中村泰が獄中から送った手紙の実物

警察庁長官狙撃事件「真の容疑者」中村泰からの獄中メッセージ

「オウムの犯行であるという大嘘」

平成7(1995)年3月30日に発生した、國松孝次警察庁長官狙撃事件。オウム真理教による犯行の可能性が高いとされながら、未解決のこの事件には、警視庁捜査第一課元刑事・原雄一氏の執念の捜査で浮かび上がった「真犯人」中村泰受刑者がいた。

原氏は今年3月、事件の真実を綴った『宿命 警視庁捜査第一課刑事の23年』を刊行。本書を読んだ中村受刑者の「協力者」から原氏宛てに手紙が届き、事件は新たな展開を見せている(詳細は原氏の特別寄稿「警察庁長官狙撃事件の真犯人を支援した『協力者』からの手紙」を参照)。また、今夜9月8日(土)21時からのNHKスペシャル「未解決事件シリーズ」では、原氏と中村受刑者の長い闘いが実録ドラマとして放映される。

このたび公開するのは、獄中の中村泰受刑者自身がつづった『宿命』の「書評」である。中村受刑者は「現代ビジネス」での発表を前提にこの一文をまとめ、著者である原氏に託した(表記は原文のママ)。

表の欺瞞、裏の真実

「物事には表と裏がある」というよく使われる表現は、警察庁長官狙撃事件捜査の推移にも当てはまる。

もっとも、公安部長の指揮下に発足した特捜本部の態勢に、初めからそういう二面性があったわけではない。捜査の矛先は、当時の情勢から最も疑わしいと見られたオウム真理教に向けられていた。

そう仕向けることこそが狙撃者側の真の狙いだったのだが、そうとは気付かぬ捜査陣はその線で捜査を進めるうちに、軟禁状態に置いて取り調べていたオウム信者のK巡査長から「自分が長官を撃った」という供述を引き出した。

 

この似非(えせ)自白こそ、後日、多くの警察幹部を巻き込んで警察庁と警視庁に大混乱を惹き起こす「K騒動」の引き金となったのである。この奇襲劇の脚本を書き、自らも出演した筆者にとっては、何か現実のほうが勝手に動き始めて作者の手に負えなくなってきたという感慨を抱いていた記憶がある。

しかし、ともかくもここまでの推移では、捜査の二面性はまだ顕在化していない。それには世紀が改まって2003年(平成15年)になるのを待たなければならなかった。

事件発生から8年以上も経って、偶然の成り行きから長官狙撃事件の関連証拠を入手した刑事部は、意気揚々とそれを捜査本部に報告したが、意外にも相手はオウムに無関係なものは無価値だというような態度でそれを一蹴した。

それで憤慨した刑事部捜査官たちは、それなら自分たちだけで事件を解決してみせようと独自の捜査活動を始めた。こうしてオモテの犯人であるオウム信者を追う捜査本部とウラの犯人と目されるN容疑者(編集部注・中村受刑者自身のこと)を追う刑事部員という二重構造が形成されたのである。

この刑事部員から成る捜査集団は、その後曲折を経て、刑事・公安両部から選抜された部員から成る「N専従捜査班」として、捜査本部に所属することになったので、形の上での二重性は解消した。

しかし、本来、捜査対象が異なっているのだから、それぞれの条件も違っている。たとえば、時効にしてもオウム信者を対象にしている捜査本部のそれが事件発生後15年経過の2010年(平成22年)3月30日であるのに対して、専従班の対象であるNは海外滞在期間の関係で一年近く延びることになるが、その間の行動予定も判然としていなかった。