聞き間違いを文字で「見える化」、パナソニック『聞き間違えない国語辞典』開発インタビュー
2017年3月初め、パナソニックが“言葉のバリアフリー化”を目指して「TalkingAidProject」をスタートし、聞き間違えやすい言葉の言い換えや発音のコツを掲載した無料のデジタル辞書『聞き間違えない国語辞典』を公開しました。
聞く人のために、日本語をつくり直そう。『聞き間違えない国語辞典』(パナソニックのサイトより)
type.centerが注目したのは、聞き間違えやすい言葉を視覚化した、二つの文字が重なってどちらとも読めるように作られたという独自フォントです。今回、このプロジェクトと独自フォントがどのように開発されたのか、パナソニック株式会社ブランドコミュニケーション本部宣伝部の正木達也さんと、実際にデザインをされた株式会社博報堂インタラクティブデザイン局の小山秀一郎さんにお話を伺いました。
奥側左から、小山秀一郎さん(株式会社 博報堂インタラクティブデザイン局の)、正木達也さん(パナソニック株式会社 ブランドコミュニケーション本部宣伝部)。手前左は聞き手の塚田哲也と秀親(共に大日本タイポ組合)。
聞き間違いを「見える化」する
正木:はい。背景からお話しいたします。 パナソニック補聴器株式会社で算出したデータによると、65歳以上の2人に1人が耳に不自由を感じている事がわかりました。しかし、ここ日本では補聴器をつけることにネガティブな感情を持つ方も多くいらっしゃいます。それに対し、欧米では、このような傾向は少ないのですが、我々はそういった方々のハードルを少しでも下げることができないかと考えたのがこのプロジェクトの始まりです。
秀親:なるほど。
そこで、実際に困っている方々の状況を理解してもらうには、どうすればいいのかを考え検討しました。耳が聞こえづらくなると、意思疎通がうまくできなくなります。そうした不自由な聞こえの状況を視覚化、すなわち「見える化」してみたらどうだろうかと考えました。それが周りにいる人や社会全体の「聞こえ」という問題をより理解してもらい、耳が不自由な人にとって、やさしい社会の実現に少しでもお役立ちできるのではないかと想い発足したのが、この「TalkingAidProject」です。
小山:一番はじめに考えたのは、気付きの部分、聞き間違いをどう「見える化」するかでした。例えば、補聴器を付けてるおばあちゃんに大きな声で話しかければ聞こえる、という対処だけではなく、そこには中音域が聞こえてないとか、高音域が聞こえづらい、とか「聞こえ」の問題があることに気付きました。これはチームのプランナーからの提案です。そこで、それをまとめて一覧にしてみたところ、資料としてはいいけれど、伝わりにくい。なのでそこをどう具現化してアウトプットに落とし込むか、というのが今回、ADとしての僕の役割でした。
まずは、英語の「beer(ビール)」と「deer(鹿)」を聞き間違える、という話からこの二つの単語を組み合わせたプロトタイプを作りました。それを見たとき、「広告のフックになるな」と感じました。このパターンを数多く作れば、もっと破壊力が生まれると思い、日本語版に転用していきました。
中音域・高音域が聞こえにくい、とかいうのを「見える化」するには、波形みたいなものを使ったインフォグラフィックスみたいな見せ方もあったかと思うんですけど、二つの字を合体させる方法を選んだ、というわけですね。
はい。僕自身がデザイナーで、たまたまその分野が得意でしたから。字を重ねちゃえばいいんじゃないか、みたいな思いつきもありましたけど、それを研ぎ澄ませていくとタイポグラフィとしてクオリティの高いものになったので、これはいけると思いご提案させて頂きました。
そうですね。『聞き間違えない国語事典』は、簡単なアイディアから発展したものの深みのあるテーマになったと思います。 そして運がいいことに、私どものやりたい趣旨を理解していただき、日本が誇る辞書メーカ三省堂さんにも賛同いただいたことはプロジェクトの拍車をかけました。
単純に辞書というフォーマットを選んだ時点で、かなり地に足の付いた企画だったと思います。
あ、最初から辞書で行こうというわけではなかったんですね。
はい。トリビア的なことですが、辞書の方は7モーラ(※)と言うんですけれども、その7モーラ以下の言葉の中で聞き間違いが起こりやすいものに絞って掲載しています。そうしないと組み合わせが無限大になってしまうので。日常で使用する言葉に特化してやってます。最初は、1,000文字を超えちゃうような感じだったんですけど、いろいろ確認しながら作業を進めていくと428文字に収まりました。それでも150万組の聞き間違いやすい言葉を収録しているので、十分、辞書として通用するものだと思ってます。基本的には、最初に50音をつくっていきました。当然、使わないものも出てくるので、それを省いていくようなことをしました。
※音韻論での単位。通常、子音音素と母音音素の組合せで1つのモーラとして捉える。例えば「社長(しゃちょう)」は3モーラ単語である。文字数とは異なる。『聞き間違えない国語辞典』では7モーラ以下の単語を対象としている。
聞き間違える文字の形とは
『聞き間違えない国語事典』掲載の単語によって埋めつくされたグラフィック
それにしてもこの文字の形がとにかく目を引きます。今回作った文字の中で「かたちが気に入っている」とか「この文字をつくるのには苦労した」といったものはありますか?
