小さいころ2週間ほど母方の祖母の家で過ごした覚えがある。両親や兄弟は一緒では無かったはずだ。
なぜ僕ひとりだけが祖母の家に行っていたのだろうか?
その経緯は全く覚えていなかった。もしかしたら自分の勘違いだろうか? そう思って当時の事を聞いてみたところ、こう言う話であった。
小さい頃のぼく
私は小さいころ大人しい子どもであった。
アリの行列をジーっと眺めていたり、図鑑などの本を読んだり。
親はもっと泥だらけになって友達とかと遊んで欲しいと思ったらしく、あるとき「もっと服を汚してきなさい!」と言ったら、アスファルトの道路の上をゴロゴロと一人で転がっていたそうである。
それを見て母は「それはちょっと違う」と思ったそうだ。
素直と言えば素直。ただし一度言い出したら聞かない一面も持ち合わせていた。
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逃走のきっかけ
それは姉の七五三のお祝いの時だったそうだ。
姉とは歳が三つ離れているので自分は4歳だったことになる。その時は両親以外に父方と母方の祖母が一緒であった。
綺麗な着物を着て神社にお参りをして、言わば姉の晴れ舞台である。当然みんなの関心が姉の方に集まり、もてはやされます。
それが僕には面白くなかったらしい。
ぐずる、すねる、だだをこねる。
かまって欲しい年頃ですし、小さい子が嫉妬するのはよくある話だ。
みんなもそれはわかっているのでどうにか適当になだめてお参りを続けていたのだが、あまりの酷さに母方の祖母の堪忍袋の緒が切れたらしい。
相手方の祖母もいるので目の前で叱りつける事はためらわれた。なのでトイレまで僕を連れて行ってお尻をパシンと叩いて叱ったのだ。
「みんなを困らせちゃだめでしょ。お姉ちゃんの特別な日なんだから今日くらい我慢しなさい!」
叱られた後の僕はずっと大人しくしていたらしい。そのとき祖母は「私は嫌われてしまっただろうな」と思ったそうだ。
だが予想外の事が起きた。
七五三も無事に終わり、祖母を駅まで見送りに行った時だ。帰りの切符を買っていざ祖母が改札をくぐろうとすると
「ぼく、おばあちゃんのところにいく~!」
そう泣きわめきながら祖母の後を追いかけて行ったそうだ。
お母さんはお姉ちゃんのことばっかり可愛がって僕のことを見てくれない。でもおばあちゃんは僕を見てくれた。
そんなふうにでも思ったのだろうか?
祖母はお尻をひっぱたいて嫌われたと思っていたので、付いて行くと言われてビックリである。
母が「おばあちゃんは忙しいからダメよ」と言い聞かせてもムダです。なんせ一度言い出したら聞かない子でしたから。
どうしようか。
母と祖母はいろいろ悩んだ末に「もう連れて行っちゃおうか。どうせ二、三日もすれば帰りたいって言うよ。」との結論に至ったらしい。
こうして僕は祖母の家に押しかけたのだった。
祖母の家と母への拒絶
祖母にしてみたら孫ではあるけど「よそ様の子」を預かると言う思いだったので何かあってはいけない。それはもう付きっ切りで面倒を見てくれた。いきなり4歳の子どもの面倒を見るのはいろいろ大変だったと思う。
祖母の家は風呂場のないアパートだったのでお風呂は近くの銭湯だった。
「ちゃんと湯船に浸かっていなさい」と言ったら本当にずーっと首まで浸かっているものだからゆでダコみたいにのぼせちゃって脱衣所のベッドを借りてしばらく休ませてねぇ。あれは本当におったまげたよ。
と当時の大変さをよく祖母は話していた。
そんな感じに僕は祖母の家で過ごしたのだったが、予想に反して3日たっても全然帰りたいとは言わない。
「そろそろおウチに帰ろうか」と言っても、目も合わさずに首を横に振るばかりである。
それどころか母から電話がかかってきて「お母さんから電話だよ」と受話器を渡そうとしても
「切ってくれ」
と言って電話に出ようともしなかった。
なかなかの拒絶ぶりである。母は本気で育て方を間違えたのかと悩んだそうである。
恐らく母のことが嫌いになった訳では無いのであろう。「お姉ちゃんばかり可愛がって」みたいな嫉妬はあったかもしれないが。
それより祖母の家の生活が新鮮で面白かったのだ。それに祖母の家なら「王子様」のように扱ってもらえる。だからまだ帰りたくなかったに違いない。
電話に出れば「帰って来い」と言われるに決まっている。だから電話には出なかった。そんな感じだったのではないかと自分では思っている。
当時の記憶がほとんど残ってないので定かではないが・・・
私が記憶に残っている事と言えば
- アパートの中の様子(なんとなくだが)
- バスで街に買い物に行ったこと
- 何が食べたいと聞かれて「ドーナツ」と答えたこと
- 銭湯のリンゴジュースが美味しかったこと
このくらいである。
いまでも銭湯と言って頭に思い浮かべるのは牛乳ではなく、飴色のリンゴジュースだ。
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逃走の終わり
最初のころは新鮮で楽しくても、何日も経てば飽きてくるし母親にも会いたくなる。心の中ではそろそろ帰りたいと思ったに違いない。
それでも僕は自分から「帰りたい」とは絶対に言わなかった。一度帰らないと言ったてまえ自分から帰りたいなんて言えるわけがない。小さくても意地があるのだ。
私が言うのもなんだが、なんて頑固なガキなのでしょうねw
でも祖母はそんな僕の意地もくみ取って優しくこう言ってくれました。
「お母さん待ってるよ。そろそろ帰ってあげようね。」
僕は目を合わせることなく、ただ軽くうんとうなずいたそうだ。
こうして僕は2週間ぶりに家に帰った。
最初こそ気まずい感じにしていただろうが、一時間もすれば元通り。今までと変わらぬ日常が再び始まるのだ。
全ては帰るべき場所へ・・・
抜けてたピースは当たり前のようにカチッっと音をたてて元の場所に戻ったのである。
大切な思い出に・・・
この時の話はずっと笑い話として語り継がれている。
祖母は僕と会う機会があると毎度のようにその時のことを楽しそうに話していたし、僕も何度聞いても面白かったし懐かしかった。本当に良い思い出だ。
その祖母が先週息を引き取った。89歳である。
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