2018/8/30
浄土宗大本山清浄華院 法然上人の「御骨」発見か?江戸前期に五輪塔に奉納

「浄華院開山元祖法然源空上人御骨」の木札と共に奉納されていた「御骨」 京都市上京区の浄土宗大本山清浄華院は24日、江戸前期の五輪塔から「當山開山元祖源空上人御骨」と書かれた六角形の箱板に包まれた骨が見つかったと発表した。同院御廟の無縫塔には遅くとも中世から、法然上人の遺骨を奉祀。今回、それとは異なる別の「御骨」が発見されたことになる。

 室町時代の宝物目録には法然上人の遺骨の存在が明記されており、中世には「分骨」を奉祀していたことがわかる。現在、御廟の存在は史料上、江戸時代以降でしか確認できないが、宝物目録の遺骨は御廟の遺骨のことだとされている。


 今回の「御骨」は、参道の改修工事中に偶然発見された。免震加工を施すために石塔を解体していた㈱石留石材の斉田斎・統括本部長が基壇部分から取り出した。「正面」とだけ書かれた経筒のような容器に納められた状態で、筒の中には元禄2年(1689)4月20日に第45世法主である雲龍上人が「奉納」したことを記した木札や小さな仏像もあった。木札の表には「浄華院開山元祖法然源空上人御骨」と墨書。さらに昭和8年11月、岩井智海法主(後の浄土宗知恩院門跡)が「御骨」を再発見し、破損していた箱板を作り直して再度納めたことも判明。これら以外の史料はなく、「御骨」の由来がわかる文献等は残されていないという。

「御骨」の中には、歯やあご、喉仏の他、腰や腕か足とみられる骨もある。歯は仏舎利の中でも特に貴重であるため、特別な信仰が寄せられた「御骨」である可能性がある。

 香林浩道執事は、「まさか石塔に法然上人の御骨と伝えられる骨が納められていたなんて」と驚嘆。同院史料編纂室の松田道観研究員は、「宝永5年(1708)の大火で元禄の史料は焼失してしまった。御骨の記録もこの時に焼失したのでは」と推断。「雲龍上人は寛文の火災で焼けた伽藍を再興し、現在までつながる清浄華院の基礎を築いた方。江戸時代と昭和の伽藍再興時に発見された御骨が、今また発見された。歴史の重要な局面で姿を現す御骨なのだろう」と感慨深そうに話した。

 今後の調査等は未定。

2018/8/30
脱カルト協会「オウム」公開講座 元信者 表面化していない悲劇語る

麻原法廷について語る青沼氏 日本脱カルト協会(西田公昭代表理事)は25日、都内の立正大学品川キャンパスで公開講座「オウムのすべて―事件をふりかえって そしてこれから」を開催した。7月にオウム真理教教祖・麻原彰晃をはじめとする死刑囚13人の刑が執行されたことを受けてのもので、ジャーナリスト、宗教者から一般学生まで幅広い参加者約200人で会場は満席となった。

 西田代表(立正大学教授)は冒頭の挨拶で、「死刑が執行された信者の中には、教祖に幻滅し、過ちを認めた人もいれば、ずっと信仰を持ち続けている人もいた。この決定的な違いはいったい何が引き起こしたのか。この点はまだ十分な調査ができていない」と述べた。これこそがカルト入信者の家族にとっては最も重要な点で、分析を続けていく必要があるとした。

 オウム法廷を当初から傍聴したジャーナリストである青沼陽一郎氏と降幡賢一氏が報告した。青沼氏は「麻原は起訴された事件についてすべて、自身の見解を語っている」とし、〝麻原は法廷で何も語っていない〟という一部知識人の意見に論駁。「私は指示をしておらず、弟子が勝手にやったことである。よって無罪」と、麻原と弁護人が主張していた事実を強調し、自身の罪を認めていない以上「動機を語るわけがない」と解説した。

 弟子たちについては「彼らが死刑を覚悟した上で、語らなければ真相は明らかにならなかった」とし、麻原以外の12人が死刑になることを覚悟し、教祖を追い詰め事実を明らかにしたことがオウム法廷の特徴と指摘。カルトに入信し、事件を起こす人間の心理もこの点から解明に繋がるのではと示唆した。

 元信者として登壇したのは沢木晃さん、渡辺恵美子さん、山中次郎さん(いずれも仮名)。沢木さんは修行の同期だった友人が「キリストのイニシエーション」(薬物と温熱浴を組み合わせた修行)を受けているうちにいつの間にか行方不明になり、おそらくは死亡、教団により処理されたであろうことを告発。「テレビや新聞で報道されない、刑事事件にもならなかったオウムの悲劇があったことも知ってほしい」と訴えた。(続きは紙面でご覧下さい)