気に入っているのは、「しぶや」と「ひびや」の「び」と「ぶ」ですかね。これを書いている時に、できあがったものを見て「俺、天才だ」って思いましたから(笑)。「これは来たな」って感じで。
最初は、コツを掴むのが大変でしたけど、「ひ」と「ぶ」で感触が掴めたと思います。ルールを自分たちで決めていかなければいけないので、それを作っていくうちに気付くこともありました。
「しぶや」と「ひびや」の聞き間違えを表現した文字。小山さんは「ぶ」と「び」がお気に入りだそう。
「俺、天才」って思うのは大切ですよ(笑)もちろんルール作りも。
苦労したのは、「は」と「ぱ」となどの濁点・半濁点だけの違いのものは正直悩みました。それから、「は」と「に」というような、似てる系のものは、本当に大変でした。
「し」と「す」とか画数少ないのも逆に難しそう。
そうですね。これも、左右どちらに配置するのかなど苦労しました。この時は濁点のある「じ」と「ず」にも対応させるために「し」を左側に置くことにしました。
つまり「濁点がある時は右、ないときは左」というのではなく、濁点があってもなくても同じ字を使うというルールをつくったということですね。
そういったことも途中で気付くんですよね。「ぱ」と「ば」だったら、マルとテンテンをどうするのか、とか。このマルとテンテンには、いくつかルールがあって、重ねたり、上下につけるのもOKにしてます。
今、小山さんが言ってたルールはこれです。
濁点、半濁点を重ねる際のルール。重なり方や位置について細かい指示が書き込まれている
でたー、こういうやつ、こういうやつ! もっと見たいです!
はい(笑)、では制作スケッチをどうぞ。
初期段階のデザイン。可能性を探りながら徐々に規則を見出そうとしている
ひとつづつの文字に対し、細かく指示を入れ全体を統一していく
うおぉ! こういうのいいですね。バンバン載せましょう。
ところで制作期間とか進め方ってどんな感じだったんですか?
実際の制作期間は約2~3ヵ月くらいだったのですが、僕がまずベースとなる100個の文字を作りました。その中でも難しいものであったり、いろいろ組み合わせのバリエーションを作ってみて、それを参考に制作会社も交え文字数を増やしていって、ルールを徐々に決めていったんです。
手書きのスケッチも
ひらがなの形とか、筆の動きとか、参考にしたり調べたりしたんですか?
最初は「とめ」とか「はらい」など、文字を研究してから作るべきかと思ったんですけど、今回は、もう少しエンタメ寄りにしようと思って、根本的な字の形態は一旦無視しました。学術的なものではなくて、聞こえに特化した文字を作ることを考えました。ですから、逆にそういうことを聞かれるとわかんないです(笑)。
でも結果的に漢字っぽいというか、ひらがなの源流に戻っているような感じがして、すごく面白いなと思います。
ルールを決めていく上で、あえて間違っているものも作ってみるなどして、調整していくような作業でした。ですからスケッチしている数は、ものすごい数になります。
完成間近の修正指示。スマホ画面で表示される際のピクセルなどにも気遣った指示がされている
うわ、この指示書っぷりは普通の書体制作と変わらないやん……。
スマホで読む辞書にするときにピクセルで表示されることも考慮して「この字は何ピクセルで、また、マルを付けるときは何ピクセル」ということをルールですべて決めて納品してます。また、「しゃ」など拗音が重なっている場合は、少し大きくするっといったルールも作ってます。
拗音を扱う際のルール
そうか、拗音の聞き間違いもあるのか。
拗音の重なりについては、アシスタントとの会話のやり取りで苦労しました。お互いに聞き間違えないように必死で。
『聞き間違えない辞書』がいちばん欲しいところだ(笑)
「聞き間違い」を「見間違い」で表現
普通の書体制作と変わらないと言ったけど、二文字の組み合わせのルールについては普通じゃないですね。
たしかに(笑)。制作途中の段階で、例えば「た」が強いね、とか字のバランスの強弱の話がすごい出ましたね。それから定例会で、字をずらっと並べて、これは「あ」が強いからもう少し萎ませようとか微調整をけっこうやりました。
重なっている二つの文字のバランスが、50%づつになるのが目標ですか?
