妻は友人が多い。俺は友人が少ない。
妻は人が好きだから、人からも好かれるのだと思う。妻はとてもいい人だ。
ひるがえって俺は、やっぱり人がそこまで好きじゃない、人にあまり興味をもてない(話がずれるのでかっこで話すが、人に興味がもてない自分に気づいてしまったから、最近の俺はブログをよう書けなくなってしまった。俺は俺の見方でしか世界を見ることができないので、俺が人に興味をもてないように、人も俺に興味をもたないんだろうなと思うと、自分語りばかりになってしまう俺のブログなんて誰も読まないだろうとごく当然の理路をたどり、そう結論してしまった。でも、いろいろあって書くことにしました)。
人が好きじゃないから、友人が少ない。少ない友人とも定期的に連絡を取り合ったり、会って話したりすることができない。 でも、寂しさを覚えることはあるので、思い出したように連絡をしてしまう。ほんとうは毎日1分くらいは彼らのことを考えているというのに。
最近、友人と会わないときに感じる寂しさよりも、会ったあとに感じる寂しさのほうが大きくなった。世界が違ってしまったんだなと実感するからだろう。
世界が違ってしまったと感じているときの俺は、どこかで被害者ヅラというか、置いてけぼりを食らった子供みたいにすねた気持ちでいる。
それはとてもダサいことなので、だったら最初っから過去を共有する友人たちとはあまり会わないほうがいいな、となってくる。
今の俺は、妻のおかげですてきな人たちと出会い、友人になれた、それはほんとうにありがたいことだ。しかも、彼らはだいたいにおいて思慮深く、品があって、頭がよく、そして、やさしい。人間同士の距離感もほどよい。すごく大人だなと思う。彼らは節度のある距離を保ちながら、ときには温かい手を差し伸べてもくれる、たとえ俺がその温かい手を握らなくても、彼らは怒ったりすねたりもしない。やさしく見守ってくれる。見返りなんか求めていない(俺に見返りを求める人はいない、もらえるわけがないので)。
ここまで書いて、はたと気づいたが、俺は、過去を共有する友人(回りくどい言い方をしているが、これは学生時代の友人ということ)たちとは、できるかぎり距離を縮めたいと思ってしまっている。学生のころのように、連絡をすればすぐに集まれる、どころか、決まった場所に行けば、必ず誰かがいる、そういう状態が、彼らとの付き合い方の理想になっている、というか、昔はそうだったじゃん。
子供のころに出会った彼らとは、もちろん子供同士の付き合いをしていた。今さら、大人の付き合いをしようなんて思えない。だけど、彼らは、大人の距離感で子供のころの友人(俺)と接しようとしている。殺生な。そのあべこべが俺を傷つける。でもまあ、昔が理想になってしまっている俺のほうに問題があることはわかっている。だから、ひとり、すねる。
妻は俺より年上なので、彼女の友人も年上のことが多く、だから、あたらしくできた友人たちを「大人だ」と感じるのは当然なのかもしれない、と思ったけど、やっぱりそんなことはなくて、年上でもろくでもない人間はけっこういる。だから、あたらしくできた友人たちが大人なのは、妻も相応に大人だからってことで、大人同士が仲良くなっている。
そんな大人な妻が、なんで俺みたいな友人の少ない子供みたいな人間と結婚してくれたのか、けっこうふしぎだ。
こないだ、転職活動の帰りにカフェバーで飲んできた妻が、お店に占いできる人がいたから占ってもらったよ、と言う。「やっぱり私は人の才能を見る目があるんだって。だから、らさ君(これは俺のことです)もきっと成功するよ」と笑う。ありがとう、と思う。占いを、妻の見る目を、裏切ってはならないとも。
最近の俺は妻に「俺のどこが良いの?」と聞いてしまう。自信がないのだ。妻と出会ったころの俺は、まだニートで、だから世の中を知らなくて、それゆえに得体の知れない自信があった。でもいまは、からきしどつぼだ。
結婚前はこんな卑屈なこと思わなかった。俺には俺の良さがあるし、彼女には彼女の良さがあって、その良さがお互いにフィットするから、いっしょにいる。レゴブロックのようにシンプルだった。だけどいまはなぜ妻が俺なんかを選んでくれたのかがわからない。ふしぎだ。
仕事を始めてまもないなりに、いろいろやってきて、自分がほんとうに何もできないことを知ってしまった。この何もできなさを乗り越えるような才能がないことも知った。仕事を乗り切る胆力がないことも知った。仕事がうまくいかないと、不機嫌になってしまい、家の空気を乱してしまいような人間が自分なのだ、いうことも知った。
こうやって書きながらわかったけれど、俺の自信のなさは、妻とふたりの関係性において生じているものでなく、あくまでも仕事においてのことであって、だから極端な話、妻には関係がなかった。
俺はものごとをわけて考えるのが苦手なのだ。いろいろこんがらがって、よくわからなくなっている。まあ、仕事始め、結婚、引っ越し、出産と、人生のエポックメイキングが全部同時にやってくるというヘタな脚本を展開しているので、よくわからなくなるのも当然っちゃ当然なのだけれど(「「ヘタな脚本=つまらない」「よくわからない=辛い」ではないです、一応、念のため)。
妻の友人たちとの距離感がほどよいと感じるのは、仕事の話をしないから、かもしれない。彼らは仕事の話を一切しなくても、人と時間を過ごせるのだ。それはやっぱりすごく大人なたしなみだと思う。だからこそ、そういう人たちと仕事の話をするのは楽しいのかもしれない、俺が大人になれれば 。
そういえば、過去を共有する友人たちとひさしぶりに会ったおりに、仕事の話をふっかけたのは俺のほうだった。ひとりは「お前らと会ってまで仕事の話したくないよ」と苦笑いしてたや。俺は、やっぱり、彼らとは子供のころと同じように接したいんだな。大森靖子にインタビューしたんだよって自慢したいんだよ。大人同士は自慢しない、俺は子供だから自慢したい。
28歳になって、仕事もはじめて、結婚もして、子供も生まれたってのに、パパはいまだにこんなことを考えているよ。