糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
09月05日の「今日のダーリン」
・今年も「ほぼ日手帳」が発売になって、
いろんな報告を聞いたり、手帳に関する取材があったり、
昨日のように手帳をめぐっての対談なんかもあったり、
どうしても、手帳についてたくさん考えることになる。
昨日の対談のゲスト秀島史香さんは、
思っているいいこととわるいことと両方を、
いったん書いて、頭のなかから外に出しておくという。
いつまでもたくさんのあれこれを頭に貯めておいて、
ぐだぐだ悩んでいるより、いったん忘れたほうがいい。
それはそうだ、なるほどなぁと思った。
書いたらいったん外部になって、客観的に見られるよね。
ぼくも、あらためて、じぶんが手帳に書いている文字は、
だれが読むと思って書くのかということについて考えた。
そりゃぁ、だれがって、じぶんが読むしかないよ。
と思ったら、そうか「じぶん宛の手紙やメモ」が、
ぼくが手帳に書いていることなんだと思った。
いままでも、困ったとき行き詰まったとき、
助けてくれるのは、まず「じぶん」だと書いてきたが、
読むじぶんと、そのじぶんに宛てて書くじぶんがいるね。
つまり、ぼくは、どうやら、手帳になにか書くときに、
「おい、おれよ、これおもしろそうだから、
考えかけだけど書いておくね、あとはたのむぜ」
という気持ちで書いているというわけだ。
そうそう、そう言えばそうだよ、ほんとに。
<パイプ椅子は必要だ・パイプ椅子は便利だ
パイプ椅子を家に置きたくない→パイプ椅子は美しくない
美しいパイプ椅子とは? >
というメモが、ほぼ日手帳の8月11日のページにあった。
ここまでは思ったんだけど、忘れちゃうだろうから、
それをここに書いておくからな、おれよ…ということだ。
美しいパイプ椅子について、考えろよ、おれよ、と。
あるいは、あれを美しいという価値じゃなく、
おもしろいという価値でとらえることを考えろよ、と。
劇団「カクシンハン」のパイプ椅子とはなんだ? と。
そんな、しょっちゅう開かれる「ひとり会議」ができる。
図とともに書いてあったりしたら、なおさらおもしろい。
ほぼ日手帳は、おもしろいパイプ椅子なのだろうか?
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
例年に増して手帳の滑り出しが好調です、うれしいです。
いろんな報告を聞いたり、手帳に関する取材があったり、
昨日のように手帳をめぐっての対談なんかもあったり、
どうしても、手帳についてたくさん考えることになる。
昨日の対談のゲスト秀島史香さんは、
思っているいいこととわるいことと両方を、
いったん書いて、頭のなかから外に出しておくという。
いつまでもたくさんのあれこれを頭に貯めておいて、
ぐだぐだ悩んでいるより、いったん忘れたほうがいい。
それはそうだ、なるほどなぁと思った。
書いたらいったん外部になって、客観的に見られるよね。
ぼくも、あらためて、じぶんが手帳に書いている文字は、
だれが読むと思って書くのかということについて考えた。
そりゃぁ、だれがって、じぶんが読むしかないよ。
と思ったら、そうか「じぶん宛の手紙やメモ」が、
ぼくが手帳に書いていることなんだと思った。
いままでも、困ったとき行き詰まったとき、
助けてくれるのは、まず「じぶん」だと書いてきたが、
読むじぶんと、そのじぶんに宛てて書くじぶんがいるね。
つまり、ぼくは、どうやら、手帳になにか書くときに、
「おい、おれよ、これおもしろそうだから、
考えかけだけど書いておくね、あとはたのむぜ」
という気持ちで書いているというわけだ。
そうそう、そう言えばそうだよ、ほんとに。
<パイプ椅子は必要だ・パイプ椅子は便利だ
パイプ椅子を家に置きたくない→パイプ椅子は美しくない
美しいパイプ椅子とは? >
というメモが、ほぼ日手帳の8月11日のページにあった。
ここまでは思ったんだけど、忘れちゃうだろうから、
それをここに書いておくからな、おれよ…ということだ。
美しいパイプ椅子について、考えろよ、おれよ、と。
あるいは、あれを美しいという価値じゃなく、
おもしろいという価値でとらえることを考えろよ、と。
劇団「カクシンハン」のパイプ椅子とはなんだ? と。
そんな、しょっちゅう開かれる「ひとり会議」ができる。
図とともに書いてあったりしたら、なおさらおもしろい。
ほぼ日手帳は、おもしろいパイプ椅子なのだろうか?
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
例年に増して手帳の滑り出しが好調です、うれしいです。