そうですね。基本は、そこを目指してやっていましたので、それは最後の詰めで大変苦労しました。
スマホで実際に表示させると、二つの字が重なっていて、それからフェードして一つづつ表示されますよね。つまりその時に50%の字が見えるわけですけど、二つ重なってる状態からしてみると、なんとなくちぐはぐしたかたちになるじゃないですか。僕ら、そういう形に「良さ」を感じちゃうんです。
はい、ちょっといびつになったり、気持ち的に落ち着かない字になったりしていますが、聞き間違いという現象を字で表すと、こういうことなのかな、と結論付けています。
だから「あ」と「ら」の中間のしゃべりを視覚化するのには、「あ」からも「ら」からも見えない、その「見えなさかげん」が面白く感じました。「聞き間違え」を表すのに「見間違え」させる、っていう。いいテーマの文字みつけましたね! 悔しい! ていうかマジ呼んでほしかった(笑)
もちろん、ひとつの文字としての見え方もあるんですけど、最終的にはスマホで読む辞書というパッケージに収めないといけないので、そこでの違和感がないようにユーザーインタフェースの面でも、結構真剣に考えて作ってます。今回、その両方に携われたことはデザイナーとしては、面白かったですね。
スマホから街へ
この書体、何か元になった仮名書体はあるんですか?
これは「ZENオールド明朝 N」ですね。
へぇ! それはどうして?
いろいろ検証したんですよ。その中でいちばん筆っぽい感じと、結構メリハリが付いてたので、スマホ向けの辞書にするときにはこれぐらい迫力があった方がいいな、ということ。あと、ポスターグラフィックにする時には、そのまま大きくしちゃうと、結構野暮ったく見えちゃうので、細めにするなどの調整を加えています。
なるほど、紙用というかポスターに使われそうな字はすべて細くしてるんですね。
ポスターにも大きい字と小さい字とあって、全部やっちゃうとバラツキがでちゃうんで、ちょっと大きめのところは全部調整してます。今はインタラクティブ中心に仕事をしていますが、そういったグラフィックデザインの基本的なこともやってますよ(笑)。
大切なことです。
スマホだけでなく、印刷されるポスターや新聞広告に対しても文字の太さなどを調整している
僕は、文字の形の面白さですごく興味を持って食いついてしまったんですが、周りからの反応は実際どうだったんですか?
やはり、見た目としては、初めて見るものじゃないですか。ですから驚きの声というのは狙った通りでしたね。あとはプレスリリース配信後は、いろいろ反響も頂いたりしてるので、手応えはあったかなと感じています。
Twitterでも取り上げてというか、リツイートして頂いたりして。ですからグラフィックに携わってる人たちは反応してくれるように思います。「文字作るの楽しかっただろうな」みたいなことも書いてくれてましたし。
僕なんかは「大変だったろうな」って思っちゃいますけどね(笑)
いやー、悔しいわー。マジ呼んでほしかった…(笑)。
それはさておき、僕はつい空耳しちゃうというか、確実に聞き間違えることを日々訓練してるみたいなところもあって。ダジャレ脳とも言うらしいんですが(笑)。聞き間違いって母音が一緒なことが多くて、つまり韻を踏んでるじゃないですか。そういう用語辞典としても便利だな、と思っちゃったんですけども。
ヒップホップ的なアプローチですね。
いろいろ使い方が広がりますよね。
きっかけとしては、聞き間違えないための辞書でもあるけど、言い間違えないための辞書でもあるんですよね。原因を知ることで解決できることもあるということを多くの方に知ってもらえるといいですね。
辞書が完成したことで、このプロジェクトは一旦終了ですか?
こうした活動は継続していく事が大切だと思います。介護施設はもちろんのこと、航空会社やスカイツリーなど実地においてもご活用していただく活動も行う予定です。告知になりますが、新聞や雑誌、ラジオ、さらにはFBなど展開していく予定です。あとは3月27日から東京の日比谷駅や渋谷駅をはじめ西は大阪、京都、兵庫、福岡など全国各所で聞き間違えやすい地名をコンセプトに掲出しました。目玉は交通広告の大阪で、特大ポスターを作りました。B倍サイズが4面なのでぜひご覧ください。
「しぶや」と「ひびや」の聞き間違え文字は、日比谷駅に掲出された
大阪駅に掲出されたのは「きょうと」と「ひょうご」の聞き間違え文字
この大きさだと、そうとう細く調整しないとダメだね(笑)
ガン細にしてますから(笑)
大切なことです。
聞き間違いをどう「見える化」するか。そこで使われたのが文字でした。『聞き間違えない国語辞典』は、お使いのスマホからもアクセスできます。ぜひ、ご覧になって、聞き間違いを見てみてください。
塚田:まず、『聞き間違えない国語辞典』をつくったきっかけをお話し頂けますか?