エーゲ海を渡る花たち | 妹を探すため、ふるさとのクルムへと戻りたいオリハと、その旅に同行したいリーザ……ふたりの旅が今始まる!
15世紀半ばのイタリア・フェラーラにて、世界を旅することを夢見る少女・リーザは、クルム(現クリミア)から来た少女・オリハと出会う。妹を探すため、ふるさとのクルムへと戻りたいオリハと、その旅に同行したいリーザ……ふたりの旅が今始まる!
公式ページ・ストーリーより
8月22日に第一話が公開されたばかりの新作ですが、とても面白かったです。主人公の一人リーザ・ロセッティが旅することを夢見る通称「跳ねる嬢(インペンナータ)」と呼ばれるおてんばな商家の娘、もう一人のクルム(クリミア)からイタリアへと紆余曲折を経てたどり着いた物静かで思慮深そうなスラブ系少女オリハが出会い、心打ち解けて旅立とうという第一話でした。舞台となる中世後期のイタリア都市フェラーラの観光案内やメシ、そしてコンスタンティノープル陥落直後という時代背景まで手際よく描かれていて、実に心地よく読めるプロローグです。
作中でも軽く触れられていますが、当時の歴史背景を把握しながら読むと、実に丁寧・かつ緻密に考証されながら描かれていることがわかります。
中世都市フェラーラ
フェラーラは六世紀末、ビザンツ帝国の進出で築かれ、988年、マントヴァを支配していたカノッサ家に与えられた後、12世紀に台頭したエステ家によって征服、支配されるようになります。エステ家のオビッツォ2世は1267年、市民総会で永代君主に選出されて以後フェラーラ、モーデナなど周辺諸都市を含めてエステ家の世襲支配が確立されました。丁度劇中でも領主様として一瞬だけ横顔が見えるのがフェラーラの全盛期を築いたボルソ・エステ(在位1450~71)です。ボルソ候は1471年、教皇からフェラーラ公の称号を受けてフェラーラ公国を樹立、14世紀に建てられたエステ家の別邸スキファイノア宮殿を大幅に増改築しました。作中でも「スキノファイノア」は今工事中だというセリフがありますね。スキノファイノア宮殿には後に、フェラーラ派美術の代表的作品群であるフレスコ画が壁画として描かれました。また、作中で「大聖堂」として紹介されるのが12世紀に建てられたロマネスク様式の建物、ドラゴンスレイヤーとしてお馴染み聖ゲオルギウスが祀られたサン・ジョルジョ(フェラーラ)大聖堂です。リーザとレオがお気に入りを言い合っている「12か月の間」は13世紀初頭に大聖堂の側壁に掘られた月毎に農作物の収穫の様子などが描かれた大理石の浮彫像で、現在は大聖堂付属博物館に収蔵されています。
これらは、やはり作中で言及されている大幅に整備された市街地とあわせて「フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」として世界遺産に認定されています。すでに第一話にして北イタリアの中世都市フェラーラ観光ガイドになっていますね。
また、最近の漫画で必須描写となりつつある旨そうなメシ、作中でリーザとオリハが舌鼓を打っているのがウナギの網焼きです。ウナギ食べてたの?と驚きの方もいるかもしれませんが、実は中世ヨーロッパではよく食べられていたようです。川原温,堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし』120頁によると、「一四世紀末にパリ市民によって書かれた家事指南書である『メナジエ・ド・パリ』では、コイ、ウナギ、タラ、サバ、エイなどの調理法が説明されている」とのことで、同書では中世の魚料理の復元写真として、ウナギの串焼きが紹介されています。おそらく本作で参考にされているのではないでしょうか。実際、中世中期の農業の発展と商業の活発化、中世後期の労働者の賃金上昇と香辛料・調味料の流通によって中世の食はバリエーションが豊富になっていきます。14世紀の戦乱と飢饉、疫病の時代を乗り越えて15世紀も半ばになると富裕な人々を中心に食を楽しむ余裕が出てくるのです。フランスやブルゴーニュの宮廷でテーブルマナーが整えられたのもこの頃です。そういう点で、15世紀半ばという時代設定は中世欧州メシを描くのに絶好の時期を選んでいるわけで、今後も期待が集まりますね。
