ムスリム名がハサンとして知られる知識人・中田考さんの痛快本。
通り一遍で流し読めば、イスラーム通の資本主義批判本のようにも感じられますが、いや、この本は面白いですよ。まずは第一章だけでも読んでください。
Amazonはこちら
楽天ブックスはこちら
まず、冒頭に私たちはなぜバカであるかが解説されています。論旨明快。ああ、確かに私はバカです。本当に申し訳ございません。また、私たちの身の回りに、どうしてこうも自己啓発の類が多いのか、自己憐憫のような「あなたはそのままでいい」「頑張れば夢は叶う」という無責任な言説があふれる英るのかが解説されています。”所詮ミミズはどんなに頑張ったってヘビにはなれないんだから、カエルに挑もうなどと途方もないことを考えず、お前はミミズにすぎないという自覚を持て”とか言われます。あっ、はい。強烈なアンチテーゼなのですが、つまりは世の中には「分を弁えないバカ」が多いからこそ、バカ相手の商売として成り立っていると中田さんは喝破するわけです。
そして、イスラームの教えの根幹でもある、私たちは神を喜ばせるために生きている原則を元に、現代人の承認欲求などどうでもいいという結論へ、ぶっとい明確な論理構成で読者を導いていきます。
もうこの時点で「中田考の説くイスラームの華麗なる世界」になるわけですが、バカの象徴としてのトランプが語られ、また老人は役立たずだからさっさと枯れていいし社会保障など要らんというハイブローな議論が続いていくわけですけど、それもこれも、現代西洋の自由・平等・博愛といった「普遍的価値」に対する強烈な批判とともに民主主義の欺瞞、建前としての人権など、読む人が読んだら本書を真っ二つにしたくなるような内容のオンパレードです。
でもそこで立ち止まってよく考えると、思い当たるものが多々出てきます… 本書で指摘される、私たちの「どうするべきか」は、確かに学校教育や家庭の躾で培われた、ある種の洗脳に過ぎないことを。中田さんのイスラーム論を通じて、私たちが当たり前のように乗り続けている満員電車も学歴社会も権力構造も、実は社会の中の決まり事という集団催眠のようなものを「当たり前だ」と受け入れた結果、社会全体が不幸になっているのではないか。
読み返していけば、神から与えられた生命は神を喜ばせるために使う、その神が喜ぶ行為が生きる者にとってやるべきことなのではないか、というのは、一神教の世界観が神なき現代に投げかける強烈な思想のひとつです。
中田さんが神に代わって問う:
「何をしたいか」
「何をできるか」
「何をすべきか」
これを知っている人間を「賢い」とし、すべきことをしているから生きていけるのだ、とバカが幸せに生きられる処方箋にまで結びつけているのを”面白い”と評するのは不遜でしょうか。ミミズの例えといい、身の程を知ることの意味を語り下ろすあたりの議論の深みは、(賛否両論あるとは思いますが)何度も思い返してみたい思考実験のひとつです。
「世界に一つだけの花」と思い込みたい気持ちは分かるが、すべきことをしていないお前に価値があるのか、と真正面から投げかける問いの重さは、むしろ神から与えられた限りあるこの命を謙虚に生きろという自己啓発の対極にある冷静さを授けてくれるようにすら思います。
もともとの詩人・金子みすゞの一節「みんなちがって、みんないい」という肯定的な価値観に対するパロも含めた本書の解説を田中真知さんが翼を広げるように論じているのもこの本の巧さを感じますし、池内恵さんの中田考論も併せて読まれると面白いんじゃないかと。
自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について
http://ikeuchisatoshi.com/i-1209/
この本にわずかながら要望があるとするならば、インタビューの語り下ろしとしてまとめられた本書を、中田考の考え抜かれた言葉に置き換えた完全版が欲しいということです。やっぱり論考に飛躍がある箇所があるように感じられ、他の著書などと見比べていれば「ああ、その話ね」となる部分がいくつかあったのが気になりました。それを差し置いても、第一章と第三章を読むだけで人によっては頭が真っ白になるような衝撃を覚えるかもしれません。ホームレスに対して「その辺に寝ていたら?」と喝破する中田さんのストロングスタイルな知識人ぶりは改めて感銘を受けます。自分には言えないという意味も含めて。
サブタイトルの「身の程を知る劇薬人生論」はその通りです。読み物としても、哲学入門としても、とても刺激的で楽しい本でした。
みんなちがって、みんなダメ
秋の夜長に、通勤電車のお供にぜひどうぞ。
- 【好評配信中!】ご購読はこちら→やまもといちろうメールマガジン『人間迷路』
- 【月1で豪華ゲストが登場!】山本一郎主宰の経営情報グループ「漆黒と灯火」詳細はこちら!