2018/8/30
高野山真言宗 「和解」崩れ興正寺問題再燃 預金8億円差押えに

 「裁判外和解」で全裁判を取り下げたばかりの名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺で、寺の銀行預金約8億円が再び差し押さえられたことがわかった。添田隆昭特任住職(宗務総長)が辞任し、西部法照新住職が就任する間隙を縫って、興正寺問題が再燃した形だ。「和解」による平穏な状態はわずか3カ月で崩れた。

 興正寺の責任役員3氏は、添田特任住職が「和解」で「元住職側の使途不明金70億円の刑事告訴を取り下げ、責任追及を放棄したこと」「興正寺と元住職側の関係会社との契約継続を認め、現在も毎月約2500万円の支払いを続けていること」等を問題視。宗派に「解任要望書」を提出した。これを契機に特任住職が辞任したのを受け17日、特任住職の名代として入寺していた西部法照主監を新住職に選出した。

 西部氏は入寺直後から「和解」内容を厳しく批判し、添田特任住職に反発。「和解」を継承しないと周囲にも公言し始め、特任住職と「袂を分かつ」(宗派関係者)ことになった。そうした西部氏の強硬な姿勢が、再度の差し押さえを招いたようだ。

 預金を16日付で差し押さえたのは、㈱リジェネレーション(東京都大田区)。同社は梅村正昭元住職時代の興正寺と結んだ業務委託契約に基づいて公正証書を作成し、平成28年5月に同寺の預金等約15億8500万円を差し押さえた。今回も同額を差し押さえていることから同様の手続きを踏んだものとみられる。

 興正寺側は差し押さえの強制執行を防ぐ訴訟を今週中に提起。強制執行停止の決定を取得しなければならないが、名古屋地裁に供託する担保金1億5千万円が必要になる。前回は金剛峯寺からの借入金を充てたが、今回は特任住職辞任後のために宗派の援助は得られない。

 実際に差し押さえられているのは3銀行の預金合計約8億600万円。差し押さえを免れた預金は数億円とみられ、これが訴訟資金になるようだ。

 差し押さえの事実を知ったある地域住民は、「また泥沼か…」と嘆息した。

2018/8/30
靖国提灯奉納 創価学会 業務妨害罪等で警視庁に告訴 靖国神社「個人の奉納」と回答

 
 靖国神社の「みたままつり」(7月13~16日)に創価学会名の提灯が奉納されていた件で、新たな動きと情報が明らかになった。

 創価学会は8月23日、氏名不詳のままで偽計業務妨害及び名誉毀損罪で警視庁に告訴の申し立てを行った。同24日付け聖教新聞で報じた。紙面によると、「学会は献灯の申し込みなど一切行っていない」と明言。提灯をみた関係者から問い合わせがあり「日常の法人及び宗教業務が妨害された」としている。さらに告訴状では「『謗法厳誡』を旨とする学会が謗法を容認したとの印象を与えるものであり、学会の名誉を毀損する」としている。

 一方、弊紙は8月17日、靖国神社広報課に創価学会名の提灯奉納について文書で質問書を提出。22日同課から文書による回答があり、「当件の提灯は個人の方からの奉納でしたが、個人情報の回答は控えさせていただきます」と個人からの奉納だとした。
 弊紙からの質問と靖国神社からの回答は以下の通り。

 質問①提灯は個人を含めて多くの団体が奉納されております。今夏の創価学会提灯もその一つと理解してよろしいのでしょうか(創価学会が直接奉納されたのか)。

 質問②一部では、個人が勝手に奉納したという意見があるようです。個人が団体を名乗って(今回の場合は創価学会)、奉納するケースはあるのでしょうか。

 質問③これまで奉納されていなかったと思われる、創価学会の提灯奉納について、靖国神社の所感があればお願いしたく存じます。

 靖国神社広報課からの回答(全文)
 みたままつりの献灯は英霊の慰霊、そして感謝をささげるためのものです。毎年、ご遺族・崇敬者などの個人の方々をはじめ、企業や宗教団体などからも数多くの奉納がありますが、国籍はもちろん宗教・宗派などによる隔たりをつくること無く承っております。そうした方々からの奉納は英霊への純粋な想いであり、靖國神社では他意による奉納を想定しておりません。仮に、ご質問のように他意があるとしましたら、当神社としては甚だ遺憾でございます。尚、当件の提灯は個人の方からの奉納でしたが、個人情報の回答は控えさせていただきます。    
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 聖教新聞によると、告訴状では「悪質な犯罪行為の再発防止のため、厳重な捜査と、被告訴人に対する厳重な処罰を求めます」としている。今後、警察による捜査が行われるとみられるが、奉納した個人が名乗り出ない場合、靖国神社側がどこまで捜査に協力するのかがカギになりそう。

