ネット界隈でしきりに取りざたされる噂や陰謀論──その真相にジャーナリストの安田浩一が本気で挑む。題して「安田浩一ミステリー調査班(通称YMR)」。
第一回目のテーマは「田布施(たぶせ)システム」だ。
山口県の小さな町が、日本を代表する政財官界の大物を次々と輩出、我が国を影で操っているという「噂」の真偽とは?
なぜ、このような噂がネットを駆け巡るようになっていったのか?
前編・後編の二回に分けてお届けする。
駅前の旅館で荷を解いた。創業110年の古宿。
かつては"富山の薬売り"など行商人の常宿だったらしいが、その日の客は私一人である。
若旦那に訊ねた。
この町には何か不思議な力があるのでしょうか──。
「うーん」。唐突な問いかけに、若旦那は腕組みして考える。
「まあ、閉鎖的な雰囲気を感じるかもしれませんが、いたって普通の田舎町だと思いますよ。いろいろとウワサされていることは知っていますが……」
一瞬見せた含み笑いが、私の目的を言い当てているようにも思えた。
なにせここは特別な町なのだから。
駅前ではあるが喧騒とは無縁だ。ぽつりぽつりと商店が点在するも、人影はほとんど見ることができない。
朝夕を除けば、駅に停まる列車も上下線でそれぞれ1時間に1本か2本。
時間がゆっくり流れている。
でも、音のない町だなあ、「普通」以上に。
それが第一印象だった。
山口県・田布施(たぶせ)町。県南東部、瀬戸内海に突出した室津半島の付け根部分に位置する人口約1万5000人の小さな町だ。
この町で私は「天皇の末裔」に会った。末裔は静かに暮らしていた。そして嘆いた。そのせつない息遣いはいまでも私の耳奥に残っているのだが、その話は後に詳述する。
「田布施システム」──いつのころからか、日本の権力構造を表すキーワードだとして、ネットを中心に流布されるようになった言葉だ。
ネットに疎い私でも知っているのは、いまやオフラインの日常語として定着しているからでもあろう。
一種の陰謀論である。例えば、以下のような。
・幕末に、天皇と田布施出身の若者が入れ替わった。それ以来、田布施の出身者や関係者によって日本は支配されている。
・実際、田布施とその周辺の町は日本の首相を数多く輩出している。
・田布施の背後にはユダヤ資本が存在する。
・朝鮮人の日本支配にも田布施は関わっている。
そう、日本を動かしているのは永田町でも霞が関でもなく、その場所さえ大半の日本人は知らない、田布施という名の田舎町だった、そして、その田布施の意向で日本が歴史を刻んできた──という話なのである。
ばかばかしい。ばかばかしいだけではなく、そこには差別と偏見に満ちた醜悪な視線も垣間見える以上、捨て置けない。宇宙人や雪男の話と違って少しも笑えない。
特定の民族を、まるでブラックボックスを紐解くカギのように位置づけるのは、マイノリティの"特権"をあげつらうネトウヨ的発想だ。
だが、「田布施システム」の存在を信じるのは必ずしもネトウヨとは限らない。
たとえば音楽家・政治活動家の三宅洋平が、かつて出馬した2016年の参議院選挙で、大真面目に「田布施システム」の存在に言及したのはよく知られた話だ(後に事実を検証できなかったとして謝罪)。
右派の一部は「朝鮮人支配」の証拠として、逆に、左派の一部は「自民党独裁」の象徴として、ともに田舎町の存在を位置づけているのである。