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2018-09-04

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・対談のときにも話していたことだけれど、
 幡野広志さんの文章に最初にふれたのは、
 ひとりでラーメンを食べに行ったときだった。
 ぼくはこだわりの人ではないから、
 ラーメンはひとりにかぎるなどとは言わない。
 何人かで行ったこともあるし、ふたりで行くこともある。
 ただ、ひとりで行くほうが圧倒的に多い。
 だれかと行っても、話もできないというのも理由である。
 食べに行こうと思いついてから、
 食べようと思うラーメンが決まったらそこに行くのだが、
 そこまでの距離が近くはなかったりする。
 食べ終えるのに10分もかからないラーメンのために、
 電車を乗り継いだりタクシーに乗ったりすることには、
 ちょっと気軽に人を誘いにくい。
 しかも、行列のできる店なら待ち時間だってある。
 だからどうしてもひとりで行くということになる。
 だれにも遠慮も気兼ねもいらないということが、
 ひとりで行動することのいいところだ。
 それをしばらく続けられるのが、ひとり旅なんだけどね。

 ひとりだから、ラーメンを食べに行くときに、
 なにか読むものがあると、よくしみる。
 だれと話すこともないのだから、まじめにそれを読む。
 たまたまだ、そこで幡野さんのブログを読んでしまった。
 会社の椅子に腰かけて、いつものディスプレイで、
 いつものようにネットのリンクを辿っていたら、
 「これは、ちょっと、あとでゆっくり読もう」
 というふうになってしまったような気がする。
 ちゃんと読まなきゃいけないという気持ちは真摯でも、
 それをあとでほんとうに実行するとはかぎらない。
 ラーメン屋の行列のなかで、ぼくは、
 それをすぐに読む姿勢になっていて、読み続けた。
 ただひとりで、書かれた文章に向かい合った。
 読んでいて、どうしようとか思うような文章だった。
 こっちのひとり、つまりぼくのほうに指先が向いている。
 そんなふうに思えたのも、ひとりだったからだと思う。

 つまりその、たまにひとりでラーメン食べに行くのは、
 いろんないいことがあるぞ、ということなのである。
 ひとりでやること、きみにもぼくにも、いっぱいある。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
このことに関しては、「とんかつ」はちがうんだよなぁ。


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