 なお、弊紙8月2日号に「創価学会 靖国に提灯奉納」との見出しと記事がありますが、この件について創価学会に確認しておりませんでした。お詫び申し上げます。

2018/8/23
平成最後の終戦記念日 日蓮宗千鳥ヶ淵法要 墓苑開設以来60回目

墓苑の六角堂で修法を行う日蓮宗東京4管区の僧侶ら 
 日蓮宗(中川法政宗務総長)は終戦記念日の15日午前、東京都千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で戦没者追善供養・世界立正平和祈願法要を執り行った。同墓苑開設以来、毎年終戦の日に法要を営み、今年で60回の節目を迎えた。中川総長は表白で万霊の願いを「信心安穏なる平和世界をこの地上に築き上げること」と述べ、祖願である立正安国・世界平和を祈念した。

 法要は、墓苑の六角堂内で執行された。中川総長が大導師を務め、東京4管区の内山堯邦所長(東部)、茂田井教洵所長(西部)、今田忠彰所長(南部)、肉倉堯雄所長(北部)を副導師に厳修。修法導師は、豊田昌樹・東京北部修法師会長が務めた。

 宗門を代表し松永慈弘総務局長が挨拶。60回を迎えた法要の意義に触れ、「次代を担う世代に私共の志を受け継ぎ正しい道を歩んでいただくよう、この思いを語り伝えていくことが使命」だと語り、「心からの祈りと願いが亡き人々を安らかならしめ、今を生き、未来に生きる人々の平安の実現に結び付く」と念じた。

 (公財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会の古賀英松理事長は、墓苑設立以来、欠かさず終戦の日に法要を営んできた日蓮宗に感謝しつつ、「来年は墓苑、奉仕会の60周年。天皇陛下もお代わりになり、新しい時代が到来する。戦没者慰霊の慰霊奉讃を絶やすことがないようにがんばりたい」と話した。

 炎天下にもかかわらず、日野市から参拝に訪れた女性(70)は「叔父が南の海で戦死したと聞いていましたので、お参りできて気持ちが少し穏やかになった。有意義な時間でした」と語った。

 同墓苑は、先の大戦のため海外で戦没した兵士や一般邦人の遺骨を納める「無名戦没者の墓」として昭和34年(1959)に創建。今年も新たに1892柱が奉安され、5月現在で36万9166柱の遺骨が収骨されている。

2018/8/23
事件風化カルト増加の中で④
若者たちの悩み 共に考えられるか オウム事件が問いかけること
臨床仏教研究所上席研究員 東京慈恵会医科大学講師 神仁氏
 


「うちの子どもがアーレフ(Aleph)に入信してしまったんです。なんとか脱会させられませんでしょうか……」

 筆者はそのような悲痛な声をしばしば当事者の親御さんから聞く。オウム真理教の後継団体であるアーレフへの入会者の多くは20代の若者であり、特に大学生の頃に入信した人が少なくない。

 大学での人間関係でつまずき親にも話せずに一人で悩んでいるところ、先輩から優しい声をかけられてヨーガ・スクールへ。そして度々通う内に、指導者から突然、実はアーレフであることを明かされて入信を迫られる。自分がつらい時に寄り添い支援してくれた恩人からの誘いを断りきれずに入信書類にサイン……。入信後は指導者や先輩から「一連の事件は国家や警察の陰謀だ」と繰り返し教え込まれ、疑問を抱えながらも自分の居場所をその場に求め続けようとする。

 オウム真理教の教祖麻原彰晃こと松本智津夫は、7月6日に東京拘置所で死刑を執行された。6日と26日の両日にわたり、麻原以下13人の元幹部の死刑執行が終了したことにより、平成の時代において、一連の刑事事件は一定の区切りがついたと捉える向きもある。しかしながら、筆者は今後も懸念すべき事柄がいくつか横たわっていると思う。

 第一に、なぜ20代30代の若者たちが、オウム真理教および麻原の教えを信じ犯罪者になるまでに到ってしまったのか。そして、なぜその後継団体に今なお入信していくのか、ということ。

