特攻の発案者大西瀧治郎は1945年8月16日、腹を十文字に切って割腹したうえに喉と胸を突いて自殺します。
切腹は激痛を伴う死に方で、クビを刎ねて介錯するのは、よほど豪胆な人間でも、腹に刃を立てて一文字に切り裂くと激痛で気を失うからであるという。
むかしの、いわば死ぬことのプロであった侍でも、一文字に切腹するだけでもたいへんなことで、まして一文字に切ったうえに縦に切って「十文字腹を切る」のは未曾有のことであるよーでした。
大西瀧治郎は、そのうえに喉と胸を突いて、それでも死ねなかった。
切り裂き方が浅かったからではないのは、家人の連絡によって駆け付けた軍医の証言があります。
大西中将は、その駆け付けた軍医と看護の人に対しても、「もう階下に行ってくれ、おれは苦しんで死にたいのだから」と述べて、ずたずたに裂けた内臓と、穴が空いた肺腑と、裂けた気管から大量の血を失いながら、血の海のなかで、なお数時間を生きて死ぬ。
この人を、ここまでの苦悶の死に駆りたてたのは、彼が献策した「特別攻撃」、英語ではカミカゼと呼ばれた自殺攻撃戦術で、4000人の若者に死を命じたことへの自責の念でした。
どうも読んでいくと、大西瀧治郎自身は、神風(しんぷう)特別攻撃隊、取り分け、その嚆矢となる敷島隊を組織するにあたって、作戦家としての合理的な思考を積み重ねた結果の、一時の便宜的な方策として、愛国心はあふれるほどあるが技量があまい操縦士を選抜して、敵の不意をついて突入させる、一度限りの奇策として考えついたもののようでした。
必死にものを考え詰める、各国海軍軍人によくある、計算に計算を重ねるゲーマー頭脳の典型というか、人命の絶対価値よりも作戦としての奇想の魅力に勝てなかったもののようである。
前に「ふたつの太平洋戦争」で、激突時の初速、炸薬量、角度から考えて、正規空母を撃沈するというような戦果は考えられない、と書いたら、どこで仕入れてきたのか、誤りに満ちた「事実」を延々と大長文で送ってきて、こういう勉強をしない知ったかぶり人間特有の「わかりましたか?」という言葉で結んだコメントで、苦笑させられてしまったが、特攻攻撃が兵器として有効でないことは特攻の可否を議論する参謀を交えた会議でも、たびたび確認されている。
みな、どんなに条件がよくても体当たり攻撃で正規空母や戦艦に有効な被害を与えられる可能性がないのは知悉していた。
現に第一回目の神風攻撃であるフィリピンの敷島隊も、小沢治三郎ひきいる残存空母の機動艦隊に引き寄せられて、ハルゼーの主力艦隊が北方に引き寄せられた留守を狙って、マッカサーの上陸部隊の上空を掩護するために残っていたキトカンベイ、その他、軽装甲の護衛空母群に対して行われたもので、しかも、本来の作戦目的は栗田提督の大和や武蔵以下のレイテ湾襲撃艦隊が無事輸送船と揚陸物資への砲撃を終えるまでの時間稼ぎに、うすっぺらな飛行甲板を使えなくすることだけを目的としていた。
ところが、商船船体の設計でつくられた、つまり防御装甲がゼロに近い護衛空母セント・ローが敷島隊の特攻機による搭載爆弾の誘爆という不慮の事態によって大爆発を起こして沈没する。
やはり護衛空母のキト・カンベイも甲板脇の通路に体当たりされて、短いあいだ甲板が使えなくなり、カリニン・ベイには二機が空母の急所と言われるエレベータに命中して、エレベーター自体は無事だったが、体当たり機の炎上によって、やはり暫時使用不能になります。
レイテ湾突入をめざして、全速で航進する栗田艦隊にかかるはずの航空攻撃の圧力は、小沢治三郎の残存機動艦隊の全滅と引き換えの囮北上作戦と、レイテ湾上空を直衛する護衛空母のうち3隻が使えなくなったことでかなり軽減される。
海軍ではエリートである海兵学校出身の関行男に率いられた敷島隊が戦果と呼びうるものをあげえたことで、海軍は、特攻を国民精神の中核に据えようと決心したように見えます。
実は、敷島隊とほぼ同時に、同規模の諸隊、「朝日隊」「山桜隊」「菊水隊」も、それぞれの基地から発進して米艦隊めざして突入をめざしたが、そもそも海軍の宣伝士気高揚作戦の中核というか、エリートの海兵将校が国を守る為に志願して自殺攻撃を行ったのだということが主眼で、その主隊がうまくいったので、敷島隊が成功したあとの残りの、たかだか予備学生あがりが指揮するバックアップ諸隊は、全員戦死したことだけはたしかでも、海軍首脳部によればどうでもよくて、その証拠に、いったい海域突入後どうなったのか、いまに至るまで判っていません。
