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2018-09-06

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・麻布十番、たいやきでおなじみ浪花家総本店の
 「ソース焼きそば」の、ソース、紅しょうが、揚げ玉の、
 それぞれの香りをくっきりと思い出している。
 それを、たしかめることはできないとはいうものの、
 この味や香りの脳内再現度はすばらしいぞ。
 こういうおれって、天才なんじゃなかろうか。
 ってゆーかー、人間の記憶って、すごいなぁ。
 こんなところまで憶えていて味わえるんだものなぁ。
 なんて書いていたら、青のりのくちびるに触れる感じや、
 その匂いについても思い出してきた。

・おそらく、老化と、もともとの不得意が
 かけ算されているのだと思うけれど、
 人の名前や地名ばかりでなく、
 名詞全体を憶えられなくなっている。
 正直に言えば、「もう、名詞って要らないんじゃない?」
 と、そう決めてしまいたいくらいに名詞が遠くなった。
 浪花屋総本店の焼きそばについて、
 あんなにまるごと思い出せるような天才的記憶力と、
 名詞はぜんぜん憶えられましぇーんという、もう、
 「名付けられた世界」のすべてを否定したい気持ちと、
 どっちもぼくの脳の活動についての話なのだけれど、
 名詞の記憶がへこんでいるぶんだけ、
 「総合的な感覚」の記憶が発達しているのかなぁ。
 そう言えば、「味わう」なんてこと、
 若い時分には、あんまりじょうずじゃなかったと思う。
 じぶんでは味わっているつもりだったかもしれないけど、
 いまの「味わい力」に比べたら、そうとう負けているね。

 「いいなぁ」とゆっくり発声してみてください。
 もうそれを言ってるだけで、「いいなぁ」なんだよな。
 味わっているんだ、なにかいい感覚というものを。
 おなじ食べものの「おいしさ」についてでも、
 若いときは胃に落ちていく重量感とかが大事だった。
 大人になると、細胞を撫でていく触感が好ましくなる。
 「味わい」の総量は増してきているような気がする。
 名詞なんか、どうだっていいということと似ているなぁ。

 年をとると「涙もろくなる」ということも、
 「味わい力」が増しているということなんじゃないかな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにを急に言いだしたのやら、というような話題でしたね。


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