 第二に、被害者やご遺族の方々の精神的なケアや支援を今後どのように行っていくのかということ。

 第三に、自分たちの心の寄りどころとはならず、信者から「単なる風景に過ぎなかった」と表現された寺院や仏教界、宗教界がこれらの問題に対して未だ明確な対応や対策を取っていないこと。また、オウム真理教の教宣拡大に加担をしたとされる宗教学者等による充分な検証と総括がなされていないこと。

 そこで、これら三つの懸念事項に応える手がかりを、筆者なりに二点ほど提示させていただきたいと思う。

 一つ目は、人間の欲求というものにまず焦点を当てるということである。アメリカの心理学者アブラハム・マズローは人間の欲求を次のような5段階に分類した。
 
 ①生理的欲求 ②安全の欲求 ③所属と愛の欲求 ④承認の欲求 ⑤自己実現の欲求

 生理的な欲求は食欲や睡眠欲などの人間が持つ根本的な欲求である。生理的な欲求の充足をベースとして人は他の段階の欲求を満たそうとする。しばしば宗教の中には生理的な欲求を否定することによって、宗教的な自己実現、神仏との一体感ないしは包含感を求めるものもある。
 
 しかしながら、これらの5段階の欲求を否定することなく、ありのままに見つめながら、それぞれを昇華させていく道を探ることが重要ではないかと考える。それは仏教が説く「中道」の実践でもあろう。
 
 また二つ目に、近年筆者が終末期の患者さんのケアの場で実践してきた、自尊感情と自己存在を保つための次のような「三つのつながり」の支援が挙げられる。
 
 ①自分(自己)とのつながり ②他者(他己)とのつながり③大いなるいのち(神仏・大宇宙)とのつながり
 
 人が生きていくためにこれら三つのつながりが不可欠であろう。苦しみやグリーフの最中にある方々が、これらのつながりを確認し深めてもらえる支援が求められる。
 
 人は生まれながらにして「なぜ自分はこの世に生まれて来たのか」「生きる意味とはなにか」「死んだら人はどうなるのか」「こんなに苦しい人生なら早く終わらせた方が良いのでは」といった実存的な問いを抱えている。オウム真理教に入信していったかつての若者たち、そして後継団体に所属している今の若者たちもまたこのような問いを抱え苦しみながら、それらの答えを求めて入信したのではあるまいか。
 
 今から20年近く前、私の元を何度も訪れてくれたオウム真理教の元出家信者の女性がいる。彼女は高校生の頃、家庭内の不和に悩むようになり、学校の図書室で哲学書や宗教書を読みあさる。そこで出会ったのが「空」という教えであった。彼女はこの「空」の教えによって自分は救われると思ったそうだ。そして学校近くにあった禅寺を訪ね、寺の僧侶に「空」の意味について問いかける。

 そこで返ってきたのは「そんな難しいことをわしに聞くな」という言葉だった。門前で僧侶によってあしらわれた失意の中で、ほどなくして彼女はオウム真理教の門を叩くことになる。

 逆説的に聞こえるかも知れないが、今、私たちが大切にしなければならないことは、若者たちが抱えている実存的な問いに直接答えることではなく、彼ら彼女たちに寄り添いながら、共に悩み考えることである。そのことが、若者たちにとって「風景」ではない、「リアル」な宗教のあり方につながっていくのだと信じている。
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 じん・ひとし/1961年東京都生まれ。大正大学、駒澤大学で仏教学を専攻。インド国立ベナレス・ヒンドゥー大学大学院へ留学。現在、全国青少年教化協議会(全青協)主幹・常務理事。著書に『仏教教育の実践』『家族再生』など。

2018/8/23
大本・天恩郷 「四大綱領」教碑を建立 聖師の修行120年記念し

石碑の除幕を行った出口教主 出口王仁三郎聖師が高熊山に入山してから今年で120年となるのを記念し、教義の神髄の一つ「四大綱領」を刻んだ石碑が京都府亀岡市の聖地・天恩郷の教学碑前広場に建立され、大本の四大大祭の一つ「瑞生大祭」に合わせて7日、除幕式が行われた。これにより最重要と位置付ける4教義を刻んだ3つの教碑が揃った。

 除幕式では、出口紅教主が紅白の縄を引いて白布を取り払い、教碑を披露した。宮城県の稲井石で、縦約2・2㍍、横約1・2㍍、重さ約3㌧。大きな石が採れないため、原本の約8割の大きさとなった。

