「甲子園に出場し、早稲田へ進み、プロ野球選手になりたい」と中1で決意した:表も裏もおろそかにしない――桑田真澄流、効率的な努力の仕方 (1/2)

仕事が忙し過ぎて、勉強する時間も体力もない――そんなエンジニアに贈る、「野球界の大スターは、いかにして努力する時間を捻出したか」。

» 2018年09月05日 05時00分 公開
[竹内充彦@IT]

 2018年6月9日に開催されたPE-BANK主催の「プロエンジニアフォーラム2018」で、元プロ野球選手 桑田真澄さんが、野球を通じて体得した人生哲学を語ってくれた。

 野球界のスターとITエンジニア――別世界の話のように思えるかもしれない。しかし、どちらも技術職、そしてプロフェッショナルだ。

 数々の挫折を乗り越え、技術を極めたプロが伝授する、効率的な努力の仕方、逆境との向き合い方は、きっとITエンジニアの皆さんの役に立つだろう。

桑田真澄さん

日本野球界屈指の大スター

 最初に、桑田真澄さんの経歴をおさらいしよう。

 桑田さんは、PL学園高校野球部で甲子園に5季連続出場し、優勝2回、準優勝2回を果たし、通算20勝を記録。1985年にはドラフト1位で読売巨人軍に入団し、2年目の87年には沢村賞を獲得。94年に最多奪三振王となり、シーズンMVPを獲得した。

 1995年6月、試合中に右肘靭帯断裂の重傷を負うが、トミージョン手術と長期のリハビリの末、97年4月に復活し、2002年には最優秀防御率のタイトルを獲得。

 2006年にメジャーリーグ挑戦のため21年間在籍した巨人軍を退団したことも大きな話題になった。07年にピッツバーグ・パイレーツでメジャー初登板を果たし、08年3月に現役を引退した。

 その後、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程、東京大学大学院総合文化研究科を修了し、現在は特任研究員として研究を続け、野球解説、評論、執筆活動、講演活動も行っている。

「表と裏」の両立を実現するために

お母さんの話をするときは、関西弁になる

 桑田さんが野球を始めたのは2歳のころだという。50歳になった今、その長きにわたる野球人生を振り返り「野球は素晴らしい半面、残酷でもある」と語る。

 その理由として「野球の試合に出られるのはチームのメンバーのうち9人だけ」「東大には毎年3000人入学できるけれども、プロ野球選手になれるのは毎年80人前後」「野球選手になれたとしても、試合に出て結果を残さなければいけない」「20代後半でセカンドキャリアの選択を余儀なくされるケースも珍しくない」などを挙げた。

 桑田さんは、こうした弱肉強食の厳しい世界で23年間プレーをして、さまざまなことを学んだ。そのうちの一つが「表と裏の両立」だという。

 桑田さんが本格的にピッチャーを始めたのは、中学1年生の時。そこで「表と裏の両立」の大切さを学んだ。どんなに自分が良いピッチングをしても、攻撃で点が入らなければ試合には勝てない。勝利を得るためには、攻撃(表)と守備(裏)どちらもおろそかにしてはいけないということだ。

 桑田さんは、この考えを他の分野にも応用した。

 中学、高校学生時代は、「野球と勉強の両立」を目指した。放課後の時間を最大限野球に割り当てるためには、普通にやっていては時間が足りない。そこで「どうすれば効率的に努力できるか」を考え、勉強は授業中に集中して理解するようにし、宿題は全て休み時間中に済ませた。

 野球のトレーニングも、効率化を目指した。長時間練習しても疲れるだけで効果が上がらないと判断し、「素振り30回+シャドーピッチング50回」など、短時間で集中的に努力する練習方法を編み出した。

 プロ野球選手時代は、「結果とプロセスの両立」に取り組んだ。現役引退後も、大学で取れる限り最大限の授業を履修し、「戦略と収益との両立」について学んだという。

要所要所で来場者に質問し、答えた人に色紙をプレゼントする桑田さん。会場を飽きさせない「工夫」をたくさん盛り込んでいた
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