音響特性と凄く合ったんですよ。それでピックアップを替えてわかったんですけど、ピックアップの特性がとにかく素直に出る。マッチングっていうのは特になくて、自分の好きなピックアップを戴せればその音に鳴りますね。

―見た目ほど重たいギターでもないんですね。

是:そうですね。あと俺が気にしていたのはタッパのあるオランダ人の作ったギターだからどうかな?って思ったけど、実際持ってもらえばわかるけどそんなに大きいわけでもないんです。

―アリスティディスで気になっているモデルはありますか?

是:今度7弦モデル070が出ると聞いて。7弦は試したいでしょう(笑)!?鳴り方的にも7弦はバッチリだと思うんですよ。ウッドボディで同一の音響特性のギターを何本も作るなんて無理じゃないですか?だからこのギターを作ったんだろうなって思いましたね。

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