地銀の経営は危機的な状況に直面している。地方の衰退とともに、有望な貸出先は少なくなり、安定的な収益を上げることのできた国債は、マイナス金利政策で収益を産まなくなった。
一方で、テクノロジーの進化によって地方にいながら全国を相手にビジネスを展開することができるようになったのも事実だ。
スルガ銀行はいち早くネットバンキング業に進出し、全国の顧客を相手にしている。それを可能にしたのが、システムへの先行投資だった。
「地銀が新しく窓口を開設して全国展開するのなら莫大なコストがかかりますが、ネットで資金の出し入れをするシステムを開発するだけなら、そこまでかかりません。
スルガ銀行のシステム開発にかける覚悟が表れたのが、日本IBMとの訴訟です。同行は基幹システムの開発を日本IBMに依頼しますが、契約通りに開発できなかったとして'08年に損害賠償を求めて提訴しました。
これまで日本企業の多くはシステム会社に対して要求された額を唯々諾々と支払ってきましたが、スルガ銀行はその悪習にも風穴を開けたんです。
判決は、日本IBMがスルガ銀行に約42億円を支払えというものでした。これで他のシステム会社も、スルガ銀行には開発費をふっかけられないと思い知ったことでしょう。その結果、システム開発費は他行より安くなっているはずです」(前出・加谷氏)
もちろん、スルガ銀行の好業績がいつまでも続く保証はない。金融庁がカードローンやアパートローンの行き過ぎた貸し付けを問題視しており、個人向け融資の多いスルガ銀行の株価は目下、下落傾向だ。
しかし、スルガ銀行は今後も独特な経営で、業界の風雲児となり続けるに違いない。前出の佐高氏は、こう話す。
「岡野は社内の幹部が違和感を持つような施策こそが、世の中に広く訴えかけると考えている節があります。
'90年に行名を『駿河銀行』から『スルガ銀行』に改称したときもそうでした。今でこそカタカナやひらがなの銀行名は珍しくありませんが、当時はほとんどなかった。経営幹部は全員が反対したといいます。
しかし彼は、『みんなが反対するようなら、逆にこれでいいと思った』と言った。将来を見越した経営をするために、多くの人が違和感を持つことを率先してやる。
そういった奇抜な意見は若手から出てくることも多いので、彼は若手社員と肩書抜きで話す会を今も続けていると聞きます」
異形の経営の本質は、社内の意見を広く聞き、まずはチャレンジして、失敗と見たら撤退するフットワークの軽さにあった。
その上、失敗してもタダでは起きない強靭さも兼ね備えている。地方が混迷する時代に、スルガ銀行の一挙手一投足にますます注目が集まる。
「週刊現代」2017年9月23日・30日合併号より