国のために喜んで死に赴いたエリート将校代表として選ばれた関行男は、「勇者」の取材に訪れた同盟新聞記者に対して、こう述べている。
「報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう」
日本では美談として伝えられ、英語世界では「日本が負けたら妻が強姦されるから」では、いかにも勝てば相手の国の妻や娘を強姦することしか考えなかった日本軍の将校らしい、と評された談話をどう考えるかは、ひとによって異なるだろう。
大西瀧治郎は「特攻などは統師の外道である」と自嘲していたが、この言葉の意味の裏に、「物理学で戦争をせよ」と叩き込まれる日本の海兵出身将校の、そのなかでも論理と数理によって計算して戦うことの大事さを日頃からうるさく述べていた大西瀧治郎が、「特攻攻撃によって実効のある戦果をあげることは絶対にできない」と度重なる実験によって確信していた事実があることを知っているかいないかでは、言葉の響きそのものが異なる。
神風特攻攻撃の最も奇妙で、ひとによっては呪わしいと感じる点は、立案者、評価者、攻撃に関わったすべての人間が、特攻兵器が兵器としては効果がないことを知悉していた点で、特攻攻撃の無力を知りながら最後には「2000万人特攻」を協力に主張して、参内資格のない宮中にまで軍刀をにぎりしめて押し入って、降伏などという考えは受け入れられないこと、日本人は、降伏するために戦争を戦ってきたのではないことを声涙をくだしながら説いた大西瀧治郎はゲーマー族軍人の焦燥を代表している。
大西瀧治郎は、海軍大臣米内光政に対して、「徹底的に負けること。いまの日本人は、負け方が足りない。この国のゆいいつの希望である若い人間が、ひとりひとり手を挙げて自殺攻撃をすることで初めて、日本は新しいスタートを切れるのだ」と懇懇と述べたという。
「負け方が足りない。こんなぼんやりした負け方では、日本人は目覚めない。日本人はもっと悲惨な目にあわなければ民族として滅びてしまう」
という大西瀧治郎の晩年に一貫して流れる思想は、実は、鈴木貞一の企画院や軍需省、綜合計画局を通してみる日本の戦争努力の「集中力のなさ」
アメリカ、イギリス、(特にシュペーア以降の)ドイツが国力の全力を挙げて、戦争努力に集中した経済体制を組んで、いわば真剣に戦争を戦ったのに較べて、日本はイタリアと並んで、なんだかぼんやりした戦争努力というか、やる気があるんだかないんだか判らないというか、のんべんだらりとした努力のまま終戦に行きついていて、戦後、連合国側に立って日本の戦争努力を調査した将官たちに失笑される、日本の国家としての戦争の「やる気のなさ」に対する実感だったのがいまでは判っている。
戦後、大井篤たちが声高に述べて、「日本は補給思想がなかったから負けたのだ」と述べて、それが定説になって、それはそれで正しいのだけれども、現実にもっと近しく述べれば「いまのままの商船製造量では喪失量に到底追いつくわけがない」と戦前から皆が了解していたのに、問題を先延ばしして、補給について述べてもなにもいいことがないので保身のために誰もなにもいわない状態に陥ったまま、手を拱いて、「補給できなくなっちゃいましたね」と頷き合っていた、というほうが遙かに現実に近い。
大西瀧治郎が割腹自殺を遂げる瞬間まで苛立っていたのは、この日本人の、掛け声のおおきさとは裏腹な、「得体のしれない、やる気のなさ」でした。
駿馬のふりをしているロバというか、言うことだけを聞いていると、まじめで弛まず努力をして身を滅して仕事をしていそうなのに、よく目を凝らすと、仕事をしているふりをしているのが上手なだけで、ほんとうの仕事の進捗は唖然とするくらい何もやっていない、という現実を前にして前線で戦う将校たちは霞ヶ関の赤煉瓦を呪詛するが、大西瀧治郎は、その中でも、若者を次々に殺しながら、気が狂いそうな煩悶のなかで、なんとかゲームに勝つ方法はないかと日夜、焦燥していたのが戦後に証言された会話によってわかっています。
終戦近くになると、ほとんど夢遊病者のように、ひとりごとで、「勝つ方法はないかなあ。なにかあるはずなんだが。どこかにアメリカに勝つ方法はないかなあ。
どうして何もおもいつかないんだろう」と繰り返して、狂った人のようであったという。