 四大綱領は、王仁三郎聖師が高熊山の修行で悟った生活の原理を示した教義。神と人の関係を示した「大本教旨」、神の実在を明らかにした「三大学則」、天人が実践する生活を説いた「四大主義」の計4つの教義は昭和10年(1935)9月8日、王仁三郎聖師が生誕地の瑞泉苑(京都府亀岡市)で記したもの。当時石碑にする予定だったが、建立直前に起こった同年12月8日の第二次大本事件で破壊された。

 その後、石碑を製作した石材店が保存していた拓本が見つかり、昭和28年(1953)に開教60年を記念し、教旨と三大学則を記した石碑を建立。王仁三郎生誕100年となる昭和46年には四大主義を刻んだ石碑を建碑した。この碑文は当時の出口直日三代教主が揮毫。王仁三郎聖師筆の拓本は所在不明という。四大綱領の拓本も長く失われていたが、平成23年(2011)に内事の蔵で発見された。

 瑞生大祭後に挨拶した出口教主は、王仁三郎聖師の高熊山入山から今年で120年の佳節にあたるとし、「このような記念すべき年の瑞生大祭に大本教義の神髄の一つである四大綱領の石碑が建立されることは、まことにおめでたく大変嬉しい」と喜んだ。さらに、今回石碑が建立されたことで、「聖師さまのご意思であったすべての教碑が揃うことになり、その意義はとても大きく深い」と語った。(続きは紙面でご覧下さい)

2018/8/16・23 
岡野賢祥さん得度授戒式 孝道教団法嗣「孝順の菩薩道」誓う

来賓や信徒らが見守るなか厳粛に営まれた賢祥さんの得度授戒式 孝道教団(岡野正純統理)は19日午前、横浜市神奈川区の孝道山本仏殿で法嗣岡野賢祥さん(高1)の得度受戒式を厳粛に執り行った。来賓のほか地元代表信徒ら500人余が将来の統理を見守った。

 賢祥さんは父である第3世岡野正純統理から授戒。衣・袈裟・念珠が授けられ、いったん本仏殿を後にした。墨染めの衣と袈裟をまとった法嗣は再び現れ、得度を証明する度牒が統理から授与された。賢祥さんは誓言を述べ、「今身を尽くして、熟益正法の教・戒をよく持(たも)ち、孝順の菩薩道を完(まっと)うせんことを誓い奉る。南無妙法蓮華経」と奏上した。

 岡野統理は挨拶で、「本人はたいへんシャイ」と紹介。事前にいろいろ話し合い、「43年前の自分が感じたことと同じようなことを感じていた」と披露。「本人はたくさんの問いを心の中に持っている。その問いの答えを探す旅の第一歩となる」とし、信徒には「そっと見守っていただきたい」と要望した。

 来賓の田中昭徳浅草寺貫首は「衣鉢を継ぐ」と「三衣一鉢」を紐解き、衣をまとい形を身につけることの大切さを解説。さらに「ご自分の立場、使命の重さを自覚されたと思うが、心配する必要はない。周囲には多くの立派な先生方がいる。孝道の道を堂々と歩んでください」と激励した。

 小堀光實比叡山延暦寺執行は、田中貫首の「衣」関連で、忘れてはならない仏さまへのお供え物として、お香・灯明・お花を欠いてはならないと話した。そして「プレッシャーを感じる必要はありません。お師匠さまにプレッシャーを与えてください」と逆説的に説いて期待を込めた。そのうえ学生時代、コーラス部で鍛えた喉でパーリ文による三帰依文を前段から独唱しプレゼント。参席者も熱心に聞き入った。

 賢祥さんは平成14年(2002)12月4日生まれ。同日、孝道教団と縁の深い比叡山の叡南祖賢大阿闍梨の33回忌法要が営まれたことから賢をいただいたという。

2018/8/9
事件風化 カルト増加の中で③ オウム死刑囚13人執行
利用される「宗教学者」 問われる宗教研究の姿勢
宗教社会学者・上越教育大学大学院助教 塚田穂高氏

 

かつてのオウム真理教南青山総本部 「遅れ」を取り戻したい。何とか追いつきたい。そうもがいている間に、大きなドアが閉ざされてしまった。7月6日・26日のオウム真理教事件13死刑囚の刑執行。私がわずかながらも、面会し、意見を交わし、法廷でその声を聴いた彼らはもういない。