また、ボルソ公の後を継いだ弟のエルコレ公(在位1471-1505)の命でフェラーラの道路を整備した建築家にフェラーラ出身のビアージョ・ロセッティ(1447-1516)という人物がいるようなのですが、あきらかに同時代の人のようですし、主人公の縁者だったりするかも?と思ったりしました。弟か親戚の子供として登場の機会がありそうな予感がします。
15世紀半ばのイタリア国際関係
作中でさらりとオリハの出身クルム(クリミア)がジェノヴァ領であることやクレタ島がヴェネツィア領であることに触れられていますが、イタリアの都市国家がなぜ黒海に進出しているかというと、地中海に突き出したイタリア半島と言う地の利があります。11~12世紀にいち早くビザンツ帝国の交易特権を得たヴェネツィア、十字軍に協力して台頭したピサ、ジェノヴァなどが交易拠点を築くために13世紀のモンゴル帝国の寛容な商業政策を背景にして地中海からエーゲ海、黒海へと進出していきました。ヴェネツィアのクレタ島進出は13世紀、ジェノヴァの黒海進出は13世紀後半のことです。15世紀半ばのイタリア半島はミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、教皇領、ナポリの五大国とそれに続いてジェノヴァ、マントヴァ、フェラーラ、モーデナ、ウルビーノなどの諸国家の均衡の中で動くようになります。これはコンスタンティノープル陥落に危機感を持った五大国が1454年、ローディの和と呼ばれる和平条約を結んでイタリア諸都市間の戦争を集結させ以後40年渡る和平体制が築かれたことに端を発しています。フェラーラはまさに五大国に伍する新興勢力で、その繁栄は作中の時代から始まり、十六世紀末教皇領に併合されるまで続きます。
オリハはクリミア半島のジェノヴァ領からジェノヴァ、ボローニャを経てフェラーラに来ていますが、ボローニャはフェラーラの南にある主要都市で、ヴェネツィアを目指すならフェラーラは立ち寄ることになりますし、ヴェネツィアを経てヴェネツィア領のクレタ島を目指すことになるのも含めて、このような国際関係を踏まえるととても納得性がある流れですね。
国際関係からみても、作中の時代設定は丁度イタリア半島全体から戦乱が去って自由に動きやすい時代が訪れようとしていた時期にあたります。何気に女性主人公二人の旅行ハードルは最も低い時代だったと言えるのではないでしょうか。(まぁ護衛などはもちろんほしいところですが)この点でも絶妙な時代設定だと思います。
丁寧かつ精緻な考証、魅力的なキャラクター、今そこにいるかのような中世都市の画期溢れる様子など、一話にして良作の予感をびしびしと感じます。最近日本中世史でも「新九郎、奔る!」という丁寧な考証を前提とした良作が始まりましたが、こちらもこのまま進んでいけば、同じように史実と創作とのバランスが取れた歴史漫画の代表作になりえるポテンシャルを秘めていると思いました。というわけで、主人公二人の旅がどうなるのか、二話以降にとても期待したい作品ですが、いかがでしょうか。
参考文献
・小川煕著『イタリア12小都市物語』(里文出版,2007年)
・川原温,堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本)』(河出書房新社,2015年)
・亀永洋子「中世イタリアの港湾都市の興亡――地中海世界とイタリア」(高橋進,村上義和編著『イタリアの歴史を知るための50章 (エリア・スタディーズ161)』明石書店,2017年)
・佐藤公美「都市コムーネから領域国家へ ――中世後期中北部イタリア半島の諸国家」(高橋進,村上義和編著『イタリアの歴史を知るための50章 (エリア・スタディーズ161)』明石書店,2017年)
・山辺規子「融合する食文化」(堀越宏一,甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』ミネルヴァ書房,2013年)