当初、ただ一回きりの、便宜的な「外道戦法」として神風特攻をおもいついた大西瀧治郎は、採るに足りない戦果とはいえ、ひさしぶりの、発表しうる戦果を得たのに気をよくして、特攻を軍令部として正式の作戦として採用して、大西瀧治郎を驚かせます。
ここで気合いをいれて一発、全将兵の前で海兵出身の将校をギロチンにかけることによって、ショック療法で、気をひきしめようと思ってやった作戦が、作戦として効果がないことが判っているのに、いわばギロチンロボットが待つコンベヤの終端に、次々に若者を載せて送り込むようにして、神風自殺特攻という無意味な処刑をオートメーションでおこなってゆく決定をくだした首脳陣の決定をみて大西瀧治郎は深刻な衝撃に見舞われる。
敷島隊のときには、例え同調圧力のせいで否とはいえない雰囲気があったとは言っても、まがりなりにも志願の意思を確認してからだった特攻隊員の選出も、
1 絶対に特攻を希望する
2 熱烈に特攻を希望する
3 特攻を希望する
の三つの選択肢からひとつに記しをつけさせておいて、これを「志願」と呼ぶ、日本的な頽廃に陥ってゆく。
連合国側の兵士が、カミカゼ攻撃被害による戦死を狂信者の自殺爆弾に巻き込まれた犬死にと捉えたのはあたりまえで、その「狂った民族」の日本人への印象は、諸国民の奥深い魂に刻印されて、残念ながらいまでも消えているとはいえない。
大西瀧治郎は「離陸して、やっとまっすぐ飛べるかどうかの未熟な飛行技術しかない部下を、よりよく死なせてやるのも将帥の務めだ」と述べたが、大西の残した名言として語り伝えられているところを観ると、日本の人には判るのだろうが、わしには「なにいい気なことを言ってやがんだ、このじじい」というか、理解を遙かに越えている。
最後に、日本語の原典が見つからなくてもうしわけないが、英語記事やフォーラムで、よく引用される半藤一利の神風特別攻撃評を、引用しておきます。
ついでにこの評言への感想を述べると、それまで気分が悪くなるような狂人の発想にばかりつきあわされてきて、ここに至って、やっと日本語人の文明人に会えた安堵でほっとするといえばいいのか。
かろうじて世界の普遍的な文明とつながる日本人の良心の言葉に出会えて、よかったなあ、と考えました。
この一文を読む、ほかの英語人もおなじ気持だとおもう。
日本人ジャーナリストには珍しく足で稼いで、インタビューを積み重ねて歴史をしるしたこのすぐれた編集者は、こう述べている。
いまの日本語人の社会では、たいそう評判が悪い人なのは知っているが、そんなことはどうでもいい。
The complete irresponsibility and stupidity of the nation’s military leaders drove the troops to their deaths. The same can be said for the kamikaze special strike force strategy. They took advantage of the unadulterated feelings of the pilots. People claim it’s a form of ‘Japanese aesthetics’, but that’s pure nonsense. The General Staff Office built it up as some grand strategy when in actuality they sat at their desks merely playing with their pencils wondering ‘how many planes can we send out today?’ This lot can never be forgiven.
これほどすぐれた特攻隊員への哀悼の言葉は、ほかには見あたらない、と考えます。
興味深く拝読しました。最後の引用文ですが、原典は下記記事内の最後あたりの一節かと思われます。
https://mainichi.jp/articles/20140815/mog/00m/040/002000c
次の投稿も楽しみにしています。
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