 事件時は中学2年、「ポストオウム世代」の私は、二重に「遅れ」て来た。一つは、大学院進学時には麻原(彰晃)地裁公判も終わっていたという点。もう一つは、事件前後に複数の「宗教学者」がオウムを見誤り醜態を晒していた(と後で知った)という点だ。

 その後の宗教研究では、「カルト問題」研究が櫻井義秀らによって切り拓かれた。オウム研究も(私も関わった)『情報時代のオウム真理教』『〈オウム真理教〉を検証する』(ともに宗教情報リサーチセンター編、春秋社)などによって足場が整えられてきた。
 あらためて、オウム事件と宗教研究について体験と事例を踏まえて考えたい。

 2012年に特別手配の3人が逮捕され、裁判が再開された。今しかないと思い、地裁から傍聴券の列に並んだ。傍聴できたのは20回超。一部だ。それでも私にとってほぼ最初で最後のオウム法廷は、貴重な経験だった。

再開オウム法廷

 傍聴の列には、実に粘り強くオウムを追い続ける人びとがいた。メディア、ジャーナリストはもちろん、弁護士、家族、信者、支援者、そして一般人のウォッチャーら。宗教研究者は見かけなかった。彼ら・彼女らには多くの「知らない」ことを教えてもらった。
 法廷では、「宗教学者」が言及されたり、登場する場も何度かあった。

 「教団に好意的な宗教学者の島田(裕巳)さんにでも見にきてもらうか」(2014年1月28日、東京地裁・平田信公判、杉本繁郎無期懲役囚の証言)。第7サティアンのサリンプラントを発泡スチロールの神像などで宗教施設と偽装した際のことである。

 「島田さんを攻撃することで世間の同情を買う情報操作だから」(同年2月19日、同公判、被告人質問)。地下鉄サリン事件前日、教団が疑われないための陽動作戦として、同氏の元自宅マンションの入口に爆発物を仕掛けた事件で、井上嘉浩死刑囚が語ったという動機である。

 自分たちの犯罪・問題から目を逸らさせるための「宗教学者」の利用。しかも、周りの傍聴者は、それに特に疑問も持たずに耳を傾けていた。

 オウムが対抗文化的な土壌に育ったことは確かだが、そうした対抗性に、メディアは消費コンテンツとしての魅力を見出し、知識人は自らの優越性(「自分は彼らを理解できている」)を無批判に寄託したことが、その問題性を見過ごし、肥大化させたのだと総括できよう。

 「“狂気”がなければ宗教じゃない」(中沢新一)、「(オウム批判は)ああ、またか、という思い」(山折哲雄)、「オウム真理教はディズニーランド」(島田裕巳)なども、結局は「~と言われているけど実は…」式の変奏である。これらを、宗教学や社会学、人類学などの姿勢・方法の問題に帰してよいかは慎重になりたい。だが、そこには「逆張り」の魔力があり、それが広く効力を持ったのである。

 いや、これは過去の問題では済まされない。現に、後継団体の幹部や麻原子女を「インタビューしてみた」「ゲストに呼んでみた」式の批判的検討なしに取り上げる例は枚挙に暇がない。

 あるいは大学の授業でオウム問題を扱う際、映画『A』(森達也)を見せて、「異常」だと思われている「カルト」信者の日常の姿から「意外と普通なんだ」といった気付きを与える(だけの)ような例もあるという。

オウム中

 後継団体のひかりの輪(代表・上祐史浩)に対しては、「宗教学者」が「オウム真理教の危険性と問題点を自己反省的・総括的に批判」(鎌田東二)・「(オウムに対する)反省が、きわめて真摯かつ徹底した仕方で行われている」(大田俊寛)などと同集団が望むような「お墨付き」を与えている。

 その上祐は、教団で殺害現場に立ち会っていたのを今日まで隠していたことが明るみに出た。それで「反省」も「総括」もあったものではないが、「利用」されに向かう「宗教学者」の姿は同型反復である。

 われわれは「オウム後」ではなく、「オウム中」にまだいるのかもしれない。「救いがない」、だろうか。だが、そうした過去と現在の実態と問題に向き合わないかぎり、前には進めない。「宗教」と「宗教研究」との関わり方が問われている。死刑執行で終わり、ではない。確定した裁判記録を基礎資料に、共同・連携して考究を続けたい。  (敬称略)
 ………………………
つかだ・ほたか/昭和55年(1980)、長野市生まれ。東京大学大学院博士課程修了。博士(文学)。著書に、『宗教と政治の転轍点』(花伝社)、『徹底検証 日本の右傾化』(編著、筑摩書房)など。