励ましエルフと不機嫌な嫁
このままでは猫と結婚した真なる変態になってしまう。
しかし、いくら話しかけても、ヴィオレットは反応を示さない。
「おい、ヴィオレット、いい加減にしろ」
「その猫は、ヴィオレットというのですね」
「ヴィオレット・フォン・ノースポール。伯爵家の娘だ」
「はい」
返事をしながらも、マグノリア王子の目は気の毒な生き物を見るような生暖かいものとなっていた。
どうしてこうなってしまったのか。ハイドランジアは頭を抱え込む。
こうなったら、とにかく謝罪するしかない。
「ヴィオレット、すべて私が悪かった。殿下を歓迎するために頑張っていたのに、水の泡にしてしまった。すまないと思っている」
『……』
ヴィオレットの尻尾は、長椅子にたんたんと打ち付けられていた。
まだ、怒りは収まっていないようだ。
はあとため息をつく。どうにもならない事態らしい。
一言でもいいから喋らせなければいけなかった。このままでは、完璧に変態扱いである。
ハイドランジアは最終手段に出た。ヴィオレットの体を抱き上げ、思い切った行動に出る。
「私は、お前のことをこんなにも愛しているというのに」
愛の言葉を囁き、ふわふわの体に頬擦りする。
『きゃあああ~~!! な、何をなさるの~~!!』
バリっと、ハイドランジアの頬に爪痕が刻まれる。
ヴィオレットは体を捻って、拘束から逃れた。一回転したのちに、床に着地する。
そして、ヴィオレットはハイドランジアに向かってべーっと舌を出した。
それを目の当たりにしたマグノリア王子は、一人瞠目していた。
「猫が……喋った!?」
「この通り、我が妻は猫の──」
「喋る猫と……結婚したというのですか?」
「違う!」
実際にヴィオレットの姿を見せてから呪いの説明をしようと思っていたのに、どうにも思うようにいかない。
ハイドランジアはヴィオレットの紹介を諦め、バーベナを呼んで私室に連れて行くよう命じた。
ゴホン! と咳払いし、居住まいを正した。
「改めて説明すると、我が妻ヴィオレットは十年前、何者かに呪いをかけられ、異性が触れると猫の姿になってしまう魔法をかけられたのだ」
「……」
「本当だからな」
「にわかには、信じられない話なのですが」
まず、異性が触れたら発動するという呪いを、マグノリア王子は聞いたことがないという。その意見には、ハイドランジアも同意した。
これまでのヴィオレットとのなれそめを、ハイドランジアはマグノリア王子に説明する。
きっかけは十年前のシラン・フォン・ノースポールとの出会いだったこと。
長い間婚約の話は忘れていたが、ヴィオレットが独身だったので結婚を申し込みにいったこと。
それから、異性が触れると猫になる呪いにかかっているということ。包み隠さず、すべてを語った。
「その呪いについて私も調べたが、禁書室の魔法書にも書かれていなかった」
「だとしたら、非常に興味深いです。もう一度、奥方に会わせていただけますか?」
「少し、待っていてくれ。機嫌を窺ってくる」
「ええ、分かりました」
転移魔法は使わず、歩いてヴィオレットの部屋へ向かう。
すると、部屋の前にオロオロする二名の侍女の姿があった。
「何かあったのか?」
侍女は声をかけた瞬間にハイドランジアの接近に気づいたようで、会釈して壁際に並んだ。
「あ、あの、奥様は今、取り乱しておりまして」
「侍女頭がついているのですが」
「怒っているのではなく、取り乱していると?」
「は、はい……」
なぜ、怒っているのではなく取り乱しているのか。中で事情を聞きたいが、果たして面会できる状態なのか。侍女の一人に聞いてくるよう命じた。
五分後、バーベナが出てくる。あとに続くように、ポメラニアンとスノウワイトもひょっこり顔を出してきた。
「旦那様……」
「あれが取り乱しているのは、私のせいなのか?」
「いいえ。あの、一度、奥様とお話になられてください。ただ」
「ただ?」
「高圧的な態度はなさらなでください」
「分かっている」
バーベナは下がり、廊下の壁際に並ぶ侍女の列に加わった。ポメラニアンとスノウワイトも続く。
どうやら、夫婦の話し合いなので外で待機しているようだ。
部屋に入る前に、一度声をかけてみる。
「ヴィオレット、私だ」
返事はないが、中へと入らせてもらう。
この部屋はかつて、ハイドランジアの母の部屋だった。気がめいりそうなネイビーブルーのカーテンに、黒い卓子や本棚がある暗い部屋だった。
しかし、ヴィオレットは模様替えをしたようで、カーテンの色は春を思わせる若草色に変わり、家具は白で統一された明るい部屋となっている。
長椅子にも、窓際の一人がけの椅子にもヴィオレットはいない。
どこかと気配を探ったら、卓子の下にある籐の籠の中に丸まって入っていた。
ハイドランジアは籠ごと持ち上げ、長椅子に腰かける。
アンモナイトのように丸まっているヴィオレットを、ハイドランジアは籠の中から抱き上げた。
特に抵抗はせず、体はだらりと脱力していた。
大人しいことを不思議に思い、目線を同じにするように持ち上げる。すると、涙目のヴィオレットと目が合った。
パチパチと瞬きをすると、大きな瞳からポロリと涙が溢れる。
「なぜ、泣いている?」
『……』
「話さないと、わからん」
『……』
ヴィオレットは口をパクパクと動かしているが、まだ声にならないようだ。
視線はそっと逸らされてしまう。その姿には、既視感があった。
幼少時の記憶が甦る。
あれは、六歳くらいだったか。夜中にこっそり魔法を使って、部屋を水浸しにしたことがあった。
亡き父が飛んでやって来て、ハイドランジアを怒ったのだ。
その時、喉が渇いていて、一杯の水が欲しかった。水差しの水は空で、使用人に頼めばよかったものの、すぐに飲みたいと思ってしまったのだ。
ただ、真正面から父親に睨まれ、上手く説明できなかった。
今のヴィオレットも、そうなのかもしれない。
ひとまず膝に下し、しょんぼりしているように見えたので頭を撫でてやる。
特に抵抗することもなく、ヴィオレットはハイドランジアに撫でられたまま大人しくしていた。
苛立たしい感情が溢れ、叩きつけるように振られていた尻尾はしだいに動かなくなった。
「落ち着いたか?」
『ええ……』
「いったい、どうしたというのだ」
『そ、その前に、頬の傷……』
「ああ、これか」
ヴィオレットに引っ掻かれた傷のことを、特に大きな痛みもないのですっかり忘れていた。回復魔法で治す。
「痛くもなんともないから、気にするな」
『ご、ごめんなさい』
その後、ヴィオレットはポツリ、ポツリと心の内を話してくれた。
『わたくし、悔しくって』
「何が、悔しい?」
『この、呪われた体が』
客人を迎えようとはりきっていた。それなのに、ハイドランジアに触れただけで猫の姿となってしまう。
結婚したのに女主人としての役目をまっとうできなかったため、腹立たしく思っていたのだという。
『マグノリア殿下がいらっしゃっていたのに、こんな姿で出迎えることになって……』
ヴィオレットが猫の姿で挨拶しなければ、なかったことにされるかもしれない。そう思って、黙っていたのだという。
「呪いのことは殿下に話すと手紙に書いていただろう」
『ですが、その説明を猫の姿でされるとは、思ってもいませんでしたの』
ヴィオレットとしては、人の姿でマグノリア王子と会い、一通りもてなしたあと話をしたかったようだ。
それも、猫の姿になったことにより、叶わなくなってしまう。
『ですが、冷静になってみたら、わたくしが意地を張っていたせいで、マグノリア王子の前で失礼な態度を取ってしまい──!』
またしても、ヴィオレットの瞳から涙が溢れる。自己嫌悪なのか、ぶわりと毛が膨らんだ。
落ち着かせるため、ハイドランジアは頭を撫でる。
『わ、わたくしは、どうして我儘な子どものような態度を、取ってしまったのか。ローダンセ公爵家の者としての、自覚が、足りていなかったのです。今、とても、恥ずかしい……』
ヴィオレットは己を恥じて取り乱していたようだ。
ハイドランジアは高圧的にならないよう、なるべく優しい声で語りかける。
「猫の姿になることは、決して普通のことではない。客人を前に、取り乱してしまうのも、仕方がない話だろう」
『そんなことは……』
「ある。今、お前がすべきことは、己を恥じ、部屋に引きこもることではない。何をすべきか、分かるな?」
過去を悔いても、どうしようもない。大切なのは、失敗したあとの行動だ。
ヴィオレットはこれから何をすべきか、震える声で答えた。
『それは──殿下に謝罪し、事情を説明すること』
「そうだ」
その瞬間、ヴィオレットに変化があった。
小さな体は魔法陣に包まれ──人の姿に戻る。
当然ながら、生まれた時と同じ状態であった。